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「やはり、どんな危険が待ち受けているかについては、できるだけ報せておいたほうがいいんじゃないか? 情報の透明性は大事なことだぞ」
沈黙を破って、山村が口を開いた。
負傷した左腕には、女子から借りた無駄にゴージャスな花柄のハンカチが巻かれている。
「政治家かよ。芳田はどうなんだ?」
意見を聞かれれば、時生も応える。
「必要以上にみんなを怖がらせなくていいと思う。危険があることについては理解していない人はいないだろうし、逃げないといけないことには変わりないわけだから、今は、それで十分なんじゃないかな」
山村は二度ばかり大袈裟に頷いた後で、首を捻る。
「俺だったら、聞いておきたいけどな」
駒木は、ため息をついた。
「世間ではな、お前みたいに、強い人間ばかりじゃないんだよ。俺は、できることなら知りたくなかったよ。とりあえず、民主主義の鉄板、多数決で2対1なんだから、この件はもう少し安全が確保できるまでは伏せておく。それで、いいよな?」
「わかった。芳田の意見を聞いて、俺も納得した」
「俺の意見はなしかよ」
そのとき、コンビニから、古川伊代が出てきた。
幸い、自動ドアではなく、手動で開くタイプのドアなので、こじ開ける努力は必要なかった。
「見て見てー」
表情は明るい。
伊代は、中華まんを口に挟みながら、時生たちに、おにぎりを見せる。
「ここ、ここー。ここを見てよ」
そう言って、商品情報が印字されているラベルの一部分を指差した。賞味期限の標示が、2003年になっている。
「げ! 何年前だよ。つーか、その肉まん、食ったら駄目なやつなんじゃねーのか?」
「はい残念。駒木君、不正解。これはなんと、「あんまん」なのでした。あったかいのと、甘くて美味しいのを兼ね備えた、画期的な食べ物なのですぞ」
「俺が言ってるのはそこじゃねえ!」
時生は思わず口を挟む。
「それ、まだあったかいんだ?」
「おっ、いいところに気付きましたねー。そうなんです。食べられるんです。もしも、これが、十年以上前のものだったら、まったく食べられたもんじゃなかったはずですが、このとおりあたたかい。そして、美味しい。我々は、協議の結果、以上のことから推察するに、このおにぎりも食べられるという結論に達したのであります!」
そう言って、伊代は自慢気におにぎりを天高く掲げた。
「こいつこんなキャラだったのか‥?」
駒木が、聴こえるか聴こえないかの音量で、ぼそりと呟く。
時生としても、知り合って間もないながら、さっきまでとのギャップに面食らうばかりだ。
「芳田君には、ご褒美としてこのおにぎりを授けよう」
時生は差し出されたおにぎりを素直に受け取った。
ビニールの上からでも、米の柔らかさがわかるし、古びた様子はまるでない。
直感的に、これは食べられそうだということが理解できた。
(このあたりは、ついさっきまで、2003年だったってことなのか‥)
左手の鞘に納められた刀に眼を向けた。
これにしても、真新しく制作されたばかりの色艶があって、とても骨董品には思えない。山村は、さっきまでの領域を、戦国時代と評していたが、多少の誤差があるにせよ、そのあたりの時代そのものだったんだろうと思えた。
「どうしたの? おかか、嫌いだった?」
考え込んでしまった時生に、心配そうに伊代が声をかける。
「だから、そういうことじゃねえよ。はいそうですかって、いきなり食えるかよ」
時生の代わりに、駒木が伊代に言いかえすのだが、時生にしてみれば、そういうことでもなかった。
「みんなもう、食べてるのに」
「はあ? 食べてんの! 全員、食あたりとか、洒落になんねえぞ。山村も、何か言ってやれよ」
「みんな、度胸があるんだな」
駒木は頭を抱える。
「聞くんじゃなかった‥」
時生は、この話題に終止符を打とうと、おにぎりのパッケージを開封して、やはり、大丈夫だと確信し、一口食べてみる。
味も、匂いも、食べられなくて身体が拒絶する要素は何一つなかった。あえてひとつ挙げるならば、おかかより鮭が食べたかったということくらいだ。
「大丈夫だよ。食べられる」
駒木は、「お前もか」という目で時生を見るが、山村は納得したように腕を組んだ。
「なるほど、つまり俺たちは今、2003年の中に入ってきているっていうことだな」
「んだよ、それ。わけわかんねーことばかり起きるけど、このコンビニの食べ物は、食える。それはさすがに理解したよ」
「そうだな」
話を続ける山村と駒木を尻目に、時生はおにぎりを完食した。
山村の見解は正しいのだろうが、駒木が理解したことこそが、今の自分たちにとっては、最も重要なことなのかもしれないと、時生は思った。
伊代が、ペットボトルのお茶を差し出した。
気が利くんだな、とは思ったが、開封してある上に、中身が少し減っている気がするという疑問は、気にしないことにして、素直に受け取って、飲んだ。
「ありがとう」