五話 分が悪い約束
アーネティリスは、レストはそれなりの身分だと思っていた。
けれども、夕暮れ前にやってきた『迎え』は、確かにこういったのだ。
王子、どうかお戻りください――と。
■ □ ■
家の中に逃げ込んだレストを強引に引っ張り出し、アーネティリスは迎えに来た従者の前に立たせた。彼は必死に、まだ帰らない、アーネとここにいると喚いている。
彼の故郷である国の名前を、アーネティリスは覚えていた。
偶然、その国に住んでいた頃に、流行り病を撲滅してやったのだ。知り合いを助けるための行為だったのだが、気づいたら当時の国王に跪かれるほどに感謝される自体になって。
あぁ、あの時は困惑したと、魔女は回想する。
何でも最愛の王妃も病に倒れてしまい、しかしアーネティリスが救ったと。しかも彼女のお腹には子供――後に世継ぎとなる男の子がいて、その点についても感謝されまくった。
英雄として名を残させてくれ、などの要求を断り続け、渋々了承したのが、王族ぐらいしか入らない場所に飾るための肖像画。……そう、レストが俗に言う一目惚れをしたアレだった。
描かれた、今とさほど変わらない容姿をした魔女に、幼い王子は恋をした。
国の魔法使いに頼み、今の彼女の居場所を知る手段を求めた。魔法使いは渋ったらしいが結局は王子の前に折れ、特別な鏡を作ったという。遠見の魔法をかけた、鏡を。
「……では、あの覗き魔はあなただったのですか、レスト」
あの奇妙な視線は、つまりレストがこちらを見ていた視線だったのだ。だから『見惚れているような視線』と感じたわけだ、とアーネティリスはため息を零す。
最初は見ているだけで満足していて、でも堪えられずに勝手にここまできた、と。
「……バカですか、あなたは」
そこまでの行動力を発揮するほど、好かれるのは悪い気分ではない。
けれど、あまりにも考えなしのおろかな行為だ。聞けば、かの国にいる王子は、レスト一人だというではないか。王妃――レストの母はあまり身体が強くなく、次の子は望めないとか。
レストが次の王。
彼だってそれがわからないほど、幼くないはずだ。
なのに、彼はここに来る前に置手紙を残してきたという。自分はかつて国を救った、あの魔女と結婚したい。そのためなら、王になれなくてもかまわないと。
何ておろかな行為だ。
不安そうに二人を見ている、従者らしい老人の心労を思うと怒りさえこみ上げる。
「レスト。あなたは国へ帰りなさい」
帰って立派な王子になり、王となりなさい。
淡々としたアーネティリスの言葉に、レストは弱々しく震える声で答える。
「でも……ボク、アーネとけっこんする。ずっとそうきめてたんだ。国の恩人だもん、ぜったいに誰も反対しないよ? みんな知ってるんだから、国を救ってくれた、優しい魔女の話」
「何と言われようとわたしは魔女です。今更、人間に戻るつもりはありません。王妃になることで得られるモノが、わたしが積み重ねた魔女としての時間に勝るとも思いませんし」
「だけど……」
「何よりもわたしは、諦めが悪い男が嫌いです。大嫌いです」
帰りなさい、と切り捨てる。レストは大きく目を見開き、背後の従者を見た。背中を向けてしまったので表情はわからないが、もしかすると相手を睨んでいるのかもしれない。
従者は馬車に視線を向け、頭を垂れる。
次に彼は魔女を見て、何かを諦めたようにうつむいた。
レストが『王子』に帰る時間が、やってきたのだ。
「アーネティリスさん」
ふと、マジメな顔でレストが口を開く。
その表情が、だんだんと崩れた。
「大きくなったら、ボクと、けっこんしてください」
泣きそうな顔。くしゃくしゃの表情。今すぐにその身体を抱きしめてあげたい。この森なんてさっさと捨てて一緒に彼の国へ行きたい。――だけど、それはあまりにもムリな願い。
アーネティリスは魔女であり、その名を背負って生きていくと決めた。
そしてレストは王子であり、いずれは王という名を背負って生きていく存在だ。
ただの貴族ならば躊躇い無くついていけたかもしれない。最初は辛いかもしれないが、きっと麻布が染まるように環境には慣れる。だけど、王族――それも未来の王なら話は別だった。
だけど、それを言えば話はさらにややこしくなるだろう。
魔女は欺くものだ。
嘯いて、その気にさせてから手を離す。
「……考えておきます」
だからアーネティリスは、慎重に言葉を選んだ。
その気にさせて、でもすぐにでも手を離せるような言葉を。
「わたしは魔女として存在し続ける事を誓いました。その考えは変わっていません。だけどもしもあなたと次に逢った時、あなたが大人になっていれば、考え方を改めてもいいでしょう」
「……おとな?」
「えぇ。まずは初対面ですらない人を魔法で覗き見るのは止めなさい。……わたしは気にしませんが他の方がどう思うかわからないでしょう。あと、無言で接吻するのもお止めなさい」
「うん」
「それからですね、えっと……そう、礼儀正しくしなければいけません。王となるなら常に相手の側を思いやるような、心優しい男になりなさい。決して無理強いなどしてはいけません」
「うん」
がんばる、とレストは力強く答えた。
遠くにいる老人が、感謝するような目でアーネティリスを見る。
きっと彼が似たような事を言っても、あまりまじめに聞かなかったのだろう。
素直にがんばると言い、張り切っているレストを、老人は嬉しそうに見つめていた。
それを見て、アーネティリスはさらに続ける。
「あなたがこれらを自然と守れる、よい大人――よい男になったら、魔女を辞めて人間に戻っても構わないと思えるかもしれません。あなたのこれからの頑張り次第という事です」
「ボクの、がんばりしだい……」
レストは自分に言い聞かせるように、ボクしだい、という言葉を繰り返している。それをみながらアーネティリスは、襲い掛かる痛みに泣き叫んでいる自分の心を必死に隠していた。
我ながら酷い女だと、アーネティリスは自嘲の笑みを零す。
よい大人、よい男か否かを選定するのが彼女。レストがどんな風に成長しても、アーネティリスが首を縦に振らない限り、彼は『認められていない』という事になる。
何度、首を横に振られても……レストは諦めず来るだろう。
そのたびにアーネティリスは首を横に振る。何十回でも繰り返そう。それで彼が本来あるべき運命を掴んで、国を背負う王となる未知を選んで、魔女という存在を諦めてくれるのなら。
子供相手に酷い事を仕組んでいる自覚はある。憎まれるのは覚悟の上だ。
だけど、こうでもしないとレストは諦めないだろう。
レストはいい意味でも悪い意味でも、一途で頑固者な少年だ。
……まるで、魔女以外になる事を拒み続ける、アーネティリスのように。
自分の事など諦めて、普通の結婚をしてほしい……。
そう願う一方で、思う。
もしもレストがそんな青年に成長して、自分の元へ再び現れたとしたら。その時こそ、アーネティリスという名の魔女が、この世界から完全に『死ぬ』瞬間ではないかと。
本当に立派になった彼の姿を見た時でも、自分はちゃんと首を横に触れるだろうか。
レストは俯いて、泣いているようにも見えた。その姿に心が痛む。だけど彼はいずれ一国を背負う王となるのだ。それなりの家柄の令嬢と結婚する事が、彼にとって最良の選択。
従者の老人が馬車と二人を見て、急かすような目をする。
俯いたままのレスト。彼がようやく口を開いた。
「……アーネ、やくそくして」
「約束?」
「もしもアーネがきにいるおとなになったら、ボクのおよめさんになってくれるって。まじょをやめて、森を出て、けっこんして、ボクとお城でくらしてくれるって」
それは精一杯の強がりのようにも見えた。もしかしたら、どんなふうに成長しても断るつもりなのだと、彼にはわかってしまったのかもしれない。それでも『約束』を求めたレスト。
アーネティリスは少し迷って、答える。
「……えぇ、約束します。自信がついたらこの森を尋ねなさい。わたしは永久を生きる魔女ですから気は長い方です。あなたが死ぬまで待ち続け、この森にずっと住まい続けましょう」
アーネティリスはそう言って笑うと、俯いていたレストの頬に唇を寄せた。ぴく、とレストの小さな身体が震える。自分から接吻してきたのに、何を恥ずかしがっているのだろう。
くすり、とアーネティリスは笑みを零す。まるで彼が自分を攫ってくれる日を、立派に成長したその姿を自分に見せてくれる事を願うように。口で言う事と、思う事がバラバラだった。
それから彼の耳元に囁いた。
「見事、わたしを森から引きずり出して御覧なさい、未来の王様」
それは本当なら告げるべきではない――彼女の『本音』。
言わなくてもいい本音が、この森から魔女を消すのは……少し先の話になる。その時、魔女は散々暴れて、抵抗して、絶対にイヤだと喚いて。この日の立場が逆になったような有様で。
けれど最後には、王となる彼について――魔法を捨てて、森を出た。
責任を取ってちゃんとわたしを養ってくださいね、などと言い、微笑みながら。




