第十六話 記憶に蔓延る悪夢②
初めに注意しておきます。
今回の話は、読み手の皆様に不快感を感じさせる描写がございます。
いつもの前書きとは異なったものとなっておりますが、それを記述するために敢えてここを選びました。
読まれる際は、この後に面白い映像、又は小説を用意の上、ご覧になって下さい。
バシっと鋭い音と頬への痛みでミレットは目を覚ました。
ぼやける視界に映るのは、ほの暗い廃屋の様をした屋内。長年の間、誰も使用していなかったことが荒れ具合で分かる。夕日が窓から差し込んでいるのか異様な雰囲気をかもし出している。尤もこれが昼だからといって、この空間に染み付いた陰気な感触は拭うことなどできないのかもしれない。
「……え、あれ?」
先ほどまでいた宝石店とまったく異なった景色に、ミレットは戸惑いを隠せずにいた。
戸惑いと朦朧とした状態の中で聞いたことのある声が聞こえた。
「お、目が覚めたか?」
(……この声は――)
探すまでもなく、声の主はミレットの向かって左の地べたに腰掛けて、こちらを眺めていた。
歳にして四十代に差し掛かっているであろう風体の男は、安物と分かるスーツを着崩しており、暴飲暴食という言葉が似合いそうな身体をしていた。呆然とするミレットに、男はヤニで黄ばんだ歯を見せるようにして微笑んだ。
「よかったよかった、ちゃんと目覚めてくれて。こいつのギフトは有能だが、それでも今回のことは初めての試みだったから心配してたんだ」
男はそう言いながら、後ろにいる人物を指差した。ミレットが男の動きに従って顔を向けると、そこには皮と骨ではないかと気になるぐらいに痩身の血色の悪い男が破棄された機材に寄りかかって立っていた。歳は判別のしようがなかったが、決して若くはないだろう。
「対象が死んでしまうのは、俺の望むところではない。結果、無事に済んでいるだろう」
暗く低い声で痩身の男は呟くと、おもむろにミレットへと近づく。
恐怖から後ろに下がろうとするが、それは叶わないことであった。あまりにも不可解な事態が多く、自分の状況が飲み込めなかったのかもしれない。
ミレットは自分の身体が、両腕と腰を軸にして太いロープが何重にも巻かれていることにやっと気付いた。
「な、何で!?」
「別に気にするでもないだろう。君は、我々に誘拐されたのだから。もっとも、ここまで来たのは君のその足で、だがね」
痩身の男から言われた言葉の意味が分からず、自由になる瞳で問いかけるが、男は勿体ぶった仕草で明確には答えない。
「心配することはない。君の脳は、ちゃんと記憶しているはずだ。何なら下校中のことを思い出してみるがいい」
「そんなっ。だって、私は――ッ」
ミレットはそのまま、「知らない」と言おうとしたのだろうが、それは出来なかった。
あるのだ。この廃屋まで自分の足で歩いて来た記憶が。
反論しようと開いた口は、驚愕の様に変わって固まる。
ミレットが見た――いや、思い出した記憶は、まるでいこれまでの行動を巻き戻しするかの如く、現在から過去へと戻ってゆく。廃墟に入る瞬間。すれ違う知り合いにただ虚ろに返事をしている瞬間。歩く速度が遅いためか、肥満男に肩を殴られる瞬間。
そして――
「う、ぅおぇ……ッ」
「チッ、お嬢ちゃん、吐くなら吐くってちゃんと言ってくれよ。お蔭で俺の一張羅にちょっと付いちまったじゃねえか、よッ!」
肥満男は慣れた仕草で、ミレットの頬を叩いた。呼吸が整っていないため、彼女からはまともな悲鳴も出せず、くぐもった音が夕闇に染まった廃屋に反響した。
「きったねえな。あぁあぁ、手にも付いちまったじゃねえか」
「そんなことよりも、思い出したんだな?」
自己中心な男の発言に対して叱責することもなく、痩身の男はただ確認する。
急に顔を青白くしたミレットが思い出した――その、何かを。
ただしミレットは答えることが出来ずにいた。
己の内側から込み出してくる吐き気と、己が体内に入り込んでしまった不純物を体外に吐き出したいという欲求によって。
彼女が思い出したのはおぞましい光景。
それは――
「この歳のガキにゃあキツ過ぎたか? 別に生きてりゃ色んなもん食うだろ? たかが人肉食ったぐらいで、こうまで潔癖になるもんかね」
全ては肥満男が語った内容の通りである。何故今までそれを忘れていたのか。
その事実を語るのは痩身の男と肥満男。
「仕方があるまいよ。私自身もこのギフト、〈悪食故に慧眼へと至る〉には嫌気が差すものだ。だが彼女がこうなっているのも、私の所為だけではあるまい。ジョビス、お前のギフトがこの状況を生み出していることも忘れるな」
ジョビスと言われた肥満男は、さもひどい言いがかりだとばかりに肩を竦めた。その仕草の似合うことも相まって、コメディアンの寸劇にすら見えてしまう。
「馬鹿言ってんじゃねえよ。俺の〈泥時酩酊〉はたかが数分間相手の意識を朦朧とさせることぐらいだぜ。その間に、こんないたいけな少女に脳味噌《、、、》食わせたの、一体何処の誰だってんだ。ええ、ルービンゼさんよぉ?」
「私だが問題ないだろう。今回のことは私への報酬において、必要不可欠だったと判断出来る」
痩身の男――ルービンゼは表情一つ変えずに言った。
ルービンゼのギフト、〈悪食故に慧眼へと至る〉を希少価値で測るのであれば、それは正しく希少と言えるものであった。死者の生前の記憶を元に、対象者は追体験、又は擬似体験することが出来る唯一無二のギフト。
ただし、この能力は世間から疎まれることとなる。理由はジョビスが話した内容の通り、効果を受ける対象者――ルービンゼ自身が、死者の脳味噌を摂取する必要があるのだ。摂取する量が多ければ多いほど、得られる情報量は莫大となる。しかし、倫理的にも道徳的にも、そして人として逃れられないカニバリズムの嫌悪感から、ギルドによってこのギフトの使用を禁止されていた。もし使用するのであれば、ブルドオムスで起きた重犯罪や、封印区域の探索中に非業の死を遂げた開拓者の原因を探るためでしか許可が出ることはない。
それでも彼のギフトは希少なのだ。どれだけ人の嫌悪を、悪態を束ねられようとも、その事実は揺るがない。故にルービンゼの立場は他の開拓者より好待遇となる。他者よりも好条件の住居を与えられ、求める物は大抵叶えられる。それだけの人材なのだ。
だが、そうなると一つの大きな疑問が浮かぶ。ギルドにとって希少価値の高いルービンゼが何故、犯罪となる誘拐を行なったのか。
「しっかし、この嬢ちゃんの意識があっちに飛んでたといっても上手いこといったな。普通なら、俺のギフトを連続でくらう奴なんて、まず居ねえんだわ。それにこれだけの過程と結果があれば、あんたが望んでた実験も上々の成果だろ?」
ジョビスは懐から煙草を一本取り出すとその先端に火を点け、美味そうに紫煙を吸い込んだ。
煙る空気に更なる嘔吐を促されたミレットは、彼のギフトによってここまで連れてこられたのを、朦朧とする意識の片隅で感じとっていた。
「いや、まだだ。私のギフトの発動中、この娘が何を見聞きしたのかを聞き出すまでは、まだ成功とは言えない」
また、疑問と思われた部分は単純明快でもあった。ルービンゼは、己のギフトが他人にも効果を及ぼせるのかを知りたかっただけなのだ。そこに金銭的な目的はない。
彼は決して、このギフトを好んで使用している訳ではない。だからこそ、他人にこの不快な作業を押し付けたかった。
しかし、世間がそれを許しはしなかった。確かにこのギフトの希少性から一部の企業が着目し、事業としての名乗りを上げたことがある。世間には伏せ、あくまで暗部として世の中を守るという名目で。
だがそれを、誰が信じようか。このブルドオムスという都市は多くの企業が、市場が、競合する中で生まれた成り立ちをもつのだ。この事業が成立すれば、都市のパワーバランスが変わる。それに伴い、疑惑、疑念、妄執、確執、といった猜疑心で凝り固まった人間の感情は止まることを知らない。
極秘裏に行われた、無駄で無益な企業間の会議は結局のところ、一つの結果を出すことしか出来なかった。
“ルービンゼ・ググフが所有するギフト、〈悪食故に慧眼へと至る〉は個人の所有するものであり、ブルドオムス、又は他都市が保有するには利害の一致がとれるものではない。
故に我々は、このギフトの使用及び行使に際して利益が発生する場合、これを禁則事項とするものである。
又、今後、これらの情報が漏洩することを固く禁じ、ルービンゼ・ググフが他者に対してギフトを使用することも禁則事項の一考と挙げられる。
もしこれらの規則に従わぬ個人、組織、企業、都市が現れた際には、ブルドオムスが有する武力をもって阻止するものとす”
つまり、ルービンゼの望みは都市の巨大なる権力と醜い欲望によって、永遠に叶えることが許されないと本人の知らないところで決められたのだ。
失意の底に投げ出されたルービンゼは、諦めた。正攻法で叶えられない願望を、諦めた。
そして一つの考えが、思考の暗部から浮き上がった。ならば邪道だろうが、非人道的だろうが、叶えられる道を探せばいい。表向きは彼らに従い、その内面では虎視眈々と己の願望を果たすために、今は諦めた振りをすればいいのだと。
十年の月日を経て、彼はこうして願望を自身の行動で果たそうとしている。
「君は何を見た、ミレット・フォウント。現実としか思えない夢の中で、一体何を見た?」
「…………こほっ……ぅぇ……」
「君も見たんだな? 君が知る人物の世界をッ」
話している内に段々と熱を帯びてきたルービンゼの口角には泡が出来ていたが、彼はそれを拭うこともしなかった。ただひたすらにミレットから答えを、長年求め続けていた答えを欲っしているのだ。瑣末なことなど、もう意識に入らないのかもしれない。
しかし、問われたミレットはというと、別のことを考えていた。彼女は胃袋の中身が空になった今でも尚、口に留まる形状しがたい不快感に苛まれながら、一つの疑念が頭の中から離れなかった。
そして、自分が内部から吐き出したモノの中に赤と白の物体を視界に映しながら、絶望感に身体を縮こませて、それを言葉にした。
彼は――フエル・ノイトさんは、どこですか?
皆様、いつも読んで頂きまして誠にありがとうございます。
何とか更新することが出来ました。
今回の話、短いですが何とも後味の悪い内容となっております。
それも彼女――ミレットの心に沈んだ悪夢を表現するために、敢えて自分がトラウマに感じるレベルの不快さを執筆してみました。
次回の話も救いはないです。
ですが、それだけでこの作品を終わらせるつもりは毛頭ございませんでのご安心を。