君と僕はおともだち
クリーム色の毛並み、真っ黒の澄んだ瞳、首に結ばれた青いリボン。決して不細工ではないと思うけれど……左手の傷のせいなのか、小さなおもちゃ屋の隅で売れ残っていた僕にもついに旅立ちの時がやってきた。どんな人の所へ向かっているのかな、かわいがってもらえるのかな。ラッピングの袋の中でこれからの未来をずっと考えていた。
「りん、初めてのお友達だよ」
呼びかけられた赤ちゃん、りんちゃんは無邪気な笑顔を見せてくれた。一緒に遊べるようになるのはまだまだ先だけど、そんな日が来るのが待ち遠しい。僕はただのネコのぬいぐるみだけど、友達だと思ってもらえたら嬉しいな。ママさんがそう呼んでくれたように。
子供の成長は本当に早い。ついこの間まで赤ちゃんだったように感じるが、りんちゃんと友達になったあの日からは3年近く経っている。最近は近所のお友達を紹介してくれたり楽しいお話を聞かせてくれるようになったので、ずっとお家にいる僕も一緒に遊んでいるような楽しい気持ちになる。お話が聞けるだけでも十分嬉しいけれど、りんちゃんは時々プレゼントをくれる。せっかくもらっても公園で摘んできたお花や3時のおやつがほとんどだから、とっておくことが出来ないのが少しだけ寂しい。
ある時、お出かけしていたりんちゃんは得意げな顔で
「おみやげー!」
と言いながら駆け寄ってきた。今日はなんだろう、お花かお菓子か……
しかし彼女が取り出したものは今までとは全く違う、かわいらしいピンク色のリボンだった。
「おててのおけが、なおしてあげる!」
りんちゃんは僕の左手にぐるぐるとリボンを巻きつけると
「ねこさん!どう?」
と満足そうな笑みを浮かべながら聞いてきたけれど、何かに気づいたようで少し困った顔になった。
「そういえばねこさんお名前ないよね……あ、りんちゃんとおそろいにしよ!ねこさんも今日からりんちゃんね!」
その後、「まぎらわしい」というママさんの一言を受け、僕の名前はら行つながりで「ろん」になった。
リボンと、名前。形として残るプレゼントをもらうのは初めてだった。踊り出したいくらい嬉しくって、ぬいぐるみなのが残念だなぁと思う。
いつの間にか、りんちゃんは綺麗な女性へと成長していた。朝早くに仕事へ出かけて夜遅くに疲れきった様子で帰ってくるのを見ていると、心配なのと同時に少し寂しさを感じるのだった。
そんないつも通りの朝。今日は仕事のはずなのに、なぜかりんちゃんはお家にいる。それに、やけに賑やかだし。何かあったのだろうか……そう思っていたら、りんちゃんは部屋の物たちを段ボール箱にしまい始めたのだ。どうやらお引越しするらしい。ずっと眺めていると、大切にしているものは段ボール箱へ、ガラクタは袋へと分けられていることに気づいた。
僕は怖かった。長年一緒にいるんだもの、大切にされている自信はあるけれど。もしも、ガラクタのほうにしまわれたとしたら……二度と日の目を見ることはないかもしれない。
りんちゃんはどんどんこちらへとやってくる。二つ隣のうさぎさんは段ボール箱へ。すぐ隣のにんじんさんは袋へ。ついに僕の番だ。持ち上げられて視界がぐらりと揺らぎ、寝かされた時に隣にいたのは……うさぎさんだった。良かった。僕はこれからもりんちゃんと一緒だ。
お引越しから何年経っただろう。りんちゃんはママさんになっていた。僕はだいぶボロボロになってしまったけれど、りんちゃんは結婚しても子供ができても相変わらず綺麗なままなのがうらやましい。そんな僕もよくお手入れしてもらっているので、何十年もこの世にいるとは思えない見た目なわけだけど。
最近の僕は2人兄妹のお兄ちゃん、さーくんとよく遊んでいる。この年頃の男の子は元気で、ぶんぶん振り回されて目が回ることもよくあるけど、そんなときはりんちゃんの
「ろんちゃん千切れちゃうでしょ!やめなさい!」
とのお叱りに助けられている。
妹のひーちゃんはまだ小さいのにお兄ちゃんに負けないくらい元気いっぱいだし、もうすぐ遊べる日が来るかな?りんちゃんの時にも似たようなこと考えてたっけ。懐かしいなぁ……
穏やかなある日、りんちゃんとひーちゃんがお昼寝をしていた時の事だった。元気いっぱいのさーくんが
「おさんぽに行くぞ!」
と僕を連れ出したのだ。あとでりんちゃんに怒られちゃうよ?なんて思っても伝わるわけなんてなく、さーくんは住宅街をどんどん進んでいくのだった。
町外れにさしかかってきた頃、道がわからなくなったのかさーくんの表情は曇り始める。嫌な予感がした。さらに追い討ちをかけるように、僕らの前に突然野良犬が現れて吠えはじめたのだった。
「うっ……うわあぁぁぁん!」
男の子とはいえ、まだ幼い子供だ。泣いてしまうのも仕方ない。さーくんは僕を放り出して一目散に逃げ出す。自力で動くことの出来ない僕は逃げることもできず、駆けていくさーくんを見送っていた。野良犬は僕をくわえて、僕らが来た方向とは真逆の町外れへと進んでいく。その後道端で僕を離すと、どこへともなく去っていった。
どうしよう……そう思った時、ぽたりと雫が空から落ちてきた。若くはない体に水が染みて、弱っていく。冷たい雨に打たれ続けて心も冷え始めた頃、通りかかった一人のおじさんがこちらを見て
「げっ、汚ねえ奴……気味悪りぃな」
と呟くと僕をゴミ捨て場へ投げ捨てた。
もう僕はダメなんだ。見つけてもらえるかもしれないというほんの少しの淡い希望も、絶望に染まりきっていた。
残酷な朝がやってきた。どうやら今日は収集車が来る日らしい。僕は連れて行かれて、燃えて、何も残らない。いつかこうなってしまうことはわかっていたけれど、こんな形になるとは思いもしなかった。あぁ、せめて、りんちゃんにさようならしてもらいたかったなぁ……
願いも虚しく、その時は訪れた。周りにあった袋が次々と大きな口に飲み込まれていき、最後に僕だけが残った。収集車のお兄さんは困った顔で僕を見つめた。
「お前……かわいそうにな。着くまで後ろに乗って行こうか」
お兄さんは僕を車体にひっかけて乗せてくれた。最後に優しくしてくれた人がいると思うと、気持ちがちょっぴり温かくなる。
僕は走り出した車の後ろから町外れの風景を見つめていた。収集車が来た方向から考えて、これから向かうのは、きっと……
思った通りだった。収集車はりんちゃんのお家のある住宅街へとやってきた。収集車はお家のすぐそばに止まっているのに、帰ることは決してできない。今ほど自力で動くことができたらいいと願う時はないだろう……嘆いているうちにゴミの回収も終わり、お兄さんが車へ戻ろうとしたその時だった。
「いつもご苦労様です」
と、聞き慣れた明るく高い声が言う。この声は、もしかして!
「あのー……」
その人は不安げに、お兄さんに問う。
「ここに来るまでにぬいぐるみ……青いリボンのついた、ネコのぬいぐるみはありませんでしたか……?」
「あぁ、もしかしてこれのことですかね?」
お兄さんはその人を連れて、僕の元へ戻ってきた。その人は、りんちゃんは、僕を見ると暗かった表情を明るく変えた。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「……ろんちゃん!……すみません。これは、この子は、私の大切なものなんです……!」
奇跡は、確かに存在した。お兄さんの優しさがなければ、りんちゃんが偶然通りかからなければ、ここへ帰ってくることはできなかったのだから。りんちゃんは僕が汚れてしまっていることを気にもせず、抱きしめてくれた。
しかし喜びを噛み締めていたのも束の間、首が悲鳴をあげながらほつれ始める。雨に打たれ、投げ飛ばされ、老いた僕の体は限界を迎えていたのだ。
徐々に白くぼやけていく視界は、ぷつりという音と共に途切れた。
「……から、ダメって……でしょ?!わかった?」
「はぁい……ごめんなさい……」
ここはどこだろう。ぬいぐるみに命は無くても千切れるのは死ぬのと似たようなものだし、天国ってところに来たのだろうか。でも天国って、もっと穏やかなところだったはず。それに、この2人の声には聞き覚えがあるような……
「ほら、ろんちゃんにもごめんなさいしなさい!」
「ろんちゃん……お外につれてって、置いて帰って来てごめんなさい……」
「ちゃんとごめんなさいできるなんてえらいねぇ、さーくん。そうだ、今度はみんなでお出かけしよっか!」
真っ白だった視界が開けた時、目の前にいたのは泣きじゃくるさーくんとママさんらしい振る舞いをするりんちゃんだった。あれれ、僕は千切れて最期を迎えたんじゃなかったっけ。これは、夢?とにかく、今の状況を把握しなければ。辺りを注意深く見つめると、りんちゃんの側にはお裁縫の道具や、糸や布の切れ端が散らばっていた。
「ろんちゃんぴかぴかだぁ!いっしょにあそぼ!ひーちゃん、そーれっ!」
すっかり元気を取り戻したさーくんが、妹に向かって僕を放る。軽い体、真新しい布。ボロボロになっていた僕を、りんちゃんは綺麗に直してくれたらしい。
「わふっ」
ひーちゃんは僕を受け止めきれず、可愛らしく驚きの声をあげる。そしてしっかりと腕を取り、嬉しそうに同じくらいの背丈の僕を振り回す。
「こーら!またボロボロになっちゃうよ?」
りんちゃんが2人を叱る。
「お、2人とも、楽しそうだねぇ。パパも混ぜてよ!よし、みんなまとめてこうしてやる!」
楽しそうな声を聞きつけてやってきたパパさんが、僕らの頭をわしゃわしゃっと撫でる。家族みんなの楽しい笑い声が響いていた。
ーーあぁ、ここはなんて幸せなところだろう。僕がやってきたこの場所は、天国だ。売れ残っていた時、お引越しの時、置き去りにされた時。不安を感じる時も少なくなかったけれど、ここまで大切にされているぬいぐるみはそうそういないはず。こうやって、持ち主の、お友達の側にずっといられる僕は世界一の幸せ者だ。
りんちゃん、さーくん、ひーちゃん、パパさん。ずっとずっと、幸せな君たちを見守っているよ。僕の体が千切れてバラバラになってしまう、その時まで。