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Chaos Blood  作者: 水々火々
第一章 商業都市ブルドオムス編
9/18

第八話 再戦の行方②

 この物語はフィクションです。

 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。

 そこは光の入る余地のない漆黒の場所だった。そして周りを囲むように聞こえる蠢くものの這いずる音。常人であれば、一瞬でもいれば発狂してしまいそうな空間に、オウカは一人平然と立っていた。彼にしてみれば、よく見る夢の場所と酷似した空間であるため、心が壊れることはない。いや、何も感じない事から既にどこか壊れているのかもしれない。

 現状のオウカはシィーアの攻撃でダメージを受けていた。右頬と左腕に小さな裂傷が生新しく出来て、血を滲ませている。無傷で終わる戦いだとは彼も思っていなかったが、完全に僅かな隙を見破られ、彼女に一本取られた状態だ。

「しかし、シィーアのやつこんな奥の手を隠していたとはな」

 答えのない呟きを口にする。その色合いは感嘆に彩られていた。

 茨の剣でも斬れない頑強さもそうだが、その操作の汎用性に感心していた。武器にもなれば、防具にもなる。近接戦が主体かと思えば、遠距離戦もこなす。これほど戦いに向いた能力はない。

 この都市ではそのままでも実力者としてトップランクに入るのではないかと自分では思っていたが、それは過大評価だったようだ。自分もまだまだ経験不足だと、身を以って実感させられた。それでもシィーアとの戦いは楽しい。まるでびっくり箱のような意外性を持っている。もっと戦いたいと思うのだが、時間がないのは確かだ。

 オウカの周りには確実に距離を狭めて、その圧倒的な物量を以って蹂躙しようとする茨の壁が徐々にだが迫っている。周囲の音から推測するに、彼との距離まであと二分くらいしかない。それまでにこの窮地を脱する術を見出さなければ、死ぬことはなくとも戦闘の継続は不可能となる。

 オウカは静かに呼吸を整えると、現在使用しているギフトを全て解除した。勝負を投げ出したかに見えるこの行為は、彼がこれからやろうとしている事に必要不可欠のものである。

 手探りで普段は服の中に隠すようにしている四本のネックレスの中から、目的の一本を探し出す。周囲が暗闇で閉ざされようが、瞳を閉じていようが慣れ親しんだ感覚の前では、間違える要因が見当たらない。オウカは目的のネックレスを取り出すと、先端に取り付けてある物を意識したが肝心なその先が続けられない。手が震えるのを彼は止めようとするが、止まらない。先程の戦闘の高揚感がどこかへ行って、代わりに泥にも似た負の感情が入り込んでしまったかのようにオウカの思考は沈んでゆく。

 嫌悪しているこの力を使えば、この程度の壁など紙屑同然に消し去る事が出来るはずだ。それは解りきった事実なのだが、ミレットたちに自分の秘密をさとられる可能性がある。もし覚られなくても、きっと疑問に思うだろう。彼はどうやってこの危地を乗り越えたのかと。そして、その力の秘密は何なのかと――。

 それに対して、ミレットなら自分の都合の良い嘘を信じてくれる、と思ってしまう辺り最低な人間だと思う。過去にこの力で散々な目に遭い心に傷を負った自分が、今度は仲間を騙すために相手の心を利用する。これ程、滑稽な事があるだろうか。

 ネックレスを握るオウカの手から力が抜け、シャランと軽い音をたてて胸元で微弱に揺れる。自己嫌悪に浸っている時間は無いのに、踏ん切りがつかないまま彼は立ち尽くすしかなかった。

 接触まで残り時間が一分を切った時、棒立ちのオウカの脳裏に昔の事がふと思い浮かんだ。『いくら無双の力があろうが、使う者の心が弱ければそれは無用の長物であり、持てぬ者からすれば立派な罪となる』と。これは剣を指南してくれた師が、以前オウカに言った言葉だった。師は清廉潔白を信条とし、その言葉に恥じぬ生き方をしていた。師事を受けながら、オウカもそうなれたらと何度思ったか分からない。結果、彼には無理だと理解出来た。

 人に自分自身の過去をそして秘密を知られることに恐怖を感じる者が、清廉潔白を謳うとは片腹痛い話だ。既にこの身は堕ちている。生まれ出でた時から、それは変わらない。

 オウカは誰もいない空間で愚かな自分を自嘲しながら、このまま茨の壁に呑み込まれるのも悪くないと諦めかけた瞬間、その声は聞こえた。

『主は、それでよいのか?』

 姿は見えないが、その声からシィーアだと分かった。オウカは周りを見渡すが、どこもかしこも闇一色。特にこの〈蝕縛しょくばくの園〉を解いた訳ではないようだ。未だに茨の蠢く音は響き、侵食は続いている。つまり彼女の声だけがここに届いているのだ。

「……何がだ?」

 彼の質問はひどく簡素なものだった。それでもシィーアは再び聞き返す。

『主はあの時、シィーアに言ったであろう。全力でやらないとお互いにすっきりしない、と。だから、もう一度聞く。主は、それでよいのか?』

 暗にシィーアはオウカに言っている。彼が最後まで実力を出さずに終わるのなら、それはこの一戦の価値が無意味であるのだと。お前はそれでいいのかと、彼女は聞いているのだ。

 良いか、悪いかで答えるのならば、それはもちろん後者だ。しかし、自分の中の恐怖が全身に絡まって前に進む事が出来ないのだ。忌々しいと思いながらも、どこかで仕方がないと納得している自分がいる。

「情けない話だが、俺は……」

『そんな事は聞いておらんッ! オウカ・ライゼス、我はお主の気持ちに問うておるのじゃ。そこに一切の戯言は不要である。だから言え、オウカッ!!』

 オウカは自分の中を、シィーアの言葉とそこに込められた裂帛の気合いが通り抜けるのを感じた。同時に、身体を縛っていた迷いも吹き飛んだ気がする。

(俺が悩んでいたことはシィーアから見れば、ただの戯言か……。何だか、ウジウジ悩んでいるのが馬鹿らしくなってきたな)

 そう思うと後は切り替えるのが早かった。今この場で必要な事は、悩むことじゃない。行動する事だと、自分の心を鼓舞する。

「シィーア、すまなかった。このびはここを出た後に必ずする。だから、そこで待ってろ」

『ふふ、やれるものならのぅ。楽しみに待っておるぞ』

 本当にどちらが主か分からなくなってくる。オウカとしてはいつか、主従が逆転しそうな気がして苦笑いを浮かべた。だが、それは今ではない。今すべき事は自分の力を使ってここを抜け出すことだと、四肢と心に喝を入れる。

 胸元で頼りなく揺れていたペンダントを手に取り、強く握る。もう残り時間は十秒もないだろうと、間際まで迫った重圧を感じながらオウカは冷静に判断した。しかし、それだけの時間があれば十分だ。イメージは解放、自分の中を流れる力を瞬間的に解放すること。

 オウカはこれから発する言葉に言霊を宿らせ、それを口にする。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※



 オウカがシィーアの放った攻撃に閉じ込められてから、二分程の時間が経過した。ミレットはそれをただ見ているしか出来なかった。隣にいるおやっさんもシィーアの作り出した〈蝕縛の園〉を見て、絶句しているようで無言のまま時間が過ぎるかと思われた。

「すげぇな……。あのちっこいの、本当に開拓者になったばかりか?」

 口を開いたおやっさんの言葉には、驚嘆と尊敬の入り交じった感情が含まれていた。あそこまでの大技を使用したのだから、能力者の負担は並み大抵のものではない。それも体力的に限界が近い状態なのもそうだが、針の穴を通すような一瞬の隙を見出しての攻勢である。精神的負担も大きいものだと予想される。

「ええ、シィーアもオウカも、今日登録をしたばかりなんだけど……これを見たら間違いだと思うよね」

 能力者の中でも、彼ら程にここまで熟練した戦闘が出来るものは、ブルドオムスでも数が限られる。候補は勿論、都市警備隊隊長ゴルディエス・ハーグランと彼が率いる都市警備隊などの百の歴戦を乗り越えた強者たちくらいだろう。

「ここまでくると、尊敬の念しか沸いてこねぇな……」

 ミレットもおやっさんが言いたいことは分かった。ここまで人外の域の戦いを見せ付けられれば、人によっては恐怖よりも畏怖と尊敬の念を抱く場合がある。それが開拓者であれば、程度の差はあれ、オウカとシィーアの二人に強く惹きつけられるに違いない。くいう彼女も、オウカの強さと、それに反比例するかのように偶に見せる弱さに惹かれる一人だ。

 オウカの奥底に隠された過去を知りたいとも思うが、彼が今は口を閉ざすのであれば無理に聞こうとは思わない。知るには相当の覚悟が必要になるはずだ。だが不思議な事に、それもそう遠くない内に訪れる予感が自分でもしていた。

 ミレットは再び、〈蝕縛の園〉へと視線を戻す。今もシィーアはその茨の上に立ち、中にいるオウカの様子を窺っているのだろう。彼女はそこから動かずに、じっと一点を見つめ続けている。こちらとしてはこの戦いの進行状態が分からないため、彼女の様子から推測するしか方法は無いのだが、その表情からは何も読み取れない。

 何も出来ない事に対するもどかしい気持ちが、ミレットの心に沸き上がってくる。

 自分はどうして何も出来ずにここにいるのか、正直言って分からなくなってくる。オウカに「見ていてくれ」と言われ、逃げ出したい気持ちを抑えながら、気持ちを奮い立たせて見守っていた。途中、おやっさんの能力暴走も何とか落ち着かせる事が出来たのは、奇跡に近い僥倖であった。

 オウカの安否が気になるが、これは戦いなのだ。あの〈蝕縛の園〉の中はきっと、閉じ込めた相手を完膚なきまでに傷付けるものに違いない。仲間が傷付くのは苦しいのに、彼との約束がミレットをそこに踏み止ませる。

(きっとわたしは、二人が戦う意味を知らないといけない。じゃないと、この先も一緒にはいられない)

 何か理由があるからオウカは自分と約束したのだと、ミレットは思った。火傷の痛みが薄れた右手の小指が温かい熱を持って、待つしか出来ない彼女の支えとなる。

「オウカ……」

 ミレットは右手を抱きしめながら、今も戦い続けている彼の名前を呼んだ。彼女もまたオウカと同じく決意を強くした瞬間――ドクンと、大きな脈動を〈蝕縛の園〉の方角がら感じた。

 その上に乗っていたシィーアも異変を感じ取ったのか、素早い動きでそこから離脱した刹那――蒼い光が〈蝕縛の園〉の内側から噴き出して、あれだけ剣戟を振るおうともまるで歯の立たなかった茨の壁を音も無く消し去ってゆく。そして遅れてやってきた豪風に思わずミレットは吹き飛ばされそうになるが、おやっさんの豪腕が間一髪のところで彼女の身体を受け止めた。

「一体、何が起きてんだっ!」

「分からないよ!」

 あまりに強い風の勢いに二人は目を開けていられず、ただこの豪風が止むのを待つ。それでもミレットの瞼の裏には、しっかりと蒼い光の輝きが映っていた。

 あれからどれくらいの時間が経過したのか、いつの間にか周りは嵐が過ぎ去った後のように、一帯が凪いだ状態となった。

 恐る恐るミレットが瞳を開けると、〈蝕縛の園〉があった場所にはその形跡は一切無く、代わりに濛々と土煙の立ち上がる景色が広がっていた。僅かな時間であの茨の壁が消え去ってしまったことにも衝撃を覚えたが、彼女が懸念しているのは別の事だった。

(オウカ! オウカは無事なの!?)

 思うよりも先に足が動いていた。何が起きたのか分からないが、多分オウカが何かしたのだ。いくら強靭な肉体を持つ彼でも、自分の目でその姿を見るまでは安心出来ない。今にも泣き出しそうになる身体に叱咤をして、ひたすら走ることを考える。後ろでおやっさんの声が聞こえるが、感情が上手くコントロール出来ていない所為か、彼が何を言っているのか分からない。

(無事でいて、オウカっ――)

 ミレットはオウカの姿を求めて、走る。



 土煙の立ち込める空間で、オウカは立っていた。一時的に開放した切り札となるギフトの発動は、〈蝕縛の園〉が消滅するのと同時に解除している。常時発動するにはあまりにも凶暴な力の為、そうおいそれと使用することが出来ないのだ。また武器に与える負荷も尋常なものではなく、一時的とはいえ力を使った影響で双剣には刃毀はこぼれが生じていた。だがそれも瑣末な事である。

 オウカの視線の先にはいつものように、少女が悠然と佇んでいた。

「シィーア……」

「よくぞ、〈蝕縛の園〉を破ったのぅ。やはり主はシィーアの主に相応しい存在じゃ」

 そう言う彼女は心身を限界まで酷使させた反動の所為で、立っているのもやっとの様子だった。それでも、この戦いの決着が付くまでは倒れることを許さない気概を感じる。

「しかし欲を言うともっと主らしく、気随気儘きずいきままに生きてもいいと思うのじゃがのぅ」

「おい、それじゃただの暴君だぞ。だがシィーアに言われたように、もう少し俺は楽に生きてもいいのかもな」

 オウカの言葉にシィーアは満足気に頷くと、続く彼の言葉を待った。これは二人の意地を通すために始まった戦いのなのだ。最後にはどちらが勝者か決めねばならない。

 前に足を進め、シィーアとの距離を縮める。自分を見上げるその眼差しはどんな状況であろうと輝きを失わない。

 オウカはせめて彼女の主らしく、泰然たる態度で告げた。

「主として命じる。降伏しろ」

「仰せのままに」

 シィーアは従者の礼を取り、片膝立ちになって頭を伏せる。

 こうして意地の張り合いは幕を閉じたのだが、シィーアの態度に驚いたオウカは慌てたように言葉を付け加えた。

「そんな堅っ苦しいのはいいって! お前は俺の仲間だし、これからもずっと一緒にいるんだから頭を上げろよ」

「今……なんと?」

「ん? 堅っ苦しいのはいいって」

「そうではないっ。その後に言ったことじゃ」

「その後って、お前は俺の仲間だし、これからもっておいっ!」

 身体中の疲労や倦怠感も忘れて飛びついたシィーアに、オウカは完全に不意を突かれた形で押し倒されてしまう。突然のことに思わず彼女を一旦退()かそうとしたが、耳元で聞こえた呟きに手が止まる。

「仲間、シィーアは主の仲間っ。ふふふ、ずっと一緒っ」

 まるで何か腫れ物が落ちたかのようにシィーアの声は優しく、ぎゅっとオウカに抱きついていた。とりあえず今はシィーアの好きにしておくかと、力を抜いて天井を見上げた。

 ここで終われば全て丸く収まったのだが、タイミングがいいのか、悪いのか、土煙が晴れた場所に一人の人物が立っていた。言わずもがな、ミレットである。息を切らした彼女の髪は所々乱れ、額には汗が滲んでいた。


 そしてミレットの姿を見たオウカも、何故か冷や汗が止まらない。何も悪い事をしていないはずなのに、その心境は浮気現場を妻に見られた夫に近いものがあった。絶対零度の突き刺さる視線に何か言わなければと、生物としての本能が警鐘を鳴らす。

「よ、よお……」

 考えあぐねた末に出たのが、これだ。更に警鐘は、警戒レベルから危険領域に突入する。相変わらず、シィーアは抱きついたままで離れようともしない。

 ぴくっと整った眉を震わせ、ミレットは微笑んで聞く。

「何してんの?」

 微笑んでいるはずなのに、その眼は決して笑っていないのが非常に恐怖感を煽る。固まるオウカの顔を見ながら、ミレットは近づいてもう一度聞く。

「ねぇ、な・に・し・て・ん・の?」

 ザクッザクッと安全靴の大地を踏みしめる音が、言葉の一音ずつ刻まれる。このコースは不味いと判断したオウカは、シィーアから抱きつかれたまま急いで飛び退いた。

 ガスッと最後の一歩がオウカの頭があった場所を踏み抜く。瞬時に避けていなければと思うと、それだけで背筋が凍る思いだ。先程までの風格など知らぬとばかりに、オウカは必死にミレットへと今の状況を弁明しようとしたのだが、

「言い訳は聞きたくないっ!」

 と、拒絶の一刀両断で切り捨てられた。まるで今までの抑制から開放されたように、ミレットの感情は爆発した。

「わたしがどれだけ心配していたかっ。オウカと約束したから、逃げ出しそうになるのを我慢して見てたのに、それなのにあんたはシィーアとベタベタしちゃって! 何これ? 何なのこれ!? もう訳が分からないよ! わたしが悩んでいたことって、ああぁもうっ!

 …………………………………………決めた」

 まったく口の挟めない舌鋒の鋭さに、オウカは先を促すしか出来ない。

「き、決めたって何を?」

「とりあえず、殴る。後のことはそれからでって……あ、そういうことか」

 何やら一人で納得するミレットに、オウカは少しずつ距離を開けながら逃げ道を探すのだが、途中で視界に入ったものにこの状況も忘れて溜め息をつきたくなった。安心した事で一気に疲れがきてしまったのかシィーアは、オウカに抱きついたまま眠ってしまっていたのだ。その表情はとても満足したもので、起こす事もはばかれる気がする。

 しかしその余裕が彼にとって最大の隙になったのは確かだ。

 絶好のチャンスを見逃すことなく、ミレットはオウカの顎にすっと左拳を添えると渾身の一撃をお見舞いした。


「〈衝撃最大出力マキシマム・インパクト〉ッ」


 先手必勝――隙をつくタイミングも絶妙であれば、思いっきりの良さもある一撃であった。空を舞いながらオウカは、ミレットのギフトに『衝撃』があったことを思い出していた。的確に狙われた顎からの衝撃は脳を大きく揺さぶり、意識を朦朧とさせる。彼自身もシィーアとの一戦で疲労が蓄積していたこともあり、これ以上意識を繋ぎとめることが不可能だと判断したオウカは、に恐ろしきは怒った女性であると、心に刻むのであった。

 ところで彼に抱きついていたシィーアはというと、舞い上がる途中に眠ったままの状態でオウカから離れ、ミレットの方へと飛び込むように落ちてきた。今回の怒りの矛先はオウカだけが対象だったようで、彼女もそれを優しく抱きとめて起こさないようにする。

「しかし、こんなことでオウカたちが戦ってた理由が分かるなんて、何だか虚しいような悲しいような……はぁ」

 ミレットは一人、世の中の理について考えるのであった。



「このヨーカンというものは誠に美味じゃのぅ。オオギよ、あの苦い茶をもう一杯頼む」

「仕方ねぇな。ちょっと待ってろ」

 周りの騒々しさにオウカが目を覚ますと、見慣れない鋼鉄製の天井が視界に映った。どうやら『フリーフィールド』ではないようだ。

 ソファの上で横になっていた身体を起こすと、それに気付いたのかミレットが甲斐甲斐しく近づいてきた。

「あ~、その……大丈夫?」

「まぁ、大丈夫だ。ここは?」

 どこかの控え室なのか、部屋の中にはダンボールなどが色々と置いてある。テーブル側にはシィーアが羊羹に夢中になって、一本丸ごと栗鼠のように食べているのがシュールだ。誰かあいつに食事のマナーを指摘してくれ。

 オウカの返答にほっと胸を撫で下ろしたミレットは、よく冷えたおしぼりを渡しながら教えてくれた。

「ここは『アタック&ガード』にあるスタッフルームで、オウカとシィーアが眠ちゃったからここまで連れてきたの」

 シィーアが疲労により眠ってしまったのは事実だが、オウカについてはかなりオブラートに包んだものの言い方である。何だか釈然としない気持ちをぐっと抑えて、オウカはソファから立ち上がった。オウカから見れば、ミレットは今回の戦いの勝者である。乱入気味の一戦とはいえ、ある意味オウカは試合に勝って勝負に負けたということになる。だからこそ、勝者の意見には従うしかない。

「そういえば、あのおっさんはどこに行ったんだ?」

「あ、それはね――」

「俺ならここにいるが」

 湯気の立っている湯飲みを片手に、おやっさんはスタッフルームに戻ってきた。相変わらずの捻り鉢巻に禿頭の巨漢である。

 おやっさんはそのままシィーアの方へと歩き、テーブルの上に湯飲みを置いた。

「ほらよ、抹茶だ。結構高いんだから、あんまりガバガバ飲むんじゃねぇぞ」

「うむ、感謝する」

 と、何だか二人の関係が緩和されているのは気のせいだろうか。オウカの疑問を感じ取ったのか、ミレットは事の顛末を話した。


「――と言う事なの」

「つまり、おっさんがシィーアの能力に惚れ込んで、謝罪したと?」

 気絶している間にそんなことがあったのかと、オウカは嘆息した。

「まぁ、そういうことだ。実際俺がシィの字に苛ついていたのは、装備に関する理解がなかったからだ。それがなくなったんなら、次に筋を通すのは俺の番だろ」

 男らしいおやっさんの判断にオウカは、このおっさん無愛想なだけで根は真面目なんだなと、評価を改めた。元々はシィーアとおやっさんの諍いから始まった事なので、それが解決するのであれば特に言う事はない。

「すると、これからもミレットはこっちの店を利用出来るってことでいいのか?」

「ああ、問題ねぇな。むしろ、シィの字と会わせてくれたんだ。これからはVIP待遇で迎えてやるぜ」

 もう一つ懸念していた事もしたる問題もなく解決したことにオウカは安堵するのだが、新たに気になる事が発生した。

 それはシィーアに対するおやっさんの呼称である。ミレットはミレ、シィーアはシィの字と、このおっさんは気を許した者にあだ名をつけるらしい。自分もオオギに『おっさん』と呼んでいるが、苗字で呼んだ方がいいのだろうかと聞いてみたところ、

「んなもん気にすんな。俺の方はオウカと呼び捨てにすっから、お前さんはそのまま『おっさん』で呼んでくれて構わねぇってか、呼べ」

 と、あっさりとしたものだった。人の出会いとは斯くも不思議なものである。昨日の敵は今日の友とまでは言わないが、それに近い関係をオウカはおやっさんと築く事が出来た。

 そこに抹茶を啜りながら、食後の余韻を楽しんでいるシィーアが口を開く。

「実に美味じゃった、感謝する。

 ところでオオギ、お主が先程言っておった件じゃが……正直言うて難しいかもしれん」

「何だと」

 雰囲気が少し和んだところでの一言に、おやっさんは訝しげに確認した。これもまたオウカが気絶している間に、シィーアとおやっさんとで既に何か話をしていたようだ。つくづく話のついていけない状態に彼もシィーアの方を見る。

「シィーアの能力は自然、つまりは植物の多い場所でその効果を発揮する。それは分かっておるな?」

 シィーア以外は黙ったまま頷く。彼女が何を言いたいのか、おおそよの予測が立つ。

「となればじゃ、この場所やそれに類する場所では〈蝕縛の園〉はおろか、茨の一本も生み出すことはままならんのが現状じゃ。これではオオギの言う『万能の装備』とやらには、到底なり得るものではない」

「……」

 確かにシィーアの能力には制限が課せられている。植物が多く生息する封印区域であれば最大限に高められた力を行使出来るため、中位の魔物でも触れることも出来ずに終わるだろう。それを事前に見破ったオウカだったが、流石におやっさんたちには予測も出来なかったらしい。

 悔しそうに拳を握り締めるおやっさんに、シィーアは説明を続ける。

「仮に植物のある場所で能力を発動すれば、このような場所でもある程度の茨を持ち込むことが出来るのじゃが、事実それは不可能だと思った方がよい」

「……どういうことだ?」

「簡単なことじゃ。シィーアが能力を解除すると同時に、力の供給の止まった茨も枯れて消え去るからよ」

「畜生め、そんな落とし穴があったのか」

 おやっさんは苛立たしそうに頭を掻きながら、肩を落とした。

 スタッフルームに気まずい雰囲気が立ち込める中、オウカはテーブルの上に開かれた装備品カタログに目をやる。

(……そういえば、あのカタログを見て気になる事があったんだよな)

 暫し何が気になったのか思い出そうとするが、上手く考えがまとまらない。一先ず気になったことだけでも確認しておくかと質問をすることにした。

「一つ、いいか? このカタログに載っている商品なんだが、結構珍しいものもあるようだけどこれってこの店じゃ普通なのか?」

 オウカは打撃装甲のページを指差す。そこには魔物のものと思わしき爪が三本装着されている手甲が掲載されていた。

「あぁ? そんなわけねぇだろ、これは俺の店でも秀逸の武器だ。素材にサーベルウルフの爪を使ってるから、その攻撃力も折り紙付きの商品だ」

 おやっさんの言葉を聞いて、一つの閃きが頭をぎった。

 オウカが今まで購入してきた武器のほとんどは、通常の素材を用いた剣が多かった。勿論それは磨耗品を前提として購入してきたからなのだが、それでも自分の命を預ける物である。カタログにはしっかりと目を通して、所持金と武器などの損耗具合を照らし合わせて吟味することは必要最低限の行為だ。しかし他店ではこの店のように、魔物の素材を使った装備品を扱っているのを見たことが無かった。

 閃きは形となって、オウカに確信を持たせる。

「ということは、これらの商品はおっさんの店でしか買えないってことでいいか?」

「当たり前だ。ブルドオムスでは、俺以外にも開拓者から装備屋になる奴はいるが、素材集めも自分でやってるのは俺くらいだろうよ」

「なるほどね。あと確認したいんだが、もしシィーアの持っている能力と同じ素材が手に入るとして、あんたは何をしたいんだ?」

 この回答次第ではオウカは解決策を言わないつもりでいた。おやっさんの人柄にはある程度の理解が出来たつもりだが、金や名声のためであれば、それを支援する必要性を感じないというのが本音である。

 こいつは何を言ってやがんだという表情を浮かべたおやっさんは、

「決まってるじゃねぇか、武器や防具を造んだよ。尤もそれは、シィの字だけのオーダーメイドだ。赤の他人に売り捌くつもりは一切ねぇな」

 商人である前に職人らしく、自分の信念を述べた。

 あれだけシィーアの能力に陶酔した人物なのだ、オウカにとってもこれは予測の範疇だったに違いない。ただここにいる皆に宣言出来るほどの心構えなのか聞きたかっただけなのだ。

「だったら、俺に考えがある」

「考え?」

 オウカの発言に反応したのは、黙って話を聞いていたミレットだった。彼女はオウカが横になっていたソファに座っており、たくさんの疑問符が顔に書いてあった。

「簡単なことさ。俺たちがその素材を採ってくればいいんだ」

「何言ってんのよ、オウカ。第一シィーアの話聞いてたの? 能力には制限があるし、その茨は彼女が能力を解く事で枯れちゃうのよ」

 ミレットの言い分は尤もである。しかしオウカは首を左右に振るとおやっさんを除く仲間に分かるように聞き返した。

「だから、シィーアの能力を見てミレットは何も思い出さなかったのか? つい最近の事だぞ」

 オウカの言葉を受けて、ミレットは記憶を振り返る。彼を開拓者として素質があるか試験するために封印区域に入り、そして……――

「あっ、もしかして……」

「そう、素材はある。だからあとは採ってくるだけだ」

 オウカが解決策として導き出し、ミレットが脳裏に思い浮かべたのは、シンフルベアの身体を覆う茨と棘であった。元がシンフルベアだったシィーアだからこそ派生した能力である。それ故に素材としては申し分ないだろう。

「ふむ、それならば可能性はあるのぅ」

 オウカたちの話を聞いていたシィーア本人も解答に至ったようだ。あとに残ったのは一人答えの見つからないおやっさんだけとなった。信用していない訳ではないのだが、シィーアの正体はおいそれと話していいものではない。噂というものはどこで広がるか分からないからだ。

 おやっさんは両手を広げて意味が分からないとジェスチャーで示す。

「おいおい、お前らだけで納得するな。俺にも分かるように話してくれ」

「だから近い内にシィーアの能力に似た素材を封印区域まで行って、採ってくるってことだ。それならおっさんも念願の装備が造れるってもんだろ」

「……心当たりはあるみてぇだな」

 オウカの確信を持った眼を見ながら、おやっさんは腕を組んだ。何やら考えている様子だったが、決断したのか口元をニヤっと広げた。小さい子供が見たら一発でトラウマになりそうな笑みである。

「よし、俺も連れて行け」

「「はぁ!?」」

 おやっさんの突然の物言いに、オウカとミレットは同時に呆れた調子の声を出していた。急に何を言い出すんだこのおっさんはと、オウカが無礼な事を考えていると、彼はオウカが横になっていたソファの脇から双剣を取り出した。

 おやっさんはそのままオウカの双剣を鞘から抜き出すと、両方とも刃毀れが生じているのが分かりやすいように水平に構えてみせた。

「いくらあの茨の壁をぶち壊すためとはいえ、ここまで劣化しちまったんなら買い換えるしか方法がねぇ。そこで俺からの提案だ。ただ連れて行けというのは虫が良すぎるだろうから、お前さんの剣をこっちが無料で用意してやる。安心しな、こいつよりも良い業物を造ってやっからよ」

 職人の次は商人として提案するおやっさんに、オウカは溜め息をついて了承した。

「分かったよ、ついてくればいいだろ。ただし、自分の身は自分で守ってくれよ」

「当たり前だ」

 おやっさん程の実力者であれば、下手を打たない限り危機的状況に陥る事は無いだろうと判断した。オウカとしてはミレットの心配をするのだが、彼女も自分の枷を一つ外せたらしく、『フリーフィールド』での一撃は中々のものであった。

 次回封印区域に入った際にはミレットの戦闘技術などを把握し、更に向上させることも必須事項として新たに項目に付け加える。勿論一日でそう強くなるはずはないのだが、実戦は一番効率のいい修行である。

「ミレットも、シィーアもそれでいいか?」

 聞くまでもなく、二人はオウカの決定に賛成の意思として首肯する。

 こうしてシィーアの装備造りに必要な素材採集のメンバーは、オウカにミレット、シィーア、そしておやっさんことバージェンズ・オオギの四人に決まった。

 あとはいつ封印区域に入るかだが、それにはおやっさんの方から希望があった。

「こいつに代わる双剣を用意するのに三日は必要になる。だから、その翌日にしてぇんだが予定とかはねぇか?」

 ブルドオムスに来て、開拓者になったばかりのオウカとシィーアには特に予定があるはずもない。またミレットもパーティのメンバーが現在治療中のため、スケジュールは空いている状態だ。

「問題ねぇみたいだな。じゃあ、早速俺はこれから武器造りに入るから、その間こいつを借りてても大丈夫か?」

 おやっさんはオウカに双剣を掲げながら確認するが、武器として破損する可能性のあるものを使うのは愚の骨頂でしかない。オウカもそれを分かっているから、「四日間程度なら大丈夫だ」という返答に留めておいた。


 先にミレットとシィーアが『アタック&ガード』を出て、オウカが店外に出る寸前、後ろから声が掛かった。

「オウカ、お前さんの持っている剣、オーダーメイドだろ? 中々面白いギミックがあるじゃねぇか」

 少し見ただけであの双剣の秘密に気付いたらしいおやっさんは、早くも何を造るか楽しんでいるようだ。

「……流石は職人だな。俺の希望としてはその機能は新しく用意してもらう武器にも付けてもらいたいんだが、出来そうか?」

 そう言われたおやっさんは憤然としたように筋肉を盛り上がらせ、腕を組む。そして不敵の面構えをした。

「馬鹿言え、俺を誰だと思っていやがる。俺は『アタック&ガード』の店長だぞ。黙って俺に任せておけ」

「ああ、頼んだ」

 自信満々に言い放つおやっさんに満足しながら、オウカは夕方に移り行く景色へと足を踏み出し、外で待っていたミレットたちと共に帰路を辿るのであった。



いつも読んでいただいている皆様、そして初めてここまで一気に読んでいただいた皆様、誠にありがとうございます。

毎回毎回、どうすれば執筆のスピードが上がるのかと悩んでおります水々火々です。

今回は少しいつもより短めになっている感じです。また皆様が予想していた展開とは違っていたかもしれませんが、おやっさんの魅力は魔物との戦闘で十分に書き表したいと思っています。

おやっさんファン(?)の方々には期待していただければと思います。


誤字脱字やご意見・ご感想などございましたら、お気軽にご指導いただければと思います。



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