Day1 とある青年のプロローグ
多くの人とエルフにとって、何事においてもまず第一に優先されるのは自分自身のことである。それは当然であろう。他人のことはよく知らない。しかし自分のことはよく知っている。生涯一番長く付き合うのは己の身体と心であり、自分を捨ててまで他者を救えるような者は数少ない。
そんな自分自身について何も知らないことは非常に恐ろしいことである。生まれたばかりの赤ん坊であれば当たり前かもしれない。しかしもし、生涯の途中で自分を失えばそれはどれほどまで絶望的なことか。
「自分は一体誰だろう?」
彼はそう彼女へと問いかけた。その問いは二人の関係の橋渡しとなる重要な問いであった。
これは遡ること7年前の出来事。青年の新たな始まりの物語。
*
「えっと…ここ、は……?」
漆の如き黒い髪、アメジストの様な紫色の瞳をした少年が目覚めたのは木漏れ日の射し込む森の中であった。青年は辺りを見回した。そこに広がるのはまるで見知らぬ光景。そして何よりわからないことは――
「自分は…誰?」
彼にとって致命的な問題は自分がどうしてこの場所にいるか、自分の経歴、そして自分の名前さえ覚えていないことであった。
自らの記憶を辿ろうにも何も思い出せない。彼は着ている衣服へと目をやった。赤いフードのついた外套。木漏れ日が差し込むこの暖かい場所では少し暑く感じる。
内側に、そして外側に求めても彼は何一つ自分に関する手掛かりを見つけられない。
この場所にいても何も始まらないと彼が歩みだそうとすると時同じく、ガサリガサリと草木を掻き分ける音がした。彼はそちらの方向を向くとそこには一人の少女がいた。 淡いクリーム色の髪をした少女。その美しい髪は長く、右サイドの髪の一部分を三つ編みにしている。瞳は青空を彷彿とさせる水色をしており、その端正な顔立ちは少年をはっとさせた。
「えっと、あんたは?」
少年は開口一番に問いかけた。その問いに少女は答える。
「レアナ。レアナ・ベルカー。訳あって周囲を散策していたのだけれど……ここは人が寄り付くような場所じゃないはずだけれど、貴方は誰?」
凛と張りのある声であった。その問いに少年は閉口せざるを得なかった。故に少年はこう聞き返した。
「自分は一体誰だろう?」
少女は唖然とした。問いに問いを重ねられたこと、そしてその問いが理解に苦しんだがゆえに。少女はそうして顔をしかめる。
「そんなこと、私に聞かれても…」
「だよねぇ…自分も困ってるんだよ、ホント」
少年も笑いながらにそう言った。それを見て少女の顔はさらに歪んでいく。この少年は何を言っているのか。その思いが少女の脳裏を支配していく。
「ねぇ、貴方、頭大丈夫?初対面の人に言うのも難だけれど」
「自分でもわかんないんだよね。いや、思うよ。あんたに聞いても仕方ないってことぐらい」
そうして沈黙が訪れた。ただ遠くの方を眺める少年とそんな少年に頬をぴくぴくさながら警戒心を顕わにする少女。
「はぁ」とため息をついたのは少年も少女も同じタイミングであった。
「えっと、あんたは自分に用事がないだろう?その用事とやらに行けばいいのでは?」
その提案に難色を示した少女。首を横に振り少年へと近づく。
「そうは言うけれど、貴方みたいな危険な人、こんな森に放っておけないわ」
「いやいや、あんたは自分とは何の関わりもない。見返りもないのに自分と関わろうと?」
今度は少女が首を縦に振った。
「ええ。見返り…ね。そうね、何もない貴方が私にとって利益を生み出すなんて当然考えずらい、だけれど――」
「だけれど?」
その少女の返答は少年の記憶に深く残るものとなる。
「貴方を見捨てるくらいじゃ、私は夢に至れないのよ」
「夢?」
「そう、夢よ。私にとって命を賭しても果たさなければいけない、そんな夢」
「へぇ、梅か。ところで逆に訊ねるけど、自分なんかに利用価値を見つけたの?」
少女は右手を顎に充てがい少ししてから口を開いた。
「そうね。あなたが私の手を取るなら、私は貴方に明日をあげる。それと同時に私は貴方を利用する。貴方が嫌と言おうが散々こき使ってあげる。さあ、どうする?ここで一人明日への片道切符も得られずにのたれ死ぬ?それとも私の手を取る?」
少女は手を伸ばした。少年は頭をぽりぽりしながら悩みそして――
「ああ、いいさ。どうせ自分はこの手をとらなければ飯にもありつけなさそうだし。あんたが自分をどう使おうがまぁ、耐えてみせるよ」
少年は少女の手を握った。
「さっきから『あんた』ばかりね。これから貴方は仲間になるんだから名前で呼んで?」
「えっとレアナだっけ?でも自分は――」
少年は言い淀む。彼には名前が無かったから。
「そうね、貴方は名前が無かったのよね。うーん。自分で名乗りたい名前とかあるのかしら?」
「そうだねぇ…ないかなぁ。えっと、友好の証として、出来れば名前を付けてくれない?」
少女は「うーん」と顎に人差し指を置いて悩む。そして少しして少女は手をパンと叩いた。
「決めたわ。それじゃあ僭越ながら、コホン!」
咳払いをし少女は彼に名前を発した。
「ルーフォンス。どう?特に意味はないわ。思いつきだけれど、何か文句はある?」
「ルーフォンス、か。まぁ、いいんじゃない。意味がないくらいが自分には調度いい」
そうしてルーフォンスは笑って見せた。レアナも少し表情をゆがませながらも同じく微笑んだ。
それからルーフォンスはレアナの後についていった。
のちにこの場所についてルーフォンスはレアナから聞くこととなった。この森は亡国レフレン北東のアルセイルの森と呼ばれる場所であり、そして二人にとって大切な場所となった。
*
時は現在に至り、少年ルーフォンスは青年と呼べる外見になっていた。
ルーフォンスはレアナの組織のリーダー格となり、そして彼女の夢の成就のために依頼をこなしていた。
これから始まるのは恩人への報いに奮闘する青年の物語。
その夢の先にあるものは正義か、それとも――