第十話 協同作戦①
この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
封印区域の内部――門前の広場に入ると、オウカは周囲を見渡して魔物がいないことを確認した。オウカやシィーアなら目視をしなくとも魔物の気配を探る事が出来るのだが、それが出来ないミレットやおやっさんに無駄な緊張を与えないための配慮である。
「魔物もいないようだし、ここで役割を決めておくか」
「そうだな、何せ相手はシンフルベアだ。戦闘時の作戦が疎かだと命の危険があるからな」
おやっさんは神妙な顔で頷いた。開拓者としての過去を持ち、今も素材集めのために時折この封印区域を探索する彼にとっては今回の依頼が如何に危険か理解しているようだ。
おやっさんたちが恐れるシンフルベアもオウカやシィーアにとっては、互角どころか同時に複数を相手にしてでも勝つ自信はある。
しかしそうなると困るのが、素材収集の問題である。通常倒した魔物は結晶化してしまう特性があるため、それでは素材として活用する事が出来ないのだ。解決方法はおやっさんが知っているのだが、企業秘密をそう易々と教えてくれるはずもない。
「前衛は俺とシィーアの二人でいく。ミレットとおっさんは後衛で俺らが取りこぼした魔物を対処してくれ。あとおっさんは、素材を回収出来る機会があれば教えてくれ。今回の作戦の要はあんただから、俺らは全力でフォローする」
「……おい、それが作戦か?」
「即席のパーティに連携を期待するのは、正直言って無理だろ? だから作戦というよりは役割と言ったんだ」
唸るおやっさんもオウカの言っていることは、これまでの経験からよく分かっているはずだ。仲間となる人物の動きが把握出来ていなければ、信頼して戦うことは不可能だ。最悪の場合、お互いが足を引っ張り合ってしまうことがあるため、オウカの言っていることは正しい。
「分かった。だけどな、ミレはどうする? 俺はシンフルベアの一匹くらいなら互角に戦う事も無理じゃねぇが、今のこいつにはまだそこまでの技量はねぇ。お前さんもそこは分かってんだろ?」
このパーティの弱点と指摘されたミレットは、反論もせずに黙っている。悔しいだろうが、事実だ。
だがおやっさんは別にミレットを非難したくて言っているのではない。この封印区域ではちょっとした油断が命に関わってくるのだ。当然これから向かう場所までの道中で、シンフルベア以外の複数の魔物と交戦になる可能性は非常に高い。運が悪ければ連続で魔物との戦闘に及ぶ事もあるだろう。
だからこそおやっさんはこの場で、心を鬼にしてもミレットを参加させるべきではないと、暗にオウカに告げているのだ。
「おっさんの言いたい事は分かった。けどな、ミレットがいつまでもあんたの知っている実力だってのは間違いだ。この四日間、あいつが何もしていなかった訳じゃない。それは俺が保証する」
「……ふざけんなよ、努力次第で何かがすぐに変わるんだったら誰もが超人だぜ。確かにこの四日間で俺の知っている実力を上回ったのかもしれねぇ。だがな、こいつがもし死んだら、お前さんはどう責任を取るつもりだ? ……そんな事誰も出来ねぇんだよ。
ミレも蛮勇を勇気と履き違えるな」
おやっさんの冷酷な指摘に空気が固まる。開拓者ならば誰もが死の隣に一番近い場所で立っているからこそ、この言葉は重い。
オウカも個人で『種』を破壊すると決めていた時は、それは当然のものとして受け入れていた。道半ばで自分が死ぬとすれば実力が足りなかっただけの事、そう思っていた。
しかし対象が自分でなく、ミレットだとすれば――いや、ミレットだけじゃない。今は彼女以外にも死んでいいなんて思える人間は、少なくともこのブルドオムスには存在しない。
ミレットを守る自信はある。……だがそれは絶対ではない。何故なら、世の中には絶対だと言えることでも、ある日突然崩れる事もあるからだ。千年前の『災禍の時』のように、無慈悲な災厄がある事を彼らは知っている。
だからオウカは何も言えずに、時間が過ぎるのを苦しく感じた。次に口を開く事があるとすれば、それはミレットの不参加の決定に他ならない。
「ちょっといい?」
この後の結果の分かった行方をもし壊せる者がいるとしたら、それは一人しかいない。
オウカたちの前に出たミレットは、己自身の胸に手を当てて皆に言葉を放った。
「わたしを外に勝手に決めないでくれる? 大体前提がおかしいのよ。何でわたしが死ぬ事が決定事項みたいに話を進めているの? もしかしてわたしが、ただのお荷物だと言いたいの? だったら残念でした。
わたしは――ミレット・フォウントは、動けるお荷物よッ!」
「「「は?」」」
固まった空気をぶち壊して、ミレットを除く一同の中に巨大な疑問符が浮上する。
「お、おい、ミレット――」
「黙んなさい。いいから、黙んなさい。わたしがこの四日間、必死に特訓したのは回避の術。はっきり言えば、それしか特訓していないわ! でもそれは封印区域で生き残るためには必要不可欠な事でしょ? 開拓者の先輩になるおやっさん、違った?」
「いや、違わねぇが――」
「ストップ。聞きたい事は聞けたから、もうストップ。ね? おやっさんも言う通り、回避は重要な事なのよ。そして嘘偽りなく話すと、わたしの回避は未完全。オウカの足元にも及ばないわ。そうでしょ、シィーア?」
「そうじゃな。しかし――」
「大丈夫。これ以上は言わなくても、大丈夫。分かってるのよ、自分でもこのパーティの中で一番弱いって。でもね、それが何? 何か問題でもある? さっきも言ったように、わたしは動けるお荷物よ。だから全力で、生きる気で回避するわ。何が何でも避ける。逸らす。足掻く。脱兎の如く逃げる。これがわたしの決意表明よ、誰か質問ある人いる?」
先程までのシリアスな雰囲気は完全に流れ、この場は彼女の独壇場へと様変わりした。誰もが出鼻を挫かれた。開き直りと一言で表すには、中々気合の入ったものだ。
意味が変わった沈黙が漂う中で、小さな笑い声が聞こえた。
「ふふふ、よいな。その気概、心地よいぞ。では、質問してもよいかの」
「どうぞ」
「もし、ミレットだけで対処出来ぬ事態に陥った場合はどうするのじゃ?」
「そんなの簡単よ、助けを呼ぶわ。それがわたしの〈風水流葉〉よっ」
「ふ、ふふ、ふははははっ、合格じゃ! 主よ、シィーアはミレットの同行に賛同するぞっ。お主に危機が迫る時は、我が全力で守ってやろう」
シィーアはミレットの前に進むと、手を差し出した。その手をぎゅっと握り返して、ミレットは力強く微笑む。それはまるで、生きる活力の漲る笑顔であった。
「ありがと、シィーア」
仲間を信じるという事はこんなにも自分勝手でいいのかと、オウカは呆れながらも尊敬すらも覚えていた。確かに以前シィーアからも、もっと気随気儘に生きてもいいと言われた事があった。
まさに今のミレットの宣言は、周りの反感を恐れずに自分の意見を主張したものである。
「だったら、俺も宣言しとく。ミレットが助けを呼ぶなら、必ず守ってやる」
「オウカ……ありがと」
絶対という可能性が存在しないなら、せめて確たる決意を持つ事が許されてもいいのではないか。もしとか、万が一なんて一々気にしていたら何も始まらない。
だから、これは自分のための宣言である。それぐらいの我が儘、押し通さなくてはこの力を持つ意味はない。
ミレットの側にオウカも立つと、対面に残るはおやっさんだけとなった。非常に不機嫌そうな顔で彼は腕を組む。
「どうしても、一緒にくんのか?」
「うん、いつまでもみんなのお荷物じゃいたいくないから、これだけは譲れないよ」
両者のそれぞれの意思を込めた睨み合いは暫く続いたが、最後はおやっさんが折れた。彼は溜め息をつきながら、オウカに忠告する。
「何度も言うがオウカ、ミレの奴はこの中じゃ一番弱い。だから分かっているな? 俺が危険だと思ったら、依頼は解消するぞ」
「ああ、分かった」
「それからミレ」
おやっさんは甲冑を鳴らしながら、ミレットの前に歩み出た。
「俺とお前さんは後衛だ。だから俺の傍からあまり離れんじゃねぇぞ。……守りずらくなる」
「……了解っ!」
これで全員の意思が固まった。
目的は二つ。一つは、シィーアの装備品製造に必要なシンフルベアの茨と棘の採取。そして戦闘時、危機が及んだ場合のミレットのフォローである。
やる気を見せるミレットを見ながら、オウカはこの依頼を通じて彼女が少しずつ変わり始めていることを確信した。
もしかしたら今回、一番成長するのはミレットなのかもしれない。
そんな予感を胸に、オウカたちはシンフルベアの縄張り《テリトリー》に向けて出発した。
オウカを先導に封印区域の森を踏み歩く。
魔物の気配を探る事が出来るというのは、初めて出会った頃のミレットと同じくおやっさんもギフトの類かと訝しげにしていたが、オウカが迷いもなく進むので彼も特に追求せずにそういうのもあるかと納得した。
相変わらずこの封印区域は、異常に繁殖した木々の所為で日の光が入りづらい。視界は薄暗く、足元を覆い茂る草や根も侵入者を拒むように生えている。
前回と違って無理に急ぐ必要もないのだが、オウカは敢てこのルートを選んだ。
理由は簡単で、その方が魔物との遭遇率が低いからというものであった。
通常、獣は人の匂いを嫌い、人が繰り返し通る場所を避けるのだが、相手は魔物である。奴らはまったく反対の性質を持つので、開拓者が歩きやすい道であればある程、魔物との交戦の回数は増えてしまう。
無差別に魔物と戦い、結晶を集めるのが目的であればこの道は間違いであるが、あくまで今回の依頼とは異なる。無駄に体力を消費するのは、命知らずの阿呆というものだ。
門からもう三十分は歩いただろうか。オウカとシィーアは合わせたように立ち止まった。
「主よ」
「ああ、まずは一戦目だな」
いくらこの道が魔物との遭遇率が低いとはいえ、こうして戦うことにもなる。
オウカたちの前方二十メートル先に魔物の姿が見える。数は三。人間と同じ大きさの体躯をした魔物がこちらに気付いたのか、ゆっくりと近づいてくる。
魔物の形状は猿。全身の毛は土色をしており、その尻尾から生えた細長い蔦が高い位置にある木々の枝へと伸びていた。
「あれは、バンジーモンキーだな。地上にいる時はいいが、跳び上がっている最中はちと厄介な魔物だぜ」
「だったら上に逃げられないように、足を止めればいいんだな。シィーア、やれるか?」
「勿論じゃ」
両手をバンジーモンキーへと向けたシィーアは、拍手を一つ鳴らした。地面から生えた茨の数は四本。
バンジーモンキーの後方に出現した茨はその中でも一際長く、横に大きく振り抜くと奴らの特徴との言える蔦を切断した。これでもう上空への退路は断たれた。
痛みによるものなのか、バンジーモンキーの注意が切断された蔦へと逸れたのが、奴らにとって致命的な敗因となった。絡み合うように残りの三本の茨が、一体ずつ魔物を捕えて集束する。
後は当然の結末で、然したる抵抗もなくバンジーモンキーであったものはバラバラに形を変えて四散した。そこからは黒煙が上がり、離れていても魔物の結晶化が確認出来る。
「これでシィの字の能力を見るのは二度目だが、いつ見ても凄ぇな。だがそれよりも凄ぇのは――」
時間にして三秒にも満たないシィーアの攻めに、おやっさんは感心した。
バンジーモンキーはこの封印区域では低位の魔物であるが、不意打ちや逃げる事を得意とするため、倒すのに時間のかかる事が多い。
しかし、シィーアは大した時間もかけずに仕留めた。奴らの強みであり、弱点でもある尻尾を断つのは的確な攻撃である。それを何の予備知識もなしに狙うとは、指示をしたオウカとその意図を汲み取ったシィーアの判断能力には舌を巻くしかない。
「お前ら本当に開拓者になったばかりのひよっ子かよ! 戦術もしっかりしてるし、中々やるじゃねぇか」
「まぁな」
おやっさんに褒められながら、オウカは周囲に魔物がいないか気配を探っていた。進行方向の三百メートルに魔物が多数群れている気配を感じるが、まだこちらには気付いていないようだ。
無駄な戦闘を避けたいオウカは、バンギーモンキーの結晶を忘れずに回収すると新しいルートを確認した。
「このまま先に進むと、低位だろうが魔物の群れと遭遇する。だから少し到着時間が遅れるかもしれないが、迂回する事にしよう」
オウカの提案に誰も異を唱えず、一同は進行を再開した。
道ならぬ道を進むオウカの両手には、おやっさんから貰った双剣が握られている。迂回をしたは良いものの、道が険しくなってきたのだ。
そのため、邪魔になる草木は最小の範囲で斬り開く事にした。『試着室』では使い心地の確認しか出来なかったが、これは試し斬りにもなっていい機会になる。
両手に掛かる重さを身体に馴染ませながら、オウカはおやっさんの技量に感心していた。
いくら斬っても斬れ味が変わらず、刃毀れする様子もない。これ程の武器を造り出せるのは相当な時間と練磨が必要であるはずだ。それを彼は実質三日間で造り上げた。
もし職人にもランクがあるとすれば、上位に君臨するに違いない。
これはミレットから聞いた話だが、おやっさんはブルドオムスの中でも装備品製造であれば、ここ数百年でみる稀代の職人であるらしい。
その彼がシィーアのためだけの装備を造ってくれるというのだから、人の出会いというのは不思議なものである。
それだけに今回の依頼は是が非でも成功させたい。
「こいつは……」
覆い茂る草木をかき分け、一同はひらけた場所に辿り着いた。
オウカが眼にしたのは、一面の沼。そしてその中から生えている幾つかの巨木。薄暗い視界では先が見えないため、どこまでこの沼が続くのか確認のしようがない。
「チッ、プルマーシュかよ」
「プルマーシュ?」
おやっさんの忌々しげな呟きに、オウカは反応した。
「ああ。こういった規模の広い沼をそう言うんだ。別の都市じゃ知らねぇが、ここでは正直言って厄介な場所だぜ」
プルマーシュ。別名『食事場』。開拓者の大半はこの場所を見かけたらまず自分の足元を確認する。気付かない内に沼へと足を踏み入れている可能性もあるからだ。
パーティを組んでいる者たちであれば、まだ救いがある。しかしそうでない者は、沈む足場に気を取られている間に人間の匂いに引き寄せられた魔物から喰い殺されてしまう。
「あとプルマーシュには沼に特化した魔物が多く生息しているから、ルートを変えられるんだったら無理をしない方がいいよ」
ミレットの助言にオウカはプルマーシュへと意識を集中した。確かに魔物はいるようだが、先程のルートと比べると数は少ない。
しかし危険の度合いで決めるのであれば、このまま進むのは決して正しいとは言えないが、オウカは沼の先を指差した。
「ここをまた迂回すると時間的に厳しくなる。俺たちの用意してきた装備では夜は越せないだろう。だから、このまま進もう」
「だけどどうやって――」
「それならば造作もない事よ」
ミレットがオウカに方法を聞くと、意を得たとばかりに答える者がいた。
シィーアである。彼女は手をゆっくりと持ち上げると、プルマーシュの水面に直径三メートルの睡蓮の葉が幾重にも連なるようにして即席の道を作り出した。
ブルドオムスの封印区域において、シィーアの能力は止まるところを知らない。『フリーフィールド』でも人外の力を振るっていた彼女であったが、所詮は人工植物。人の手が加えられているのといないのでは、植物や土に宿る生命力がまったく異なる。
それが『密林』とも称される程の場所であれば、制約もなく無尽蔵に力を行使する事が出来る。
「凄い……」
「凄いってもんじゃねぇ! こいつぁ凄ぇんだ! 畜生めッ、こんなもんを目の当たりにしちまったら、嫌がおうにも造りたくて仕方がなくなっちまうだろうが!」
握り拳を震わせながら、おやっさんの眼は輝いていた――いや、表現が足りない。
おやっさんは小さな子供がプレゼントを貰った時のように、純粋にはしゃいでいた。
「そこまで褒めずともよい。あの場に顕現した葉は大抵の重さならば沈む事もなかろう。しかしオーギは一人で乗った方がよいじゃろうな。
どこぞの誰かの所為で、魔物に気付かれたようだしの」
その喜びに水を差す、シィーア。彼女の持ち上げた手は、プルマーシュを指差していた。
沼特有の濁った水面に、一つ二つと気泡が弾けるのが皆の眼にとまる。
「急ぐぞ! 俺が先頭を走る。ミレット、シィーアの順について来い。おっさん、あんたは殿を頼む!」
言うや否や、オウカたちは駆け出した。残るのは頭を抱えるおやっさん一人。
「ああ、俺は何をやってんだ! すまねぇ、本当にすまねぇ! だから殿は任せろ!」
重い甲冑を響かせながら、おやっさんの爆走が始まる。
睡蓮の葉はおやっさんが乗っても少し沈む程度で、沼の粘力を上手く利用して重さを分散させていた。
そしてその性能にこの危機的状況にも拘らず、感動する男がいた。
(何だこの弾力性ッ! 凄ぇ、凄ぇ凄ぇ、凄ぇ凄ぇ凄ぇ凄ぇ凄ぇ凄ぇ凄ぇ凄ぇ凄ぇッ!)
おやっさんは声にこそ出さないものの、シィーアの能力を肌で感じる事が出来て感動の極致にいた。
早くこの手で武器や防具を造りたいという激情が込み上げてくるが、そのためにはまずはここを無事に抜ける必要がある。
そして今は冷静になる時だと、おやっさんは自分を諌めた。それでも戦うための鋭気は十二分にある。
先行するオウカたちとは十メートル間隔で間を開けている。理由は簡単で、こうする事で味方が受ける側面及び後方からの攻撃に対して、殿の本領が発揮出来るからである。
三十メートル程走っただろうか。プルマーシュの彼方此方から気泡が弾けたと思った瞬間、全方位から魔物が飛び出してきた。
飛び散る泥が視界を邪魔する所為で正確な数は分からないが、前方十体に後方七体というところだろう。
オウカたちの方へ攻め込んだ魔物は、自分に何が起きたか理解できなかったに違いない。オウカとシィーアの間合いに入った瞬間、細切れになったのだから。
「やるじゃねぇか! だったら次は俺の番だ!」
葉の上に降り立った魔物はフロッガーという名の通り、人間に姿が似た蛙である。
数は七体――その内二体はオウカたちを追おうとしたのか、後ろを向いていた。
「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ! 〈鬼斧両腕〉ッ!」
おやっさんは感情を滾らせて『鬼化』すると、通常よりも更に筋肉の増大した両腕を左右に大きく広げ、その獰猛な膂力に任せてフロッガーの群れに突撃した。
愚かにもおやっさんに襲いかかった一体は、その猛然とした突進力の前になす術もなく木っ端微塵となる。続いて四体の魔物も柔らかい身体が災いして、〈鬼斧両腕〉に触れた場所が弾け跳んだ。
オウカたちを追っていた残りのフロッガー二体も後ろの様子がおかしい事に気付いたのか、足を止めて振り返ってしまう。
魔物の結晶化する前の血液を全身に浴びて走る姿は――まさに鬼そのもの。もし魔物に感情があれば、きっと最後の瞬間は恐怖で支配されていただろう。
最後の二体は微動だも出来ずに、胴から分断されて黒煙を噴き出した。
それと同時に全身を濡らしていた魔物の血液も薄い煙を立てて消え去るが、おやっさんは立ち止まる事なく走り続ける。
魔物を粉砕するおやっさんの視界の隅に、先行するオウカたちの周囲の水面が不自然に盛り上がるのが映ったからだ。
(殿ってのも捨てたもんじゃねぇな。いいぜ、どこまでも守ってやらぁッ!)
殿の役目を完遂するために、新たに出現した魔物の群れへとおやっさんは牙を剥いた。
何とかプルマーシュを抜けたオウカたちは、そこから少し離れた位置で見つけた巨木の切り株に腰掛け、思い思いに軽めの休息をとっていた。
周囲に魔物がいない事はオウカとシィーアが既に確認済みである。
尤も休憩といっても、息を切らしたミレットとおやっさんのためにとっているだけで、オウカやシィーアは息一つ切らしていない。
「十五、十六、十七……ふむ、シィーアは十七個じゃな。主はどうじゃ?」
「俺は二十六だ」
「うむむ、シィーアの負けか。口惜しいのぅ」
「まあ、位置が良かったからな。それぐらいは当然だろ」
それどころか二人は先程の乱戦で結晶を集める余裕すらあったらしい。
疲労すら吹き飛ぶ衝撃の事実に絶句するミレットとおやっさんは、互いに苦笑いを浮かべていた。
「それにしても、こうも嵩張ると邪魔じゃな」
シィーアは切り株に広げた計四十三個の結晶を眺めると、本当に邪魔そうに言った。
実際のところ、それはオウカも感じていた事である。生活するのに必要な物として飛来してきた結晶だけを回収していたが、気付けば結構な数である。
これを正直再びポケットに入れて移動するとなると、かなり気が滅入りそうになる。
「少し勿体無いが、ここに置いていくか」
「「ちょっと待った!」」
プルマーシュでの教訓が役に立ったのか、ミレットとおやっさんは声を押し殺しながらオウカに抗議した。
「折角回収したんだからギルドに渡そうよっ。ホント、勿体無いって!」
「ミレの言う通りだぜ。いくら低位の魔物の結晶とはいえ、これだけ数が揃ってりゃ結構な金になる。悪い事は言わねぇから、ちゃんと持って帰れ」
そう説得されても、結晶を持って移動する際に発生する利害を考えると、オウカにとってデメリットしか感じられない。
『種』が破壊されない限り、この封印区域で魔物が消えてなくなる事はないのだから、オウカが渋るのも無理はない話である。
「……仕方ねぇな。本当はシンフルベアの素材を入手するまで隠しておきたかったんだが、そうも言ってなれねぇな」
そう言っておやっさんは兜を外すと、中から折り畳んで小さくなった皮の袋を取り出した。広げると一辺あたり一メートルの正方形の形をしており、薄手の布ながらも丈夫な作りのようだ。
「これは?」
オウカが聞くと、おやっさんはニヤリと口角を押し上げる。
「こいつはブルドオムスでも限定生産された袋で、あるギフトを付与してある。一体何だと思う?」
「「さあ?」」
息の揃った返答をするオウカとシィーア。ミレットは何かに気付いたのか、眼を見張らせていた。
「お前さんたち、答える気ねぇだろ。まぁいい……こいつはな、『縮小』と『拡大』の本来二律背反する二つのギフトが付与されてんだ。何が言いたいかは分かるな?」
「つまりその袋なら、ここにある全部の結晶を入れても問題ないって事か」
こんな薄い袋に入れて大丈夫なのかと、オウカがまじまじと見ていると、ミレットがおやっさんに近づいてその袋を凝視した。
「これがあのビルシュの袋かぁ~。わたしたちのパーティも買いたかったんだけど、あまりに高額過ぎて手が出せなかったんだよね。おやっさん、触ってもいい?」
と、余程高価な品らしくミレットは興味深げにお願いしていた。
おやっさんもミレットを信頼しているので、「ほらよ」の一言で貸す。
受け取ったミレットは試しに結晶の一つを摘むとおもむろに袋の中へ入れたのだが、袋に何か入った形跡は見られない。続けて二三個と入れるが、袋の形状は変わらない。
「これで分かっただろ。これに入れとけば、どんなに重たくて嵩張る物でも簡単に運ぶ事が出来るんだ」
おやっさんはそのままミレットに、袋の中へ残り全ての結晶を回収するように指示する。
「了解っ」
指示された彼女はビルシュの袋の性能を自分で試せるためか、従順に結晶をかき集めて袋の中へと入れていく。
その光景を眺めながら、おやっさんは思い出した感じでオウカに話しかけた。
「しかしよくここまで集められたな。『フリーフィールド』でも思ったが、お前さんたち、マジで人間離れしてやがるぜ」
おやっさん流の賞賛に二人は微妙な表情で、
「元からシィーアは人間ではなく、魔人じゃからのぅ。これは褒め言葉として受け取っていいのじゃろうか?」
「……まぁ、それでいいんじゃないか?」
と、大して嬉しがらずに受け取った。
シィーアとしては先の言葉通りだが、オウカにとって人間離れという言葉はあまり良い印象がない。
化物。悪魔。災禍の落し子。そういった悪意を持った侮蔑は、数え切れない程に耳にしてきた。
そして、その反対の言葉も吐き気がする程に言われてきた。今でも思い出すだけで、精神的に落ち着かない状態になってしまう。
当時は、それを当たり前の事だと思っていた。苦痛の日々と数多の美辞麗句に酔いしれる事に慣れきってしまった自分は、それが如何に異常で排他的坩堝であるのか理解しようとも思わなかったのだ。
始めは痛みだけであった。周囲の人間からはこの力の所為で忌み嫌われ、憎悪の対象として迫害されてきた。
しかし、ある時期からそれは変わる。オウカに宿る力の価値を見出したあの女は、こともあろうかそれを崇拝の偶像へと徐々に変えていった。
継続する周囲からの暴力は、苦行として昇華された物言いに変化した。粛々とした儀式の様で信者と呼ばれる者たちから、一人一人苦痛を植え付けられる。
殴打。完治。殴打。完治。殴打。完治。刃物。完治。殴打。完治。鈍器。完治。殴打。完治。殴打。完治――繰り返される無慈悲な暴力と、それを直ぐに癒してしまう力があったが故に成立した輪廻。
また教団の中でも信仰の厚い者に限り、オウカの力の恩恵を享受する事が許されていた。しかし、その采配をするのは全てあの女の一存に委ねられていたため、彼は文字通り『偶像』として祀り上げられていたのだ。
いつの間にか、この教団はオウカの生まれた村だけでなく、周りへと規模を拡大していった。その明らかに狂った環境の中心にオウカは立っていた。
その異常性に気付く事が出来たのは、偶然にしか過ぎない。
(だから俺は――……)
「オウカっ!」
ハッとして沈み込んでいた意識を浮上させると、目の前にはミレットが心配そうに見上げていた。
いつの間にか全ての結晶を回収し終えたようだ。
「ねぇ、大丈夫? 顔色悪いよ?」
「ああ、大丈夫だ。それよりも、どうかしたのか?」
心の底に沈殿する濁りを見せずに聞き返すオウカに、ミレットは何か言いたげな様子だったが我慢するように本題に入った。
「だから、これからどこに向かえばいいのかって話。プルマーシュを抜けたのはいいけど、このままここにいるのは得策じゃないでしょ?」
「それもそうだな」
再度オウカはシンフルベアの気配を探すと、直ぐに反応はあった。どうやらここからそこまで離れていない位置に数匹で行動中らしく、彼から見て十時の方向へゆっくりと移動していた。
「……距離的にみて、後三十分程で接敵する可能性が高い。ここから先は休めないが準備はいいか?」
オウカの言葉に緊張が走るが、皆無言で首肯する。
魔物との交戦が間もなく行われるのであれば、食事などで固形物を摂取するのは戦闘に不利となるのは明白である。動きもそうだが、魔物は匂いに敏感であるため、自ら危険度を増す必要もない。
「全員、自分の役割を忘れるなよ。じゃあ、行くぞ」
オウカたちはシンフルベアの元へと進行を再開した。
いつも読んでいただいている皆様、そして初めてここまで一気に読んでいただいた皆様、誠にありがとうございます。
ここに来てやっとおさっやんの活躍が垣間見えたと思います。一部からは、おやっさんの立場が弱いのでは、と心配されている方々もいらっしゃいましたが、どうだったでしょうか?
次の話でもおやっさんは活躍しますので、おやっさん成分が足りないと言われる方は次回も宜しくお願い致します。
誤字脱字やご意見・ご感想などございましたら、お気軽にご指導下さいませ。