Day1 ルーフォンスPart1
セリス王国の東部。商業区画として有名なこの場所。市場には王国の各地より調達される野菜や果物、工芸品が市に並ぶ。市場から奥に行くにかけては住宅が並ぶ。そして最奥。一見すれば隣の家と変わらない住居。それこそが、彼らが「ホーム」と呼ぶ拠点地であった。
青年はソファ-に寝っ転がり、今日の新聞を読んでいた。区画長選挙の結果、頻発する魔術師の事件。彼が今日の新聞で特に興味を持ったのは「始まりの季節」というコラムであった。セリス王国は四月に多くの物事が開始される。新しく仕事を始める者、学校が始まったり・・・あまり彼には関係がないことではあったが、彼はなぜだか初々しい思いを抱かずにはいられなかった。
新聞を一通り読んだ彼は欠伸をひとつ。冬を越え暖かくなりつつあるこの時期は、昼寝をするのに適している。そして一眠りをしようと新聞を置いた彼だが、その願いは叶わなかった。
「ねぇ、ルー?ちょっといいかしら?」
扉を開けて現れたのは淡いクリーム色の髪をした女性。青を基調とた服は彼女のスタイルの良さを際立たせており、その姿はまるで可憐な一輪の花をイメージさせる。
「なに、レアナ?」
レアナの瞳に映る青年。夜闇のごとき黒い髪、眠たそうな瞳の色は薄紫。長身痩躯で、一見なよっとした体つきをしているが筋肉のつきはそれなりである。
ルーことルーフォンスは起き上がる。レアナはルーフォンスの前のソファーに腰掛ける。
「ちょっと頼まれてくれるかしら?どうせ今暇だったでしょう?」
「確かに自分は暇だった。けれど本当はねむり――」
「暇ならちょうど良かったわ。頼み事を話すわね」
まるでレアナはルーフォンスの言い分を聞こうとしてはいなかった。そう、レアナには状況がよくわかっていた。二人は長いつきあいであるが故に、そういう些事には互いに詳しい。
「それで、なに?」
ルーフォンスは睡眠を諦め訊ねた。そして体を起き上がらした。腕を伸ばし、肩を回し目を覚ます。
「特に厄介ごとを押しつけようとしているわけではないの。ここのリストに書いてあるもの、買ってきてくれるだけでいいから」
レアナがリストの書かれたメモ紙をルーフォンスへと渡した。ルーフォンスはそれをちらりと見た。塩、レタス、スポンジ・・・と種類はばらばら。
「不足しているものを買いに行けってことね」
このようなことには慣れていた。暇を見抜かれてはお使いに行かされるのは彼にとって日常茶飯事。特には文句を言わない。ホームにおける家事全般をこなしているのはレアナであり、ルーフォンスはその面目躍如に預かり暮らしているからだ。
「買い物の場所は方々にあるけれど、あまり遅くならないうちに帰ってきてね」
「了解だ、レアナ。それじゃあ行ってくる」
ルーフォンスはソファーに掛けておいたコートを取り、そして机の財布をズボンの後ろのポケットへいれた。
「いってらっしゃい、ルー」
レアナの見送りに親指を突き立て返し、そしてルーフォンスはホームを後にした。
*
「それで、なんで自分はこんな所にいるのだろ?」
時間にしてもう暮れ方を越え、仕事も終わりの時間。自分がいるのは繁華な商店街・・・などではなく南東の王立管理墓地。午前中ならば人もいたであろうこの場所ではあるが、流石に夜も遅く人っ子一人いない場所をただ一人てくてくと歩いている。いつもなら夜風を浴びるのが気持ちよいが、今宵この場所のそれは最高に身の毛のよだつものである。
さて、今更自分がなんでこんな場所にいるかについて振り返ってみる。
全ては商店街にて、この近くに住むというおじいさんに出会ったことに端を発する。基本「なんでも屋」である自分を見つけたおじいさんは、自分に用事があると喫茶店へと連れ込んだ。そして「深夜に墓場から異様な越え画聞こえるから正体を確かめてほしい」と依頼された。「自分には用事が・・・」とは言ったけれど、そのまま押し切られてしまい、そうして今に至る。
「レアナ、怒っているだろうなぁ・・・」
レアナのお使いの所要時間は一時間ともかからないはずであった。しかし現に経過した時間はそれの数倍。かんかんに起こるレアナの顔が思い浮かぶ。今更念話してもしかたない気もするし、こうなった以上仕方がない。
レアナ。レアナ・ベルカーは自分にとってとっても大切な存在だ。彼女がいなければ今の自分はいない。彼女があの日、自分を拾ってくれなかったら、今頃自分は何をしていたことか。少なくとも墓場にはいないと思うが――まともな職にも就けずただ放浪する日々を送っていたんだろうなぁ。
「んん?」
なんだか奥に進むにつれて誰かのぼそぼそとした呻き声が聞こえてくる。声にならない声で、いったい何を言っているかはわからない。けれど、もしや。本当に墓場に自分以外誰かいるのか?こんな気味悪い場所で?
確かめねばならない。依頼を受けた以上、それをこなさなければ自分たちの名が廃る。
駆け足で声の方へと進んでいく。
*
「まじか、よ・・・」
本当にそこに人がいた。辺りが暗くて良くはわからないが、全身黒ずくめ、顔は後ろを向いており見えない。声の低さからして男であることは間違いない。
いったい何の用事があって墓場にいるのか。そしていったい何をしているのか。返答によってはおじいさんのために立ち退くよう要求する必要がある。
自分はおそるおそるその男へと近付いていく。
ミシリっ!と、何かを踏んだ。足元を見るとそれは濡れ木で――
「っ!?」
どうやらその音に黒ずくめの男は気づいたらしく、ぴたりとしゃべるのが止めた。もしかして驚かせてしまっただろうか、それは申し訳ない。
「悪いね、あんた。ちょっと話を――!」
黒ずくめの男へと右手を伸ばしたところで、近くの木にとまっていたコウモリが急にどこかへと飛んでいった。それだけじゃない。草木がゆれ、この墓場の空気が変わっていく。
「あんた、いったい・・・?」
この場に他の気配はない。と、すればこの異変をもたらしたのは自分か黒ずくめの男だろう。もちろん自分はなにもしていないわけで、この男が何かをした、となる。
「ちか・・・よるな・・・」
「はい?」
先ほど以上に低いトーンで話された声を自分は聞き取ることが出来なかった。
「ちかよるな・・・そう言っている!」
圧を増した声に思わず恐れを覚えた。それと同時に男は振り返る。そして見えた顔は・・・あまりにも恐ろしいものであった。左右の頬は焼けただれ、そして目の黒がなく全ては白。予想されるのはこの人は火事に遭い、それで頭部、とくに顔にやけどをおった。しかしろくに治療もしないでいたが為にその後は今もなお残り、こうして恐ろしい顔になった、かな?
「わっ、悪いね。近寄らない、だから話を・・・」
気を乱したならばと思い謝罪をする。しかしそれは逆効果のようで。
「貴様と話すことなどないっ!消えろ。今すぐにッッ!」
墓場中に響くような大声。俺の言葉、そしてしたことがどうやらこの人を怒らせたらしい。先ほどとは別の木から一斉にコウモリが飛び立つ。墓場の空気はより重さを増してゆく。
ただ者じゃない。それはすぐにわかった。こういう人の相手をするのは骨が折れる。
「時間はとらせない。数分、いや一分でかまわない。こちらの言い分を聞いてくれれば――」
「《立ち上がれ、我が愛しき子らよ》」
「っん!?」
男の言葉、詠唱。この人、魔術師か!
「あんた、こんなところで!」
ここは墓場だ。やりあうというならば自分もつきあうけれど、こんなところで戦ってはここに眠る人たちに申し訳ない・・・待てよ、なにかひっかかる。
さきほどまでひたすらぼそぼそつぶやいていたフレーズ、わざわざこんな所にいること・・・まさかだとは思うが――
「あんた、死霊術師か?」
返答は返ってこない。もはや自分の聞こえていないのか再び後ろに振り返り、ぼそぼそとつぶやいている。
「人の話を――」
手を伸ばしててまもなく、自分立つこの大地が振動しているのに気がつく。
自分は後方へ二歩、三歩と下がる。次第に振動は強まり、そして――
「グッエオ、ガオッ」
地表を突き破り、それは現れた。まるで弓から放たれた矢の如き速度で出現した手がガシリと自分の足を掴む。
「はな、れろッッ!」
ふりほどこうと足を振り上げ抵抗するも握力が勝り離れてはくれない。そうこうしている内にもう一方の手が出現し、こんどは頭が。そしてそれは完全に姿を現した。
人。ではないことは明らか。服は着ていないし、それに皮膚は腐り腐臭を放っている。予想は正しかったようだ。だとすればこれは死者。死んでいるはずなのに生きている。そんな相矛盾した状態を生み出すんだ、魔術の力の恐ろしさたるや。
「《清浄なる光の加護を》!」
魔術に対抗できるのは魔術だけ。詠唱するのは加護の魔術。紙の加護を祈るこの魔術は本来ほぼほぼ効果はない。けれど相手が死者というのであれば――
「グアッ!オアッ・・・」
やはり効いているようだ。腕を握る手から力は抜けてゆき、その場に死者は伏した。
「グエアッ!」
「ゥオアアッッ!」
「グアアアッッッ!」
一体に集中しすぎていて周りをみていなかったけれど、よみがえったのは一体なんかじゃない。何体、何十体の死者たちが地表に起き上がっていた。そして急にぴくりと動き高と思えば、全力でこちらを目がけて駆けだしてくる。
猪突猛進という表現に似合う突撃であり、身を翻せば避けられるがいかんせん数が多すぎる。さて、どうする。逃げる?この数の中じゃ来た道を戻るのも困難。じゃあこの場にて応戦する?そんなことも無理なわけで。
「あまりやりたくないけれどね、でも許してほしい」
数的に一体一体相手をしていたらきりが無い。だから一撃ですべてを葬る。
死者を殺すなんて矛盾したことだ。本来ならばもう起き上がることのない存在たち。それなのにあの男によって呼び出された。
悪意のない者を相手取るのは心が痛む。しかし悪いね。自分にとってあんたらは有害な存在らしい。だから――
「《四大に希う。我理の繋ぎ手、理を守護せし者》」
この墓地のこの区画を囲むように展開される巨大な魔法陣。それは白い光を放つ。
死者たちは己の状況を悟ってかは知らないけれど、先ほどより激しく雄叫びを上げながら自分の方へと突撃をしてくる。その数は何十も。けれどどうやら彼らには意思の疎通なるものはないらしい。互いにぶつかり合って、殴り合いを始めている。結局自分の元に辿り着くのは数体。自分はそれをひらりと交わし、詠唱を続ける。
「《汝我が命に応えるならば、天宮からの光明を降り注ぎ給え》っ!!」
詠唱を完了。すると空高く光が登り――
「喰らえよ!そして眠りにつくがいい」
言葉を合図にまずひとつ、またひとつ降り注ぐ白光の矢。適当に放たれているわけではない。それは死者の頭を貫き、打ち倒していく。
一体、二体、三体と死者たちは倒れていく。死者たちは光に浄化され、まばゆい光に包まれながらその体は消滅していく。それから少ししてもはや自分を襲う死者がいなくなったことに気がつく。さて、黒ずくめの男は・・・
「いない!?」
大樹の真下にいたはずのその姿は既に消えていた。思わずため息がでる。結局自分がしたのはよみがえった死者達の相手だけで、黒ずくめの男の正体はつかめなかった。
けれど、もし捕まえたとして会話になっていただろうか。そう考えると追い払えたという事実のみ切り取って十分な成果なのかもしれない。一度追い払いさえすれば、ここにすぐに返ってくるとは考えずらい。
「帰るか・・・」
もはや用事をなくした自分は墓場を去ることにした。
かなりどはでな魔術を行使したけれど、あたりに誰もいなかったし、問題はないかな。
*
「おかえりなさい、ルー。ずいぶんと遅かったわねぇ・・・」
「やっ、やあレアナ」
彼女の表情は笑みに・・・とは言いがたいもので、頬のあたりがぴくぴくしていた。
こうも怒られるのが確定ならばこんな真夜中に帰宅せずに、ほとぼりが冷めるころに帰るべきだったかな。
「やっぱり失礼しまぁ・・・」
開いた扉をゆっくりとしめながら、後ろを振り向いて逃げ出そうとする。
「まっ、待って、ルー!」
と、肩を掴まれる。その力は怒りを顕わにして…いない?
「とりあえずはやくうちに入って。風呂に入りたいでしょう?荷物はもらうからはやく入ってらっしゃい」
「あっ、ああ・・・」
あれ?レアナ、怒っていないのか?
「なっ、なぁ、レアナ?」
「なに?」
「自分、閉め出されるかと思っていたんだけど、一体これは?」
はてなという表情を浮かべるレアナ。自分もまたレアナの思いがわからない。
「だって、えっと、何かあったのでしょう?それくらいわかるわ」
「れっ、レアナ・・・」
自分には今レアナがまるで天使のように見えた。いや、事実レアナの美貌はそれくらいの威力はあるが・・・三割増しぐらいに今のレアナが神々しい。
「さ、はやくいってらっしゃい。料理はもう冷めたから、もう一度火を通すわ」
やばい、涙出そうだ。レアナはやっぱりいい女だ。早々に風呂に入ることとしよう。
*
湯につかり、あの墓場のいやな臭いを落とした自分は足早に食堂へと向かった。我らがホームの食堂はなんと二十人分の座席がある。と、言っても実際にホームにいるのは六人、とこの広さを十分に活用しているわけではない。とはいえこの大きさが必要ないか、と聞かれればそうではないわけで。
レアナは足音で自分に気がついたようで、皿や茶わんの乗ったお盆を、食堂の真ん中の机の上へと置いた。自分はその机の前の座席に着席し、レアナは反対側の席についた。
「いただきます」
「召し上がれ」
今日のメニューはクリームシチュー、お魚のムニエル、シーザーサラダ、フランスパン、それにワインまでついている。毎回思うがいたれりつくせりだ。早速自分はムニエルに手をつける。
「うまい・・・」
おいしいと表現するのにそれ以上言葉はいわないと自分は考える。「シンプルイズベスト」なんて言葉をいつか聞いたことがあるがその通りだ。仔細に表現するならば魚の火の通り、その調味料がまた適量なこと。味の妙。レアナの料理は絶品だ。
「あ、ありがとう。そんなおいしそうに食べてくれるとうれしいわ」
自分が食事を食べ進める中、レアナはワインをグラスに注いでくれた。レアナもまた自分のグラスをもってきてワインを注ぐ。それを見計らい自分はグラスを持ちレアナの持つグラスとあわせ、乾杯をした。
自分たちはそろってワインが好きだ。まぁ、自分はレアナを真似ていただけだったが、今では本当に好きな酒となった。特にワインのほろ苦さ。あれは何回飲んでもまたいいものだ。
この広い食堂に二人きり。レアナは自分をせかすことなく自分の食事風景をなんだか満足げに眺めている。
食事を食べ終わり、もう一度グラスにワインを注いでくれたレアナは話を切り出した。
「それで、なにがあったの?」
「問屋のおじいさんに捕まってね・・・それで墓場から変な声がするから確かめてって」
「断ろうとはしたけど結局依頼をうけたのね」
うんうんとうなずく。レアナは自分が物言わずともわかってくれている。
「それで墓場に行ったら死霊術師がいてね」
「死霊術師?そんな類いの魔術師が?」
「そう。それで近付いたら怒られて、謝まろうとするもむなしく詠唱されて。そしたら死者たちが地上にでてきて――」
それから自分はレアナに今夜起きたことを話した。こうしてたわいもない話にふけ夜を過ごすのが自分たちの日常だ。自分はレアナと過ごすこの時間が好きだ。何にも代えがたいんだ、この時間は。