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Chaos Blood  作者: 水々火々
第一章 商業都市ブルドオムス編
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第七話 再戦の行方①

 この物語はフィクションです。

 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。

「準備できたよ」

 『フリーフィールド』の待合室に設置された椅子に腰掛けていたオウカは、少し長くも感じる回想を終えると、声をかけてくれたミレットに視線を移した。

「ここまできて何だけど、正直言って戦う必要あるの?」

 一度は納得したものの、ミレットとしてはどうしてもオウカとシィーアの二人が戦う必要性を感じられなかった。彼女も開拓者であり、パーティに所属しているから諍いが生じるのは理解できる。だがそれは全て、彼女本来の明るさや、パーティのメンバーたちと対話で解決出来る範囲の内容であった。

 だからどうしても、仲間同士で力を行使することに抵抗を覚えてしまうのだ。人としては善とされる行為だが、それはミレットがそうしなければ解決出来ない場面に遭遇したことがないことを証明している。それが駄目だと言うわけではない。むしろそうならないように努力した事を褒めてあげたい。

 しかし今後もそうなるとは限らない以上、早い内から心を、精神を強く柔軟にしておいた方がいい。でなければいつか、呆気なく根元から折れてしまうのだから。

 ここがミレットにとっても正念場になることを、オウカは感じ取っていた。

「ある。それはシィーアも望んでいることだし、必要なことだ。

 あと、もしかしたらミレットともこうなることがあるかもしれない。その時はお手柔らかにな」

 オウカは気分が落ち込んでいるミレットの髪を、シィーアの頭を撫でるときのように、不器用だが優しく撫でた。彼としては特に意味があってやった行為ではなかったのだが、その反応は目覚しいものであった。

 最初はきょとんとしていたミレットだったが、顔を林檎みたいに真っ赤にして口をあわあわさせると照れ隠しなのか、鋭いショートアッパーをオウカの顎目掛けて打ち放つ。それを難なく受け止めるオウカは笑いながら、「じゃあ、行こうか」と言ってミレットに案内を頼んだ。

 長い通路を歩き、目的の部屋へと辿り着く。ミレットが扉を開けようとする前に、オウカは一つ言い忘れていたことを思い出した。

「ミレット」

「何?」

「今も納得がいかないだろうが、それでもこの一戦だけはお前に見て欲しいんだ。それは多分、ミレットの仲間が俺にお前を預けてくれている理由の一つでもあるから」

 すっとオウカの手が伸び、ミレットの手を取ると、古くから伝わる小指と小指を繋げた『おまじない』の形を作る。

「約束だ」

 普段どこか達観しているような彼が、小さい子供がする『おなじない』を真剣な表情でしてきたことに、彼女は心がじんわりと温かくなるのを感じた。

「うん、分かったわっ」

 そしてオウカとこうして指を絡めている事に照れ臭さを感じたのか、手を離すとミレットは勢いよく目の前にある扉を開くのだった。

 何はともあれ、ミレットの感情はやや下降気味から、持ち前の明るさを取り戻したのである。



 ブルドオムスでも広大な面積を誇る施設というだけあって、『フリーフィールド』は特殊な環境を想定していくつもの部屋が設けられている。基本、この施設を利用するのは開拓者が大半を占めているが一般開放もしており、カップルや家族の憩いの場として来店する客も多い。

「これは、凄いな……」

 ミレットに案内されて入室した瞬間、オウカはここが本当に都市の中なのか疑ってしまった。『本物と限りなく近い環境』――それが『フリーフィールド』の最大の売りである。あまりに精巧すぎて、とある部屋では遭難者も現れることがあるため、そういった場所では必ずブレスレット型発信機を渡される。これだけ聞くとかなり危険なイメージが沸くのだが、まったく以ってその通りであった。だが、開拓者が自己やパーティを練磨するのに安全な場所は必要ない。適度に危険でないと、いざという時に対処出来なくなってしまうからだ。

「確かにのぅ。ここまで希望通りじゃと、何かに化かされておる気がするのじゃ」

 オウカたちよりも一足早くこの部屋に入室していたシィーアも、オウカの意見には賛成だった。

 今回オウカたちが貸し切った部屋は、この施設の中でも開拓者の使用頻度が高く、リピーターも後を絶たない。通常であれば予約が必要な部屋なのだが、そこはおやっさんことバージェンズ・オオギとミレットのお陰でどうにかなった。

 要はおやっさんのコネクションを使い、ミレットの笑顔を振り撒いたのだ。古参で屈強の装備屋とブルドオムスのアイドル的立場にいるミレットのダブルタッグに敵う者は、はっきり言ってこの都市にいなかった。勿論譲ってくれた彼らには、おやっさんの店で利用できる特別優待割引券やミレット個人の一時的なパーティ参加などの約束をしているため、ギブアンドテイクとなっているので問題ない。

 シィーアが希望し、開拓者が頻繁に利用する部屋とは――

「どう? まるで本物の封印区域にいるみたいでしょっ?」

 ミレットの言葉の通り、封印区域を模倣した景色が広がっていた。室内には巨木が立ち並び、彼らがいる場所は開けているものの、あの場所と同じく床一面が草や根で覆われていた。正確な広さは確認できないが、この施設でもかなりの規模だと思われる。

 封印区域を模したこの場所での戦術は非常に有効なものとなる。そのため、パーティの連携や個々の技術向上を図るべく、開拓者である彼らは日夜この場所で特訓を行っている。また古参から初心者まで分け隔てなくこの場所を利用するため、時間的な都合から合同で予約を取り、各々のギフトを活用した模擬戦が行われることも少なくない。

 ちなみにこの部屋のレンタル料は、一時間あたり八千ダル。こうまで精巧な環境を維持するために定められた金額にしては格安のものだが、一般客でここを利用出来るものは金銭的に余裕のある者しかいない。しかし、開拓者にとっては十分に支払える金額であるため、この事業は問題なく運営出来ている。そして今回の支払いは敗者が受け持つことで、オウカとおやっさんの両者とも納得している。

 オウカの『おまじない』効果によるものか、ミレットはテンション高めにオウカたちに自慢する。

「いやぁ、ホント運が良かったよっ。わたしの知り合いが丁度予約してたみたいで、事情を話したら譲ってくれたし。これも人徳ってやつかな~。ふふふっ」

 浮かれた様子の彼女を見るシィーアの表情は、「こやつ、頭が春になっておる」といった呆れたものであった。この原因と思われるオウカへ目線を合わせようとするが、巧みに逸らされるので間違いないだろうと、彼女は確信をより深める。

 シィーアは小さな声で、「この無意識女たらしめ」と忌々しげに毒づいた。尤も、これで戦う理由が新しく出来た。この溜まった鬱憤を全てこの一戦で晴らせてくれようぞと、彼女が企んでいるなど当人は知る由もない。

「すまぬが娘よ、これを預かってもらえぬか?」

「オッケー」

 シィーアは羽織っていたケープコートを脱ぐと、ミレットに手渡した。これで現在彼女が着ているのは先程のショッピングで購入した黒のワンピース一枚だけになる。まだ季節は秋になったばかりなので問題ないが、雪のように白い肌をした二の腕を惜しげもなく晒しているのは、男であるオウカにとって何だか目のやり場に困る。

 現におやっさんもケープコートを脱いだ彼女の容姿を眺めて、別の意味で眉をしかめていた。その理由は、本当にこの線の細い身体で戦う事が出来るのかと疑問に感じているからだ。彼も数多くの開拓者を見てきたのであれば、肉体的な要素よりも保有するギフトによって戦況が大きく変わる事は十分理解しているはずなのだが、それでもシィーアの身体つきを見れば疑問に思ってしまうのも無理はない。きっとミレットが心配している理由も、ここにあるのかもしれない。

 基礎が出来ていないと、全ての行動が稚拙なものになってしまう。それは一般的な常識でもある。故に開拓者の主な訓練とは基礎体力の向上と、反復的な型や技の繰り返しと地味なものになっている。

 身体能力を鍛え上げることは無駄なことではない。おやっさんは言わずもがなだが、オウカやミレットも常人では歯が立たないレベルには鍛えている。例を挙げると、オウカの肉体はしなやかな筋肉をしており、獣のような鋭い動作と攻撃を可能としている。そしてミレットは女性特有の柔らか味を帯びた肉体で、柔軟な対応と重さを感じさせない動きが出来るように鍛え上げられている。おやっさんは完全に攻防重視の筋肉の付きをしているため俊敏性に関しては劣るだろうが、その攻撃には一撃必殺が秘められており、中級クラスの魔物の攻撃を受けても張り合える防御力を誇っている。

 おやっさんの視線を感じたのか、シィーアは二の腕を後ろにまわして抗議した。

「そうジロジロと不躾な視線を送るでない。これは主のものじゃ」

「……坊主、お前もしかして」

「いやいや、ないから! あんたが考えていることは一切ない。それだけは断言しておく。というか、シィーア、頼むからそういう冗談は人前で言わないでくれ」

 軽蔑の眼差しを向けるおやっさんに、慌てて弁論するオウカはシィーアに注意するが、彼女は「別に間違っておらんのじゃがのぅ」と言って、より場を混乱させるのであった。

 本当にこれから戦う気があるのか心配になってくるのだが、それはそれとして余裕を持っている会話だった。後のない戦いではない、次に繋げる戦いである。オウカとシィーアの二人はそれを踏まえた上で、気負うことなく普段通りのやり取りを行う。

「お前ら、ここがレンタル制だってこと忘れてんじゃねぇだろうな。時間もあんまねぇんだぞ」

 呆れたようにおやっさんは禿頭を掻きながら言った。この部屋をレンタル出来る時間もそうだが、現在彼の店は『一時外出中』と出入り口にプレート掲げている状態である。商売をする者としては、グダグダとやっている時間が勿体無いのだ。時は金也である。

 バージェンズ・オオギは堅物で短気な人物であるが、それでも『アタック&ガード』を利用する客は少なくない。ブルドオムスには珍しいのだが、彼は販売と製作を両立させている。一般的に武器や防具を製造するためには市場に出回っている素材だけでも十分だが、この都市では個性というものがない場合、衰退も早い。

 そのため封印区域に入り、自分で新しい素材や素材になりそうな物を探索することもある。常識で縛られない独創的な素材と製作過程によって出来上がった装備には多くの開拓者が魅了されており、その効果は語るまでもないだろう。

 だからこそ、店を空けるというのはビジネスチャンスを無駄にする行為に近い。だが、彼も譲れないものはある。それは、誇りだ。今回こういう事態になったのも、シィーアが装備に関して無知であったために言ってしまった言葉が原因となっている。

「早く、どっちが俺と戦うのか決めてくれ」

 言葉の通り、オウカとシィーアのどちらか勝った方がおやっさんと戦い、事の終結を図るのが目的で彼らはここにいる。

「そうだな、行くか」

「了承した」

 二人は頷くと、ミレットたちから離れた場所に移動した。距離としては百メートル程の離れた位置になる。ここまで距離が開けば、彼らの戦いの影響を受けずにミレットたちも観戦出来る距離にしたのだと分かる。

 オウカとシィーアは、お互いに一足飛びで相手を捉えられるように向き合う形となった。両者は特に構えることもせずに、ただ自然体で立っている。

 この勝敗のルールはシンプルなもので、相手を気絶させるか、降参させることだ。それ以外は互いに己の持てる全ての力を以って、最後まで戦いに挑むだけである。



 離れた場所ではミレットが不安を隠しきれないように、両手の拳を握ってオウカたちを見つめていた。隣にはおやっさんが立って、彼らを眺めている。

 視線をオウカたちから外さずに、おやっさんはミレットに呟いた。

「後悔してんのか?」

 急に言われた事に理解できなかったミレットだったが、それが自分への問いかけということに気付いた。

「後悔は……してないけど、不安はあるかな」

 彼女も視線を逸らさずに答える。きっとこの一戦でどちらかが多少なりとも傷を負うのだと思うと、心が締め付けられるように痛い。二人とも昨日初めて会ったばかりの人たちなのに、もう仲間だから、彼らが傷つくのを見るのは辛い。

(だけど、オウカと約束したから――わたしは、最後まで見守らなきゃいけない)

 ミレットの瞳と心には不安と、それを耐えようという強い意志が鬩ぎ合っている。それを感じ取ったおやっさんは一言だけ、普段の無骨さが消えた声で相槌を打った。

「そうか」

 まるで父親のような声に、ミレットは内心微笑みながら、これから始まる戦いを待つ。



 そして戦いは、始まった。

 先の攻撃を取ったのは、オウカだった。彼は瞬速でシィーアとの間合いを詰めると、腰に帯剣した二振りの片刃剣を抜くと同時に二連撃を高速で放つ。彼女は悠然と立ったままで、動く様子もない。

 開始早々に決着がつくかと思われたその瞬間、異質な音が鳴り響いた。


 ギギィーン……――


「なるほどな、それがシィーアの特性か」

「そのようじゃ、主がシィーアの依り代に神木を用いてくれたお陰じゃの」

 二人の距離はあと一メートルというところで、地面から生えた大量の茨が壁になって立ち塞がっていた。先程のオウカの攻撃を防いだのも、この茨である。普通ならば簡単に斬り裂くことの出来る植物のはずなのに、その硬度は鉱物をも凌ぐ程であり、植物としての柔軟性にも長けていた。

 シィーアは右手を胸元まで上げると、水平に左から右へと振り切った。一見、何の変哲もない動作に嫌な予感がして、オウカは素早く後ろへと大きく回避した。そして着地すると同時に、自分の直感が正しかったと実感する。それまで彼がいた場所には無数の茨から放射状に棘が伸び、地面を貫いていたのだ。軽く回避するぐらいでは、あの植物の餌食になっていたであろう。

 オウカとシィーアの間合いは初めの頃よりも大きく離れ、八メートル程に開いた。これでもお互いに問題なく攻撃出来る範囲である。再度彼女が手を振ると、その強固な茨は一瞬で枯れ果て、吹いた風によって跡形もなく消え去った。

「今度はシィーアの番じゃな」

 彼女はそう言うと、片膝立ちになって地面に両手を着ける。彼女の周囲がざわめいたと思うや否や、その両手両足には先程と同じ茨が包み込むように覆っていた。立ち上がった彼女の両手は茨と棘で鉤爪を形成されており、両足はロングブーツのように茨が編み込まれている。確かにこれならば、武器も防具も不要のものである。

 遠くからミレットたちの息を呑む気配を感じたが、オウカは冷静にシィーアの弱点を見破った。

「正直ここまでとは思わなかったが、それ自然の少ない場所だと威力落ちるだろ?」

「もう見破ったか、流石は主よ」

 シィーアがこの封印区域に酷似した部屋を希望した理由は、自分の力を最大限に発揮出来る場所を求めたからであった。もしなければ、その時は臨機応変に対応するつもりだったが、幸いにして十全に戦う事が出来る。

「シィーアを卑怯と思うか?」

「まさか、全力でやらないとお互いにすっきりしないだろ」

 オウカはあっさりと言い切った。シィーアが元式神で、そしてシンフルベアの転生体であるならば、元の能力を受け継いでもおかしくない。

 シンフルベアの姿はその巨体を茨で覆っており、鋭い爪と牙が特徴的であった。彼女の転生前はその魔物の女王と言うだけあって、非常に凶暴でいて強靭な肉体と魂を宿していた。また式神を顕現させるためにオウカが依り代として用いたのは、樹齢の判断がつかない程に成長した霊木である。この二つは非常に相性が良かったらしく、負傷した開拓者を運ぶために最短距離を走らせたところ、彼の狙い通り、樹木に影響する力を行使することが出来ていた。

 だからこそ、この場所に来た時点で理解していたのだ。シィーアは全力でこの戦いに挑むのだと。

 オウカは四肢に闘気を満たしながら、『俊敏』と『見切り』のギフトを同時に併用する。こちらの準備が終わるまで律儀に待ってくれていたシィーアに感謝しつつ、オウカは対峙する彼女に告げる。

「これで二度目か、お前と戦うのも」

「そうじゃな、場所もあの時と酷似しておるし言う事なしじゃ」

 二人して顔に浮かべるのは、好敵手と巡り合えた事で抑える事の出来なくなった獰猛な笑み。

 こうして異能者同士の本当の戦いが幕を開ける。



 戦う二人を見ていたおやっさんは、身体中を鳥肌が立っていることに今初めて気付いた。こんな事は有り得ないのだと心の中で否定しても、現実は目の前で繰り広げられているため、悔しいが信じざるを得ない。

 シィーアといった少女が草の生えた地面に手を着けてから、この戦闘はより人外の領域へとシフトした。彼も以前は開拓者として活躍した頃があり、今でも装備品製造のためにパーティを雇って封印区域に素材探しで入ることもある。だがこんなまともじゃない戦闘を見たのは初めてだ。

(これが普通だってんなら、俺らのやってきたことはお遊戯じゃねぇか……)

 オウカが無数の高速斬撃を繰り出せば、それまで果敢に攻めていたとしてもシィーアは一転して身に纏う茨を消し、攻防一体の茨の壁を作り出す。『見切り』を使用しても残像を追うのがやっとの高速移動をオウカが行えば、シィーアも負けじと脚に施した茨のロングブーツの棘で地面を踏みしめながら加速する。

 彼らの戦闘にも随分誇りを傷付けられたが、一番おやっさんの職人魂を傷付けたのはシィーアの装備だった。あれを装備と呼んでいいものか判別が付き辛いが、身に着けているのだから装備と分類しても間違いではないはずだ。

 何なんだ、あのちっこいのが身に着けている装備は――。

 既におやっさんの身体はその感情の昂ぶりから『鬼化』している。それ程までに、あの装備から目を離す事が出来なかった。

 『装備者の動きを阻害することなく、且つ最大限に応用の利く装備』という言葉が、ふとおやっさんの頭に浮かんだ。これはまさにシィーアが要望していた装備であり、機能だったはずだ。歯軋りしてしまいそうになる激情を無理やり抑えながら、全てを見逃すまいと必死に見つめ、構造を読み取ろうとする。

 シィーアの手を覆う茨は時折、その棘を伸ばして彼女の一撃の範囲を広げる。脚に纏った茨はその裏がスパイクの役目をしており、両者が拮抗する瞬間、体重の軽い彼女の身体を踏み止まらせることに成功している。勿論、こちらも攻撃に応用出来ており、脚主体の攻撃ではそれ自体が凶器のため、相手は剣で捌くしか方法がない。

 身体の震えを止めるのももう限界のようだ。あれを見た瞬間から、二つの眼はシィーアを見逃すまいぞと追い続けていた。だから、ここが限界だ。

「何が『人間が身に着けておるあの邪魔な物はいらん』だッ! あれこそ、完璧な装備じゃねぇかッ!!」

 もう抑えていられないとばかりに、おやっさんは怒号を上げた。あそこまで機能美に富んだ装備を、彼は未だに造り得たと思ったことがない。職人としての羨望と、何より悔しさが彼をさいなむ。

(あれは何のギフトだ!? どうすれば、あれが造られる!? どうすれば――あれを越えられるッ!?)

 初めてだった。自分が怒りでなく、今まで待ち望んでいた装備に出会えた高揚感と羨望で完全に『鬼化』することは、本当に初めての出来事であった。今すぐにでもあそこに割り込んで無理やりにでも彼女の装備を奪い去りたい、という感情が沸々《ふつふつ》と沸き上がってくる。

(いかん、感情が『鬼化』に引っ張られている……。だが、それでも俺はッ)

 ギフト『鬼化』の一番怖いところは、その暴走の残虐性にある。一度暴走してしまったが最後、周囲に人がいればまずその人たちの命の保障は出来ない。潜在能力としては『肉体強化』に勝るギフトであるが故に、全てを破壊するまで止まらない。そのため、『鬼化』の保有者の末路は、肉体の限界まで破壊の限りを尽くして絶命するか、他の開拓者の手によって殺されるしか道はない。勿論、暴走前に精神鎮静剤を摂取することで『鬼化』を最小に抑えることが出来るのだが、それが今の彼には出来ない。長年怒りという感情を適度に発散することで薬物に頼ることなく暴走を防いでいたのだが、ここではそれが致命的な仇となった。

 『怒り』の感情は時間が経てば冷静に見つめ直す機会が生まれるが、今回は『羨望』。これが厄介なもので、蓄積すればする程に心を蝕んでゆく。

 熱に浮かされたように、激闘する二人へ一歩一歩足が前に進む。

(あれは、俺の、物だ……あれこそが俺の望んだ)

 夢遊病患者のように歩き、視線の定まらないおやっさんの前に、小さい影が飛び込んだ。


 パァン――


 一瞬、何をされたのかおやっさんには理解出来なかった。『鬼化』された肉体は既に感覚を鈍くしており、僅かな衝撃ではびくともしない。だが、この目の前にいる女――ミレットは落ち着いた様子でこちらを見上げていた。

「少しは落ち着いた?」

「ミレ……?」

 ミレットは自分に視線が定まったのを確認すると、彼に何がしたいのか聞いた。

「おやっさんは、今どうしたいの?」

 この質問に対する答えはされず、僅かに残った理性で彼女にこの場から逃げるように指示するが、

「そんなことどうでもいいから、わたしの質問に答えて。

 おやっさんは、今何がしたいの?」

 と、その言葉を跳ね除けた。

 この一戦が始まる前に見た強い意志の光が、ミレットの瞳に宿っている。何が彼女をここまでさせるのか、今の彼には知る由もないが、それでも言葉を紡ぎだすのが義務だと感じさせることに成功した。

「……俺は、あいつが持っているものを、知りたい。奪いたい」

「知ってどうするの?」

「あれを越える、ものを、俺の、俺の手で、造り出す……。

 そうだ……そうだッ、俺が、造り出すんだッ!!」

 羨望、欲望、願望、希望。い交ぜになった感情は悲しいくらいに歪んでいたが、彼の本心をミレットも知ることが出来た。

 完全に暴走寸前となったおやっさんの体温は、もう常人の生きていられる体温を越えていた。赤熱と表現出来るまでに赤々とした握られた左拳に、ミレットは優しく右手を伸ばす。熱した鉄にでも触れたような痛みを感じながら、それでも人を安心させる微笑を崩さずに話しを続ける。

「だったら簡単な方法があるよ」

「……何だと?」

 彼は訝しげに聞き返した。まだ理性の火は消えていない。ならば後は、信じるしかない。

「お願いするんだよ。シィーアに、それを見せてくれないかって」

 おやっさんは無言のまま、彼女を凝視する。魔物に敵意はあっても、殺意を感じることは少ない。だが人は感情を持った生き物だ。彼の見開かれた眼は、純粋な殺意を孕んでいた。

 下手なことを言えば、ミレットの命はない。

「お願いする、だと?」

「そう、お願い。シィーアがあの茨を身に着けたのは、きっとおやっさんの言葉があったからだよ。だから、発案者であるおやっさんには見せて貰う権利がある」

「何を言ってんだ、あいつは」

「うん、初めは装備なんてって馬鹿にしてたよね。でも現に今、彼女は装備と言えるものを纏ってオウカと戦ってる。

 『全ての装備が、無駄なんて言葉で一括りにされる謂れは絶対にねぇんだよ』、これはおやっさんがあの子に言ったことだよ」

「……」

 おぼろげな意識の中で、彼は思い出していた。確かにあの時、少女は自分の話を聞いて、謝罪した。それは、認めたということになるのだろうか。

 それが本当かどうか分からない。分からないが――

 おやっさんは赤熱した右腕を振り上げると、彼に比べて小柄なミレットに告げた。

「ミレ、そこを動くなよ」

「分かった」

 彼女も目線を逸らさずに、首肯する。

 そして、彼の無慈悲で凶悪な拳は振り下ろされた。


 ドゴォッ――


 人を殴る音にしては重厚な響きが、辺りを浸透する。おやっさんの振り下ろした拳は、ミレットにではなく自分の顔面に向けられていた。流石に『鬼化』した自分の攻撃には堪えるものがあったのか、少しよろけていたが頭を軽く振ると早くも持ち直したようだ。

「だったら、あの娘に確認しねぇとな。俺が発案者なら、あの装備の構造をじっくりと納得いくまで拝ませてもらっても、責められる謂れはねぇな」

 そう言うおやっさんの鼻から赤い血が二筋流れ落ちる。そのどこかシュールな姿に、ミレットは笑いながら賛同した。異常なまでの体温は常温にまで下がり、暴走しかけた『鬼化』は無事に沈静化出来ていた。

 もう大丈夫だと、ミレットはおやっさんの拳から手を離す。彼に触れていた右手は火傷による水脹れでかなり痛むが、彼女も開拓者である。多少の傷には慣れているし、いざとなればギルドの医療機関に頼んで治療してもらえば問題ないと結論付けた。しかし、仮にも加害者であるおやっさんはそういう訳にはいかなかった。

「ミレ、すまない。面倒をかけた。それにその火傷……」

「大丈夫だよ。この仕事してれば、怪我なんて日常茶飯事だからっ」

 明るく返すミレットは大した事無いと、右手をひらひらと振った。時折、その頬が微弱ながらも引き攣っているのは、痩せ我慢している証拠である。おやっさんは自分のカーゴパンツにある複数のポケットをしばらく探っていると、目的の物が見つかったのか、ミレットにそれを手渡した。

「これ……」

「まぁ、無いよりはマシだろ。いちお、微弱ながらも『治癒』が付与されているから巻いておけ」

 ミレットが受け取ったのは、包帯であった。それも『治癒』のギフトが付与された品であれば、その価値は普通の物よりも当然高価なものとなる。購入するならば、一束三百ダルは下らない。

 ミレットの口から、咄嗟に「貰えない」と言いそうになったが、何とか思い直して有り難く頂くことにした。これはおやっさんの謝罪の形なのだ。それを無下にするのは、折角落ちいた彼の心に『罪悪感』という名の楔を打ち込むことになる。今後とも変わらぬ関係であの店を利用したいのなら、ここは受け取るのが正解だと思えた。

 手早く右手に包帯を巻くと、確かに痛みが引いていくのを感じた。これで雑念無く、オウカとシィーアの一戦を見守ることが出来る。

 ミレットが視線を二人の方に戻すと、いつの間にか彼らは激しい攻防を止めて慎重に相手の出方を窺っていた。両者とも拮抗した状態で無駄に体力を使うよりは、相手の僅かな隙を誘って一撃で仕留めるつもりなのか、まったく動く様子が見られない。

 これはミレットの主観で実際には身体の微細な動きで相手の出方を窺ったり、目線で牽制したりと静寂の激闘が繰り広げられていた。両者起死回生の奥の手を隠しているためか、安易に動く事が出来ない。だからこそ、この場は凍りつく。

 見ているだけのミレットも何が起きているかは分からずとも、オウカとシィーアの発する闘気にじわりと背中に汗が流れるのを感じる。自分が少しでも動けば、それを機に流れが変わってしまうような気がして、迂闊にも金縛りに似た痺れが身体中を這い回る。

 だが黙っていることに耐え切れず、ミレットはおやっさんに声をかけた。

「おやっさんはこの勝負、どうなると思う?」

 問いかけを受けたおやっさんは、硬直する二人を眺めながら答えた。

「冷静に考えて、あの坊主が勝つだろうな」

 てっきりおやっさんの先程の行動からシィーアと答えると思っていた彼女は、驚きを隠さずに率直に応じる。

「意外、おやっさんはシィーアって答えると思っていたけど?」

「同じ体格ならそう言っただろうが、あの坊主とちっこいのじゃ体力に差があり過ぎる。よく見れば分かるだろうが、ちっこいのそろそろ限界がくるぞ」



 オウカとシィーアの間合いは三度離れていた。それもこれで終わりだと、冷静に見つめる自分が告げる。

 繰り返す攻防によって自分の体力が思った以上に削られている事を、シィーアは戦況の一つとして判断していた。この小さな身体では、以前のように無尽の体力にものをいわせて戦うことも出来ない。このままでは悔しいが、負けることは明らかである。

(……ならば、一つの打開策をここで出すしかあるまい)

 幸いにして、この身は植物を操る術を持っている。そして今までの戦闘で、ただ闇雲に戦っていた訳ではない。全てはこの瞬間のために、布石を打ってきた。後はそれを気取られぬままに、主を倒すのみ。

 ……もし気取られていたとしたら、この戦術は無に帰す。体力が尽きかけている所為か軟弱な心が囁くが、シィーアはその弱さを汗で額に張り付いた前髪と共に拭い去る。

(雌雄を決する時じゃ、主よ――)

 シィーアは前へ、オウカのもとへと歩みだす。その距離、一五メートル。

 オウカは、まだ動かない。こちらの意図を探るようにシィーアを見続ける。

 一四……一三……一二メートルと次第に距離は縮むが、彼はまだ動く気配を見せない。

 シィーアの主であるオウカは、人間にしては強靭な肉体を持ち、その精神力にも同様のものを持っている。そして、日常では自分の言葉やフォウント姉妹とのやり取りに一々慌てたりする人間らしさも兼ね備えた人間であった。しかし、見ていて危うい脆さも同時に潜んでいるのも彼女は知っていた。

 この人格形成にはオウカの過去にも関わりがあるのだろう。彼から命を分けてもらった自分だからこそ、彼を尊敬し、対等でありたいと願う。しかし、人は自分自身のことも、ましてや自分以外のことをも理解するには未熟で発展途上の存在だ。今回の一件も、元々は彼が全ての罪を一人で引っ被ろうとしたことが原因だ。彼女はそれが悲しかった。何故、自分の罪を自分で償わせてくれないのか。それはまだ自分が、彼に認められていないからかもしれない。そう思うと、彼に対してシィーアは――

(絶対に勝って、認めさせるのじゃ。我は守られるだけの存在でなく、主の隣に立つに値するということを)

 シィーアにとって、もうおやっさんとの諍いは関係ない。これは自分の誇りのための戦いだ。だから、勝つ。それだけだ。

 そしてオウカとの距離が十メートル圏内に入った瞬間、シィーアは空高く跳んだ。彼女を追うように、オウカの周囲である半径五メートルの場所から一斉に大量の茨が天へと伸び上がる。

 瞬時に反応してまだ回避出来る空間を『見切』ると、オウカはシィーアの待ち構える空へと雷速で跳躍した。しかし死中に活を求める彼の迅速で的確な行動は、あと一歩のところで及ばなかった。

 茨の檻からオウカが抜け出す寸前、シィーアは纏った全ての茨を棘を開放し、彼に射出した。茨は網状に広がり、彼の進行上に襲い掛かる。これには流石のオウカも空中にて方向を変えることが出来ず、双剣にて最小限のダメージで受け止めるしか方法はなかった。

 シィーアが開戦から今まで繰り返した布石が功を成す。彼女の入念な刷り込みによって、オウカは茨を身に纏うことと茨の壁を同時に発生させることが出来ないと思わされていた。それと同時に戦うときは徹底して接近戦のみで対応していたため、飛び道具として茨を使用したことがこの結果を導く大きな鍵となったのである。

 オウカが地面に着地すると同じく、頭上の茨も彼を覆い隠すように、ドーム状にそれぞれを絡ませて強固なものとしてゆく。剣でも斬れない植物の檻は、ここに完成した。

「ハァ……ハァ……主よ、負けを認めよ」

 時間にして一秒にも満たない刹那の攻防の勝者であるシィーアは、その檻の天辺に着地すると息を切らせながらもオウカに降伏を促した。

 この時のために温存していた体力は最早風前の灯火となり、息もえとなっていたが、その顔はどこか満足気であった。

「この檻――敢て名付けるならば〈蝕縛しょくばくの園〉は、時間が経つと共に内側へと侵食を始める。これに囚われた時点で、主の負けは決まっておる。だから素直に降伏するのじゃ」

「……」

 降伏勧告をしても、中からは無言の返答のみ。つまりオウカは負けを認めていないということである。シィーアは、「仕方がないのぅ」と呟くと〈蝕縛の園〉へと僅かな力を注ぐ。活力を得た茨は徐々にだが、確実に内側への侵食を始める。

「主の意志は分かった。そうであれば、シィーアもそれに応じよう。主が気絶するのが先か、我の体力が尽きてこの〈蝕縛の園〉を維持出来なくなるのが先か、勝負じゃ」

 茨は絡まり、初めは網目状に開いていた隙間も次第に小さくなってゆく。蠢くように、獲物を狩るように内側にいるオウカとの距離は狭まる。


 そして、〈蝕縛の園〉は――外界からは一切の光が入らない真なる暗闇と化した。



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