第十七話 記憶に蔓延る悪夢③
鬱回が続いておりますが、この話で最後です。
次の話から現在に時間が戻ります。
今回もこの次に楽しい小説か、映像をご用意下さい。
彼女の――ミレットの問いに対して、ルービンゼとジョビスがとった行動は正反対のものであった。
ルービンゼは自身の気分の高揚を阻害された為か、はっきりと落胆の表情を浮かべており、ジョビスは心の底から面白いものを聞いたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。
「そんなものはどうでもいいだろう。それよりも――」
「おいおい、そんなこと言うもんじゃねえぜ。すんげー可哀想だろ、自分の知らないことをそのままにしておくってのはよ。……っくひひ」
ジョイスは地面から立ち上がると、背を向けて廃屋の奥へと嬉しそうに歩いてゆく。
それを見ていたルービンゼは不快そうに、ふんと鼻を鳴らした。
「まったく時間の無駄だ。彼女も理解していることを何故、今更教えねばならんのか理解に苦しむ」
それでも彼は、ジョビスの行動を止める意思がないらしく、腕を組んでそれ以上は言及しなかった。
ミレットから距離にして十メートル離れた位置まで歩くと、錆びれた大きな機械の物陰に入っていった。しばらくの間、靴と地面が接して擦れる音だけが聞こえたのだが、その音は止まり無音となった。その時間も数瞬で、今度はこちらに戻ってくる足音と新しく混じった音で彼女は寒気を覚えた。
ずる……ずる……ずる……
何か、重たいものを引きずる音が響く。聞こえる。
ずる……ずる……ずる……
その音に、ミレットは耳を塞ぎたくともふせげない状況に絶望を抱く。
「なあ、嬢ちゃん、嬢ちゃん。あんたの夢に出てくた王子様ってのは、どんな形をしていた? いい服を着ていたか? それとも今時流行りのモヤシっぽい優男か?」
ジョビスの姿が見えないのが更に恐怖を増す。彼が何《、》を引きずっているのかが理解出来ない。
「ミレット・フォウント、君が招いた結果だ。私はあいつに君がこのことを問わなければ、そのままにしておくことを誓約させていた。私なりの気遣いだったわけだが、それも徒労に終わった。好奇心は猫をも殺す。昔の人間は得てして実に理にかなった表現を思いついたものだ」
「わたしは……」
「ほら、絶望がやってきたぞ」
縋るような視線を送ることしか出来ないミレットを、ルービンゼは無表情に見返し、先程ジョビスが姿を消した場所を指差した。
そこには、半身だけを見せてるジョビスがいた。空いている手でミレットへと手を振りながら、にこやかに話し掛ける。
「どうした嬢ちゃん、俺の声が聞こえなかったか? もうすぐにご対面だからよ、もうちょっと待っててくれや」
予想はしていた。
彼らのいう夢でフエルに出会ったときから。
でも信じたくなかった。
ルービンゼのギフトが偽りで、この誘拐が金銭目的だけならどれだけマシだっただろう。
「よっこらしょ、と」
掛け声と共に、ジョビスが全身を表す。
絶望がそこにはあった。
生々しいまでの絶望が――姿を現した。
「ぃゃぃゃぃやいやいやいや、いやだ。いやだよ、いやぃゃいゃいやいゃあああああああああああああああああああああああああアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああアァアァアあああああああああああああああああああああああああああああああああああァあああああああああああああああああああァアあああああああああああああああああァァァああああああああッ!」
絶望が、絶叫が、最悪な光景がミレットの視覚と聴覚を埋め尽くす。
死後硬直が始まっているのか、高級なスーツを着た人間だったものは奇妙な形で固まっており、その片足をジョビスは引きずっていた。
何故、死後硬直だと判断出来るのか。それは頭部の上半分が喪失している人間が生きているはずがないからである。今も身体の中に残っていた液体を出し尽くさんとばかりに水溜りを作り出していた。
「いやあ、いい悲鳴だ。ゾクゾクしちゃうよおじさん。ぅ――おおおぅッ、きたきたゾクっときた!」
本当に嬉しそうに恍惚とした表情をしながら、肥満男はミレットへと近づく。その後ろには大きな筆で字を書くように、地面には赤黒い線が一本長く伸びている。
「俺はな、嬢ちゃん。身代金とかが目的じゃねえんだわ。ただ単に人殺しが好きでな。昔からこの都市に観光に来ていた旅行者とか、人気のない場所に遊びにくる馬鹿な奴らを相手にしてたんだけどよ。流石にそれを十年も続けているとちぃっとばかし足が出てしまったようで、最近俺の周りをウロつく奴らが増えたんだわ。もちろんまだ犯人と確定してないようだからいいんだけどよ。きっと捕まったら死刑ってなもんさ。けど、もったいねえじゃないの。俺っていう人間が消えてなくなんだぜ。悲しいよな」
肺にあった空気は空になり、ミレットは酸欠から生まれる明滅した視界の中でジョビスの楽しそうな独白を聞いた。
――狂っている。この男の人は狂っている。
「だからよ、この都市を出ようかと思ったんだけどな、ふと噂を思い出してよ。そうそう察しがいいねえ嬢ちゃんは。ルービンゼの旦那が都市が抱える秘蔵のギフトを持っているってのは裏では実しやかに噂されてたんだ。でだ、なんのことはない。互いの企業が牽制し過ぎて警備なんてものはなく、驚くほどにあっさりと出会えたってわけだ。日頃から善行してた御蔭ってやつだな」
「まったく、お前ほどに正気で狂った者は今まで見たことがないよ。しかしだからこそ、私の望むものに協力してくれたというのもあるのだがね。私のギフトでは戦闘や人殺しには向かない。まず一人ではここまでのこと出来はしなかった」
「よせや、俺は俺が楽しく殺しが出来るからやってんだよ。それにあんたのギフト、相当エグくて俺好みにはっちゃけてたし、これで気兼ねなくここからオサラバ出来るってもんさ」
狂った二人の大人たちに囲まれて、ミレットは茫然自失に成りかけていた。ここには救いがない。誰も助けに来てはくれない。ましてや自分の力で逃げることなど不可能だ。そこまで思い立つと、彼女は自分の意識を保つことに意義がないことに気付いた。
(ごめんなさい、ノイトさん。私の所為でこんなことになってしまって……。わたし、もう、だめです。母様、父様、姉……様、ごめんな……さい……――)
そして、ミレットは微かに残った理性を手放して、暗い自己の内側へと意識を埋没させることにした。
これで何も見なくても、聞かなくてもいい。
※※※※※※※※※※※※※※※※
「…………ッ!!」
「!!!!!!!」
「!!!!!!!――ッ!!」
「ぐぅあ――ッ…………!!」
(………………………………………………………………――なに?)
もう目覚めることはないと思っていた意識を呼び覚ましたのは、周囲に聞こえる音。
雑音。騒音。不快音。どれもが嫌悪感を刺激する音ばかり。
「どうなってやがんだ! おい、ルービンゼの旦那ッッ! 説明しろよッッ!!」
「私にも、ブハァッッ……はぁはぁ……分かるものか」
ルービンゼとジョビスの怒号と悲鳴が聞こえる。酷く焦った様子で、声の聞こえる大きさからミレットから離れた距離にいるようだ。
(もしかして――助けが?)
ミレットは希望によって湧き上がる最後の力を振り絞って重い瞼を開けると、彼女のちょうど前方にて事は起きていた。
ミレットを誘拐した二人の男たちは地面に伏して、苦しみ悶えている。その近くに立っている人がいた。かすれる視界の所為ではっきりとは分からないが、その瞳に映るのは少女であった。赤い服を着た少女。この場所にはそぐわない格好である。
「ねぇ、どうしてそんなに苦しそうな顔をしているの?」
少女は無邪気に地に伏す大人たちに声をかけている。いけない、と咄嗟にミレットは思った。もしかしたらこの廃屋に迷い込んでしまった子なのかもしれない。そうすると彼女が危ないという事に気がついた。
「――っ」
少女に「逃げて」と、ミレットは声に出して危険を知らせようとしたが、度重なる嘔吐と悲鳴によって喉からは痛みと空気が抜けるだけに終わった。
「ねぇ、おじさんたちどうしたの? 何で答えてくれないの?」
助けは来ている。それは今現在も立ち上がる事の出来ないルービンゼたちを見て分かる。誰かがわたしを助ける為に何かをしたんだと、ミレットは思った。
だけど少女と彼ら以外に誰も見えないのは何故だろうと、一瞬疑問に思ったが、それよりもまずはあの少女に危険を知らせなくてはならないと再び喉を震わせた。
ズグッと痛む刺激に頭が真っ白になりそうになるのを歯を食いしばって耐える。
(声が――声が出せないのなら、何かこっちに注意を惹きつけないと)
身体と腕はロープで縛られているが、それ以外は動かすことが出来る。ミレットは自由になる足をバタつかせて地面を何度も叩いた。
その甲斐があってか、少女はミレットに気付いたようであった。
「あ、起きたんだね。よかった。こっちもね、もう少しで終わるから、楽にしてていいよ」
徐ろに少女は二人の大人へと近づく。
ダメっとミレットは声を出したかったが、出てくるのは声にならない声。そして耐え難い刺すような痛み。
少女とルービンゼたちの距離が零になった瞬間――ミレットの予想とは異なる事が起きた。
「がぁあああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
まるで粘土でも引き千切るかのように、少女はジョビスの足をあっさりとその小さな両手で分断したのだ。
赤くて黒々とした液体が噴き出して少女を濡らす。
ミレットが少女に対して赤い服を着ていると思ったのは仕方のない事である。彼女はミレットが目を覚ますよりも前から血で赤く染まっていたのだから。
「ぁぁああああああああぁぁあぁぁあぁぃぃぃいいいいいいいいいいいいってぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!
………………ゃりやがったなぁぁあッ! このガキィィィィッ!」
「やりやがったってひどいよ、おじさん。わたしにしたことだってひどいことでしょ? だからおじさんたちにも同じことをしてあげなくちゃいけないんだよ」
もうミレットの思考は限界であった。度重なる絶望と恐怖に心も限界に近づいていた。何が起きているのかがまったく理解出来ない。
「わたしをここまで無理やりつれてくるんだもん。ほら、肩とかお腹とか痣になっちゃったよ」
「ころすぅ殺してやぁるぅぅぅぅッ」
「それよりもひどかったのはアレだね。人間の脳みそなんて食べ物じゃないんだよ。とっても不味かった。お母さんやお父さんに教えてもらわなかった、のっ?」
「ァガァアアアアアアアあぁアアアアアああああああああああアアアアアアアあぁ!!」
今度はルービンゼの腕が二本、宙を舞った。赤い放物線を描いてミレットの後方へと消えてゆく。そして遅れて彼女の頬を濡らすものがあった。嗅覚もおかしくなっている為、匂いなどでは分からないがこれは血なのだと肌で感じ取った。
「嬢ちゃん! あんたにも良心があるのなら止めてくれ! 悪かった! 俺たちが悪かった! もう何もしない! 約束する!!」
「嘘つき。さっきはころすって言ってたくせに。嘘をつく人はね、どうなるか知ってるかな……おじさん?」
「ぃ……やめろ、やめろ、ややめてくれぇえええええええ!!」
(これは……夢よ。だって、わたしがあそこにいるわけないもの。わたしはここにいるのよ?)
少女の声に聞き覚えがあった。でも理解は出来なかった。誰だって自分の声を自分で聞くのと、物に録音した声を聞くのとでは大きな差がある。
「ぐぅあッ……はぁはぁ……ミ、ミレット……フォウント、謝罪する。これらの罪を償うと、ぐぅぅぅッ、はぁはぁ、約束する。だから、助け――ッ」
だがここにいる誰もがあの少女を――真っ赤に染まった少女を――ミレット・フォウントだと呼ぶ。だったらわたしは誰、と無力にもロープで縛られて動けない少女は思った。
そこで身体が限界にきたのか、それとも精神が限界にきたのか、ミレットは落ちるように意識を失った。
その間際、声を聞いた。自分に似た、決して自分とは違う声を――
「お休み、ミレット。わたしはいつでも君の近くにいるよ」
ホントに長くなってしまいました欝回。
次の話は現在に戻りますが、少しだけミレットとオウカの会話で
過去の話が絡みます。
しかし、そこらへんは主人公であるオウカがばっちりと
ヒロインの一人であるミレットをフォローしてくれることでしょう!
誤字脱字、ご意見等がございましたら宜しくお願い致します。
追伸
現代学園もので怪奇ものを書き始めました。
タイトルは「日常が何処へ行ったか知りませんか?」というものですので
もし宜しければこちらもお読みいただければと思います。