Day0 とある教師のプロローグ
一日の始まり方は人それぞれ異なる。例えば家畜の鶏の鳴き声で起こされる者、自らの両親に起こされる者がいる。多くの人は朝が苦手であり、多くのエルフは朝が得意だという論文が数週間前発表された。
彼もまた朝が得意ではなかった。寝ぼけ眼をこすりながら、ベッドからけだるい体を持ち上げる。怠惰への一番の処方箋は、無理矢理動くことであると、彼が二ヶ月前に読んだ書籍に書かれていた。二度寝をしたいという甘い誘惑にめげず気合いでベッドから降り立ち、そして彼は洗面所を目指した。
洗面所の鏡に写るのはまだ眠たそうな顔。人、エルフを問わず寝起きの顔は大概ひどいものであると言われている。しかし彼は違っていた。エメラルドブルーの瞳は深く澄んでおり、まるで女性のような美しさのある端正な顔立ち。髪は金色をしており肩にかかるまで伸びている。彼は後ろ髪を一本に結ぶと、その束を肩へと流した。
「さて、と」
次に彼が向かったのはキッチンであった。火精の力を借りて火を起こすコンロに水を入れたやかんを置く。そして火をつけた。水が沸き上がると、今度は白いティーポットへとお湯を注ぎ、ポットが暖まったのを確認するとお湯を捨てた。次に彼は様々な紅茶の茶葉の瓶が並ぶ棚から「アールグレイ」の瓶を手に取り、そこから茶葉をスプーンでひとすくいし、ポットのこし皿へと投入した。お湯を注ぎ待つこと数分。十分に茶葉から成分が抽出されたことを確認し、彼はこし皿をポットから取り出した。そして右手にはポット、左にはティーカップを持ち彼は書斎へと移動した。
彼は読書を愛している。故に書斎は彼にとって一番の安らぎの場所であり、一層こだわりが強かった。正方形をした部屋の壁一面には本棚が並び、その中央には派手ではないが高価なカーペットが。その上には使い古された木製の椅子。椅子の右手には小さな机があり、彼はその机へとポットとカップを置いた。それから少し悩んだ後に北側の本棚に向かうと、読みかけの本を発見した。
彼はそれを手に取り椅子へと座る。そしてポットからカップへと紅茶を注ぎ、そしてカップを優雅に口へと運ぶ。彼は「ふうっ」と思わず息をもらし、カップをおいて読書を始めた。
彼にとってこの時間が唯一無二の至福の時間であった。ここ一週間彼は家を留守にしており、すなわちこの時間は長くお預けをくらっていたため、今日のこの読書の時間の彼の幸福感ははかりしれないものであった。
*
「これは・・・ふふふ」
読了の達成感からか思わず彼から言葉が漏れた。そして同時にある計画の構想を練り始めていた。
彼はその書籍を持ち、書斎を後にした。そして玄関に掛けておいた白い魔術礼装に身を包み、ある人物の元へと向かった。
*
「――と、いうことだ。どうだろうか、アル。私の計画は?」
「どうって・・・キルケ、おまえ、本気で言っているのか?」
自身げにうなずくのは金髪のキルケ。キルケに怪訝な目を送るのは彼とそう年齢が変わらなそうなアルと呼ばれた男性。濃紺の髪をしており、瞳は燃えさかる炎のような赤色をしている。若くも威厳ある顔立ちで、身に纏う衣服はただならぬ存在感を際立たせている。
「私が本気かどうか、君ならばわかるだろう?」
「確かにわかるが・・・」
アルの表情は次第に険しくなっていく。キルケはなぜアルがそのような表情をするのか皆目見当がついていない。
「しかしキルケ、おまえの好奇心はすばらしいが・・・おまえ、二ヶ月前はなにをやりたいと言ったか覚えているか?」
「覚えているとも。MPの職に就きたいと言ったね」
「その通りだ。そうしておまえは入隊試験を軽く突破し、実際に働くとすぐに頭角をあらわにし、そして現地職から指揮系統の職へと昇進した」
キルケが続ける。
「もう少しで上り詰められたはずなのになぜか君は私を辞職させた。未だに理解できないのだけれどね」
「理解か・・・まぁおまえにそうさせるわけには、な」
今度はキルケが難色を示した。いったい何故自分の職にこの男が関わってくるのか。その理由をわからないわけでもないキルケではあったが、不満を抱かずにはいられなかった。
「今回のおまえの提案、教師になりたいというのはどういう経緯でだ?」
「その言葉を待っていたよ」
不満げなキルケの表情が一瞬にして明るくなる。そして自宅より持ち出した書籍をアルへと差し出した。それから得意げな表情をし、キルケは滔々と語り出す。
「それはベン・アダムズ著作の『教育論』という本だ。本当にすばらしい作品であったよ。前半と後半で著作の形態が違うのだ。前半はある教師が職に就いて生徒との交流を深め、そして卒業へと至る物語が。後半はアダムズの実体験にも基づく教育論が記されている。そして――」
アルがコホン、と咳払いをしたことでキルケは話を中断した。キルケはすぐに続きを話そうとしたが、アルはそれを手で制止した。
「わかった。いや、わかっていた。おまえは影響されやすいからな。聞いたのがバカだった」
「理解してくれたならいいよ。まぁ、そういう理由で私は教師を目指すよ、アル」
アルはキルケに皮肉を言ったつもりであったが、キルケはどうやらそれを肯定的にとらえたらしい。アルはキルケの天然さに思わず嘆息する。しかしすぐにキルケへと向き直り言葉を紡いだ。
「今更おまえを止めるまねはしないが・・・しかしキルケ。おまえ、どこの教師になろうと?」
「決まり切ったことを聞くね――魔術学園さ」
キルケがそう答えるだろうと、アルも予想はついていた。しかし――
「やはりそうなるよな。おまえの経験だとどこに行っても申し分ないだろうさ。けれどもキルケ。知っているか?魔術学園の教員採用試験の日程」
「うん?三日後では?」
「そうそう三日後・・・・・・って、おまえ自分でなにを言っているのかわかっているのか!?」
椅子から立ち上がり、突っ込みをいれるアル。キルケはまたアルの意図するところがわからない様子。あきれたようにアルは説明を始めた。
「あのなぁ、キルケ。流石におまえでもあそこの試験は・・・いや、野暮か。おまえだし」
「はぁ?今日はやけに含みのある発言をするね。まぁ、わかってくれたならばそれで--」
二人のいる部屋の扉がノックされ、キルケはそこで言葉を止めた。直後アルは「誰だ」と訊ねると凛とした女性の声が返ってきた。
「シェーラです。アルヴィール様、会議のお時間です」
その声にはっとしたアルは壁に掛かっている金枠の時計を確認した。そして今日の執務を思い出したアルは「今行く」と扉を越えて聞こえるように答えた。
「では、私も失礼するよ。君の時間をとってすまないね」
「いいやキルケ、かまわないさ。おまえと話すのは嫌いじゃない」
二人は立ち上がり共に扉へと向かい、気配を察したシェーレが扉を開いた。そしてシェーラはキルケを見るとすぐに薄い橙色の長髪を揺らしながら一礼した。
「キルケ様でしたか。アルヴィール様とのご歓談を邪魔したこと、お詫び申し上げます」
頭を下げるシェーラにキルケは返す。
「頭を上げてくれ。なにも君が詫びることはないよ」
その言葉を聞いた後にシェラレは頭を上げた。それからキルケはアルへと別れを告げた。
「それでは私も失礼するよ。今度会うとき、私は教師の身分だね」
アルヴィールはほほえみ言葉を紡いだ。
「そうだな。その暁には祝賀会でも開いてやる。おまえにこう言うのはなんだが、まぁ、がんばれ」
「ああ」
キルケは返事をし、そしてその場を後にした。
残されたアルヴィールとシェーレラまた、すぐに会議の場へと向かっていった。アルヴィールはその道中、心の中で呟いた。
「キルケ、どうおまえは突破する。だっておまえは――」
*
それから三日後、王国屈指の難関試験、「セリス王立魔術学園」の試験をキルケは受験した。半分の点が取れれば最良な教師として採用されるはずの試験をキルケは九割の得点をたたき出し、即座に採用が決まった。
そして本来ならば新採用の教師は副担任に就くところを、校長は彼の優秀さを鑑みて新入生の担任とした。
これより始まるは天才教師の物語。
彼が生徒と共に進む道にあるのは果たして――