一話 覗き見の犯人
彼女は『魔女』だった。そして同時に『賢者』だった。
長く生きすぎ、モノを知りすぎてしまった娘。時に冥府と繋がった樹海とも呼ばれる、深い深い森の奥でひっそりと暮らし、人々から時に頼られ時に恐れられる存在。
それが彼女――魔女アーネティリス。
どれほど長く生きているのかは、本人にしかわからないだろう。少なくとも百年やそこらではない事だけは、数々の噂話から容易に推測はできる。大昔に栄えた大国に生まれ育ち、魔女になる前からかの国の王族の主治医をしていた、という話さえも伝わっている。
普段は外出する事が無い彼女だが、久しぶりに遠方――馬車と船を乗り継いだ別の大陸にいる知り合いの魔女に会い、互いが専門とする分野を用いて作った薬品を交換してきた。
アーネティリスが持っていったのは、麻酔を始めとした医療に使うためのモノ。
相手はとある国の王族に仕える呪い師をしていて、彼女が交換に差し出したのはもちろん呪術に関する薬品類。薬草が微量に含んでいる毒素を抜き取るために使う専用の薬品だ。
毒素を抜き出す薬品は専用の機材や設備を必要とする。アーネティリスのようにどこにも属さない魔女には、とても自力で作り出せるようなシロモノではない。
だから定期的に知り合いと交換している。相手もまたアーネティリスが作る薬品を実験などに使っているらしい。薬の類はともかく麻酔をどう使っているのかは不明だが、毎回『やはり貴女の作るものが一番だわ』と言われるから、喜ばれているのは間違いなさそうだった。
ともかく、これでまた一年ほど実験やら何やらに没頭できそうだ。
向こうの大陸で手に入れてきた専門書をじっくり読み耽るのもいいし、馴染みの業者に頼んで布や糸を手に入れ、趣味の裁縫に没頭してみるのも悪くない。
ただ外出するのは当分先だろう。しばらくはどこにも行きたくなかった。
俗世と関わると、決まってロクな事にならない。
色恋も政治も、世の中の何もかもが煩わしく感じられる。
普段は『魔女』を忌み嫌いながらも、原因不明の疫病の類が蔓延すると大金を持参して特効薬を求める人間。浅ましい。浅ましいにも程がある。なんて自分勝手で、愚かな命だろう。
一歩、足を前に進めるたびに、そんな連中と離れていける。
彼らと関わった事で穢れた自分が浄化されていく。
普段なら喜びを感じていただろうが、今はそれところではなかった。
■ □ ■
「ふぅ……」
先ほどから続く現象が今も在ると気づき、アーネティリスは小さくため息を零す。
時刻は夕暮れの少し前。空の一部が若干茜色を帯び始めてきた。一番小さなタイプの馬車も通れないような道の先にあるのは、もはや彼女が住まう家を取り囲む広大な森のみ。
その森の入り口もすぐ目の前まで迫っていた。
あと数十歩で、アーネティリスは森の中だ。
誰もが恐れる『魔女の森』に、好き好んで近寄るような人間はいない。そもそも魔女自体が人間から忌み嫌われたり、畏怖されたりする存在だ。積極的に関わるモノなどいない。
だから誰かにじっと見られる、なんて事はアーネティリスでさえ未経験。それも蔑む目や奇異の目ではない、まるで見惚れているような視線を向けられるなんて事は今までなかった。
だが、今日は違っていた。港から近くにある町を通過する定期馬車に乗った頃から、ひしひしと背中に突き刺さる不可思議な視線。何度か振り返ろうと思ったが、それに意味はない。
視線の主は、この場には存在していないからだ。
定番の水晶やら水鏡までありとあらゆる手段があるから、どういう術式を用いているのかまではわからないが、間違いなく視線の主はどこか別の場所からアーネティリスを見ている。
相手の実力にもよるのだが、それ専用の魔法陣を用意し術式を組めば、どこの誰が術者なのかを突き止める事も不可能ではない。もしもこのままついてきたら探り当ててやろうか。
くすり、と笑みを零した――その直後だった。
「……あ」
彼女の考えが伝わったかのように、あれだけしつこかった視線が消えた。まるで『お前は自意識過剰だね』と、蔑みながら言われたような感覚。そう思うとふつふつとお湯が煮えたぎるように腹が立ってきて、アーネティリスは久しぶりに『魔女』としての本質をあらわにする。
どうやって出し抜こう。
どうやって自分の目の前に引きずり出そう。
何の代わり映えのないこの日々が、少しだけ楽しくなってきた瞬間だった。




