ヤアス神殿
ヤアス神殿。
元々は、世界に蔓延る様々な【魔】を浄化するために創られた神聖な建物であった。
遥か昔に、瘴気で満たされた地に建造され、枯れゆく大地を癒やしたと云われる神殿。
しかし、瘴気を取り込み浄化を行うという仕組みの為か、刻々と蓄積された【魔】が神殿を蝕み続けた。
やがて、【魔】に侵された神殿は浄化の機能を失い、モンスターが蔓延る危険な建物へと変貌してしまったのだ。
確か、ゲームだとそんなような設定だったと思う。よく覚えてないから自信ないけど。
ゲームを開始してから、メインクエストで当面の大きな目標になるのが、ヤアス神殿に生息するティアマットを倒すことだ。
所謂、なんちゃってラスボス。
ティアマットを倒すと、『クックックッ……奴は四天王の中でも最弱』みたいなよくある展開で、もっと強いお仲間が登場する。
実際お仲間の言葉通り最弱なので、中級プレイヤーにはカモにされる。中級プレイヤーかどうかの指標にされる哀れなボスモンスターだ。
テイム出来ればそこそこ役に立ってくれるけど、上級者以上になると使わなくなってしまう。後々、もっと強いモンスターを使い魔に出来るので、お払い箱になってしまうのだ。
本来、ゲームで設定されていた難易度なら、ソフィアのステータスで充分にティアマットを倒す事が出来る。だけど、取得してるスキルと魔法が貧弱と言うか下位性能なので苦戦してしまうのだ。
このゲームは能力値よりも、如何にして強力な装備を手に入れて、スキルや魔法を覚えていくかが鍵になる。
最終的に使う装備は能力値を十倍するようなチート性能を持ってるし、スキルも重ねがけすれば自分を更に強化出来る。なので、戦闘中の能力値は桁がおかしくなる。
魔法もランクアップさせて威力を上げていかないと、使えたもんじゃない。
装備を自分のレベルに合ったダンジョンで地道にレアドロップを狙うか、素材を集めて強力な装備を製造する。スキルと魔法は、何回も使って熟練度を上げていき、ランクを上げて威力を高めていく必要がある。
そういう強くなる為の仕組みが発見されてないので、グラスターデーモンなんていう雑魚にSランク冒険者が必要になるんだ。
そんな事を考えながら、たった今ソフィアに倒されて光の粒子に変わるグラスターデーモンを眺める。
同行する他の冒険者達が驚嘆の声を上げた後、喜びを分かち合うように勝利の雄叫びを上げた。そして、ソフィアを取り囲むように集まって、口々に賞賛の言葉を浴びせながら労っている。
「流石だね! いやぁ~、一時はどうなる事かと思ったよ。心配して損したっ!」
「怖がってたもんな、お前」
「当たり前だよぉ~、シオンだって怖かったでしょ?」
「まぁな、おしっこちびりそうだった」
「ぇ……? ださっ」
そう言ったマリナは、顔を顰めて鼻をつまみながら、臭いを振り払うかのように手で扇いでいる。
相変わらず失礼な奴だ。お前が怖いって言うから合わせてやったんだろうが……。
マリナの態度に不快感を隠すことなく睨みつける。すると、おちゃらけた表情をして、『ごめん、ごめん』と言いながら謝ってきた。
ちなみに、あの日以来マリナには敬語で接するつもりでいたが、俺がいざ畏まった話し方をすると、
「き、気持ち悪すぎるよ……どうしちゃったの、シオン? 頭おかしくなった?」
と言って馬鹿にされたので、すぐに元の口調に戻した。
敬語を遣わなくても今まで通り会話をしてくれるので、マリナが気にしないならそれでもいいかと、半ば投げやりな気持ちで深く考えないようにしている。
「この辺りで少し休息を挟みたいのですが、よろしいですか?」
いつの間にか俺とマリナが乗る馬車に近寄ってきていたソフィアが、窓越しに提案する。
「分かりました。お任せします」
依頼主であるマリナは、ソフィアの提案を二つ返事で了承した。
二人の間には微妙な空気が流れている。依頼主と請負人という関係なのだから、こういった空気が当たり前なのかもしれないけど、どちらとも知り合いな俺としてはなんとなくむず痒い気分にさせられる。
あの日の翌日。
ソフィアは朝一番でドレマーレ商会に向かったそうだ。
俺はいつもの様に朝寝坊していたので、眠っている間にソフィアとマリナは交渉を終わらせていて、正式に依頼を請け負うことを決めていた。
どういった交渉がされたのかは二人とも教えてくれない。だけど、俺が先陣をきって歩かされるような事にはなっていないし、ソフィアも仲間の冒険者達と助け合いながらモンスターを倒している。
今回護衛として雇われた冒険者は、ソフィアを含めて10人。
Sランクのソフィアを筆頭に、Aランク冒険者が3人に、Bランク冒険者が6人だ。ソフィアを除けば、全員が聖ナカル法国を拠点にして活躍する冒険者だ。
ソフィアが今回の依頼を請ける事が決まり、ギルド長の取り計らいで召集された人達らしい。なので、今回ドレマーレ商会が依頼するクエストに参加しても、法国は見て見ぬふりをしてくれるのだそうだ。
やっぱりすげーな、ソフィアは。それだけ手放したくない人材だって事か。
つーか、俺の為にソフィアはそこまで動いてくれたんだよな。もう、どうやってお礼をしたらいいのか分からない……。この話を聞いてから、ソフィアへの申し訳無さと罪悪感で常時吐き気が襲ってくる。
そんな状態で、ミディアさんまで参加するとか言い始めるから、全力で制して思いとどまってもらった。
「お疲れ様」
「うん、ありがとう!」
俺が声を掛けると、ソフィアはキリッとした表情を緩ませて笑顔で頷いてくれた。弾むような声色でお礼を言ってくれたので、この場の空気もなんとなく和らいだ気がする。
なので、もう一度言葉を投げかけようと口を開くと、ソフィアの後ろの方から青髪のイケメン冒険者が呼びかけてきた。
呼ばれた方にチラッと視線を向けたソフィアは、マリナに一礼をして駆け足でこの場から離れていってしまった。そして、イケメンの傍に行くと一言二言仕事の話をしたのか真剣な表情で言葉を交したが、すぐに二人の表情が穏やかなものに変わり談笑を始める。
「振られちゃったねぇ~」
二人の樣子を眺めていると、横からマリナが茶化すように言ってくる。
「振られちゃったなぁ~。
まぁ、あっちの方がイケメンだし仕方ない」
肩を竦めて残念そうに言うと、マリナは更に笑みを強くした。
「振られて可哀想だから、優しいマリナちゃんが寂しいシオンの話し相手になってあげよう!」
「そりゃ助かるわ」
そんな軽口を交わして、さっきまでと同じように俺の役目であるマリナの話し相手をする簡単な仕事を再開した。
話している最中、マリナがチラチラと横目でソフィア達が居る方を確認していたので、何か気になることでもあるのかとそっちの方に視線を向けてみる。だけど、映るのは楽しそうに仲睦まじく談笑する美少女と美男だけで、特に変わった樣子はない。
なので、またマリナに視線を向けると、ニヤニヤとした笑みを浮かべて俺を見ていた。
「なんだよ?」と訊くと、「別にぃ~」と言うだけど、ニヤついた顔を戻そうとしない。よく分からないマリナの反応を疑問に感じていたが、何事もなかったかのようにまた話を振ってきたので、そのまま談笑することにした。
マリナと話しながら、ここまでの道のりについて考える。
もう、ヤアス神殿に進入してから5時間ぐらい経つが、未だ中間地点より少し手前程度の攻略具合だ。
だけど、同行する冒険者の殆どがこの地点で出て来るモンスターに苦戦している。こんな場所で出現するモンスターで手間取っていたら、最深部なんて夢のまた夢だ。
マリナがどこまで奥に進ませる気なのか知らないけど、もう少し進んだら安全を考慮して引き返した方が無難だ。それとなく、マリナに提案しておこう。
「今どの辺りなんだろうな?」
会話の流れ的に不自然の無いように、ぐるっと窓から見える景色を見渡して問いかける。
「もう、だいぶ奥まで来てるよ! 最深部も近いね!」
俺の問いかけに、やや興奮気味に返したマリナは、熱のこもった表情で鼻息を荒くしている。
「……はぁ?」
マリナの興奮具合に若干引いていたが、聞き捨てならない言葉に思わず聞き返してしまった。
引き返すよう促す為に、色々と会話の組み立て方を考えていただけに、意表を突かれすぎて素っ頓狂な声を上げてしまった。
「へぇっ!? 違うの?」
「いや……知らないけど……」
ちげーよ。
最深部が近い? アホか。まだ半分も進んでねえだろ。
誰情報だよ、それ。出鱈目言うな!
「う~ん……あっ! ソフィアさぁ~ん!!」
俺の反応に首を傾げたマリナは、何かを思いついた表情をすると窓からソフィアの名前を呼ぶ。
マリナに呼ばれたソフィアは、会話中であるイケメンと息の合ったタイミングでこっちを向き、仲良く不思議そうな表情をしている。そして、手招きするマリナに引き寄せられるように、戸惑った樣子ながらも俺達の方へ駆け寄ってきた。
「どうしました?」
馬車の窓越しから声を掛けてきたソフィアは、俺とマリナを交互に見てから首を傾げて訊ねる。
「今ってヤアス神殿のどの辺りですか?
もうすぐ、最深部ですよね!?」
「は、はい……。もう少し進むと、最深部のの部屋に着きますけど……」
マリナのもはや質問になってない押し付けがましい問いかけに、ソフィアは引き気味に答えた。
変なテンションに気圧されたのか、『最深部のの部屋』って『の』を一回多く言っちゃってる。
「ほらね! だから言ったじゃない!」
ソフィアの答えで自身を持ったらしいマリナは、俺の方を向くと勝ち誇ったように胸を反らして言ってくる。
「あ、ああ……そうみたいだな。悪かった」
「ふふぅ~ん! 許してしんぜよう!」
そう偉そうな態度で得意気に言ってくるマリナはムカつくけど、今はそれどころじゃない。
おいおい、どういう事だよ。最深部じゃねーだろ。まだ中間地点すら来てないぞ。どうなってんだ。俺の知らない内に、縮小工事でもされてたのか?
……あっ! なるほど……! そういう事か!
本当は半分も来てないけど、何を勘違いしてるのかマリナは最深部が近いと思い込んでいる。だったら、余計なことを言わずに肯定して、中間地点で引き返しちまえばいいんだ……!
そうすれば、事前に危険を回避できるし、めぼしいアイテムを帝国に渡さなくて済む!
……天才だ……天才すぎる……! 流石は、ソフィアだ!
──凄いぞ、ソフィア! そんでもって、世界一可愛い!!
「あ、ありがとう……」
「「えっ!?」」
急に恥ずかしそうな表情を浮かべたソフィアは、俺に向かってお礼を言ってくる。破壊力抜群の上目遣いで見つめられる俺は、タジタジになりながらも疑問の声を上げた。
マリナも同じようにソフィアの態度の変化に驚いたみたいで、俺と声が重なる。
俺達の反応に頬を染めたソフィアは、『な、何でもない!』と言ってイケメンの方へと走っていった。
「どうしたのかな?」
「さぁ?」
※
休息を終えて、再び神殿内を進んでいくと、前方に大きな扉が見えてくる。
隣に座っているマリナも窓から顔を出して、扉を緊張した面持ちで見つめていた。周りに居るソフィア達も緊張を隠せないのか、ピリピリとした空気が辺りを包んでいた。
扉の目の前まで進むと、ソフィアが一旦止まるよう合図を送り、皆に集まるよう指示を出す。冒険者達が集まると、凛々しい顔つきでリーダシップを取りながら作戦会議を始めるソフィアに見惚れていると、マリナがトントンと肩を叩いてきた。
「どうした?」
「み、見てよ……あれ……」
そう言って、怯えた樣子でマリナが指差す方向に目を向けると、壁に【幻惑の間】と書かれたプレートが飾られていた。
俺が視線を送ったことを確認したのか、マリナはグイッと顔を寄せて鼻息を吹きかけてくる。
「遂に来たよ……! のに!」
「……何言ってんの、お前?」
少しマリナから離れながら、興奮気味に意味不明な言葉を発している依頼主に、訝しげな表情で問いかける。
「のだよ、の! のの部屋!」
そんな俺に、マリナは必死に口を『の』の形にして、精一杯伝えようとしてきた。
だから、『の』ってなんだよ……意味わかんねーよ。プレートの事を『の』って言うのが、最近の若い子の間で流行ってんのか? ぼっちがそんな流行語知ってるわけ無いだろ、もっと俺の友好関係調べてから会話しろよ。
「『の』は分かったよ! だから、それがどうしただよ!?」
「最深部なんだよ! のの部屋まで来たんだよ! シオンは興奮しないの!?」
「……ぇっ?」
身振り手振りで俺に賛同を求めてくるマリナの言葉に、小さく声が漏れた。
そして、改めて壁に飾られているプレートを確認する。
【幻惑の間】
プレートには、そう書かれている。
『げんわく』は漢字で『幻惑』。『の』はひらがなの『の』。『ま』は漢字で『間』。
そこまで確認して、ようやく俺はマリナの言葉の意味を理解する。
もしかして、【幻惑の間】で『の』だけしか読めないから、【の】の部屋なんてアホみたいな呼称をしてるのか……? さっきソフィアが言っていた、『最深部のの部屋』って、『最深部【の】の部屋』って意味だったのか?
嘘だろ……そんな馬鹿な。前後の漢字は模様かなんかだと思ってんのか? つーか、それが正式な呼び方なの? いくらなんでも酷すぎるだろ。もうちょっと違う呼び方でいいじゃん。
【の】は無いだろ、【の】は。
「……そろそろ、扉を開いてもよろしいですか?」
俺が頭を抱えてこの世界の不条理に嘆いていると、ソフィアが心配そうな表情で視線を向けてからマリナの判断を仰ぐ。
「はいっ! お願いします!」
大きく頷いてそう言ったマリナは、興奮冷めやらぬ樣子で馬車から飛び出す。
どうやら、馬車はここに置いて一緒に中に入るつもりらしい。
危険が無い様、扉の近くに居ることを条件にソフィアが許可を出したので、俺もマリナの傍で戦闘を拝見させてもらうことにした。
ソフィアが扉を開くと、真っ暗だった部屋に急に明かりが灯される。
その様に怯んだ樣子の冒険者達だったが、ソフィアが物怖じせず進んでいく姿を見て、慌てて後ろを追従した。
ソフィアが部屋の中心部で立ち止まると、大量の黒い粒子が集まりだした。
そして、徐々に巨大なドラゴンの姿を形成し、やがて黒い鱗に覆われたティアマットが現れる。
「──懲りないようだな、小娘」
蛇のような眼をギョロつかせたティアマットは、見下すようにしてソフィアに言い放つ。
「……お久しぶりです」
そう呟いたソフィアの声には、恐怖心が孕んでいるような気がした。
「そうか、人間には久しいと感じさせる月日が経ったか。
だが、我にとっては、つい数時間前の出来事のようだ。
故に、問いたい。
──殺されに来たか?」
いっきに部屋を包み込むような殺気を放ったティアマットは、ソフィアを真正面に見据えて睨みつけた。
「っ……!」
膨れ上がったティアマットの殺気に、ソフィアが息を呑んだ。
明らかに怯えている。あのソフィアが、目の前のモンスターを怖がっている。
その光景を目の当たりにして、俺は強く衝撃を受けた。
だけど、ソフィアの反応は、その程度の反応で済んでいる、と言って良い状態だ。
周りの他の冒険者達は、身体を震わせて怯えていたり、腰が抜けたように尻餅をついている人も居る。
俺の隣に居るマリナも、ガチガチと歯音を鳴らせて、限界まで目を見開きながら自分の身体を抱きしめるように腕を回していた。
そんな醜態を晒す冒険者達を見渡したティアマットは、馬鹿にした態度でひとつ鼻を鳴らす。
そして再びソフィアを見据えて、牙をむき出しにして嗤った。
「遊んでやる。来い、ニンゲン共──」
「っ!? 下がって!!」
ティアマットが一歩踏み出すと、ソフィアは大声で周りの皆に後ろに下がるよう指示を出す。
そして、高速で間合いを詰め、踏み出された脚に狙いを定めて斬りつけると、剣と鱗がぶつかる甲高い音が響いた。
ソフィアの攻撃がティアマットの鱗を砕き、足から紫色の血を吹き出させる。
「なんだと……?」
傷を負った右足に頭を向けたティアマットが、信じられないといった声を漏らした。
ドロドロとした血が傷から流れていて気持ち悪い。
本当ならそう感じるはずなのに、いやに見慣れてる感覚がする。ティアマットでレベリングしてたせいだと思うけど、自分の知らない自分が垣間見えて気分が悪くなった。
「おもしろい。我に傷を付けるようなニンゲンが、再び現れようとは──
しかし、その程度では勝てんぞ?」
牙をむき出しにして笑っているティアマットは、尻尾を高く持ち上げて、ソフィア目掛けて叩きつけるように振るった。
すぐさまティアマットの攻撃に反応したソフィアは、素早く横に移動して距離を取る。数瞬後、しなるような動きで地面に叩き付けられた尻尾によって、地響きが起こり部屋が大きく揺れた。
強烈な一撃だが、ソフィアのスピードなら難なく躱せる。あの程度ならいくら振るったところで、ソフィアを捉えることは出来ない。
ティアマットもそう考えたのか、今度は地面を這わせるように尻尾を横薙ぎにする。しかしそれも、ソフィアは高く跳躍して難なく避ける。
「危ないっ!」
戦闘の邪魔になるから黙って見ていようと思ったけど、ソフィアのピンチに無意識に声が出てしまった。
俺の声が聞こえたのか、ソフィアの身体が空中で小さく跳ねる。だけど、顔はしっかりとティアマットの方を見据えているので、忠告の意味がすぐに理解出来たはずだ。
大きく開いた口を向けているティアマットは、空中でゆっくりと落下するソフィアに照準を合わせている。
カオスブレス。
ティアマットお得意の、広い効果範囲を持つ厄介な攻撃だ。空中で身動きの取れないソフィアでは、確実にブレスを食らってしまう。
闇色に輝くブレスが放たれる瞬間、ソフィアの身体が赤い膜に覆われた。
(ナイス!)
今度は声を出さないように、心の中で賞賛する。
ブレスより一瞬早く発動したソフィアのスキルは、【魔法障壁】。魔法は勿論、ドラゴンのブレスにも有効なのでダメージを軽減できる。間一髪、無防備な体勢でブレスをもらうことを避けられたみたいだ。
「ぁっ……?」
しかし、俺の予想に反して目に映ったのは、苦しそうに膝をつくソフィアだった。ブレスの余波で、黒い炎のようなものが身体に纏わり付いている。しばらくするとそれも消えたが、苦痛に顔を歪めて息を荒らげたままだ。
「──ここまでだ」
そんなソフィアの状態を見据えるように顔を向けているティアマットが、そう声を掛けた。
息切れしたように呼吸をするソフィアが、その言葉に悔しげに唇を噛みしめる。
「まだ、我には勝てぬ。
だが、最初の一撃は見事であった」
「ありが……とう……ございます……」
なんとなく優しげな雰囲気を放つティアマットの言葉に、苦しそうにしながらも笑みを浮かべて頭を下げるソフィア。
師匠と弟子のような二人の会話に、目が点になる。
ティアマットってそういうキャラだったのか? 【幻惑の間】って稽古場なの?
二人のやり取りを意外そうに見つめていると、ティアマットが俺に顔を向けてくる。
「次は、そなたか?」
「…………えっ?」
なに……? どういう事?
「そなたも、我と戦うのか?」
「いやいやいや、そんなはずないじゃないですかー。ハハハッ、冗談キツイですよー」
「──そうだろうな」
大袈裟に手を振りながら否定すると、ティアマットは何かを悟ったような物言いで視線を外し、再びソフィアを見下ろした。
「ちょ……ちょっと……シオン。し……失礼だよ……!」
ソフィアは俺の軽い調子の喋り方が気になったのか、まだ呼吸が整っていないにも関わらず、必死に声を絞り出して怒ってくる。
「も、申し訳ありませんでしたっ!」
ソフィアの指摘に姿勢を正した俺は、ティアマットに向かて直角に腰を折って謝罪する。
ごめんなさい……! 弱いからって生意気な態度取ってすいませんでした! 怒らないで見逃して下さい! じゃないと、あなたが弱すぎて俺のステータスがバレてしまいます! あなたが弱すぎて!
「……そうか、なるほど──」
ティアマットは声を出さずに小さく口を動かした後、頭を振りながら『気にしていない』と言ってくれた。
その事にホッと胸を撫で下ろしていると、ティアマットがひとつ喉を鳴らす。
(本当は怒ってるのか!?)と、上げて落とされるパターンを想像して、頭の中が真っ白になりかけた俺の予想に反して、ティアマットは部屋の隅で固まってる冒険者達を睨みつけた。
「いつまで、そうしている。
我との戦いを終えた勇者が苦しんでいるのだ。いくら無力であろうとも、苦しみを少し和らげる力ぐらいは持っているであろう」
そう言って、ティアマットはソフィアから距離を取って下がる。
ティアマットの言葉に、ヒーラーである冒険者が大慌てでソフィアに近づき、【ヒール】を唱える。ソフィアのHPが高いので一回だけだと足らず、何回か掛け続けていると制止を合図に魔法を止めた。
それを見届けたティアマットは、また喉を鳴らして、ソフィアの前に宝箱を出現させた。
「我に一撃を与えた褒美だ」
「そ、そんな……! 受け取れません!」
「よい。持っていけ」
ティアマットからの戦利品に恐縮するソフィアだったが、強く押し付けられると丁寧にお礼をして蓋を開けた。
中に入っているのは、黒龍の鱗。
装備開発で使う素材だ。武器にも防具にも使える。ソフィアの装備がイマイチだから、それを使って新しく性能の良い武具を造れってことなのかもしれない。
「す、すごっ……」
隣に居るマリナがソフィアが手に入れた素材を見て、羨ましげな声で驚嘆する。
物欲しそうにしてるけど、ティアマットから受け取ってる手前、貰うなんてこと出来ないな。ソフィアも自分の装備を新調するのに使うだろうし。また再戦するかもしれないんだから、鱗を使った装備を持ってなかったら、面倒見の良いティアマットが拗ねて怒るかもしれない。
ソフィアが中身をアイテムボックスに入れたのを見届けると、ティアマットの姿が霧がかったように薄くなって消えていく。そして、帰還用の魔法陣が部屋の中心に出てきた。
こういう消え方をするのは、ゲームと同じだ。この場でティアマットを倒しても、モンスターを倒した時のエフェクトを出して消えない。
何故なら、ここが【幻惑の間】だからだ。
つまり、ソフィアが勝てないティアマットは分身で、しかも強さが本体の半分。
とても心配だ。お兄ちゃんはとっても心配だ。
いくらなんでも、分身のティアマットに勝てないとは思ってもいなかった。小さい頃からチート性能なステータスを持ってるせいなのか、ゴリ押し的な戦い方しか出来てない。
ティアマットなんて、安全な間合いを計りつつ氷属性の魔法でちまちま削っていけば、簡単に勝てるようなモンスターなんだ。剣で攻撃するなとは言わないけど、接近したら近距離攻撃の餌食になるし、ブレスも避けられない。真正面から斬りつけるのは得策じゃない。
初めてソフィアの戦闘を見たけど、初心者プレイヤーみたいな戦い方だ。ゲームみたいに、有効な戦い方を学ばせるストーリー手順を踏んでないから、色々な面で未熟なままな感じ。
人類の最高レベルが38だった理由が垣間見える。この世界では、根本的な部分が欠けている気がする。
成長の仕方を知らなさすぎる。
帰還用の魔法陣に集まるよう指示を出しているソフィアを見つめながら、胸の中に広がる不安を抑えきれないでいた。
ストーリー展開どうしよう……。
それでは、お読みいただきありがとうございました。




