二話 最年少の求婚者
――魔女、あるいは魔法使い。
それは多種多様な能力や才能を持ち、そうでない者達よりも長い寿命などを手にしている存在の事だ。自宅にいながら遠くの光景を見る事など朝飯前。中には相手の『真名』を知るだけで呪いをかけられる、という能力を持ってしまった恐ろしい魔女や魔法使いだっている。
だが、特殊な能力や才能を持って生まれた代償は大きい。彼らは常に人間達から『自分達と姿形がよく似た別のモノ』として扱われ、時に忌まれ、時に崇められ。
まるで数日で入れ替わってしまう流行の如く、その存在は常に荒波の中にいた。
もちろん、中には国家に仕えて確固たる地位を手に入れた者もいる。それどころか過去の文献には国王の側室やら正室やらになった、という魔女までいたとされているほどだ。
魔女に限らず、玉の輿は憧れだ。自らを高める作業――例えば寿命を延ばす薬品精製などにはどうしても金が要る。それも原材料などを含めると、小さな一戸建てが買えるほど要る。
そうなるとどうしても『玉の輿』が、究極の手段となってくるわけなのだが。
「お断りします」
今日もアーネティリスは客人を、顔も見ないうちに追い返していた。相手は名前を聞いた事も無いどこかの国の高官で、どうやら国王がアーネティリスを宮廷に招きたいらしい。
魔女としてなのか、妻としてなのかは知らないが。
どちらにせよアーネティリスに結婚する気など微塵も無い。前からこういう縁談のような話は持ち込まれたが、いつも姿さえ見せず家にもいれず、酷い時には森にも入れずに追い返す。
さすがにこれだけ失礼な態度を取れば、どんな温厚な人間も怒って帰るはずだ。もしもまだ帰ろうとしない時には、魔法を使って脅し、追い返すという荒業の使用も考えなければ。
ぱちち、と迸る魔力が指の間で小さな音を立てる。魔女が魔力の音を鳴らすのは殺気をあらわにしているのと同じ事だ。アーネティリスの場合は脅す目的だが、いざとなれば……。
「と、とにかく考えて損は無いお話ですよ! いいですね!」
苛立った声を残して高官は去っていく。
幸いにも今回は大人しく帰ってくれたらしい。
脅すという事を考えたアーネティリスだが、本来の彼女は戦いを好まない。だからこそこんな辺鄙な場所に引き篭もっているのだ。それでもこの手の話は絶えず舞い込む。例の奇妙な視線の事もあって、彼女の胃がキリキリと泣くように痛み出すのも時間の問題かもしれない。
重くため息が零れる。
慣れ親しんだ場所だったが、引越しも考えないといけないのだろうか。少し離れた場所だが大きな港町もあるし、辺鄙といっても不便ではなかったので気に入っている。今までで一番長く過ごした場所だったし、アーネティリスはできる事ならこの森から離れたくは無かった。
けれど、こうも頻繁に招かれざる客が来ると……。
「……引越し、考えますか」
寂しいがそれも仕方が無い。いずれほとぼりが醒める頃に、また戻ってくればいいだけの話しだろう。それまで森が失われないように、結界でも張ってしまうという手もあるか。
そんな事を思いながら、アーネティリスは家の中を見回す。
魔法で時間をかけて変形させた木の家と、同じく魔法で作り出した質素な木の家具。かまどには火が灯り、朝から煮込んでいる夕食用のスープがよい頃合になっている。
そっと触れた壁は暖かく、家の中に入ると包み込まれるような安らぎを得られた。何十年もかけて作り出した自分だけの家。見習いだった頃に、独り立ちを夢見て作った大切な家だ。
どうして誰も、自分をほっといてくれないのだろう。
アーネティリスは崩れるように座り込む。
一時でも家を手放したくない心と、来客に耐えられない心。二つが彼女を苦しめた。いっそ知り合いの魔女のように引き篭もるという選択を、迷わずに選べたらいいのに。
他人の関わるのがイヤで、だけど一人ぼっちもイヤ。
何てワガママな……アーネティリスは、恥じるように自分の頬を叩いた。
「……さてと、食事の準備をしないと」
落ち込んでいても仕方が無い。こんな迷いは、もう何十年も抱えてきた。だからこそアーネティリスにはわかる。少し悩んだくらいで、落ち込んだ程度で、何とかなる問題ではないと。
だから今すべき事を彼女は優先する。
まずは夕食の準備の続きだ。
スープはもう完成しているので、後は主食となるパンを焼けばいい。
生地で保存してあるので、外の納屋から取ってこなければ。こういう時に魔法は地味に便利だったりする。普通なら作り置きできないものでも、ある程度ならばそれが可能だった。
パンの生地を作るのには時間も体力も必要だ。町暮らしなら毎日プロが丁寧に生地を仕上げて焼き上げたものが手に入るが、こんなところでは毎日買いに行くのは不可能に近い。
だからある程度の量をまとめて生地を作っておいて、魔法で保存しておかないと何かと面倒だった。専用の納屋作成には時間がかかったが、おかげで楽になった。
生地をこねるための板と、板に生地がくっ付かないように振り掛ける小麦粉。最後に紙を敷いた平たい籠と生地を切り分けるためのナイフを持って、アーネティリスは納屋へ向かった。
納屋は家の隣にあって、パンの生地以外にも保存できる食材――チーズや穀物などを整理しておいてあった。ねずみなどに食い荒らされないよう、かなり頑丈な素材で作られている。
重い木の扉を押し開け、一番奥に置かれている棚に向かった。チーズと間違えないように細長く整形した生地を、握りこぶしほどの大きさにトントンと切り分けていく。合計三つ。
それをくっ付かないように籠に入れてから、アーネティリスは足早に家に戻った。
「……」
納屋に入っていたのは数分にも満たない。
そのわずかな間に、家の前に一人の子供が出現していた。
子供はじーっとアーネティリスを見つめているが、彼女には見覚えなど無かった。見た事があるかも、という錯覚さえ起こさない。もしかして幻を見ているのだろうか。
空いている方の手でグシグシと目元を擦る。ついでに頬を軽く叩く。寝ぼけていたならコレで目が覚めるだろう。閉じている視界が開かれた時、そこに子供は――やはりいた。
「誰ですか、あなた」
「……」
アーネティリスは意を決して話しかけた。いや、怒鳴りつけているに近い声音だ。口調や声のトーンこそ普段通りに穏やかだが、声が含んだ色は冷たくどこまでも刺々しい。
その声に萎縮してしまったのか、子供は怯えたような顔で口をつぐんだ。
だが、アーネティリスは油断しない。相手を『子供』だとみなしていないのだ。
あの森を抜けてきたのだ、相手は人間ではない可能性がある。悪魔など喰らった魔女や魔法使いの数で、悪魔としての格が決まると言われているし、とにかく油断してはいけない。
子供の姿をした悪魔――笑えない冗談だ。
「喋れないんですか? それとも喋りたくないんですか?」
「……」
「わたしの話が聞こえていない、という事ですか? それとも聞きたくないのですか?」
「……」
責めるような声を飛ぶたび、子供はびくっと震えて俯いていく。本当にただの子供だったのかもしれないと思いながら、それを認めない心に従って彼女はさらに冷たい言葉を放った。
「これだけ質問しても、身振り手振りすら返さない、そんな人間は大嫌いです」
「……!」
びくっと子供の小さな身体が振るえ、その大きな目がアーネティリスを捕らえた。少しキツく言い過ぎてしまったのだろうか。子供の瞳はわずかに潤み、さすがに罪悪感が芽生える。
「あの、ボク……」
「な、何ですか?」
「あう……」
思わなかった展開に焦りつつ、アーネティリスは子供に話しかけた。けれど声にはまだ冷たい鋭さが残っていて、それを聞いてしまった子供が顔をくしゃっと歪ませてしまう。
しまった、と思った彼女は籠を地面に置くと、子供の前で膝を付いて目線を合わせた。高いところから見おろされるのは、思った以上に相手に対して威圧感を与えると聞いたからだ。
「少しキツく言い過ぎましたね。ごめんなさい。もしかしてあなたは迷子ですか?」
それからぽん、と子供の頭を撫でる。
慣れない笑みを浮かべて、優しく声をかける。
これで落ち着いてくれるといいのだが……何しろ子供と接するなんて、これまでの人生で何度かあったかという程度。さっきとは別の意味で、ますます油断できなくなってきた。
「もしもそうなら、わたしが近くの町まで送ってあげましょう。でも今日はもう夕暮れですからね、わたしの家で休んでおいきなさい。お腹もすいたでしょう?」
子供が恥ずかしそうに俯いて、こくんと頷いた。何とか状況はよくなってきている。明日の朝食に食べようと多く作ったスープだが、もしかすると残らないかもしれないと思った。
にこっと、引きつりそうなほどの笑みを浮かべたアーネティリス。
「明日になったら――」
送ってあげますね、と言いかけた口を塞がれてしまったので、必死に優しくなるように気を使ったその声が喉から出て行く事は無かった。呆然と、唇を塞がれたまま固まる。
何をされた。
何をされている。
頭の中が真っ白だった。成功すると思っていた実験が、ありえない失敗で終わってしまった時以上の衝撃だった。どうすればいいのかわからない。唇は塞がったままだ。
――接吻。子供は少し背伸びして、アーネティリスの唇を奪い去った。
世の中の少女のように、初めてというヤツへのこだわりは無い。そもそも、そんな事をしあう相手を見つける気は無かった。それでもさすがに、子供に奪われるとは思わなかった。
その衝撃は、かなり大きい。
「あ、アーネティリスさん!」
「……」
とても強さに溢れた声。今ならわかる。この子供は、少年だった。全体的に柔らかそうな髪が長かったので、てっきり男の子っぽい格好の女の子だと思っていたが……違う。
それを理解してもなお、アーネティリスは固まったままだった。
我が身が置かれた状況を理解しているのに、肝心の身体がついてこない。
その間も子供――いや少年は、あれこれと何かを言っている。
それらのほとんどが頭に入らなかった。聞こえてはいるのだが、それを記憶するだけの余力が彼女の中には無かったのだ。現状を受け止めるだけで、もう精一杯という感じである。
頬を赤く染めた子供は、呆然としたままのアーネティリスの手を握る。
何を言うのだろうと、傍観者になりつつある意識が呟いた。
「ボクとけっこんしてください……っ」
それは、アーネティリスの長い人生の中で、ダントツで最年少の求婚者だった。




