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GUARDIAN  作者: 七水 樹
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カードバトル

第一話「カードバトル」



 弧を描き、軽やかに舞う空色。少年は思わずそれに見惚れて、息を呑んだ。きれいだ、なんて、ありきたりな文句が浮かんでいたが、空色から発せられた悲鳴のような声に掻き消される。

「和音くん」

 名前を呼ばれたのだとはわかったのだが、次の瞬間、自分に何が起こったのか、和音なおとと呼ばれた少年には理解できなかった。突然の、背後からの強烈な力によって体が前方へ吹っ飛ぶ。空色に吸い寄せられるように、声の主めがけて。

 いたぁい、と声をあげたのは和音がぶつかった、空色の髪をした少年だった。名前はナイン。艶のある空色の髪が地面に散らばっていて、その様が異常に近くに見えることで和音はようやくはっとした。急いで身を起こす。

「ご、ごめん、ナイン、俺」

 背後からの攻撃によって和音は吹き飛ばされ、ナインを巻き込んで倒れこんでしまったのだ。ナインに馬乗りになるような形になってしまい、急いで膝立ちになる。早くどかなきゃ、という思考とナインに怪我はないだろうか、と近づいて見てみようという思考がごちゃごちゃになって、上手く動けなくなる。

 ナインは、目尻に涙を浮かべながら、後頭部をさすった。

「大丈夫、ちょっと……痛かったけど」

 えへへと苦笑いを浮かべるナインに、ごめんよう、と和音は縋るように顔を寄せた。すると「いつまでやってるんだよ」という大声が飛んできた。

「和音、マイナス五ポイント!」

 え、と声をあげて和音は声が飛んできた方を勢いよく振り返った。五ポイント、と復唱した声が素っ頓狂に裏返る。

「な、なんでそんなに引かれなきゃなんねーんだよ」

 言いながら、ようやく和音はナインの上から体を退ける。ナインは上体を起こしながら、えっと、とポイントの計算を始めた。

「途中までの指示と動きは良かったんだけど……。さっきのが、背後からであったこととマスターが攻撃されたこととでマイナス三ポイントだね」

 大声をあげた少年が、さらに大きな声をあげてナインの言葉を継ぐ。

「それに加えて、戦闘中なのにガーディアンの動きを邪魔したから、二ポイント。で、合計五ポイントだぜ」

 少年は腕を組んで、したり顔になった。

「今回のクラストップは俺たちに決まりだな、和音」

 和音はなにぃ、と歯軋りしながら少年を睨みつける。うしし、と笑う少年の顔は、健康的な褐色で、口角をあげると頬に張られた絆創膏が引きつるように歪んだ。和音は、悔しさを紛らわすようにふん、と鼻を鳴らし「いっつも俺とナインに負けてる癖に、たった一回勝ったくらいで騒ぐなよな、真剣」と少年を半眼で見た。真剣と呼ばれた褐色の少年は、そのあからさまな挑発に歯を向いて反論する。

「俺とナインって、和音はミスってばっかだろ。今回だって、和音がミスしなきゃナインは完璧だったじゃんか」

 真剣の言うとおりであるために、和音はぐっと言葉に詰まる。トップを逃したであろうマイナス五ポイントは、すべて和音のミスによりついたものだ。訓練だったから良いものの、マイナス五ポイントなど、本来ならば死に至るレベルだ。

 和音は今、マスターとガーディアンの連携力を高めるための授業の真っ最中だった。敵や、障害に姿を変える模擬変形装置――通称ホワイトシミュレーターを用いた授業で、ミスをする度にマイナスポイントが付く減点方式だ。和音はこのホワイトシミュレーターの最後の一つに、背後から攻撃され、吹き飛び、ナインを巻き込んで転倒してしまったのだ。大幅減点にも、文句は言えない。

 ごめんね、という背後からの声に和音はナインを振り返る。ナインが申し訳なさそうに眉を八の字にして、立ち上がった。

「僕が和音くんをちゃんと受け止めることが出来てたら……ううん、シミュレーターを取りこぼさなければよかったんだけど」

 和音は慌てて首を横に振る。

「ナインのせいじゃないよ。ごめん、俺がミスっちゃって」

 頭打ったんじゃないか、と和音はナインに手を伸ばすが、ナインは「平気、平気」と言って手をひらひらと振った。

「心配してくれてありがと。それよか、ほら、次の人の番だよ」

 ナインは和音の体をくるりと方向転換させ、背を押す。

「また次の授業で、負けないようにがんばろ。和音くんならきっとできるよ」

 ね、そうでしょ、と笑顔を向けられ、和音は背を押されながら、そうだな、と思わず笑みを浮かべる。しかし真剣に向き直ると、目つきを鋭くさせ「次は負けねーかんな!」と声を荒げた。

 そうして和音とナインは訓練を終えたクラスメイトの列に混じっていく。ゆるく内側にまかれた栗色の髪の少女が、和音に笑いかけた。

「本当に和音はナインくんに甘えすぎなんだから」

 くすくすと笑う少女に、和音はうるさいなぁ、と言いながら頬をかく。今日はたまたまだってば、と口の中でもごもごと反論すると、今度はナインがくすくすと笑った。

「依乙ちゃんの言うとおりだよ。真剣くんの言葉にもむきになっちゃって」

 和音くんったら、子どもなんだから、と茶化され「ナインまでそんなこと言うなよ」と和音は眉根を寄せた。ごめんごめん、と言いながらもナインは目を細めている。ちぇ、と和音は口を尖らせた。

「依乙ちゃんは、今日の成績どうだったの? なんかスカイ、調子良さそうだったけど」

 和音が話題を変え、依乙と呼ばれた栗色の髪の少女に尋ねると、依乙はにっと笑ってピースサインをした。

「なんと、今日はたったのマイナス二ポイントだったの」

 これって快挙よね、と依乙が話しかけたのは彼女の隣にいる、依乙と背格好のよく似た少女だった。白く、やわらかな髪を持つガーディアンのスカイ。スカイは依乙のガーディアンであった。

「うん、依乙ちゃん。今日はうまくいったね」

 二人でふふ、と楽しげな笑い声をあげながら、依乙とスカイはぱちんと手を合わせる。和音はそんな二人を見ながら、むう、と唸る。

「俺もあとちょっとでパーフェクトだったのに」

 ふてくされる和音を、ナインは苦笑しながら「まぁまぁ」と宥める。すると突然和音の体が前に押し出された。わ、と声を上げる和音を、ナインは今度はしっかりと受け止める。

「そうやって背中ががら空きだから、やられるんだぜ」

 ナインに支えられながら、和音が振り返ると、いつの間にやら真剣が背後に現れていた。腰に両腕をあてて、ふふん、と鼻を鳴らしている。和音はぎりぎりと歯軋りして怒りを表す。

「お前、全力で押しやがって、痛いだろ」

 真剣の方へ飛び掛っていった和音の腕を、するりと真剣は交わす。和音と真剣は身長差がかなりあって、和音の方が真剣より頭二つ分ほど大きい。しかし、その分真剣はすばしこかった。のろま、と真剣は和音に向かって言いながら、舌を突き出す。だが、和音は「ちびっこに言われたくないね」とふんぞり返る。

「ちびっこじゃない」

「豆粒みたいにちっこいね」

 身長ではどうしても敵わないので、そう言ってからかわれると真剣は地団太を踏む。唸り声をあげて、それから和音に突っ込んでいこうとするが、その足は宙をかく。

「もう、二人ともやめてったら」

 呆れ顔のナインが真剣を抱え上げていた。離せよう、と真剣が暴れるがナインはそんなのお構いなしだ。上手くバランスをとって、真剣の体の向きを変えさせ、向き合う。

「真剣くん。急に後ろから押したら、危ないでしょ」

 そんなことしちゃだめだよ、とナインは言い聞かせるが、真剣は膨れっ面になって「うるさいな」と声を荒げる。

「和音が悪いんだ。失敗したくせに偉そうなこと言って」

 真剣の言葉に、偉そうって何だよ、とまた和音が反応するがナインにじろりと睨まれてしぶしぶ口を閉じた。ナインは真剣を抱えたまま、和音に歩み寄り、「和音くん」と語調を強めた。ぐいと顔を近づける。

「君は年下にむきになって恥ずかしくないの。真剣くんは和音くんより三つも年下なんだからね。大人げないよ」

 早口に捲くし立てられて、和音はのけぞり、それから小さくごめんなさい、と口を窄める。やーい、と茶化そうとする真剣の頬をナインは指先で押した。

「真剣くんも。わかった?」

 眉間に皺を寄せながら、真剣はナインの指から逃れようと身をよじるが、すぐに諦めたようで「わかったぁ」と間延びした声をあげた。それならよろしい、とナインは真剣を降ろしてやる。

 ことの成り行きを見守っていた依乙が、視線を一回りさせてから口を開いた。

「そういえば、あんちゃんが見当たらないけど……」

 依乙の言葉に和音も確かに、と頷いてきょろきょろと視線をさまよわせた。

「……あんこはまた今日もシミュレーターを一個壊しちゃって、修復作業に行ったぜ」

 ため息をつきながらそう言ったのは真剣だった。あんこ、とは真剣のガーディアンであるアンコンケラブルの愛称なのだ。真剣の言葉に、その場にいた全員が乾いた笑いを溢した。アンコンケラブルは怪力で有名であり、可愛らしい少女の姿でありながら、毎度の授業で必ずシミュレーターを壊してしまうのである。その都度壊れたシミュレーターを抱えて、職員室へと走る彼女の姿は大半の生徒に目撃されている。

「あんちゃんも、大変ね」

 依乙は頬を引きつらせて言う。真剣は「俺だって大変なんだぜ」と腕を振り上げた。

「あんこが力を出しすぎないように、調節してるし、二人で工夫だってしてんだ」

 でも壊れちゃうんだよなぁ、と真剣は頭の後ろで腕を組みながらぼやく。訓練時だけでなく、日常生活でもアンコンケラブルは破壊活動を行うことがあるので、確かに真剣にも苦労があると言えた。

「がんばれよ、ちびっこマスター」

 和音は真剣の頭にぽんと手を置き、それからぐるぐると回した。髪をかき乱された真剣はやめろ、と声をあげたがお構いなしに和音は真剣の頭ごとぐりぐりと回す。真剣から不満の声が漏れた。

「んもう、和音くんったら」

 再び始まるであろう和音と真剣の小競り合いに、ナインは肩を落としてため息をついたのだった。





  


 世界は“こちら”と“向こう”の二つに分かれているのだと和音は教わった。人間が存在するこちらの世界と、ガーディアンと呼ばれる生命体が存在する向こうの世界。二つの平行した世界が唯一交わる時、人間はガーディアンと出会い、マスターになる契約を交わすのだ。

 マスターとは、向こうの世界へ繋がる扉を開き、“生命の樹”からガーディアンを授けられた者のことを示す。そして、ガーディアンとはマスターの精神の化身であると言われる、不思議な力を持つ者のことを示す。

 和音はガーディアン、ナインのマスターであった。そして和音が通っているのは、マスターである者だけが集まる、特別学校。特別学校はマスターである生徒が集まり、中にはマスターとしての能力の高さから、学年を飛び級している生徒も存在している。アンコンケラブルのマスターである真剣もそのうちの一人であった。

「和音くん」

 食堂の机に頬杖をついて、窓の外を見ていた和音にやわらかく声がかけられる。振り返ると、トレーを持ったナインが立っていた。

「遅くなっちゃってごめんね。先に食べてても良かったのに」

 今回のシミュレーターの後片付け当番だったため、ナインは遅れてやってきたのだ。眉尻を下げるナインに、そんなに待ってないから大丈夫、と和音は笑う。二人で並んで座り、同時に手を合わせ「いただきます」と声を揃えた。

 和音の通うこの特別学校には給食の制度がなかった。代わりに、全学年が使用可能な学生食堂が設けられている。昼休みと、放課後一時間は利用が可能な、生徒の憩いの場である。学校には一年生から、九年生までの生徒がおり、真剣のような例外がない限りは年齢にあった学年に割り当てられていた。

和音は、この春に晴れて七年生へとあがった。通常の学校では中学校の入学にあたる七年生になることは、一年生から六年生までにとってはちょっとしたステータスであった。しかし、なってみるとそのあまりの変化のなさに、和音は密かに落胆していた。七年も一緒にいれば、クラス替えしてもほぼ全員が顔見知りであり、新鮮味がない。しかし、勉強は難しくなる一方で、厄介なことにテストの回数は六年生であった頃に比べると格段に増えている。どうにも味気ない毎日だと胸の内でため息をつきながら、和音はふっくらとして艶のある白米を大口に含んだ。

「ねぇ、和音くん」

 同じように食事をしていたナインがぽつりと言った。ん、と和音は視線で言葉を促す。ナインは和音の表情を伺いながら「最近なんだかぼうっとしてること多いけど、どうしたの」と尋ねた。

 もぐもぐと口を動かしながら、和音はそうかな、と返す。

「今日だって、後ろからシミュレーターにやられるなんて、和音くんらしくないし」

 ナインは小さな音を立てて、箸を置いた。意を決したような、真剣な顔で和音を見る。

「何か悩み事があるなら、聞くよ?」

 和音は口に含んでいたものを飲み込んで、それから「大げさだなぁ、ナインは」と笑う。

「別に悩み事なんてないし、あってもまずはナインに相談してるって」

 大丈夫、大丈夫、と軽い調子で言う和音をナインは心配そうな顔で見つめる。ナインは、和音に対して少々過保護なところがあった。無理しないでよ、というナインの言葉を聞きながら和音は暢気に返答した。

 十二にもなって、事細かに心配されるのはいくら近しい存在であっても煩わしいものだろう。しかし、和音にはナインに対してそういった思いはなかった。和音は、気づかれないようにナインの様子を観察する。隣に座っているので、直に見ようとすれば不審がられてしまう。和音が座る席からは遠くにある鏡ごしに、ナインの姿がよく見えた。いつも、それを利用して和音はナインを見ていた。

 空色の髪は今日も艶やかで、その下の頬は白く滑らかだ。下を向いていることで長い睫がその頬に影を落としていた。随分昔に気づいたことなのだが、ナインの睫は髪と同じで空の色をしていた。そして瞳は美しい薄荷色。和音の相棒のその姿をややこしいことは抜きにして、簡単に表してしまう言葉があった。

 かわいい。

 そう、ナインは可愛いと形容するに相応しい容姿をしていた。友人に借りてこっそりプレイしたゲームのキャラクターなんかよりもナインの方がずっと可愛い、と和音は誇りに思っている。だからこそ、そんな可愛いナインに心配されることは煩わしくもなんともなかった。むしろ周囲から羨ましがられるほどだ。

 成績優秀、容姿端麗、性格だって良いし、周囲からの評判も良い。そんな完璧な存在が、自分のガーディアンであることが和音の一番の自慢だった。

「どうしたの?」

 箸の止まっていた和音に気づいて、ナインが顔をあげる。鏡ごしとはいえ、じっと見ていたことが気まずくなって、和音は少し調子の外れた声で「いや、食べる、けど」と言い、慌てて箸を動かし始めた。

「な、和音くん、そんなに急いで食べたら喉に」

 詰まるよ、というナインの言葉が続く前に和音の手は水を探してさ迷っていた。もう、と言いながらナインがその手に水の入ったグラスを渡す。和音はグラスを持った手とは反対の手で拳を作り、胸を叩きながら、水を流し込んだ。

「さ……サンキュー。さすがナインだな。俺のことわかってる」

ふざける和音に「何か違う気がする……」とナインは呆れた声を返した。すると、そこへナインの名を呼ぶ誰かの声が届いた。ナインに続き、和音も声の方を見る。

 声の主は、顔は見たことがあるけれど、和音はよく知らない人物だった。だが、ナインはああ、と声をあげて「平川くん」と少年の名を呼ぶ。上級生だろうなと和音は見当づけた。ガーディアンは人間の心の化身であるために、心の成長とともに見た目も変化する。そのためナインは和音と同じで七年生という学年にありながら見た目は十四歳ほどだ。だから、上級生であっても同年口で話すことがほとんどだった。

尤も、ナインには複雑な事情があるために姿に関しては他のガーディアンと違うところがあるのだが。

 平川と呼ばれた相手は爽やかな笑顔を浮かべて、ナインのもとまでやってくる。

「食事中にごめんな。さっき先生に委員会のことで頼まれたんだけど、今日って放課後、残れる? ちょっと手伝ってほしいことがあるんだよ」

 委員会、と聞いて和音は、平川がナインが所属している生徒会の副会長だ、ということを思い出した。七、八年生だけが所属する生徒会にナインは書記として所属しているのだ。時たまこうして委員会の都合で呼び出されることがあった。

 うん、と頷こうとしてナインは「あっ」と声を上げた。ちらりと和音の方を見て、それから「ごめん、今日は残れないんだ」と申し訳なさそうに平川に謝った。

「明日なら大丈夫なんだけど……。明日の放課後じゃ、だめ?」

 小首を傾げて問うナインに、平川が少々頬を染めるのを和音は見逃さなかった。こんにゃろう、と思いながら軽く睨む。しかしナインと会話をしている平川にそれは気づかれなかった。

「い、いや、明日でも大丈夫だよ、全然」

 じゃ、明日よろしくな、と言いながら平川は去っていった。ナインは「ごめんねぇ」と拝むように両手を顔の前で合わせて、平川を見送った。

「ちゃんと覚えてたんだ、今日の約束」

 和音はナインの背に向かってそう言った。ナインは和音を振り返り、もちろん、と嬉しそうに目を細める。

「今日はパパが帰ってくる日だもんね」

 頷いて、和音もナインと同じように目を細めた。楽しみで、思わず二人は同時に笑い声を溢した。






「今日ぐらいいいじゃん」

「だめ。だめったら、だめ」

ナインの強い言葉に、和音は唸っていた。

「普通に歩けば二十分で家に着くじゃない」

 渋っている和音に、ナインは腰に両手を当てて続ける。

「無茶なことして怪我でもしたら、大変でしょ? 大人しく、歩いて帰ろうよ」

 和音は、怪我なんてしないってばぁ、と言って諦めずにナインと交渉していた。

数分前、和音は普段移動に使っているBスライダーと呼ばれる道具を使おうと提案したのだ。しかし、ナインにすぐさま却下された。それもそのはず、和音はつい最近、Bスライダーでスピードを出しすぎたために曲がり角で上手く曲がりきれず、道路標識にぶつかり、あわや大惨事となるところだったのだ。足を擦りむいただけで済んだのだが、その危険な行為に酷く肝を冷やしたナインによって和音はBスライダー禁止令を出されていた。つまり、ただいま絶賛謹慎中なのである。

「もう怪我なんてしないからさ、禁止令を解いてくれよ」

 縋るように和音は甘えた声を出すが、ナインは腕を組んでそっぽを向いてしまう。

Bスライダーの正式名称は“BWEエア・スライダー”で、その名の通りBWEを動力源とする。BWEとはBeyond World Energyの略称のことだ。向こうの世界からもたらされたこの未知のエネルギーはこちらの世界の大気中に溢れている。人間はそれを体内に取り込み、体内のBWEから外部のBWEへ働きかけることによって様々な能力を得ることができる。その他にも、BWEはBスライダーのように人間の日常の道具にも利用されており、豊かな生活に欠かせないものであった。

BスライダーはBWEを使って、空を飛ぶことができる道具だ。スケートボードのようなボードの上にバランスを取って乗り、使用者の意志によってBスライダーは速度を変える。体内のBWEがBスライダーに利用されるBWEに働きかけ、速度を決めるのだ。そのため、Bスライダーを使うには向き不向きがあり、BWEの調節が苦手でBスライダーに上手く乗れない者もいる。

和音は、BWEの調節技術に大変長けており、自由自在に速度を変化させることができた。それにより、調子に乗って現在はこの様なのだが。

「パパが帰ってくるんだぜ。何ヶ月ぶりだよ」

 早く帰りたいじゃん、と言って和音はそっぽを向いたナインの顔の方へ回りこんで、ナインを拝み倒す。

「そりゃあ、僕だってパパに早く会いたいけど……」

「そうだろ。だったら、Bスライダーでひとっ飛びで帰ろうぜ」

 コンパクトに折りたたまれたBスライダーを和音がリュックサックから取り出そうとすると、だめ、とナインが和音の腕を捕まえる。

「しばらくは乗らないって約束したじゃない! パパが帰ってくるのとこれは、話は別でしょ」

 和音は肩を落としてえええ、と大声で不満を訴える。あまりの声の大きさに下校中の数人がちらりと二人を振り返った。ナインが恥ずかしそうに「ちょっと、和音くん」と和音を咎める。

「けちだな、ナイン。俺ってそんなに信用ないの」

 和音が恨めしい目をナインにむけると、ナインは視線をそらし、そういうわけじゃないけど、と口ごもる。

「約束はちゃんと守ってほしいし、それに、学校の外じゃ、僕なにもできないし……」

 そう言いながら、ナインは俯いてしまう。軽く握った拳を口元にあてて、ナインは眉を八の字にしている。

 学校の外ではなにもできない、というのはまさに言葉の通りであった。ナインだけでなく、すべてのガーディアンは町では元の姿を保てない。ガーディアンを悪用した犯罪が増加したことによって、和音が生まれるよりもはるか昔に町には特殊な装置の設置が義務付けられたのだ。それによってガーディアンはその装置の効果が及ぶ場所では掌ほどの大きさに小さくなってしまう。体が小さくなれば、使える能力も小さくなる、という犯罪対策であった。

 ナインは町に出てしまえば小さくなって、和音の手助けをすることができない。それゆえ、余計に和音を心配するのだ。

「僕、この間すごく怖かったんだよ? 和音くんにもしものことがあったらどうしようって。僕じゃ和音くんを助けられないから」

 ナインはまっすぐな目で和音を見つめる。何も言えなくなってしまった和音の手をぎゅっと包み込み、ね、と首を傾げた。

「今日も歩いて帰ろ?」

 和音は黙ってこくりと頷いた。片側を降ろしていたリュックサックをかるい直し、それから突然ナインに抱きついた。驚いて声をあげるナインに構わずに、和音は抱きしめる力を強める。

「ナイン、可愛い。ありがと、俺のことそんなに心配してくれて。本当もう、お前可愛すぎ」

 早口に捲くし立てながら、和音はナインの肩に頬を摺り寄せる。身長に差はほとんどないが、若干ナインの方が大きかった。もう、何、とナインは慌てながらもしっかりと和音を受け止めている。

「ほら、早く帰ろ、和音くん。パパもそろそろ家に着く頃だと思うよ」

 困ったような顔をして笑いながら、ナインは和音の背中をあやすようにぽんぽんと叩く。和音は抱きつくのをやめて、満面の笑みで頷いた。

「俺はナインのために、安全第一で家に帰るぜ」

 なんたってナインに心配されてる大事な体だからな、と和音が高らかに言うと変なの、とナインはくすくすと笑い声をあげた。

 校門から一歩出ると、ナインの体は光の膜に覆われ、小さな光る球体へと変わっていく。ぱちんと泡が割れるようにその球体が弾けると、掌サイズになったナインが現れ、和音の肩にちょこんと座った。

 ナインは和音の顔を見上げ、弾んだ声で、パパに会えるの楽しみだねと笑った。






 和音の父、優作はBWEの研究のため、約一年前から海外へ単身赴任していた。多忙な研究者であるため、優作は滅多に家には帰ってこない。一ヶ月前に、ようやく日本へ帰れる、という連絡を受け、和音とナインはずっとこの日を待ちわびていたのだ。

 家が見える位置まで帰ってくると、和音はナインを落ちないように胸ポケットに入らせ、それから家まで全速力で走った。玄関を突き破るように帰宅し、「ただいまぁ」と声を張り上げた。靴を乱雑に脱ぎ捨て、どたどたと廊下を走り、リビングへ繋がる扉を勢いよく開ける。

「おかえり、和音、ナイン。それからただいま」

「ただいま、パパ、おかえり!」

 クリーム色のソファに腰掛けた優作は二人の方を振り返り、柔和な笑みを浮かべていた。前会った時よりも髪は短くなっており、少し痩せたように見えた。それでもその柔らかな雰囲気は変わらない。ソファ越しに和音は優作に飛びつく。ナインも胸ポケットから飛び出し、和音の腕伝いに移動し、優作の肩に座っていた。

 優作は和音の頭を撫でながら、また少し大きくなったんじゃないか、と笑った。

「そろそろナインを追い抜いたか」

 肩に座っているナインは優作の頬に身を寄せながら「ううん。まだ僕の方がおっきいよ」と答える。和音はにっと笑いながら、ちょっとだけだろ、とナインをからかった。

「そうか。もうそんなに大きくなったんだなぁ、和音は」

 我が子の成長は早いもんだ、と優作は暢気な笑顔を浮かべている。その笑顔の向こうの人影に和音は気づき、あれ、と声をあげる。

「お客さん……?」

 しかしよく見るとその人物はどうも和音と同じくらいの年齢の少年に思えた。優作の知り合いのようには思えなかったが、優作と向き合うように反対側のソファに静かに座っている。少年の前には客人用のティーカップが置かれていた。

 同じ年頃の相手を前にして、自分の幼稚な行動が恥ずかしくなり、和音は頬を染めながら優作から離れた。ど、どうも、と照れ隠しに愛想笑いをする。

 目を伏せていた少年が、その声に反応し、和音を見た。

 和音は息を呑む。

 まるで作り物のように美しい少年だった。いや、服装から判断して少年だと思ったが、その端麗な顔立ちは少女のようでもあった。緑がかった艶やかな黒髪は、前下がりに切りそろえられている。宵の空を思わせる切れ長の瞳が、和音を映し、ゆっくりと細められた。

「こんにちは。出海和音くん」

 凜とした声に呼ばれると、自分の名前がまるで自分のものではないように感じて、和音の返答は一瞬を遅れた。こん、にちは、と途切れて言葉を返す。

「和音、紹介するよ。こちらは桐生黒波くんだ」

 優作が、隣に座るように和音を促す。和音は優作の隣に座ると、黒波と向き合った。静かな笑みを湛えている黒波は依然として作り物のようだった。

「黒波くんは、パパの古い友人の息子さんなんだ。彼は向こうの学校でマスターの勉強をして、研究にも色々協力してもらっていたんだよ」

 今回、一緒にこっちに帰ってくることになってね、という優作の説明を聞いている間も、和音は黒波から目が離せなかった。黒波は人形のように静止している。

「黒波くんと和音は同い年だから、紹介しておきたかったんだ」

 優作が言い終えるのと同時に、黒波は視線を再び和音に向ける。人形に突然命が宿ったかのようだった。よろしく、と言いながら流れるような美しい動作で黒波は和音に手を差し出す。白く、ほっそりとしたラインの手だった。恐る恐るといった様子で和音は黒波の手を握った。

「……よろしく、桐生くん」

 形のよい唇が笑みを象る。黒波の視線が和音から、優作の肩にいたナインに移る。

「君が、ナインくんだね。出海博士から話は聞いているよ」

 黒波は少し首を傾けて、よろしく、とナインに笑いかけた。ナインも目を細め「うん。桐生くん、よろしくね」と笑い返す。

 黒波はナインをじっと見つめて「光栄だよ」と言った。

「君のように完成された“AG”に会えるなんて。ああ、こういう機械的な言い回しをされるのは、好きじゃないかもしれないけど」

 すまないね、と続ける黒波にナインは気にしないで、と柔らかな声を返す。

「AGであることは僕の誇りでもあるんだから。むしろそう言って貰えて嬉しいよ」

 その言葉に偽りはなく、ナインは嬉しそうに頬を染めた。

 AGとはArtificial Guardianの略称である。人工的に造られたガーディアンの総称。ナインは、スカイやアンコンケラブルのようなガーディアンとは違う、特殊なガーディアンであった。優作によるBWEの研究によって生み出された高度なAG。

 和音は向こうの世界への扉を開き、生命の樹からガーディアンを授かるのではなく、父親から与えられてマスターとなった唯一のマスターだった。そのため、幼い頃は優作とともに学会などに出席し、AGであるナインとの連携の取り方を発表したりしたこともある。その時に、ナインの内部構造について詳細な話を聞いたりもしたが、幼い和音にはさっぱりわからなかった。そして今でも、ナインがどうやって生まれたのかはよくわからないことだらけなのである。

 一家に一台防犯システムとして投入されることの多くなった、BWEを利用したロボットと原理は同じであるということを、和音は最近の授業でようやく、なんとなくだが理解した。ロボットの構造とBWEの関係を知る授業で、人工知能からの指令をBWEを使って送り、ロボットを作動させているのだと習った。つまり、シナプスをBWEで代用しているのだ。電気信号でなく、BWEを使うことによってロボットは電力を要さなくなった。さらに迅速で複雑な運動も可能になったのだ。優作はこの原理を応用して、ナインを造り上げたのだという。

「和音、ナイン。黒波くんも、お前たちと同じマスターなんだよ」

 優作の言葉に二人は同時に、え、と声を漏らした。しかし、ガーディアンの存在が見当たらない。きょろきょろと視線をさ迷わせる二人に、黒波はくすりと小さく笑った。

「李焔」

 黒波の声が響いてすぐに、黒波の隣に黒い影が現れ、それは人の形を成した。黒波の横に、淡紅色に黒の混じった髪を持つ、青年が跪いていた。後ろ髪が長くて、細く一本に束ねられていた。柔らかそうなそれがふらりと揺れる。

「お呼びですか、黒波さま」

 黒波は李焔、と呼んだその青年に目をむけることもせず、「出海博士のご子息だ。挨拶を」と平坦に告げる。

 は、と返答して李焔は和音とナインに向き直った。

「黒波さまのガーディアン、李焔だ。よろしく頼む」

 突然の登場に言葉をなくしていた和音は声をかけられたことで、ようやく、ああ、よろしく、と調子を戻した。ナインも同じように李焔に挨拶をしているが、登場だけでなく、その姿にも五疑問を持っていた。あの、と遠慮がちにナインは李焔に尋ねる。

「君はどうして元の姿のままでいられるの?」

 和音も同じ疑問をもっていた。李焔は町の、ただの民家の中だというのに元の姿を保っているのだ。普通のガーディアンなら小さくなってしまうはずだ。

「もちろん、小さくなることも可能だよ」

 ナインの質問に口を開いたのは黒波だった。その言葉に、李焔は先程ナインが学校を出たときのように光る球体になって、それから小さな姿に変わった。身軽に、机の上へと降り立つ。黒波に出されたティーカップは、李焔の腰ほどの大きさであった。

「でも、俺たちは装置の効果を無効化する特例を受けている」

 ナインは優作の肩から、ぴょんと飛び降りて、机の上の李焔に近づく。並んでみると、李焔の方が頭一つ分ナインより大きい。ナインは李焔を見上げてそれって、つまり、と黒波の言葉を継いだ。

「君たちは“ドロップレスター”ってこと?」

 李焔は「そうだ」と頷いた。

 えええ、と声をあげたのは和音だった。

「まじで、レスターなの? 俺、同い年のレスターって初めてみるよ」

 瞳を輝かせて、和音はすげえ、すげえ、と繰り返す。ナインは和音を振り返り、苦笑して頬をかいた。しかし幼い頃から和音はレスターに憧れており、自分と同じ年のレスターが現れればその反応も無理はないと言えた。

 ドロップレスターとは、こちらの世界と向こうの世界が繋がることで起きる弊害を解決することを専門としているマスターのことを指す。ガーディアンが人の精神の化身であるのと同じように、人の悪意、憎悪などの負の感情の化身が存在している。それが、ドロップだ。ガーディアンが古くから人間とともにあるように、ドロップも古くから人々を悩ませてきた。その対策としてドロップレスターが生まれたのだ。近年、ドロップによる被害は増えており、レスターを志す者は増加傾向にあった。和音もその内の一人である。

「ね、桐生くん、どうやってレスターになったの? 俺、昔から憧れてるんだ」

 他には同じ年頃のレスターはいるかだとか、どんな仕事をしてきたのかだとか、和音は矢継ぎ早に質問を投げかけた。困った笑顔を浮かべている黒波を見て、「もう、和音くん」とナインが口を挟む。

「桐生くん、困ってるじゃない。そんなにたくさん質問しちゃだめだよ」

 咎められて、和音はだってよー、と口を尖らせた。

「気になるじゃん。本物のレスターの話を聞ける機会なんて、ほとんどないし」

 確かに、様々な被害が起こるため、レスターは常に出動態勢にあるほど忙しい。それにレスターを見かけるのはいつもドロップとの戦闘の時だけだ。というより、特にこれといって特徴がないので、ドロップと戦っている時以外は誰がレスターであるのかわからないのだ。

 そうだけど、と言葉に詰まるナインに代わって優作が「黒波くんは特別なんだよ」と説明した。

「黒波くんは、代々レスターをやっている桐生家の一人息子なんだ。だから彼は小さい頃から、レスターになるための訓練を受けている。その努力があるからこそ、この年でレスターになることが出来たんだよ」

 和音は納得したようで、へぇ、と声をあげる。「すごいんだな、桐生くん」と、心の底から感心したような言い方に、黒波はまたくすりと笑った。

「そんな感心されるほど、大したことじゃないよ」

「いや、十分すげえぜ。な、ナイン」

 和音の言葉にナインはうん、と頷いた。

「李焔も、すごいね。強いんだ」

 ナインは李焔を振り返り、その顔を見上げる。目がバイザーのような装置に隠されているため、いまいち表情が掴めない。判断が出来そうなのは口元だが、一文字に引き結ばれたそこはぴくりとも動かなかった。

ナインは小首を傾げて「李焔?」ともう一度名前を呼ぶ。顔はナインに向けられているので、聞こえてはいるのだろう、とナインは判断していた。銀色の装置には中央に黒いラインが引かれている。そこがちかりと小さく赤く光り、それから李焔は「……ああ」と小さく答えた。

無愛想ではあるが、返答があったことに満足してナインはにこりと李焔に笑いかける。やはり口元はぴくりとも動かなかった。

「無口なやつなんだ。気を悪くしないでくれ」

 ナインと李焔の様子を見ていた黒波はそう言い、「もういいぞ。さがれ」と李焔に命じた。また、は、と返答して李焔は黒い影になり、消えていく。見るのは二度目だが、先程よりも間近に見たナインはやはり驚いているようだった。

 黒波は何でもないように、「これが李焔の能力だよ」と言った。

「俺と完全に同調することによって気配を消すことができる。それによって、誰も俺をマスターだとは思わないんだ」

 仕事には大変役に立つよ、と言って黒波はにこりと笑った。ナインはその意味を汲み取って一瞬表情を強張らせたが、和音は相も変わらず、またへぇ、と暢気な相槌を打った。

「そうだ、和音。黒波くんはこの町に来るのは初めてなんだ。せっかくだから、案内してあげなさい」

 え、と声をあげ和音は優作を見上げた後、黒波に視線を送る。黒波も優作の提案にきょとんとしていた。

「田舎町だが、それなりに見所もある。どうだい、黒波くん」

 優作は笑みを深めて、黒波に尋ねる。黒波は少し戸惑っている様子だったが、和音とナインの両方を見て、それから優作に視線を戻し、柔らかい声で「はい」と答えた。





 

 案内って言ってもなぁ、と悩んでいた和音に、黒波は日頃和音が遊んでいるところに行きたいと提案した。日頃遊んでいるところ、と考えて和音が黒波を案内したのは。

「ゲームセンターって……」

 呆れてため息をつくナインに、和音はだって、と抗議する。

「遊ぶって言ったらやっぱここだろ」

 安直な考えに自分でも恥ずかしく感じているのか、和音の頬はいくらか赤かった。責任転嫁とばかりに、ナインだったらどこに案内するんだよ、と和音はやけになってナインに問う。え、と慌てたナインは一生懸命頭を捻った。うーん、と悩んでいると、黒波はそんな二人の問答にちっとも興味を示さず、ゲームセンターに向かってすたすたと歩き始めてしまった。

「あ、ちょ、桐生くん」

 待ってよ、と和音が声をかけると、肩越しに黒波は振り返って、少し雰囲気の違う笑みを浮かべた。和音は首を傾げる。黒波はそのまま、ゲームセンターへと入って行った。

「……ゲームセンターに来たかったのかな」

 取り残された和音は、ナインに向かってそう呟く。ナインも「さぁ……?」と困惑した様子で首を傾げた。


 和音たちが訪れたのはこの町で一番大きなゲームセンターだった。自動ドアが開くと、がちゃがちゃと騒がしい音が溢れ出してくる。平日の午後であるため、人数はそれほど多くない。和音は辺りを見回して、黒波の姿を探した。

「あれ、どこ行ったんだろ」

 大音量のゲームの音に負けないように声を張って、和音は黒波の名前を呼ぶ。和音の肩に座りながら、ナインは耳を押さえていた。ごめん、と苦笑して和音は謝る。大丈夫、というナインも苦笑していた。

「まいったなぁ。ここ結構入り組んでるから探すの大変だぜ」

 和音が後ろ頭を掻きながら、どうするかな、とぼやいていると店内のいたるところに設置されているモニターにぱっと新たな文字が映し出された。

「あっ、見て、和音くん」

 ナインが指差す先のモニターに「KUROHA・RIEN 0:03」という文字が表記されている。黒波と李焔のことだと言うのはすぐにわかった。しかし名前の横の成績に目を疑う。

三秒。

レコードに三秒で相手を撃沈したことがはっきりと刻まれている。和音は瞬きながらナイン、と呼びかける。

「あれって、“カードバトルゲーム”のレコードだよな?」

 ナインも和音と同じで、驚きが隠せない様子でうん、と頷いた。間違いないよ、と続ける。

「桐生くんと、李焔が誰かをカードバトルで、三秒で倒しちゃったってことだよね」

 思わず、和音はごくりと唾を飲み込んだ。そんな記録初めて聞いたし、そんな記録を出せる者がいるなんて信じられなかった。行ってみようぜ、と言うが早いか、和音は駆け出していた。






 しょぼくれて帰ってくるアンコンケラブルの背中が真剣には小さく見えた。いや、実際にゲームからログアウトしたのだから小さくて当たり前なのだが。

 力自慢でカードバトルには自信があったがために、真剣は相手の記録が信じられなかった。

 たったの三秒。

 それだけの時間で、真剣とアンコンケラブルは敗れたのだ。

「ごめんでやんす、真剣」

 余程ショックだったのだろう、目に涙をいっぱい浮かべたアンコンケラブルはぐずぐずと鼻を鳴らしながら真剣にそう言った。それにより、改めて負けたということを実感する。真剣は拳を握って相手に向かって叫んだ。

「もう一回、もう一回勝負しろ!」

 こんな負け方一度もしたことがない。何かの間違いだと真剣は唸る。もう一度勝負して、相手のガーディアンをまいったと言わせなければ気がすまなかった。

 しかし、突然飛び入りで勝負を挑んできた相手は澄ました顔で、もういい、としか答えない。真剣ははん、と鼻で笑い「怖いのかよ」と挑発した。いつも喧嘩をしている和音なら何だと、と言って間違いなく食いついてくる。だが、相手は違った。虫けらを見るような目で、真剣を見下す。絶対零度のその視線は、真剣を黙らせた。

「もう一度戦う価値などないと言っているんだ」

 何の感情もない、冷めた言葉が続く。失せろ、と低く発せられた言葉に真剣はついに泣き出した。

「し、真剣、泣かないでほしいやんす。もっと練習して、強くなって、再チャレンジするでやんすよ」

 真剣の肩に乗ったアンコンケラブルは必死でそう励ますが、泣きじゃくる真剣に言葉は届かない。きーん、と高い泣き声が騒がしい店内で一際大きく鳴り響いた。

 そこへ和音とナインがやってきた。わあわあと泣く真剣に、和音は驚いてどうした、と真剣に尋ねる。しかし真剣は和音に走り寄ると腰に抱きつき、一段と泣き声をあげるだけで答えない。

「な、なんだよ、どうなってるんだよ」

 ナインが真剣の肩に飛び移って、真剣を宥める。アンコンケラブルが和音を見上げた。

「真剣、そこの人に負けちゃったでやんすよ……」

 それで、ショックで、と続けるアンコンケラブルが指差した先にいたのは黒波だった。桐生くん、と和音は思わず黒波の名を呼ぶ。

「知り合いでやんすか?」

 アンコンケラブルはナインに視線を移し尋ねた。ナインは真剣の頭を撫でてやりながら「うん……」と曖昧な返答をする。

「知り合い、ではあるんだけど」

 ナインが黒波を見ると、黒波は口角をあげた。先程までの静かで、上品ささえを感じさせた黒波とは異なる雰囲気を纏っている。和音もナインも、黒波の豹変ぶりに困惑していた。

「なぁ、桐生くん。何もここまでやることねーじゃん。真剣はまだ小さいんだし」

 しがみついて離れない真剣の背中をあやしてやりながら、和音は言う。黒波はそんな和音を嘲笑した。

「マスターに年齢は関係ない。強い者が勝つ、ただそれだけだ」

 黒波の言葉にむっとした和音は、でもさ、と言い返す。

「カードバトルはみんなで楽しむゲームなんだぜ。誰かが泣くのはおかしいだろ」

 ようやく落ち着きを取り戻し始めた真剣は、ぐずりながら、顔をあげた。真剣が顔をうずめていた和音の服は涙で濡れている。涙じゃないものも若干混じっているようだった。お前、鼻水つけただろ、と和音は真剣に半眼になる。真剣はふん、とまた鼻をならした。

「出海くん」

 黒波はカードバトルゲーム機に触れて、それから挑発的な目をして和音を見た。

「そんなに言うなら、楽しいゲームをしよう」

ついでにそいつの敵討ちもしたら、と黒波は笑う。和音は眉間に皺を寄せた。こっちが本性なのかもしれないが、態度の変わった黒波はどうも好きになれそうにはなかった。

「いいぜ。俺が勝ったら、真剣に謝れよな」

 黒波は余裕の笑みを深めて、頷いた。

 真剣の肩に乗っていたナインが不安そうに和音を見上げる。

「和音くん、でも、僕」

 そこまで言って、ナインは言い淀む。和音が手を差し出すと、ナインは真剣の肩から和音の手に飛び移った。その手を視線が合わさる高さまで持ち上げる。

「わかってる。ごめんな、ナインはカードバトル好きじゃないもんな」

 温厚な性格のナインは荒っぽいカードバトルをあまり好まない。たまに和音がおねだりして許可がもらえた時だけ、カードバトルをしているのだ。そんなナインに勝負をさせてしまうのは、和音としても申し訳ない限りであった。

 もう一度、ごめん、という和音にナインは何か言いかけて、口を閉じた。それから目を伏せてううん、と首を横に振る。

「和音くんの気持ちわかるよ。だから、僕、今日はがんばる」

 任せといて、とナインは胸を張った。よし、その意気だぜ、と和音も拳を握る。真剣がようやくしがみついていた手を離して、「負けるなよ」と涙声で言った。調子が戻りつつあるようだった。真剣の肩でアンコンケラブルも応援している。

 和音はゲーム機の前、マスターがガーディアンに指示を送る場所へ立った。それから、ナインをガーディアンの転送位置に立たせ、ゲームにログインする。ドーム型のゲーム機の中央に立体映像でナインと李焔の姿が映った。

 和音は腰のホルダーに入ったカードデッキをセットする。ぴろりん、と軽やかな電子音とともに和音の前に自分のカードデッキのデータと、ナインの見ている映像が展開される。右手にあるタッチパネルでフィールドは無属性を選択する。目の前の映像に、『READY?』の文字が表示された。

「準備できたぜ」

 和音がそう言うと、黒波は片方の口角をあげた。何も言わず、目線で和音にバトルを始めることを促す。

「行くぜ、ナイン」

 呼びかけると、ナインから力強い返答が返ってきた。集中力を高め、和音はタッチパネルの『OK』ボタンを押す。和音と、黒波、二人の前に『BATTLE START』の文字が流れた。

 突然、和音の視界に見えていた李焔が消えた。

 瞬き一つの間だった。

 気がつくと、居合い斬りを終えた李焔の背中が視界に広がっていた。それも逆さまに。そこで、刀を鞘に戻す、小さな金属音を聞く。居合い斬りでやられたのか、と和音はあまりのスピードに呼吸を忘れていた。

 しかし、李焔の背後から強烈な蹴りが繰り出され、それに気づいた李焔はそれを鞘で後ろ手に受け止めた。

「まさか僕を斬ったと思ったんじゃないよね?」

 李焔の攻撃を交わして背後を取ったナインが李焔に反撃したのだ。和音は息を吸い込む。鉄面皮だと思っていた李焔がふっと笑うのが見えた。蹴りを受け止めた鞘で弾かれる。ナインは宙でくるりと華麗に舞い、李焔と少し距離を取って着地した。

 黒波がへえ、と目を細く歪める。

「居合い斬りを見切ったヤツは久しぶりだ」

 ナインの動きに興味を持ったのか、黒波はまだカードを展開しないようだった。ナインと李焔がお互いどこまでやれるのか見ようとしているらしい。

 和音は正直言って、あの居合い斬りを避けれるとは思っていなかった。李焔の背中が見えた瞬間、負けを覚悟したのだ。しかし、ナインは李焔の動きを完全に捉えていた。ナインがここまで戦闘能力の高いガーディアンだとは思っていなかった。カードバトルが嫌いだというナインを上手くサポートしてやらねば、と考えていたというのに。

 和音はすでに異常な動悸を感じていた。

 睨みあっていた両者が同時に動き出す。居合い斬りで見せたように、李焔は刀を使うガーディアンだ。ナインはこれといって得意な武器を持たない。エネルギーを一箇所に集中させて、光の弾丸を打ち出すことが出来るが、それには少し発動まで時間がかかってしまう。李焔はとにかくスピードの速いガーディアンだった。自身の残像を切り捨てるような速度で刀が踊る。当然、ナインの方が不利だ。

 刀に対抗できるように、和音は『ソード』のカードを展開させる。ナイン、と声をかけるとナインはすぐにそれに気づいてソードを握った。青みがかった美しい刀身と、李焔の刀がぶつかり合う。同じタイプの武器を手にして互角に渡り合っているように思えたが、徐々にナインが押され始めた。しまった、と和音が思った時にはソードが折られ、ナインは後方に吹き飛ばされたていた。その悲鳴に、和音の腕は強張る。次は、何を展開すればいいのか。

「李焔、お遊びはそこまでだ」

 黒波の声に和音がはっとすると、カードを展開しているのだということがわかった。一気に片をつけろ、という冷めた声に、和音は嫌な汗をかく。

 李焔の手には青い炎を帯びた刀と、赤い炎を帯びた刀が握られていた。ナインがふらつきながら立ち上がる。李焔が居合い斬りの時と同じスピードで突っ込んでくるのが、和音には肌で感じられた。来る、と悪寒が走る。画面を叩きつけるようにカードを展開していた。

 李焔が斬りつけた場所にナインの姿はなく、突然、李焔の後ろに現れた。

「こっちだよ」

 言いながら、ナインは李焔に電撃を見舞う。

 瞬間移動と、電撃、二枚のカードを同時に和音は展開していた。上手く作用して、少しだけ息がつけた。

 再びナインと李焔は距離を取る。先程の電撃が効いていて、李焔のスピードが少しだけ落ちた。ナインが光の弾丸を連続で撃ち込む。尾を引いて李焔に迫るそれはまるで流星のようだ。弾丸はかなりの数があった。気づかれないように密かにエネルギーを蓄え続けていたのだろう。ナインの戦闘能力の高さは、身体能力だけではなく、勝負の駆け引きも上手さもあるのだと和音は気づいた。

 まばゆい光を発する弾丸に、李焔に一瞬の隙が生まれる。威力の大きい一撃を叩き込もうと、和音は現在手札として用意されているカードの中から一番攻撃力の高いソードタイプのカードを展開した。

 弾丸とともにナインが李焔に突っ込んでいく。


 勝負は一瞬だった。

 和音の視界には『LOSER』の文字が浮かんでいる。そしてその向こうには腹部に傷を負い、倒れこむナインの姿があった。

 言葉を無くし、棒立ちになる和音に「残念だったな」と黒波が冷たい声を浴びせた。

「だが、お前は自ら負けを選んだんだ」

 そんなヤツが俺に勝てるわけがない、と言い、黒波は李焔をゲーム機からログアウトさせた。李焔がログアウトしたことで強制的にナインもログアウトさせられる。戻ってきたナインを両手で優しく抱えながら、背を向ける黒波に待てよ、と和音は叫んだ。

「自ら負けを選んだって、どういうことだよ。惜しいとこまでいったじゃねーか」

 和音の言葉に黒波は振り返り、「惜しいとこ?」と復唱する。そしてそれからくつくつと笑った。何がおかしいんだよ、と和音は食って掛かる。

「お前がどこまでもおめでたいヤツだからだ。お前に惜しいところなんて一つもなかった。李焔に秒殺されずに済んだのはAGの性能だ」

 確かに、ナインの戦闘能力は予想をはるかに上回るものだった。しかし和音は出来うる限りのサポートをカードで行ったのだ。二人で協力して、李焔を追い詰めたとも言えなくはないはずだと和音は思っていた。

 だが、黒波は首を横に振る。

「最後にお前は攻撃力が高いという安易な理由でカードを選んだ。しかしあの場では弾丸に紛れて砲撃した方が確実にダメージを与えられた。ソードでつっこめば、弾丸の連射は止まる。李焔のスピードがあれば弾丸が止まってから相手が突っ込んでくるまでの時間に体勢を立て直し、むざむざやられに飛んでくるヤツを迎え撃つことが可能だ」

 すらすらと出てくる言葉に、和音は絶句する。しかしめげずに、そんなことまで、と言うと「そんなことまで考えていられない?」と黒波に言葉を遮られる上に、思っていたことを言い当てられてしまった。ぐ、と唇を噛む和音に、黒波は背を向けて言った。

「だからお前は負けたんだ」

 黒波のその言葉は騒がしい店の中でも、和音の耳に届いた。静かな声なのに、威圧される。耳元で大声で叫ばれたかのように、頭の中にきん、と響いた。

 黒波の背が徐々に小さくなる。和音は俯いて、ナインを見つめていた。李焔の攻撃のショックが強かったのだろうか、カードバトルに慣れていないナインは気を失っているようだった。ゲームでは本当に傷は負わないが、傷を受けると擬似的な痛みがもたらされる。黒波に言われた言葉が、正確であったことと、ナインに辛い思いをさせてしまったことが和音の胸を鷲掴み、息苦しかった。

 ことの成り行きを見守っていた真剣と、アンコンケラブルが気遣わしげに和音の名前を呼ぶ。和音は二人を見て、眉尻を下げた。

「ごめん、負けちゃって。俺、かっこ悪ぃな」

 真剣はそんな和音にかける言葉が見つからないようでしょんぼりとしている。アンコンケラブルは必死に「そんなことないでやんす。みんなで特訓してもっともっと強くなればいいでやんす」と和音と真剣の両方を励ました。

 しかし、そうだな、と返答する和音の声は暗い。

「もう……、和音くんらしくないよ」

 小さくかけられた声に、和音は両手のナインに視線を戻した。意識を取り戻したナインがゆっくりと上体を起こす。和音は両手に乗ったナインに顔を寄せ、大丈夫なのかと問うた。平気だよ、とナインは笑う。

「負けちゃったのは悔しいけど、次があるじゃない。アンコンケラブルの言う通りだよ」

 ナインは、ひょいと和音の肩に飛び移った。まだ少しふらつくのか、すぐに座ってしまったが、和音の頬に優しく触れて、リベンジがんばろ、と笑顔を浮かべる。

「ナイン……」

 表情に明るさを戻した和音は、ああ、と力強く頷いた。絶対次こそ勝ってやるぜ、と拳を突き上げる。真剣もアンコンケラブルも同じように、おお、と声を合わせた。

「それじゃあ、今日はひとまず家に帰ろうか、和音くん」

 真剣くんも、あんまり遅くなるとお家の人が心配するよ、とナインは真剣を窘める。わかってるよ、と真剣は甲高い声で口を尖らせた。

 おっし、と言いながら和音はセットしていたカードデッキを引き抜いた。腰のホルダーにデッキをしまいこむ。

「帰るか」

真剣とともに、和音はゲームセンターを後にした。






 ばふぅ、と音を立てながらベッドに倒れこむと、掛け布団がふわりと舞い、ナインがひっくり返った。起き上がりながら、危ない、とナインは口を尖らせる。

「ごめん、ごめん。でもなんか今日は疲れちゃってさ」

 ベッドに倒れこみたい気分だったんだよ、と和音が枕に顔を埋めながらくぐもった声で言うと、ナインは頬を掻きながら、確かに、と同意した。

「なんだか、ばたばたした一日だったもんね」

 腕を上に向けて伸びをし、ナインもぽすん、とベッドに仰向けに転がった。僕も疲れちゃった、とナインはあくびをする。


 ゲームセンターでの一件から、真剣と別れ、和音は家に帰った。一人で帰ったことに優作は首を傾げていたが、和音の表情を見てあらかた察したらしかった。お疲れ、と笑う優作に、和音ははぁ、と項垂れたのだった。

 だが、その後は久しぶりに家族四人揃っての食事をして、優作の研究の話や、和音の学校の話、そして和音の母親である葵が、家であった面白かったことを優作に話した。ネタはほとんど和音のことばかりで、恥ずかしさもあったが、温かな家族の団欒の一時を過ごした。

 つい先程、優作と和音は二人で湯船に浸かってきたところだ。今も、和音の頬は少しばかり上気している。優作は熱い風呂を好むので、二人で熱さの我慢比べをしていたのだ。父と、十二になる息子が一緒に入るには狭い湯船に、ぎゅうぎゅうになって並び、顔を真っ赤にして笑いあった。

 同時刻にナインは洗面所にあるガーディアン専用の風呂に入っていた。和音から見れば玩具のような代物だ。数年前までは小さな洗面器を湯船に浮かべて一緒にお風呂に入ったりもしていたが、和音が間違えてその洗面器を使ってしまい、ナインが排水溝に流されかけるという恐怖体験を味わってからはナインは一度も和音と一緒に風呂には入っていない。

 同じくして風呂を終えた親子三人は、髪を乾かし、就寝準備を整える。和音にとって人生初と言える極度の緊張の中で行われたカードバトルにより、和音は心身ともに疲れきっていた。そしてそれはナインも同様だった。

 ベッドに寝転がっていると、自然と、黒波とのカードバトルが和音の脳裏に浮かんでくる。だからお前は負けたんだ、という言葉がまだ耳に木霊していた。それを振り払うように、和音は首を振り、それから隣に寝転んでいるナインに語りかける。

「なぁ、ナイン」

 ナインは少し眠そうにして、なぁに、と答えた。

「今日のこと、本当にごめんな」

 和音の沈んだ声に、ナインは体勢を変え、和音と向き合う形になる。目を細めて、大丈夫、と囁いた。

「気にしないで。僕の方こそ、負けちゃってごめんね」

 悔しかったよね、とナインは優しい笑みを浮かべる。そうだな、と和音は頷いたが本当に悔しかったことは他にあった。

 バトルに自分が全くついていけなかったこと。それが悔しかった。ナインの力は、李焔と互角に渡り合っていたように和音は感じた。だからこそ、自分がもっとうまくナインにカードを送ってやることができれば、指示を出すことができれば、勝てたかもしれないと思うのだ。それが和音の胸のわだかまりとなっていた。

 ナインに痛い思いをさせずに済んだかもしれないのに。カードバトルで上手く勝てるようになれば、ナインだってカードバトルを好きになってくれるかもしれないのに。

 和音の胸の奥でざわざわと波が立つ。和音は勢いよく起き上がった。

「俺さ」

 突然の和音の行動に驚いたようで、ナインは目を丸くしていたが、それでも和音の話をちゃんと聞いているようだった。どうしたの、と返答する。

「今まで、カードバトルは勝っても負けても、楽しけりゃそれでいいやって思ってた」

 ベッドの上に正座した和音に続いて、ナインも起き上がり、正座をして和音の話を聞く。

「でも、やっぱ負けたら悔しいし、勝ちたい。強くなりたい」

 和音は遥か遠くを望むように向けていた視線を、自分のすぐ前にいるナインに向けて下げた。そして拳を握って、鼻息を荒くする。

「俺、強くなるよ。黒波に負けないくらい」

 ぱちぱちと瞬いていたナインは、和音のその突然の宣言に嬉しそうに頬を緩め、「うん!」と頷いた。

「僕もがんばる。和音くんと一緒に強くなって、李焔に勝つよ」

 和音の指先と、ナインの掌で小さなハイタッチをする。にこにことしていたナインが、あれ、と首を傾げた。

「和音くん、桐生くんのこと……」

 和音はナインの言わんとすることがわかって「いーの、いーの」と遮って答える。

「桐生くん、なんて呼んでたら何か対等な感じしないじゃん。だから、黒波って呼ぶことにしたんだよ」

 打倒黒波、と拳を掲げて言う和音にナインは「和音くんらしいね」とくすくすと笑った。

「じゃあ僕も、黒波くんって呼ぶことにしようかな」

 ナインの提案に和音はいいじゃん、それ、と声を弾ませる。

「二人でがんばっていこうぜ」

にっと笑う和音の言葉に続けて、二人は声を揃えて、「おー!」と腕を振り上げた。









第1話 END

第2話「バトルしようぜ、でございます」につづく



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