四話 強くて甘い毒
息をするようにため息を零しながら、アーネティリスは納屋の扉を開けた。
納屋の中にあった大きめの籠に、干し肉をいくつか入れる。せっかくだから、昼食用に多く作っておこう。今は気候が落ち着いているので、夜まではムリだろうが昼までなら大丈夫だ。
あとはチーズも。他に何かあるかとアーネティリスは考え、納屋の一番奥に置かれた複数の小さな樽の前に向かった。ここではピクルスなどを作っているのだが、今の目当ては違う。
「うまく漬かったかしら……」
他の樽と比べると真新しい樽の上に、ずっしりと乗せてある石を魔法でどかす。ほどよく水分が抜けてくったりとした野菜を見たアーネティリスは、満足そうににんまりと笑った。
それを一つ引っ張り出して水分を絞る。かなり力を入れても千切れる様子はない。それからふたをして、魔法で重石を元に戻した。取り出した野菜は籠の中、干し肉の隣に置く。
これは『漬物』という、東の国に伝わる郷土料理らしい。
いや、料理と言うよりも保存食かもしれない。古い知り合いが向こうの国の住民とかなり親しいらしく、その縁から一年前に口にしたのだが……これがなかなかに美味だった。
わざわざ『白菜』なる野菜の種を取り寄せて、今年の冬に作ってみたのだ。
野菜と塩を馴染ませて樽に敷き詰め、重石をするだけという簡単なモノ。
けれど絶妙な塩加減が旨味を引き出している。
実は東の国の主食である白米はあまり好きではなかったが、今では市場で見かけると購入してしまうほど好きになった。白米と漬物の相性は、ワインとチーズに勝るとも劣らない。
もし引っ越すなら、向こうに行ってしまうのも悪くないかもしれない。
やはり本場の味こそが一番だ。まぁ、今すぐどうこうと言うわけではないのだから、もう少し身辺が落ち着いてからでもいいだろう。今はヘタに動くと監禁されかねない。
どこかの王族がどうしてもアーネティリスを、と煩いのだ。レストと出逢った日に来ていたのもその国の関係者。確かひと月に一人か、多い時だと二人以上が尋ねてきている。
かの国は魔法の技術開発が進んでいて、ごく普通の魔女など要らないはずだ。わざわざ何度も足を運ぶだけの価値――特殊な技能や魔法は、アーネティリスには無いはずなのだが。
満たされた特権階級の連中が考える事は、ただの魔女にはわからない。
「さてと」
アーネティリスは若干重くなった籠を抱えなおし、とりあえず一度家に戻る。野菜も取ってこようかと思ったのだが、籠の中に入る余裕が見当たらなくなってきた。
なので一度、台所に肉や漬物やチーズを置いてこようと思った。
「……あ」
扉を開けると、ふわっとパンが焼けたいい香りがしてくる。レストは椅子に座ってオーブンの方をジーっと見ていたが、アーネティリスが入ってきたのを見て、嬉しげに笑った。
けれど、レストは意味ありげに笑っているだけで、何も言わないし近寄りもしなかった。
どうやら褒めてほしいらしい。
「ちゃんと仕事ができたのですね」
「うん。だってアーネがおねがいって言ったもん。あのね、すきな人のおねがいは、どんなにむちゃでも聞くのが男なんだって、おとうさまが言ってたんだよ。だからがんばった!」
「……そ、そう。偉いですね」
無邪気すぎるくらい無邪気な笑顔。うっかり飲み込まれそうになってしまう。慌てていつもの口調を意識して使いつつ、アーネティリスはからになった籠を手に再び外へ出て行った。
開いた窓からパンが焼ける香りと、小さく聞こえるレストの鼻歌。
それを聞きつつ、アーネティリスは考えていた。
お父様――という父親の呼び方に、未だ語られないレストの身分が見える。
もしかしたらレストは貴族や王族が主催する晩餐会などに出る、つまりは特権階級の子供なのかもしれない。そういう家の子は男児でも、正装の時に髪を結うために伸ばすと聞く。
庶民の男児が髪を伸ばす、というのは少し変わっている。レストの身分に関する推測は当てずっぽうな妄想、というわけではないと思う。本人の話無しに断定はできないが。
……まぁ、今は朝食の準備が優先だ。
野菜を取るのには思ったより時間がかかる。洗うなどの作業で時間を浪費し、焼きたてのパンが冷めては美味しさが半減だ。パンは焼き立てこそが美味。だから早く戻らなければ。
町まで行くのが面倒で作ってみた菜園。
耕すのも肥料を与えるのも魔法任せなのだが、収穫だけは自分でやっている。
前に一度、体調を崩してうまく魔法が使えなくなっていた時があった。その時にアーネティリスは、初めて自分の手で野菜を収穫した。あの感動は忘れる事などできない。
それ以来、他のどんな作業を魔法で済ませたとしても、収穫だけは自分の手で行う。他の作業も自分でしろと言われそうだが、生憎アーネティリスにそこまでの体力は備わっていない。
「よっと……」
寒い時期が終わってから植えた根菜を収穫する。初めの頃は力を入れすぎて、抜けた時に勢い余って後ろに倒れたりもしたのだが、さすがに長年育てていると力加減も学んでくる。
アーネティリスが引っこ抜いたのは丸い芋。
これはほくほくしていてとてもおいしいのだが、その『ほくほく』になるまでに時間がかかるので今からでは少し遅い。後で湯がいて皮をむき、お昼ご飯のサラダにでもしよう。
朝ごはんのサラダは生にする。
塩とコショウと油で作る簡単なドレッシングをかけて、あっさりと。
「これでいいかしら」
玉葱とキャベツを芋が転がる籠に押し込み、母屋に戻る。そろそろパンが美味しく焼きあがった頃合だろう。魔女特製のオーブンの調理時間は、普通のヤツの約半分ほどだ。
握りこぶしほどの大きさのパンなら、十数分で焼きあがってしまう。
「レスト、パンの具合はどうですか?」
「おかえりなさーい。あのね、もうすぐやけそう!」
オーブンの前で嬉しげに飛び跳ねるレストに、危ないから離れなさいと注意する。それからとってきたばかりの野菜を置いて、家の中に作ってある小さめの井戸から水をくみ上げた。
水で土を洗い落とした野菜を四つに分け、そのうちの一つの葉を一枚一枚剥ぎ取る。
それをさらに小さく千切りながら、アーネティリスはレストを呼んだ。
「パンはもういいので、今度はこちらに来てサラダを作るのを手伝ってください。この容器にドレッシングの材料を入れるので、しっかりとふたを閉めて力一杯に上下左右に振るのです」
「はーい」
てこてこ、とレストは駆け寄ってくる。早く早くと急かすのを宥めつつ、空き瓶に油と塩と胡椒を入れて渡した。落とさないようにと言いつつ渡すと、レストは勢いよく振り始めた。
それを見ながら、アーネティリスは思っていた。この感覚――自分以外が同じ家にいる事に嫌悪感が無くなったのなら、初めての弟子を迎えてもいいのかもしれない、と。
もちろん、それをレストにするかどうかはわからない。
ただ、気付かせてくれた事には感謝しよう。
■ □ ■
食後の紅茶はレストが淹れてくれた。
やはりそれなりの家柄の生まれなのか、淹れる作法が洗練されている。
レスト本人は『知り合い』に教わったままにしてるだけだよー、と言っているが……その知り合いとやらはメから始まる、給仕などの専門職なのではないかと思っている。
子供が淹れるにしてはなかなか美味な紅茶を飲みつつ、アーネティリスは今後の事を考え始めていた。最優先事項は、やはりレストの身元をはっきりさせる事だろう。
当たり前のように食事を共に取ったが、まだ彼が『どこに住む何者なのか』さえアーネティリスは知らない。ただ、少なくともレストがアーネティリスを知っていた事は間違いない。
どこで彼と逢ったのだろうか。前は晩餐会などにも招待されていたが、それも百年近く昔の話になる。彼が人間ではない存在でもない限り、そういう場所で出逢う事は無いだろう。
可能性としては道などですれちがった、という事が一番高い。
しかし名前を知っていた、という事が引っかかった。
名前を知っているという事は、どこかで彼女を知る何者かに話を聞いたのだろう。だが彼女の名前と住まいを知る者は少ない。特に住まいを知っているのは、古い知り合いだけだ。
「……誰かが、漏らしたのかしら」
たまに尋ねてくる――もとい押しかけてくる連中は、たぶん誰かがこそりと漏らした、あるいた漏らしてしまった情報を元にわざわざ尋ねてくるのだろう。……鬱陶しい事この上ない。
まるで何かの詐欺に引っかかった者の情報が闇に流れ、それを元に別の詐欺師が同じ人物を引っ掛けていく……という悪循環のようだ。その中心に自分がいると思うと、眩暈がする。
深くため息を零すと、心配そうなレストの顔が目の前に迫った。
「アーネ、どうしたの?」
「いえ……何でもありません。それより」
「?」
「レスト。あなたは『誰』ですか」
ずばっという、肉を切り裂くような一言。
レストはぽかんとしたままだ。絶句と言うよりも、アーネティリスの言葉の意味が頭の中まで届いていない感じ。えっと、という戸惑いを含むような小さな声さえ、出てこない。
だが、これまでの経験でアーネティリスはわかった。今まで相手をしてきたのは一癖どころか十癖くらいはありそうな、一筋縄では話もできないような連中ばかり。
だがレストは彼らとは何もかもが違った。
ヘタに回りくどい事を言ったところで、表面の意味しか受け取らないだろう。
彼に言葉を届けるには、真っ直ぐな言葉でなければ。
「……ダレ?」
「ですから、レストの事をもっと詳しく教えてほしいのです。あなたはどこに住んでいて、どういう身分で……どうやってわたしという存在を知ったのかを」
「えっと、それっておむこさんだってみとめてくれたから?」
「……認めてほしいなら、せめて素性くらい明かしなさいと言っているのです」
これで通じないとすると、細かく質問しなければいけない。
子供の相手は疲れる。一瞬そろそろ、と思ったが……やはり弟子を取るのはやめようか。
同じ立場になって、亡き師匠の偉大さをより強く理解する。
アーネティリスだって、最初から聞き分けがいい子供だったわけじゃない。自分で言うのもなんだがレストより酷かっただろう。むしろ頭がよかったぶん、生意気だったに違いない。
そんな『生意気なガキ』を、一人前の魔女に育て上げてくれた師匠。
アーネティリスは必死に思い出そうとした。まだ師弟関係になって間もない頃に、師と交わした会話の内容を。師が幼い弟子のために、あれこれと選んで使っていただろう言葉達を。
「まず名前――は知っているので、住んでいる町の名前は何ですか?」
「町の名前はしらないの……すごく大きな町だよ。そこからばしゃでみなとに行ってね、大きなふねにのってきたの! アーネにあいたくて、はじめて一人でのったんだよ!」
「……何度か船に乗った事があるのですか?」
「うん。おとうさまとおかあさまがね、がいこくのパーティによばれるから」
別の大陸からやってきた。両親は健在。
そして外国のパーティ。
アーネティリスは得た情報を頭の中に書きとめながら、徐々に見えてきたレストの素性に驚いていた。もしかすると……なんて事は無い。ほぼ間違いなく一般人じゃない。
……何というか、困った事になってきた。
わかったようでわからない。
レストがウソをつけるような子供だとは思いたくはない。
確かにレストは苦手なタイプだ。今だって完全にペースを乱されている。普段なら『こちらを騙すための演技ではないか』と疑うべき言動を、今の彼女はどうしてもそう思えない。
困った事になった。
全部が本当だと思えないのに何一つ疑えないなんて、矛盾にも程がある。
軽く頭を振ったアーネティリスは、この質問の時間を長引かせる事を諦めた。
「それで、どうしてわたしを知ったのですか? 酷い事を言っているかもしれませんが、わたしにはレストと逢った覚えが無いのですが。長い間、パーティの類にも出ていませんし」
結局、彼の身元よりもそっちが気になっていた。もしかしたら誰かが情報を、悪意を持って流しているのかもしれないからだ。犯人を見つけ出して、それ相応の報復を与えたい。
考えられる候補は、いくつか思い当たった。
恐ろしいのは、彼らの動機はおそらく――行き過ぎたおせっかいだろうことだ。弟子も取らずに一人でいるアーネティリスに、せめて弟子を、良ければ伴侶を、という魂胆だろう。
もちろん、ちょっとした嫌がらせという目的も数割は含まれているに違いない。とはいえそこら辺はアーネティリスと、犯人の間のこと。レストは、関係ない。
「えっと……」
レストは不安そうに視線をさまよわせ、ゆっくりと語りだす。
「あの、ね。じいやが教えてくれたんだよ。昔、お世話になった魔女がいるんだって。肖像画も見せてくれたの。それから、ずっとアーネにあいたかったんだ。好きになったから」
「……」
肖像画――そういえば、何度かぜひモデルに、と乞われた記憶がある。感謝の意がこもっていたので断りきれず、世界に何枚かはアーネティリスを描いたものが存在しているはずだ。
そのうちの一つを今も所有する家があって。
この子供は、レストは、その家の子……なのだろうか。
「あのね、ボクはアーネが好きだよ」
ぞくりとするほどに真剣な目で、レストはアーネティリスに告げる。
この子は、本当に子供なのか。そんな疑問が魔女の心の中に浮かんできた。それほどに、彼の言葉には重みがある。必ず望んだ未来を手繰り寄せる、という自信のようなものが。
あぁ、と、アーネティリスは目を閉じる。
遅すぎたのだ。
逃げるには、あまりにも遅すぎた。
自分は、彼の言葉を聞きすぎてしまった。感じすぎて、接しすぎて。
たった一晩。けれどもそれは、レストという存在をこの心に刻み込むには、充分を通り越して余るほどの時間。たとえ彼の願いが叶わずとも、きっと――この心は彼を忘れない。
まっすぐ過ぎるほど、まっすぐな言葉。
孤独を感じつつも忘れていたアーネティリスの身に、それはあまりにも強い毒だった。
もしも長い時間を生きていなければ、二つ返事でその手をとりかねないほどに。純粋に寄せられる心という名の甘く強い毒は、ゆっくりと彼女を侵していった。




