第十四話 協同作戦⑤
この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
一方、地下道にいるオウカたちはと言うと、シィーアの予想通り食糧難で呻いていた。
地下道での進行も魔物との度重なる戦闘が繰り広げられたが前進はしており、今は一時的休息を得るために壁面の隙間の奥にあった空洞に腰を落ち着けている。
「うぅ、こんな事ならもっとお菓子を持ってくるんだった」
尤も呻いているのはミレットが主で、オウカの方はと言えばそんな彼女を呆れた表情で眺めていた。
ミレットが持ってきた食料は言葉のままお菓子であり、チョコレートや飴玉などが数個。
それらを包袋ごと地面に広げる形でどう分配するかが要となっているらしく、彼女たちはあと少しでもどちらかが近づけば接触するくらいの距離で向かい合っていた。
活動に必要なカロリーとしての効果がある分まだましであるが、オウカは何の食料品も持ってきていなかったのが現在彼女を悩ませている原因である。
彼の言い訳は、「いや、シィーアがいるから大丈夫だと思ったんだが」と人任せなもので、開拓者の必需品というのを全然分かっていなかった。
そう不条理な憤りと苦悩の下火を燃やしているミレット自身も、栄養価や摂取カロリーの高いレーションを持参していない時点で開拓者として疑問が上がるのだが、連戦の影響かそこまで考える余裕がないようだ。
「だから何度も言うが、俺は別に食事は取らなくても大丈夫だ」
「何言ってんのよっ。こんな連戦の中で動けなくなったら二人とも終わりなのよ? 栄養補給は出来るときにしておかないとっ」
ぐっと拳を握って力説するミレット。
そしてもう何度同じ事の繰り返しをしただろうか。
「そう言うなら、俺はこのチョコレート――」
「あぁぁ……」
「と見せかけて、飴玉を――」
「うぅぅ……」
と、この様にオウカが手を伸ばすと決まってミレットが大切な宝物が奪われる子供みたく悲しい声を出すのだ。
正直やってられない、という表情がオウカの顔にはありありと出ていたのだが、ふと目線を移動した瞬間に彼の表情が固まり、何かに焦るかのように早口で捲し立てた。
「ま、まぁ、この食料を持ってきたのはミレットだし、先に選んでくれ。俺は残りもんで構わないから」
そう言うとオウカは壁に寄り掛かって目を閉じた。休息の方法は人それぞれで、彼にとって食事をとるよりも自己の中にある気を高める方が効率が良かった。
別にミレットが上目遣いでこちらを伺っているのが耐えられなかった訳ではない。
ましてや屈んでいる所為で胸元から見える肌が気になっているなど、断じてない。
お互いの様子が見れる程度には視界が確保出来る光量があるとはいえ、鮮明に視認出来るはずがないのだから。
雑念だらけの状態で大した回復の見込みはないだろうに、オウカはひらすら瞑想するのであった。
時間にして五分程だろうか。無言の状態が続く中、ミレットのいる位置で身動ぎする音を聞いた。
残り物で構わないと言った手前、ある物は有難くいただこうと瞳を開くと、そこにはチョコレートや飴玉などの食料が手付かずのままで置いてあった。
対面に座っているミレットは体操座りの姿勢で膝に顔を埋めており、オウカからは表情を確認する事が出来ない。
「何だ、まだ決めて――」
「そう言えば、オウカってどうして開拓者になりたかったの?」
依然とミレットは顔を伏せたままなのでどのような顔をしているかは定かではないが、声質からどこか怯えている気がした。
何に怯えているのかは不明である。
確かにここは封印区域で『種』に一番近い地下道である。魔物も多く、オウカの気配察知の効かない敵も多い。
それでも戦闘中は彼女自身も前向きに生き残ろうとしていた。
それが何故今になって、一時的とはいえ安全な場所で怯える必要があるのだろうか。
突然の状況の変化に追いつけないオウカは、ミレットが尋ねるままに答えるしかなかった。
「それは、憧れていたからだ」
「憧れ、か。でもそれが全てではないでしょ? 何か『切っ掛け』があったんでしょ?」
「ッ……!」
オウカの心深くに食い込む問い掛けは彼から言葉を奪うには十分なもの。
ミレットがこうもオウカに深く踏み込むのは初めてであった。彼女は彼女で仲間との線引きを上手くしている節があったので、その事に安心しきった自分がいた事実に改めて気付かされた。
一種の動揺がオウカの行動を縛ってしまう。
対して彼女は初めから返答を期待していなかったのか、話を続ける。
「お姉ちゃんに聞いてもう知っているかもしれないけど、わたしは一三の頃に開拓者になった。その歳で開拓者になる人は珍しいようで、最初は冷やかしかと思われたくらい。でも結果として、わたしは開拓者になれた。
理由は簡単――それだけの決意があったから。まぁ、その決意ってのが子供が抱くにしては異常だったみたいでね。当時、ギルドの受付にいた人ったら随分困た様子で何度もわたしの顔と書類を見比べていたもの。でも最終的にはわたしが本気だと分かってくれた。とある事件で有名になっていたから、この顔も知られていたらしくて、わたしが何故開拓者になりたいのかを察してくれたわ」
話しだした時と同じく、会話の終わりも突然と途絶えた。
ミレットの話は心の深層にある部分なのだろう。オウカは聞いていて自分の身体を極薄の刃でなぞられるのを幻視した。
その人が過去に負った精神的苦痛は話すだけで周りの人に擬似的であれ、同様の傷を負わせる事が出来る。
人とは想像する生き物である。故にオウカの心には現在進行形でミレットの傷を身に受ける準備が出来ていた。
例え彼自身にそのつもりはなくとも、精神を傷付けられる受け皿は完成していた。
その準備が出来ていながらも、オウカはこうも思う。
(――何故、何故ここでその話が出てくるんだ……俺は、見たくない、聞きたくない)
それはそうだ。誰しも傷は負いたくも、受けたくもない。
もし苦痛に耐えられる理由があるのであれば、ある意味その人物は精神のどこか、あるいは心の一部を麻痺させているのだろう。
人の醜さを嫌と言う程見聞きし体験してきたオウカにとって、これは誤魔化し様のない恐怖。
過去を抉り出す、恐怖。
いつの間にか怯える側は変わっていた。
早くこの話を終わらせたいと思うのだが、オウカは自分の意志とは反対の言葉を口に出していた。
「――事件?」
話の先を促す様に、自ら刃に飛び込む様に発した言葉は誘い水となる。
「簡単な事だよ――事件というのは誘拐。誘拐事件。
わたしたちの両親が事業で成功しているのはもう知っているよね。だからそれを妬む人はたくさんいるの。当時まだ幼かったわたしは彼らにとって格好の標的。それこそお金を生み出すモノとしてあっけなく攫われたわ。そりゃそうだよね、今でさえ開拓者として自分を鍛えているけど、あの頃のわたしはとても弱くて弱くて弱くて、内向的な子供だったんだから。
だから捕まった。脅されるままに、抵抗する事もなく、怯えたわたしは彼らに従った。
でもね、子供の歩く速さって限られているでしょ? 相手は大人。どうしても彼らの期待する歩みではない。監禁場所に着くまでの間に大人の力で殴られた。殴打された。痛かった。とっても苦痛だった。
悪人って言うのはホントに悪い人の事で、わたしを殴っても周りがそれに気付かない様に服の上から殴るの。決して肌が露出している場所には手を触れない」
「だったら……声を、助けを呼べば」
「呼べる訳ないよ。恐怖ってね、全身隈無く行き渡るの。お蔭で助けも求められないまま彼らのアジトに足を踏み入れた。皮肉な事にその場所は実家から三件隣の小さな倉庫で、途中ですれ違う誰もが彼らを両親の部下だと勘違いしていたみたい」
ミレットの淡々と紡ぐ言葉が深々とオウカに喰い込む。
極薄の刃だと思っていた物語はその様な優しいものではなかった。まるで鉋の如き荒々しさで聴く者の心を削ってゆく。
まだ幼いミレットの心象に刻まれた記憶は未だ生々しく血を流している。
オウカにはその光景が視える。
きっとそれは錯覚だろう。幻だろう。
だが目の前の少女は苦しんでいるのだ。あの時からずっと。
ミレットの傷がオウカの傷と同調した訳ではないが、助けたいと思った。
物理的な救いではなく、精神的な助け。
もしかしたらミレットは自分の助けなど求めていないのかもしれないが、それでもオウカには彼女の傷を見過ごす事など出来なかった。
もう怯えはない。あるのは身勝手な決意のみ。
「と言っても結末はあっさりとしていて、翌日にわたしは開拓者の手で無事保護されたんだけどね。そして現在、わたしはここにいる。誘拐された少女は大した事もなくてみんな幸せでしたとさ。めでたしめでたしって感じで――」
「でも、それだけじゃないんだろ?」
オウカの言葉は、ミレットが語る偽りの結末を撃ち抜く。
「……それだけじゃないって、何が? 被害者であるわたしが言ってるんだからそれが全てよ。他に何もない」
「だったら、だったら何でお前は今も顔を隠してんだ。ミレットの言う通り、一日で事件は解決したのかもしれない。いや、したんだろうな。だけどその間に何があったか、子供の頃のお前が命の危険の伴う開拓者になろうとした肝心な所は何処に行ったんだよ」
「そ、れは……」
「言えないなら待ってやる。いくらでも待ってやる。斯く言う俺も一つや二つ話したくない事はあるが――それでもミレット、お前は話すべきだ。もし話すまでの心構えが必要なら返礼として、俺自身の昔話でもしてやるよ」
オウカが今まで語ろうとしなかった過去を話すと言う。
彼を知る者であれば驚愕に値する内容であった。
それだけに込められた意思は強く、ミレットの伏せた顔を上げさせるに十分な言葉。
久しぶりに見た気がする彼女の表情は驚きで象られていたが、その瞳には迷いが視える。
「で、でも、わたしは――」
「有りの侭、起きた事を話せばいい。それで付き合いが変わるのなら、俺はそこまでの人間だったって事だろ。だけどな、俺はきっと変わらない。変わらないんだ」
オウカは立ち上がるとゆっくりとだが確実に歩み、事実を話す事を怯えている女性の元へと近づく。
ミレットが怯えているのは、自分の心の内を話す事でオウカから拒絶されるのではないかと思ったから。そして、話す事で自分達の関係が変わってしまう事を恐れたから。
その気持ちが痛い程に分かるオウカだからこそ、彼は聞かなければならない。
事実が何程醜かろうと、反対にあまりにも呆気ないモノであろうと真剣に彼女の傷を受け取らなければならない。
ミレットとの距離があと一歩という位置でオウカは立ち止まり、しゃがんで目線の高さを彼女に合わせる。
いくら周りが薄暗かろうと、この距離で互いの顔を認識出来ないはずがない。
「だからミレット、この俺に話してみろよ」
オウカがぐっと残りの距離を縮める一歩を踏み出そうとした瞬間、ミレットは顔を真っ赤にして慌てて手を正面に突き出した。
「わわわわ分かったから、顔近いってっ! 話す、話しますから、そそそんなに近くだと話せないよ」
「あ、ああ、すまない」
気持ちが先行してしまっただけあって冷静になってみるとこの状況はあまりにもアレなのでは、と今更ながらに思い至ったオウカはミレットに言われるままに後ろへ下がろうとしたのだが、そこはミレットに止められた。
「べ、別に正面がダメなのであって、隣ならいいよ。うん、問題ない。そう、問題ない」
「そうなのか?」
「もうっ、わたしがいいって言ってんだから、さっさと横に座わればいいじゃないっ」
「ああ、その……なんだ、了解した」
話の主導が再びミレットに戻ってしまった所為か、オウカはおずおずと彼女の隣りに座る。尤も、また距離が近いと言われては落ち込んでしまいそうなので人一人分空間を空けて座ったのだが、その気遣いは不要だったらしくミレットの方からオウカのすぐ隣りに座り直していた。
(――近い。物凄く近い気がするんだが……)
オウカがそう思うのも無理はない。
ミレットが座り直した場所というのが、互いの腕が触れ合うか否かのギリギリの隙間しかなかったのだ。
オウカが横を向くと、ミレットは決して広くはない空洞の天井を見上げていた。何から話すべきか思案しているのだろうか。その表情は過去を振り返る事の懐かしさと苦味を噛み締める色合いを窺わせていた。
この距離の意味を悟ったオウカは気を引き締めた。彼女の覚悟がこの距離なのだと、そう悟ったのだ。誰しも言いたくないモノには距離を置いてしまう。
しかしそれでもミレットはオウカに、他人とも言える人間に自らの内側を晒そうと言うのだ。その覚悟は尋常ではないだろう。
暫くは無言の時間が過ぎた。
そして一際長い深呼吸の後、彼女は語りだした。
「初めから言っておくけど終始この話に良い事はないから、そのつもりでいて」
語りは重く、静かに始まった。