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何か猿のような生き物かと、最初は思えたが、そうでないことは明白だった。
(小さな、鬼…か?)
三匹現れたそれらは、時生の胸までくらいの大きさしかないが、攻撃的な爪と牙、それに理性が欠片も見当たらない相貌は、話の通じない危険な相手だということがわかる。
「走るのはそんなに早くないみたい。逃げましょう!」
「わ、わかった」
女生徒に促されて、時生は来た道を走って戻り始めた。
「早く!」
走り出した途端、思ったより引き離されていく。
それでも、後ろの怪物たちよりは早い。
逃げられるかの問題より、せっかく会った彼女とはぐれてしまうほうが、このままでは問題か。
時生はなんとか速度を早めようとしたが、それとは逆に、彼女のほうが急ブレーキを掛けてしまった。
「何?」
「あっちからも来てる!」
遠目からでも、同じ種類の怪物とわかる集団が向かって来ているのがわかった。
後ろの三匹よりも大群だ、後ろから後ろから増殖してくるように思えた。
(挟まれた…)
嫌な汗が噴き出すのに、時生は嫌悪感を覚えた。
だがまだ、袋小路というわけではない。
脇道に入るか、どれかの建物に逃げ込むか、何とか逃げ切れる道はあるかもしれない。
早く決めなければいけないことだけは間違いないのだが、なら、どうするのが最良なのか、皆目検討もつかない。
焦っている。
冷静にならないと。
時生は、自分自身を落ち着かせることから始めないといけないと思った。だから、次に起きた出来事について、最初は自分が恐怖のあまり混乱して、都合のいい幻を見ているのではないかということが第一に考えたことだった。
黒いジャージ上下姿の男が、日本刀を振りかざして、三匹組の怪物のうち一匹に斬りかかった。
振り抜かれた刀は、怪物の胴体を意図も容易く切り裂いた。
ジャージの男は自分でも驚いたという顔をしたが、すぐにまた雄叫びをあげながら、残る二匹に反撃を許さず、畳み掛けるように刀で引き裂いた。
「大丈夫か!」
男が、時生たち二人に向かって叫ぶ。
「早くこっちに!」
時生が女生徒を見ると、お互いに見合わせたようなかたちになる。
頷きあいながら、安堵という気持ちが二人の間で交錯するのがわかった。
初めて顔をまともに見た。思ったより綺麗なひとなんだ、という考えが頭に浮かぶ。すぐに二人で、ジャージの男がいるところにむけて走り出したので、赤面しているところは見られずにすんだ。
何で、ジャージなんだと思いながら、時生は男に近づいて、彼が思ったよりも若いことに気付いた。
身長は180㎝を越えていそうだった。鍛えているのか、体つきも逞しい。ジャージの胸のところに、何とか高校サッカー部という刺繍が入っているのが目につく。
ジャージ姿の理由は掴めたが、これで同じ高校生なのか、というのが印象だ。同じ学校の運動部の連中には、ここまでの奴はいない。
時生らとは別の方角から、別々ね制服姿の女子が二人、走り寄ってきた。
一人は、刀の鞘らしきものを抱えている。
「やったんだ!」
地面に這う、怪物の残骸を見ながら、飽きれ気味に一人が言った。
もう一人は、漂ってくる異臭に鼻をつまんでいる。
「くしゃい…」
確かに、突き刺すような不快な臭いがする。
怪物の体液は動物よりは、昆虫に近い、グロテスクな彩色と質感だ。繊細な感性をもっていたら、ほんの数秒すら、観賞には耐えられそうにない。
「思ったより簡単だった」
日本刀を確かめながら男は言った。
「だがあの全部を相手にするのは無理だな」
仲間の死は怪物の集団を躊躇させるものにはならなかったらしく、じわじわと、大群は迫りつつあった。
「ひとまず、離れないと。みんな、走れるか?」
それぞれが口々に同意する。
彼は、鞘を受け取って刀を納めた。
「この先の武家屋敷にまだ武器がある」
まっすぐ時生の目を見て、彼は言った。
意味はわかる。
一瞬、動揺したが、やらなければいけないことを自分に納得させるのは、そんなに難しいことではなかった。
「わかった」
自分で意外なぼど落ち着いた声が出た。
ジャージ男が、強く頷く。
「よし、こっちだ!」
五人は舗装のない地面を蹴って走り出した。