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迷探偵の恋人は、いかがですか??

作者: ニアル

一部、不快かもしれない表現が出てきます。ご理解ください。

感想評価、ぜひよろしくお願いします。

尚、今作は単体でも読んでいただくことができますが、一作目の「迷探偵の恋人は、いかがですか?」を読んでいただけると、より一層お楽しみいただけるかと思います。

2.15 タイトルを一部変更しました。

「では、記入漏れやミスがなければ確定案を提出してください。もう一度言いますが、これが最終決定になります。火器の使用や調理、物販といった出し物をするクラスや部活の代表は、もう一度しっかりと確認をお願いします」


 そうして、私――生徒会長こと榎本えのもと夏希なつきは説明を終えた。未使用教室に集まった生徒たちが、教卓の上にプリントを置いていく。私はその様子を見ながら、何か困っている人は居ないか辺りを見渡した。


 文化祭まで、残り一ヶ月を切った。


 今日、こうして放課後に集まってもらったのは各クラスの文化祭実行委員の人達と、運動部や文化部の代表者だ。

 いま我が校は文化祭ムード一色で、どのクラスも放課後や休み時間を使って少しづつ展示品や装飾品を作っている。教室の後ろにあるロッカーの上には文化祭で使われるだろう小物や道具が所狭しと並び、手作りの温かみに溢れた、文化祭特有の高揚感が学校全体に広まっていた。

 もちろん我がクラスも「お化け屋敷」という定番の出し物を企画している。

 テーマは「古き日本の怪談」だ。枝垂柳や古井戸といった飾り物に、一反木綿、塗壁ぬりかべといった、各地方に登場するご当地妖怪を作っている。準備は順調だ。

 ただ私は当日生徒会の仕事があるため、クラスの出し物には関わることができない。準備の時間に、小物を作る手伝いで精一杯だ。

 私は生徒会長として全体の進行や当日の学外からの招待客の方々の確認、それに付近の駐車スペースの管理と誘導、スタッフとして校内の案内や説明、文化祭当日にのみ使用できるチケットの販売や各出し物のパンフレットの作成と配布、不審者や不審物の対処など、文化祭という特殊な状況における面倒なあれこれを引き受けている。もちろん仕事があるのは私だけじゃない、生徒会メンバー全員だ。

 当然それらは書類という具体的な形となって既に姿を見せている。哀れ、我ら生徒会メンバーは立派な生きる死体リビング・デッドだ。

 今日もまた、文化祭当日にイベント向けの外注を利用したり、火器や食中毒の危険が高い食品を扱うグループが提出する書類をまとめなくてはならない。


「かいちょ、これって許可は必要だっけ?」

「これは……手作りの小物店ですね。許可は要りませんが、売上が出る場合は後日収支明細の書き方を説明するので、必ず担当者か代表者が参加してください」

「はーい」

「かいちょ、こっちはどう?」

「……この、たこ焼き器は各自の持ち出しで良いのですね? ガス式ですか?」

「えっと……たぶん、電気式……だと思う」

「では申請は必要ありません。中にタコのような海産物を入れる場合は食品取扱の許可が必要ですので、こちらの書類にクラス名と使用食品を書いてください。はい、タコ、で大丈夫です。調理担当者は以前渡した管理基準のプリントを必ず読んで下さい。それから、万が一たこ焼き器がガス式だった時は場所の指定がありますので、必ず所有者全員に確認を取ってください。ここ、チェックがされてませんよ」

「かいちょさん。つぎ、私達も見てくれませんか? よくわからなくて」

「はい。……やきそば用の鉄板の貸出希望は申請が必要です。用紙にクラスと代表者を書いて、使用する数量を記入してください。貸出の鉄板一枚で一度にだいたい7人分調理できますので、参考にどうぞ。あとは……はい、これで構いません」

「かいちょさん!」「かいちょ、こっちも確認お願い!」


 私すっごい人気者だ。嬉しくない。全然嬉しくない。

 けど、適当に書いて出されるのはもっと嬉しくない。

 去年のうちに大体のルールは覚えたので、状況に合わせてさっさと指示を済ませる。この程度軽く出来なければ生徒会長は務まらない。

 我が校がある市では、食中毒になりやすい海産物、生肉、卵などの食品は事前に保健所に許可をとる必要がある。許可忘れは学校の責任だ、ここは絶対に見逃してはいけない。調理などで火器を扱う出し物は大多数が中庭の一区角へ配置されるため、事前に規模やスペースといった諸々を調整する必要がある。当日に「この場所にする!」ではないのだ。

 今は私が直接対応しているけれど、この書類はもう一度生徒会メンバーでチェックし直しだ。去年の上級生がぼやいていたが、どんなに言っても毎年一つか二つは間違って書かれているものらしい。

 それをフォローするのは生徒会だ。そういう仕事なのだ。誰かがやらなくてはならない。……ところで現在我が生徒会では庶務を急募しております。仲間との団結力や協調性、そして幸福を強く感じることのできる、極めてやりがいのある仕事があなたを待っています。興味のある方はぜひ生徒会室までどうぞ。生徒会メンバーに直接声をかけていただいても構いません。一緒に我らが母校を導きましょう。

 今のところ、募集に引っかかった哀れ――もといやる気のある生徒はいない。文面は私が考えた。掲示板にも張った。嘘はついていない。これまでの自由な生活がいかに幸福だったか、生徒会メンバーは日々実感しているはずだ。

 嘘はついていない。

 ただ同じクラスのある男子から、性格が悪い、とばっさり切り捨てられた。

 そんなこと言ったって、しょうがないじゃないか。

 まともに誘っても、誰も来てくれないんだもん。


「かいちょ、これであってます?」

「これはですね――」


 何故か先に提出して出ていったはずの人達まで戻ってきて私に確認を求める、という謎な状況もなんとか乗り越え、ようやく全員が教室から出ていった。

 静かになった教室で、教卓の上の書類を種類ごとに分けて枚数を数える。各クラス必須のものは枚数も揃った。書類を纏めていると、新たに一人が教室に入ってきた。

 そちらを見ずに、書類の確認ですか? と声をかける。


「ううん、夏希を待ってたんだ」

「……!」


 声に驚いて振り返れば、そこに立っていたのはクラスメイトの男子だ。

 名前を瀬野せのゆたか

 身長は私よりちょっと高いだけ、男子でも特に小柄で、けどその分可愛らしいと実は女子の間で地味に人気がある。綺麗な顔してるのも、人気の理由だ。

 人懐っこい性格で、いつでも笑顔の子犬っぽい雰囲気をしていて、素直で嘘がつけない――というのは、ただの私の勘違いだった。

 実際はニコニコ笑顔の下で何を考えているのか分からなくて、笑顔のままゆっくりと追い詰めてくる意地の悪い性格で、とにかく油断していると何度も驚かされる、とんでもなく悪いヤツだ。私の天敵のような存在だ。まともに勝負しようとしてもズルい手を使われていつも負ける。


 二ヶ月ほど前のとある事件をきっかけに付き合うことになった、恋人だ。


 いろいろからかわれることもあるけれど、もちろん好きか嫌いかで言えば、当然好きだ。嫌いな訳がない。ちょっとしたさりげない気遣いも、笑顔も、その声すら今では大好きだ。言わないけど。絶対。

 でも付き合ってしばらくして、わかったことがある。

 彼は私を遊び道具みたいに捉えているフシがある。もしくは猫か何かだ。小動物的な親愛の情に思える。


「夏希、いま変なこと考えたでしょ?」

「ひわっ?! ちょっ!」


 それと、これだ。

 事あるごとにさっと忍び寄って、こっそりと耳元で囁く。たまに、軽く抱きしめられる。それは、嫌ではない。ちょっと心臓に悪いけど。

 それに、正直に言えば、喜んでいる私がいる。

 変態っぽいかもしれない。でも、好きな人がこうして触れてくれたり、近づいてくれることの嬉しさを、一度でも恋をした人ならばきっと分かってくれるはずだ。私は正直じゃないから、素直に言えないけれど。


「また耳が赤くなってるね、夏希。可愛い」

「か、かわいくありません! あ、だめっ」


 すっと顔が近づいてくるのを見て小声で叫び、反射的に顔をそらした。瀬野くんは残念だとでも言いたげに、小さく笑う。……いま、絶対キスする気だった。

 学校の中で、そんな、生徒会長がそんなこと、できるわけがない!

 私はなんだかぞわぞわする身体を押さえながら、数歩後退した。この感覚には慣れてはいけないと、直感が訴える。耳が熱い。頬も、風邪を引いたときみたいに熱い。足が震える。

 感じた瀬野くんの息で、燃え上がってしまったかのようだ。


「――欲しいなぁ」


 小声で瀬野くんが何かを言ったけれど、私は聞き取れなかった。

 ふと見ると、瀬野くんは私をじっと見ている。口元にあるのは僅かな笑みだ。

 それは、よく見る表情だ。

 まるで猫をからかって、びっくりした反応を眺めているようにしか見えないのだ。本当に彼は私のことが好きなのだろうか。

 付き合うようになったときには、確かに好きだと言われたけれど……。

 私は妙な思考を振り払うように、頭を振った。

 とにかく、今考えるべきことではない。


 それに……たとえ私が好きでいても、相手もいつまでも好きでいてくれるとは、思ってはいけないのだ。

 もう何度も感じている複雑な思いを、押し隠す。


「ゆ……瀬野くん。待ってもらって申し訳ないのですが、……その、今日はまだ仕事の途中です。この後生徒会室で書類を纏めなくてはいけませんので、まだ時間がかかります。申し訳ないのですが……先に帰っていてください」

「……そっか」


 時計を見れば、十八時。放課後から既に一時間は経過していた。

 本当に、こういう時は自分の立場が恨めしい。一時間も待ってもらったのに、返す答えはいつもこれだ。とはいえ、生徒会のメンバーが頑張っている中で、生徒会長なのに一人だけさっさと帰るわけにもいかない。罪悪感を感じながら、私はゆ……瀬野くんに、一緒には帰れないことを告げた。

 本来なら、普段から私を待たずに帰ってほしい、と告げるべきだ。なのに私の口からは、今日は、という言葉が出て来る。まるで今日は偶然だとでも言いたいのだろうか。もう何日もずっと、こうして待たせ続けているのに。

 分かっている。ひどい話だけど。

 こうして待ってくれたことを、本当に嬉しく思ってしまうのだ。ただ待たせてしまう、無為な時間を強要しているのに。まるでその分だけ彼の気持ちを確かめていられるような、そんな甘く、歪んだ喜びを私は感じてしまっている。


 自分が嫌いになりそうだ。


 いけないことだ、優しさに甘えることは。

 私はこんなにも嫌な人間だったんだろうか。まるで彼を試すような真似をして、どの口が「好きだと思われていないかもしれない」なんて不満を垂れるのか。

 当たり前だ。

 仕事ばかりで、自分のことばかりの女だから、瀬野くんから愛想を尽かされてしまっていても不思議ではない。私たちが恋人っぽく過ごせるのは週一回の休日だけ。それだって毎週ではない。想像との違いに驚いているのは、きっと私よりも瀬野くんのほうだ。


 今日は待ってもらえた。けど明日は? 明後日は?

 来なくなった時、彼の心もまた、私から離れているのでは?

 その恐怖に、私は耐えられない。

 だから、待たないで、とは言えない。来ないで、なんて言えるはずがない。

 きっと素直に聞けば、安心させてくれる言葉をくれるだろう。でもそれは、彼が優しいから気を使ってくれていると考えてしまう。

 何も言わずに待ってくれた、という事実だけが、私に安心をくれるのだ。

 たとえそれが、遠くないうちに溶けてしまう火のついたロウソクのようなものだとしても……それに縋るしか、ないのだ。

 この無様な、私には。


「それじゃあ、また明日」

「あっ……、ええ。また、明日……」


 夕焼けの教室を去っていく背中を見つめながら、私はぎゅっと締め付けられるような胸の苦しさに耐える。

 これが罰だというのなら……きっと、それは軽すぎる。

 ごめんなさい、と、私は誰もいない教室でつぶやいた。

 懺悔ですらないそれは、誰に許されることもなく溶けて消えた。




 ◇




 行事前の生徒会室はいつも重苦しい空気に包まれている……が、今日はより一段とひどかった。原因は何だと問われれば、みんな口を揃えて答えるだろう。

 仕事だ、と。

 タイミング悪く庶務の男子が一人いなくなってしまったのだ。なんでも生徒会の仕事中に大量の種類を抱えて移動し、足をもつれさせて転んだ拍子に手首を捻挫してしまったのだという。仕方ない。さすがに仕方ない。

 っていうかむしろ申し訳ない。

 その子は一年生の庶務だったが、頑張り屋な子だった。先日も、申し訳なさそうにしばらく仕事ができないことを告げに来てくれたのだ。生徒会会長として、私は全力で謝罪した。私を含め、生徒会メンバーはそれぞれジュースやシップを彼にプレゼントした。

 その後、親の方からも苦情を貰ったらしい。先生経由で、私にもっと仕事の分担を減らしてはどうかと助言が来た。


 私はキレた。


 無理だ。私達以上に仕事をしている先生に言うべきではないかも知れないが、一応言わせていただきたい。私たちは給料をもらっているわけではないのだ、と。

 あくまで学生達がより過ごしやすい学校にするために活動するのが生徒会の理念であって、この学校は生徒会の負担が多すぎる。なんなら私達がしている仕事を最低限にして、数値処理やまとめをせず、書類の枚数だけ確認して先生方に放り投げても良いのですよ、と黒い笑顔で提案するおどすと、先生はすぐに謝罪した。それはもう必死に頭を下げてきた。それは教頭だった。

 分かっているならよろしい。

 仕方ないので、人数を増やすために先日の生徒会役員募集の張り紙をしたのだが……ダウンした生徒がいるという、あながち的外れとは言い難い噂が広まり誰も来ない。

 一人分の負担を、ざっくり一日三時間分だとしよう。週五日の活動だ。

 すると彼が抜けた穴は十五時間にもなる。一人減って生徒会は現在六人で活動しているから、一人あたりおよそ三十分の増加だ。全員出席して誰も休まずに、である。

 すると、私達が学校を出るのは毎日二十一時近くになる。

 はっきり言って、ろくでもない。なんでこんなことしてるんだろう、と我に返ることがある。貴重な青春の一ページを書類に埋もれて終わるなんて、バカだ。

 もういっそ、生徒会全員で抗議活動でもした方がいいのだろうか。

 いや……毎日三時間の地獄は行事前だけだし、中でも文化祭は書類が段違いに多い行事だ。つまり今がピークだ。生徒総会は今年は終わったし、年末に向けて大きなイベントは控えていない。

 暇な時は本当に平気なんだ。なんなら三〇分だけやって帰れることもある。


 ともあれ、そんなこんなで生徒会室の空気は悪い。

 険悪というわけではないのだが、みんなストレスが溜まっている。それはそうだ。このあと自宅に帰れば、課題をやらなくてはいけないし、小テストのために勉強もしなくてはならない。塾を休んでくれている子もいる。遊ぶ時間が全くない。

 だから、だろう。


「文化祭が終わったら、生徒会で打ち上げをします」


 私の提案に、全員が反応した。視線はそれぞれの書類に向いている。

 しかし、意識がこっちへ集まっていることを確信した。


「焼肉です。費用は……なんとか生徒会の活動費から落とします」


 生徒会室に喜びが溢れた。


 たまになら、こんなことも許してくれるだろう……と、監査委員のとある女の子を思い出す。

 そんなこんなで、学校を出たのは二十一時だ。普通に考えて、遅すぎる。

 真っ暗になった道路を歩く――そばには誰もいない。

 あのとき――瀬野くんと一緒に帰れたなら。真っ暗闇ではなく、きっと夕日の中を二人で帰れただろう。くだらない話で盛り上がりながら、ちょっとからかわれたりもする、そんな普通の下校だ。帰り道にコンビニに寄るくらい、今時は許されるし、なんなら駅まで出向いて軽く食事しても良い。

 健全なお付き合いなら、誰にはばかることもない。

 すべて、ただの妄想なのだけれど。それを想像して、私は小さな幸せを感じていた。


 あと文化祭まで一ヶ月。それまでは、こんなことをいつも考えるのだろうか。

 ……なんだかなぁ。




 ◇




 翌日の放課後。

 火器の配置数が事前申請よりも多く、予定より一部拡張するか、もしくは中庭と校庭の二箇所の開催はどうかという相談を、担当の教員としなければいけなかったため、私は生徒会室を抜け出した。

 まぁ、急ぐ案件ではない。

 十中八九拡張で話はまとまるし、校庭の使用に関しても予定数を大幅に越えた場合には、事前に予想される状況の一つとして、既にスペースの確保はできている。

 だから何か別の用事のついででも良かったのだが、そう。

 早めに。確認しておこう、というただそれだけだ。

 おっと……教室に、何か忘れモノをした気がする。取りに行かなくてはいけない……確認が必要だ。

 十八時頃の廊下はいつも夕日で紅く染まる。ずっとおしゃべりをしている一部の生徒は居るが、私達のクラスは誰も居なかった。

 ごそごそと、何もない机を探し回る……いや、もういいか。

 とある男子生徒の机に目を向ける。

 鞄はなかった。

 帰ったのだろう。

 ふと教室の窓から外を見る。

 瀬野くんらしき男子と、隣を楽しそうに笑っている女子が見えた。

 ドクン、と大きく心臓が震えた。


 私は職員室に向かった。


 翌日以降も生徒会室を抜け出してみたが、瀬野くんの姿は、なかった。

 金曜日の休み時間に、平静を装って瀬野くんに話しかける。


「土曜日か日曜日なんですけど……、瀬野くん、空いてますか?」

「あー……。ごめんね、ちょっと用事があって」

「そう、ですか? あの、ちょっとだけ会うだけでもいんです。あの、友達が話していたおしゃれな喫茶店があって――」

「ごめんね、夏希」

「いえ……無理を言ったようで……すいません」


 私の口から、あの女の子と会うのか? という言葉が飛び出そうになった。だが、なんとか押さえ込む。わざわざ……自分から傷口をえぐる必要はない。

 大丈夫だ。たまたまだ。

 こんなこともあるさ。

 こんなことも。




 ◇




 土曜日。

 課題や勉強を終えれば、やることは無い。それも真面目にやれば昼頃には終わる。いい具合にお腹がすいた私は、リビングで珍しいものを見た。

 ぐうたらな兄が出かける服を着ていたのだ。私が来ると、スマホに向けていた視線をこっちに向ける。

 榎本えのもと達也たつや。大学二年生だ。

 母のお腹の中にあったはずの、私の分の身長をすべて奪った憎たらしい男だ。

 身長は一八〇センチを越えていて、事あるごとに私の低身長をバカにしてくる。ムカツク。しかも私にはまったくそうは見えないが、顔立ちが良いらしい。街中で偶然会うと、いつも綺麗な彼女を連れている。そして大体女の子の友達同士で歩いている私を、小馬鹿にしたように一瞥するのだ。ムカツク。その後に友達が、今の人がお兄さん? カッコイイね、っていうのも、なんだか悔しくてムカツク。

 その度に、あいつ性格最悪ですよ、と何度言おうと思ったことか。

 まぁ、それでも兄妹仲が悪いわけではないのだけれど。

 たまにプリンとか買ってきてくれるし。うん。


「おう、夏希。出かけるぞ」

「いってらっしゃい」

「そうじゃなくて、お前も行くんだよ、おちびさん」


 は? 何故に? ってか今なんて言った、それが人を誘う態度か。

 私は白けた視線を送る。兄の奇想天外な行動は今に始まったことじゃないが、唐突に出かけるなどと言われるのも、相当に珍しいことではあった。

 それに私の用事があるかくらい確認したらどうなのか。文句を言ってやろうと口を開けばそれより早く、


「おっと。まさか予定があるなんて嘘を言うなよ? お前はわかりやすいからな、そのしけた顔を見れば今日も一日寂しく予定もスカスカということくらい、俺には分かるんだ。分かったらお兄様についてこい」

「……嫌です」


 自信満々に言うところが嫌。そのくせ間違ってないところも嫌。

 悔しい。絶対行ってやるもんか。

 私が内心で固い決意を誓うと、兄は眉を片方だけ上げて仕方ないなぁ、とでも言いたげな顔を作った。なんだその海外ドラマみたいなリアクション。ムカツク。

 もうとにかくムカツク。


「そうだな……来てくれればお前が欲しがっていた電子辞書をくれてやろう」

「……っ」


 兄の電子辞書……欲しい。

 普通の電子辞書じゃダメなのだ。兄の電子辞書はちょっとお高いやつだ。機能もたくさんある。発音機能に英語だけじゃなくフランス語、ドイツ語、中国語まで発音できるのは他に見たことがない。あと、付箋機能、というちょっと変わった機能がついていて、気になったページを一覧に纏めることができるのだ。すごい見やすくて、地味に便利だ。

 でも、悔しいし。来年受験だし、お父さんにねだれば……買ってくれるかもしれないし。九万円するけど。

 ……無理か。たしか、兄は半額自分の小遣いを出した。


「ああ、別に要らないか? ならしょうがないな、二時間ほどで終わる用事だったが、無理強いするのは俺の趣味じゃねぇ」


 二時間。二時間で、九万円の辞書。

 それなら私は親に別のものをねだることができる……実は前から欲しかった服が……古くなってしまったし、新しいバックも欲しい……うー……。


「じゃあな」

「行きます」


 ニヤリ、と兄が悪い笑みを浮かべた。

 むかつく。


 出かけた先は駅前のかなり有名な洋菓子店だった。

 店内はほとんど若い女性客で、その彼氏だろう男性がちらほらいるくらいだ。しかも、めちゃくちゃ長い行列ができている。なるほど兄一人でここに並ぶことは至難の業だろう。

 彼女にサプライズのプレゼントをするために、購入するそうだ。


 ちくしょう、と私は心の中で罵った。


 兄が私と行く場所なんてどうせおしゃれとはかけ離れた場所のはずだと思って、油断した。昼時だし、ファミレスかなんかで食べたいのかと。兄がそれなりの格好をしている時点で、気付くべきだった。

 今の私は化粧なんて一切してないし、急がされたから服も地味だ。恥ずかしい。こんな店に来るなら、せめて一時間前には言ってくれないと困る。私は被ってきた帽子を深くまで下ろし、なるべくまわりから隠れるようにする。無駄な努力だ。しかしやらずにはいられない。

 一人だけちゃっかりそれなりの服を着ていた兄は、まわりからじろじろと見られている。性格破綻のイケメンめ、お前のせいで私まで見られるだろうが。

 ああ、離れておくべきだった。いや、列に並ぶんだからそれは兄が許さないだろう。っていうか、なんで私がこんな恥ずかしい思いを……でも九万円……せめて待って貰えば……ああ。覆水盆に返らず。後悔先に立たず。

 私は兄の背に隠れた。

 この期に及んで、もはやどうすることもできない。

 あとはこの公開処刑が終わるのを耐えるだけだ。


「……どーした? えらく大人しいじゃないか」

「話しかけないでください、バカ。っていうか騙しましたね」

「何も騙してないさ。二時間しか出かけない、としか言わなかったしな」

「分かってて連れてきたくせに……最悪。バカ兄」


 こそこそと隠れる私。後ろのお姉さん方が、あの背の高い人カッコイイね、と小さな声で話しているのが聞こえる。気のせいだろうけど、そのあとのクスクス笑ってるのは決して私の事じゃない。違う。お願い、神様。


「――では、次のお客様、ご注文をどうぞ」


 ……。

 地獄のような一時間だった。ただただ、地獄だった。

 帰りの車で、私は車を運転する兄に思いつく限りの罵倒を言ってやったが、全く気がすまない。兄はへらへらしていた。

 むかつくっ!

 乙女を何だと思っているんだ。女の子にとっておしゃれな場所は一種の戦場だ。まったく関係ない人相手にすら、侮られるのは絶対に許容できないのに。だから化粧だってするし、おしゃれに服だって決めるのに……、私は戦争の最前線にジーンズとパーカーなんて装備で現れてしまったおマヌケさんだ。

 しかも服の全面には「BE CUTE」の文字。死にたい。

 すっかり意気消沈した私は、死んだように魂を飛ばしていた。


「……プリン。買ってください」

「ははは、しょうがねぇ。お前は溜め込む性格だからな、いつか刺されちゃ困る」


 コンビニでプリンを買ってもらった。

 一緒にティラミスも買ってもらった。家に帰ったら、オムライスを手作りしてくれた。悔しいけど美味しかった。

 ……ちょっとだけ許さないこともない。




 ◇




 日曜日。

 課題も勉強もやることがない。

 ぐーたら過ごした。あの兄にしてこの妹あり。

 夜、クラスメイトの女の子から、瀬野くんと女の子が腕を組んで街を歩いているのを見た、と連絡が来た。すごい親しそうだった、とも。

 ちなみに、私たちは付き合っている、と皆に伝えてはいない。隠してるつもりもないが、発表するものでもないと思ってたからだ。どうやら、別の意味でも不要になりそうだ。

 私は、たぶん妹だよ、と返信した。普通兄妹で腕なんか組まないよ、と返事が来た。私は返事を書き込み――送信はせずに、スマホを放り出した。

 別に誰と歩いていても、瀬野くんの自由だよ。


 その文面はどこまでも空虚だった。




 ◇




「かいちょ、お疲れ様です」

「お疲れ様です。気をつけて帰ってください」


 時間が流れるのは早いものだ。

 土日なんて早いけれど、平日も負けていない。あっという間に金曜日だ。


 生徒会室に残っていた最後の一人が席を立ち、私も手元のノートパソコンを閉じる。時計を見れば今日も二十一時だ。言い知れない怒りがこみ上げてくるのは何故だろう。……ため息一つでそれを排出する。

 先週から、瀬野くんは素直に帰るようになった。それは……喜ばしいことだ。いちいち私に合わせなくても良いのだ。そのくらい、普通だ。嫌われたわけではない、と思う。もちろん話しかければ答えてくれるし、普段通りだ。

 でも、本心ではどう思っているのだろうか。

 あの女生徒は? 日曜日にもあっていたのか? 用事とはそれだったのか? また休日に会う約束をしているのか?

 どんな関係だったのだろう。結局誰かもわからない。

 休み時間にも話をするけれど、話題には登らない。

 何か隠し事をしている。

 内容まではわからない――わかりたくないのかもしれない。


 でもまぁ、そういうこと、なのだろう。


 チクリ、と刺すような痛みがある。私はそれを、諦めとともに受け入れた。

 あの女子生徒とは、毎日一緒に帰っているのかもしれない。放課後の街を二人で歩いているのかもしれない。休日には買い物なんかもしちゃって、二人で入った喫茶店で甘いものなんか食べたりして。

 カラオケに行ったりするのだろうか。私はずっと前に一度行ったことがあるだけだ。クラスメイトの女の子は、付き合ってる恋人とカラオケに行って、恋歌の一部を彼の名前に変えて歌うそうだ。暗がりでこっそりキスをするのがドキドキする、とも。

 何をしているんだか、と聞いたときこそ思ったけれど、ほんの少しだけ、羨ましいとも思った。そこまで好きな人と、楽しめている時間が純粋に羨ましかった。

 私には、どうやらそんなイベントは起こり得ないようだ。

 自分で選んだことだ。生徒会に入ったことも。生徒会長になったことも。

 会う時間が少ないことだって、分かっていたはずだ。

 それでも、いざ目の前にその事実が突きつけられると、動揺する。


 二ヶ月。

 よくこんな面白くもない女に付き合ってくれたものだ。

 普通に考えれば、たまの休日にしか会えない女の子なんて、どんなに意識しても女友達がせいぜいだ。それは、キスなんかもしちゃったし、相思相愛なんて、付き合いたての頃は浮かれてみたけど、現実はこんなものだ。

 付き合って二ヶ月で別れたカップルの話なんて、聞いてるだけでもいくつだってある。そのうちの一つが、私だっただけだ。

 ちょっと付き合いの初めが印象的だったから、まるでずっと続くんじゃないかと勘違いしてしまっただけだ。

 好きだ、なんて言葉にも時間制限がある。そんなことをようやく知った。


 だとしたら、私の「好き」の有効時間は、いったいいつまでなのだろう。


 感傷的な気分に、なってしまった。

 もう帰ろう。

 私は生徒会室の鍵を締め、鍵をバックの内ポケットに入れる。

 生徒会室は必ず施錠する。なぜかって、ここには職員室にあるのと同じ、各学校施設への合鍵が保管されているからだ。何か火急の用があったときのために、管理は厳重になされている。ちなみに、生徒会室への鍵は副会長の一年生も持っている。真面目な子だ。

 廊下の電気は消されている。

 暗くなった校舎を歩き、正門へ向かう。


「夏希」

「……え? 瀬野くん?」


 ふと、信じられない声が聞こえた。この場には居ないはずの声だ。

 そう思って顔を上げると、眼の前に見慣れた男子生徒が現れた。私はとっさに時計を確認する。やっぱり、二十一時だ。


「こ、こんな時間まで……どうしたのです?」

「実は校外のテニスサークルに入ってたんだ」

「え、はい?」

「テニスサークル。この前の土日で最後の大会が終わったんだ」


 突然の話題に戸惑う。テニスサークル。聞いたことが無い。

 いつも用事あるという時は、もしかしてそれ?


「そんな話……知りませんでした」

「言ってなかったからね。夏希には」


 先週の日曜日……嘘だ。日曜日には女の子と、親しく腕を組んで街中を歩いてたって。連絡があったから知ってる。

 テニスサークルだなんて……何故嘘を付くのか。


 嘘をついてまで、隠さなくてもいいじゃないか。


 瞬間、怒りが湧き上がった。

 この瞬間だけ、私が自分のことばっかり優先して彼のために時間をとってあげられないこととか、付き合ってるのに未だに名前も恥ずかしがって呼んであげてないこととか、色々な自分の都合を棚に上げて――私は怒ったのだ。


「嘘を、嘘をつかないでください!」

「……え? なつ、」

「本当は別れたいのでしょう? 私みたいなずっと仕事ばかりの面白くない子より、もっと一緒に遊べる子の方が良いのでしょう!?」


 違う。怒りだと思ったことは、嫉妬だ。

 羨ましい。あの一緒に帰っていた女の子が羨ましい。ずるい。私が付き合ってるのに。キスもしたのに。


 ――私のほうが、好きなのに!


 毎日クラスで話しているだけで、私がどんなに嬉しいのか、きっと彼は知らないはずだ。たまの休日に会える時は、前日に何時間も服を選んでることも、知らないはずだ。ふとしたときにのこと考えてしまうなんて、知らないはずだ。

 そう思った瞬間、ぶわっと目から涙が溢れてきた。

 言い訳をしていた。自分の感情に折り合いをつけようとしていた。理由を積み重ねて、いざ切り出されたら諦められるように。かっこよく、最後くらいはキレイな終わり方をしようなんて、強がっていたのだ。


 でもだめだった。ぜんぜん、だめだった。


 冷静であろうとすればするほど、熱が頭に登ってくるような、不可解な現象。豊が驚いてる顔も、今は醜い嫉妬の炎の燃料にしかならない。

 ……真っ暗でよかった。きっと、ひどい顔をしている。


「し、知ってるんですよ。豊が、日曜日に女の子と一緒にいたって。街で、腕を組んでたって。知ってるんです!」

「夏希……泣いてるの?」

「泣いてません!」


 いや、泣いている。でも、肯定したくなかったのだ。

 否定したかった。なんでもいいから否定したかった。

 このまま、あと数分後には確実に訪れる未来を、否定したかったのだ。

 恋の終わりを、否定したかったのだ。

 しょうがないじゃないか。好きなんだから。まだ、こんなに好きなんだから。


「はっきり言えばいいじゃないですか……、もう別れようって、言えばいいじゃないですか……。豊がそう言うなら、私だって、私だって……!」


 別れてあげます。

 その一言は、どうしても出てこない。

 当たり前だ。そんな言葉は、そんな気持ちは私の中には存在しない。存在しない言葉を、どうやって伝えれば良いのか。


「夏希は、さ」


 平静だ。その声に動揺はない。彼にとっては……都合が良かったのか?

 それはそうだ。こんな風に目の前で取り乱されて、別れ話を切り出すには最高のタイミングだろう。

 それが悔しくて、私は豊を睨みつけ――なぜか面白そうな顔をしている。

 あまりにも予想外の光景に、ちょっと涙が引っ込んだ。

 最高のおもちゃを見つけた子供のような。加えて、目には得体の知れない熱が宿っているようにも見える。この目は、この雰囲気は……いつかも、見た気がする。

 その言い知れぬ迫力に押されて、一歩下がった。その距離を、より大きな一歩で、豊は詰めてくる。


「夏希は僕と別れたいのかな?」

「いやですっ」


 その一言は、反射的に飛び出た。

 呆れる。我ながら嫌な女だと思う。こんな感情的に叫び出して、百年の恋も覚めるというやつだろう。それでなくとも覚めかけていた恋だ、トドメを刺すには最高の一撃だっただろう。

 バカな女だ、私は。

 今更ながらに冷静さが戻ってくる。そうだ、私はバカだ。感情的になってしまっても良いことなんか一つもないのに、どうしてこんなこと……。

 ふと、兄によく言われる言葉を思い出す。

 そうだ、私、溜め込むタイプだって……ほんとに、そうだったんだ。

 自分にがっかりして、恥ずかしくて俯いてしまう。


 くっと、その顎を掴まれた。


「え……?」


 驚いた、その口の形のまま――



 キスされた。



 あまりの驚きに、目を閉じることも忘れる。

 超至近距離に見える豊の目も、しっかり私を捉えていた。その目に映るのは……たぶん、いや、間違いなく……欲望だ。

 何秒? いや、もしかすると、何分、かもしれない。

 合わせた唇を離すと、液体がいやらしく糸を引きながら、二人の間を渡った。

 ……何が起きて、いるのだろう?

 さっき、たしかに別れ話を、されて……あれ?


「夏希の唇は、柔らかくて美味しいね」

「お、おいし…‥?」

「もう一回、ね――」

「っ、ぁ」


 半ば放心していた私は、拒絶することも忘れて、二度目のキス。

 さっきよりも深い、と私はぼんやりと考えていた。唇同士を軽く開けて軽く吸いつかれて……溶けそうだ。

 ぬるり、とした形容し難い感触を感じたのは、その瞬間だった。

 反射的に、豊の胸に手を置く。けど離れるのは許さないのか、豊はいつになく乱暴な仕草で私を抱きしめた。

 びっくりして、身を固くする。でも、顔はわずかに上を向けたままで固定されて、キスも止まることはない。


 ――これ、ディープキスって、やつだ……。


 ちゅる、ちゅるり、と豊の舌が動く度に、ぞわぞわと危険な熱が身体の中から湧き上がるのを感じる。それは例えようもなく甘美で、背徳的で、抗えないような、そんな暴力的な何かだ。

 いつの間にか目を強く閉じていた。

 真っ暗な中、ぴちゃ、ぴちゃという音だけが頭の中に響いている。私の舌に、豊の舌が触れて、まるで誘うようにつついてくる。


 私も応じたら、どうなってしまうのだろう。

 下腹部のあたりからせり上がる熱に、正常な思考は溶かされてしまった。

 好奇心に負けそっと舌を伸ばすと、それはすぐに豊の舌に捕えられ、絡みつかれた。感じたこともないにゅるにゅるとした感触――舌同士が絡みつくのは、信じられないくらい、とっても気持ちいい。頭がぼうっとする。

 このままずっとしていたい。それはいけないこと、だ、けど――


 ピロリンッ!


 ビクっと、背筋が跳ねた。

 スマホの着信だ。我に返り私は豊の胸を押す。豊の拘束も、すこし緩んでいた。

 一歩下がろうとして、まったく足に力が入らなかった。へにゃへにゃと理解できないほどに足腰は簡単に崩れ、私はぺたんとその場にへたり込む。

 不思議と、心は落ち着いている。――違う、理解が及んでない。

 信じられない事だらけだ。

 でも、今は不思議な熱が頭を溶かしてしまっていて、どうにも、まとまらない。


「夏希」


 見上げる視界の中で、豊は立ったまま、こちらを静かに見下ろしている。ぺろり、と豊は唇を舐めた。そこについていたのは、私の――!


「あっ、ぁ……だめ……」

「がくがくしてるね。立てないの?」


 体が震える。今度は、怖いのではない。理由は、私にもわからない。

 かたかた震える身体を抑えようと、両腕で自分を抱きしめる。


「ねえ、夏希。好きだよ」


 その一言が、じわり、と心に染み込む。

 まるで凍えきった手足をゆっくりとお湯に浸けたような、そんな安堵感。


「何をどう勘違いしたのかわからないけど……日曜はテニスの大会だったし、女の子はいたけど、妹だよ。それも、まだ話してなかったね。……もしかしたら、テニスサークルをやめるって言ったときに引き止められたから、その時に仲良しに見えたかもしれないけど……あいつ、そのあと僕の頭思いっきり叩いたんだぜ、ひどいやつだろ」


 豊がくすり、と笑う。その表情は、見覚えがある。

 兄の表情だ。どうしようもない妹の扱いに、ちょっと困ってるときの。

 オムライス作ってくれたときの、兄の顔だ。


「サークルでお世話になった人に挨拶しようとして、しばらくすぐに帰っちゃったけど……夏希にも一言、言えば良かったね。それで、大会を最後にやめたんだ。これからは、僕も生徒会に入ろうと思ってる。ホントは驚かせようと思って、まだ言うつもりなかったんだけど。……あんまり仕事できないかもしれないけどね」

「……ほんと?」

「うん。嘘なんか、ついてないよ」

「じゃあ、全部私の……かんちがい?」

「すくなくとも、僕は夏希と別れるつもりはないし、別の女の子と遊んだ覚えもないかな」

「じゃあ……私、まだ豊の恋人で良いの?」

「むしろ、お願いしたいくらいだよ」


 ……良かった。

 良かった。良かった、良かった。本当に、良かった。

 じわり、と涙が出てくる。さっきのつらい涙じゃない。どうしようもないほど嬉し涙だ。

 油断すると大声で泣いてしまいそうで、私は一生懸命声を抑えた。けど、どうしても漏れてしまうそれは、まるで子供の癇癪のようだ。

 情けない。でも止められない。

 恥ずかしい。でも嬉しい。

 私は決心した。


「……私、会長、やめる」

「えっ?」

「生徒会も、やめる。豊も、生徒会、はいっちゃだめ」


 もう、いやだ。

 会長も生徒会も、もういやだ。こんなことになるくらいなら、やめる。

 知らない。頑張った。私頑張った。これまでかなり、頑張った。

 十分だ。

 かいちょはやめ。これからは夏希一本でいきます。


 何故かわたわたと慌て始める豊の腕にひっつき、私は小さな子のように、静かに涙を流し続けた。

 結局、私達が学校を出たのは二十二時だ。


 その日、私はようやく、豊と一緒に帰宅することができた。

 繋いだ手が暖かくて、豊を近くに感じることができて。

 私にとって一番遅い帰宅だったけど、最高の帰宅だった。

 ふと、豊が微笑みかけてくる。ドキリとしながら、私は首を傾げた。


「ねえ、今日はうまくいかなかったね」

「……何のこと?」

「推理。外れちゃったね」

「あー」


 そういえば付き合い始めたあの事件のときも、二人で探偵ごっこしたんだっけ。

 たった二ヶ月前のことだけど、今思うと随分時間がたったような気がする。

 あのとき私は偶然にも言い当てることができたけど……そういう意味でなら、たしかに今回は、全然間違ったことを言っていた。

 とはいえ、別に悔しさはない。探偵になったつもりはないし。

 でも、思い出したことならもう一つ。

 にっこり笑って、私は耳をそっと豊に近づけて。


「迷探偵の恋人は、いかがですか?」


 二人して、笑いあった。




 ◆




「お願い! かいちょ! ほんとにやめないで!」

「ね! お願い! この通り! なんなら活動費も増やすから!」

「いやです! 私はもうかいちょじゃありません! いやぁ!」


 翌週の月曜日。

 校長室で生徒会長および生徒会をやめると堂々と宣言した夏希を、校長と教頭が二人がかりで夏希をどうにか引き止めるのだが……その様子は凄まじかった。

 教員二人の泣きつくような視線を受けて、僕も苦笑しつつ、傍観をやめることにする。


「ほら、夏希。先生たちもこういってるし……ね、これからは僕も手伝うから」

「うっ、うっ、うぅーーーっ!」


 どうどう。興奮した夏希を取り押さえて、なんとか生徒会長も続投することになった。

 後日、校長と教頭からめっちゃ感謝された。

最後までお読み頂き、本当に、本当にありがとうございました。


本作はたちまちクライマックス! 創刊号での「胸キュン賞」への応募作「迷探偵の恋人は、いかがですか?」の二作目になります。(長い

感想で続きを読みたい、とおっしゃってくださった方がおり、いっちょやったるかぁ、と筆を執った次第です。前作に比べて推理要素は減っていますが、その分ラブストーリー性をましましで仕上げた次第でございます。初めての不安定な恋心を書き出せたでしょうか。恋愛スキルが底辺の作者としては、いまの全力でございます。

一作目が気になっていただけた方がおりましたら、ぜひ作者のリンクからどうぞ。

どちらでも、感想評価もらえたら泣いて喜びます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 遅ればせながら続編の存在に今ごろ気がつきました。 作者様のおっしゃる通りミステリー要素は減ったと感じますが、夏希も瀬野くんもパワーアップしてるし! 乙女な夏希はめっちゃ可愛く、夏希兄は好み…
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