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Chaos Blood  作者: 水々火々
第一章 商業都市ブルドオムス編
10/18

第九話 初依頼

 この物語はフィクションです。

 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。

 四日後の早朝、オウカとミレット、そしてシィーアの三人はフォウント邸の広い庭にいた。ブルドオムスでも広大な敷地を持つ彼女らの庭も、それに違わぬ面積を誇っている。浅く整えられた芝生が広がっており、周囲の壁には外部からの視線を遮断するための木々が生え揃っていた。

 清々しい空気の中、朝日がゆっくりと昇ろうとしている時間に何故三人は表に出ているかというと、

「次は〈風水流葉ふうすいりゅうは〉のおさらいだ。ミレット、やってみてくれ」

「……はいっ」

 主にミレットの戦力強化のための早朝特訓である。既に一時間以上動き続けている彼女の全身は汗でびしょ濡れになっているが、決して自分から弱音を吐く様子がない。というのも三日前、オウカが外で型の稽古をしているところにミレットがお願いをしたのが事の発端である。彼女でも分かっていたのだろう、オウカたちの中では自分が一番弱いことに。

 初日の内はミレット自身慣れない動作に戸惑いの方が多く失敗も重ねたのだが、開拓者としての吸収力の高さから徐々に伸びて行き、今現在見れるレベルにまでは到達する事が出来た。

 オウカの指示に従い、ミレットは身体の芯を崩さないことを心掛けながら歩く。彼女の歩行は流麗となり、もし見る者がいれば感嘆の溜め息をつきたくなってくるに違いない。

 しかしオウカはミレットの動きを見ながら、こっそりとシィーアに手のサインで指示を出す。無言で頷いたシィーアはミレット目掛けて、一切音を立てずに跳躍した。そして頭上を通り過ぎる瞬間、身体を捻って振り下ろしの蹴りを放つ――狙いはミレットの右側頭部。

 不意の攻撃に流れるような歩みが乱れ、足が絡まってしまったミレットは「ちょ、それ反則っ」と言いながらそのまま転倒してしまった。べちゃっと音を立てて顔面から倒れた彼女の傍を、シィーアは跳躍時と同様に音も無く降り立つ。

「うぅ、いったぁ……」

「ふむ、ミレットもまだまだじゃのぅ。お主の胸の養分を減らせば、もちっとバランスよく動けると思うのじゃが、どうじゃ?」

「どうじゃって、これはそんな簡単に小さくならないのよ。あー、自信あったのになぁ……」

 涙目になるミレットに手を貸しながら、シィーアはそう評価した。別にシィーアは彼女を卑下している訳ではない。オウカとシィーアの一戦を機に、ここ数日の間でミレットとの仲が深まるちょっとした出来事があった結果、互いに気楽に言い合える間柄になったのだが――それはまた別の話である。

 立ち上がっても軽くへこんでいるミレットにシィーアは、むんずと目の前にある二つのふくよかな胸に手を密着させた。

「な、な、何すんのよっ! シィーアってもしかしてそっちの趣味があったの!?」

「違うわい。しかし、誠にミレットは集中力が長続きしないんじゃな。後ろを見てみぃ」

「? 後ろ? ……――ッ」

 ミレットが訝しげに振り返るとそこには茨が一本地面から生えており、彼女の後頭部があった辺りに狙いを定めて先端を向けていた。その距離、およそ三十センチ。一歩後ろに下がるだけでその鋭い棘が刺さるには十分な間隔だ。

 青褪めながらミレットはシィーアの方へと向き直る。

「どういうつもりよっ」

「どうもこうもない。ただ単に集中しておれば前後からの同時攻撃を回避することも出来たのに、それを怠った結果がこれじゃ。一度の失敗で全てを投げ出しては、必ず死ぬぞ?

 それが戦場であれば尚の事、何が起こるか予測がつかない故、最大限に神経を研ぎ澄ませ続けることが大切じゃぞ、ミレットよ」

「ごもっともです、はい……」

 武の領域で言えばシィーアの方がミレットよりも格上であるため、彼女は現在オウカの臨時的な助手としてミレットを鍛える立場でもある。そのため、こういった不意打ちなどに対しては対応出来ないミレットが修行不足として苦言をいただく姿も、ここ最近よく見られる風景の一つだ。

 これもひとえに戦力増強とミレット自身の生存力の向上を図るためとして、オウカは割り切っていた。何も躓かずに成功する事など一つもありはせず、自己の修練を重ねる事でしかそれを克服することは出来ないのだ。それはオウカが昔に身を以って学んだ事でもある。

「ミレット、俺が実際にもう一度手本を見せるから、今度は見ることだけに集中してくれ。シィーア、好きなように攻撃してくれ」

 言うが早いか、オウカの気配は希薄に景色に解け込むかの如く霞む。しかしその姿は見る者の眼を離さない不思議な魅力があった。相反する現象の中、オウカはゆっくりと遠回りに二人の方向へ歩みだした。

「そうさのぅ、ここは一つミレットに分かりやすい戦術でいくかの。よく見ておれよ」

 シィーアは両手を地面に着けると同時に、オウカの左右に二本の茨が出現する。一本は真横から胴を薙ぎ払うため、もう一本は相手が上に回避したところを追撃するための二段構えとなるはずだったが全ては空振りに終わる。素手であるため、剣で防ぐことは不可能。ならばどうやって全ての攻撃を避けたかというと、茨が出現しきる前に通り過ぎただけてある。

 範囲の広い攻撃で一番厄介なのはそのリーチの長さであり、その威力が発揮される以前の段階で対応するのが一番効果的である。

 次に来たのはオウカの事前回避不能な位置から生えた三本の茨が、突き殺さんとばかりに槍の形状となって真っ直ぐに伸びてくる。もし真ん中の一撃を左右のどちらに回避したとしても、その僅かな隙をつかれて残る二本の槍で貫かれるのが落ちだ。

(嫌な攻撃だが、確かに俺の意図を汲んでよく考えている。これならミレットの参考にはなるな。それならば――)

 茨の槍が身体に接触する寸前、シンフルベア戦で見せた柳の体術で紙一重で捌く。今のは失策とばかりにもう一本の茨が牙を剥くが、その攻撃もオウカに触れる事も出来ずに通り過ぎる。彼はただ流れに逆らわず、足捌きだけで避けきったのである。

 〈風水流葉〉とはその名の通り、風や水の中を流れる木の葉の如く、勢いに逆らわずあるがままに攻撃を受け流す事を理念とした歩行である。故に相手の攻撃に勢いがあればある程、術者にとって非常に回避しやすいものとなる。

 ではミレットがシィーアの不意打ちを回避出来なかったのは何故かと言うと、周囲の微細な変化に神経を研ぎ澄ませるよりも自身の歩行に集中し過ぎたことが大きな要因となっている。内部よりも外部への変化を鋭敏に感じる事が、〈風水流葉〉にとって必要不可欠となるのだ。

 周囲への警戒をしながら、オウカは残り八メートルとなった先にいるミレットに目をやった。彼女は言いつけ通り、オウカの一挙手一投足に全身全霊で気を配っているらしく、文字通り見学している。

 残りの距離も僅かとなり、ここいらで大技が来るだろうなと、オウカの考えた瞬間、眼前に無数の茨が壁となって立ちはだかる。フォウント邸の庭という場所の影響から流石に〈蝕縛の園〉とまではいかないが、それでもこれまでみたいに進むのは困難といえる状況だ。

 茨が蠢きながら進入する者を捕え、貫き、磨り潰さんとする光景に、オウカは後退した。あのまま進んでも開かれる道はない。それは一目瞭然である。

 だから距離を開けたのは序僧距離をかせぐための行為。疾走するのに十分な位置に立ったオウカは、『俊敏』『見切り』『高速思考』の三つのギフトを同時に発動させる。

 常時発動型である『高速思考』は、能力者の思考能力を補助するための役割を担ってるのだが、これを意識的に発動させると瞬間的にだが体感時間を遅らせる事が出来る。つまり周囲で起きる物事の流れが緩慢なものとなり、優位に次の行動に移る事が出来るのだ。

 ならば何故このギフトを始めから使用しなかったのかというと、代償としてギフトを解除した時に発生する思考と動作の不一致が戦いでは致命的なものとなるからであった。それは継続して発動している時間が長ければ長い程、解除した際に能力者への対応を遅らせる。だからこそ、このギフトは無意識で発動している状態でいるのがセオリーとなっている。

 オウカがこの場で『高速思考』を意識的に発動したのは、それだけこの状況が険しいことを意味しているのだが、反面彼はこの状況を生み出したシィーアに感謝もしていた。

 ありとあらゆる悪環境に対応特化した体術を最大限に発揮してこそ、〈風水流葉〉の極意をミレットに教授出来ると言えよう。一時的にも師という立場に立ったからには、ブルドオムスの『種』を破壊するまでミレットを導くと決意している。

 ならば今やるべき事は一つしかない。

(――行くか)

 オウカは初動から雷速に入り、この茨の壁を越えるのに必要な間合いに踏み込む。外敵の侵入に反応した茨の群れが無数の手の如く、オウカを捕えようと一切の容赦なく伸びる。正面は回避の出来ない危地に彼がとった行動とは、空への道であった。加速した勢いはそのままに上方へと大きく跳躍する。また一度の跳躍で足りない距離に関しては、向かい来る茨や伸びる棘の非殺傷能力部分を巧みに足場にして、一陣の風となって駆け上がる。

 すぐ真下では茨の壁が波となって、オウカが先刻までいた場所を蹂躙する。もしこの場にイリアがいれば、荒れ狂う我が家の庭を見て卒倒するに違いない。

 冷静になってみれば朝錬が終わった後、変わり果ててしまった庭をどのようにイリアへ弁解するか考えていなかった。不味い……非常に不味いと、体感時間が遅くなっているため、今は考えなくてもいい事を思案してしまう。

 それがいけなかったのか、最後の砦にはこれらの茨の主であるシィーアが女王の風格を以って待ち構えていた。これが何かの冒険譚であれば十二分にその役割を果たしていると言えよう。

「よくぞここまで来た、主よ。しかしこの先に進むのならば、このシィーアを倒してからにしてもらおう」

 既に彼女は両手両足に茨の武装を施しており、万全の臨戦状態となっていた。それもオウカの着地予想地点にいるので、応戦は免れない。

「よく言った! 存分に戦おうじゃないかッ!」

 普段のオウカではここまで血気のある言葉を口にはしないであろう事を、シィーアはこの時に気付くべきだった。

 オウカの猛攻に耐えるべく深く構えたシィーアは、両者激突の瞬間に読みを誤った事を知る。言葉では威勢のいい事を言いながらも、彼女が繰り出した溜めの鉤爪の上に木の葉のように降り立ち、勢いを殺さずに跳び去る。振り返った時には遅く、もうミレットの立つ場所に辿り着こうとしていた。

「……してやられたとは、このような事を言うのかのぅ。我もまだまだ修行不足じゃな」

 戦術としては分かるのだが、戦う気満々だったシィーアは遣る瀬無い溜め息をつきながら能力を解除する。

 オウカが行った事といえば単純で、崩せない状況があるのならそれを更に強固にし、相手の攻撃手段を絞らせたことである。臨機応変にして、時には自分から変化を投じるのが〈風水流葉〉の基本を突き詰めたものであり、極意でもあった。

 攻撃とは物理的なものに限らないということをオウカは身を以って体現し、ミレットの前に大した音もなく着地した。

 背後でシィーアの能力が解除されたのを感じ取り、発動していたギフトを解除すると、『高速思考』の反動が少ない内にミレットに声をかけることにした。

「これがお手本だな。まぁ、三日で出来ることじゃないから地道に鍛錬するしか方法はないだろうなって、どうした?」

「まぁ、何というかね。オウカが普通じゃないのは分かっていたけど、改めてそう感じただけだから」

 ミレットが呆れながら応えるのも無理はない。オウカが行ったのはお手本なんて生易しいものではなく、実戦を想定しての動きであった。それも間違えれば、すぐ傍に死が隣り合う想定でだ。

「でも勉強になったのは確かだし、感謝してるよ。ご指導ありがとうございますっ」

 礼を忘れずに頭を下げるミレット。

 そんな彼女を見ながらオウカは早朝特訓を終わる事にしたかったのだが、後ろを振り返って後悔した。

 この三日間、ミレットの基礎能力を向上させることを念頭に置いていたため、シィーアの能力を使用した模擬戦を行った事がなかったのである。ここに到達するまでの間もオウカの進行を妨害するために、彼女の茨はその能力を遺憾なく発揮させていた。

 その結果がこの惨状である。茨の生えていた芝生は土が剥き出しになっており、いっその事ここを造園にした方が早いのではないだろうかと思わせる荒れ具合だった。

 ミレットもオウカの隣に立って、「これ見たら、お姉ちゃん何ていうかな……」と冷や汗を浮かべていた。

「二人とも呆けた顔をしてどうしたのじゃ?」

 シィーアは肥やした土の上を歩いてこちらに来る。

 そんなことをしたら靴が汚れるのではと思ったが、どういう訳か土で汚れた形跡がない。

「まぁ、俺とシィーアが後先考えず暴れたせいなんだが、これをイリアにどう謝ればいいかと考えていたんだよ」

「何じゃそんな事を考えておったのか」

「おい、そんな事ってお前も一緒に謝るんだぞ」

「呆けたか、主よ? シィーアの能力を知っておればこのような瑣末な事、気にせんでもよかろうに」

「……そうだったな。どうやら頭が上手くまわってないらしい」

 シィーアに言われるまでまったく気付かなかった解決策。確かにシィーアの能力は自然を操る力を持っているため、この荒れ果てた庭を元通りに戻す事など朝飯前であろう。

 普段のオウカであれば簡単に行き着く答えであるだけに、やはり意識的に発動した『高速思考』の反動が大きいと見える。

「早速で悪いが、元に戻してくれないか?」

「お安い御用じゃ、ほれっ」

 シィーアがぱちんと指を鳴らすと直ぐに変化が起きた。盛り上がった土から大量の新芽が生えたと思うと、見る見るうちに成長して周りと同じ背の高さに揃う。また地面が窪んだ場所には茨が足りない分の土を運んで均し、何度か繰り返す事で作業は完了した。

「ホント、シィーアの能力って便利よね。攻撃だけじゃなく、こうした細かい作業も出来るんだがら、おやっさんが気に入るのも無理ないよ」

「そう褒めるでない。条件が整わねばこの力も真価を発揮出来んのじゃから」

「だから今日、おっさんと封印区域に素材を採りに行くんだろ。何はともあれ、まずは汗を流して、それから朝飯だ」

 三人とも朝から動いて空腹の状態である。皆、異論はないようで本日の早朝特訓は終了となった。



「オウカにシィーアちゃん、二人とも手を出してみて」

 朝食も終わり、食後のティータイム時にイリアは話を切り出した。オウカとシィーアは別段疑う様子もなく、イリアに手を差し出す。

「はい、ではこちらをどうぞ。無くさないように身に着けておいてくださいね」

 イリアから渡されたのはシルバーのネックレスで、先端に親指大のプレートが取り付けられていた。プレートには何やら幾何学模様が刻まれているが、どういう意味があるのかさっぱり理解出来ない。

「これは?」

 突然の贈り物に、感謝よりも先に戸惑ってしまう。

「これは開拓者になった方々にはお渡ししているギルド会員証です。本当は依頼を初めて受けるときにお渡しするんですけど、昨日私の終業時間に出来上がったと報告があったもので直接持ってきました。

 あと形状に関してですが、定形はありません。理由はギルドでしか発行出来ない記号を印字していることもあって、複製は困難となっているからです。だからこそ各々が保有しやすい形状が一番安全だと考えられていて、ギルドに所属される方々に合わせて会員証の形状も千差万別となっています。ただし場所によっては本人確認として会員証の提示が求められることもありますので常に携帯してくださいね」

 つまりこのネックレスがあれば、ギルドに所属している証明になるという事だ。

 オウカはある理由からネックレスを常時身に着けているが、シィーアも同じ形状を渡したのは何故なのか。

「それは前にも言った通り、二人は兄妹として登録されています。疑われないためにも、同じ形状である事が一番自然だと思ったからです。ふふ、それにシィーアちゃんも喜んでくれているようだし」

 隣の席に座っているシィーアを見ると、彼女は嬉しそうに自分のネックレスとオウカのを交互に見て微笑んでいた。お揃いというのがいたくお気に召したらしい。

「でもってわたしの会員証は、これよ」

 ミレットはカーゴパンツのポケットから財布を取り出すと、中から一枚のカードをオウカたちに見せた。

 どこにでもあるキャッシュカードと同じサイズの大きさだが、異なる点はその表面に幾何学模様が刻まれていることか。

「ミレットはよく会員証を無くしてしまうから、特例で形状を変化させたの。これなら絶対に無くさないでしょ」

「お、お姉ちゃん! そんなこと言わなくていいよっ!」

 初めは自慢する感じで会員証を掲げていたのだが、真っ赤になって抗議するミレットは背中に隠してしまった。

「なるほどな。で、前の会員証の形状って一体何だったんだ?」

「ちょっとオウカまで!」

「いいじゃないの、減るもんじゃないんだし」

「減るの! わたしの心の耐久力が減るの!」

「なら仕方ないわね……」

「ほっ……」

「でも本当に意外よね。ミレットが猫のぬいぐるみを会員証にするだなんて、この都市では誰も真似出来ない事だわ」

「うわぁぁん、お姉ちゃんのバカぁああああああああああああああぁぁぁぁぁ……っ!」

 もう顔面から湯気が出るんじゃないかと思うほどに、ミレットは顔を赤くして部屋から飛び出してしまった。たぶん暫くは帰ってこれないに違いない。

 そんな状況を生み出してしまったイリアはというと、お腹を抱えて笑っていた。

「ふふふ、ごめんなさいね。あの子ったら今でもよく物を無くすのよ。だから忘れた頃に釘を刺しとかないと自分で気をつけなくなってしまうから、たまにああやってね。ふふふ」

 仕事場では決して見せない表情に、オウカは彼女の安らぎを垣間見た。やはり家族がイリアを飾らない状態でいさせてくれるみたいだ。

「ちなみに猫のぬいぐるみとは何じゃ? そんなに恥ずかしい形をしておるのか?」

 自分の中にある知識からは理解出来なかったのか、シィーアは不思議そうな顔をしている。

 シィーアの出生を知っているイリアは、優しく説明した。

「ぬいぐるみっていうのは、動物などを模った布の中に綿を入れたものよ。そしてミレットが持っていたのが、猫のとっても可愛らしいぬいぐるみだったの」

「ほぅ、可愛らしいのか。……ん? ならば何故ミレットは恥ずかしがっておったのじゃ?」

 また思い出したのか、イリアは笑いを抑える仕草をした。

「実はミレットがギルドに登録したのは十三歳の頃だったの。その頃のあの子って今と違って凄い内気でね。いつも持ち歩いていたのが、猫のぬいぐるみ……。

 ある日、家族の誰にも相談せず出掛けたっきり、夕方になっても帰ってこないから心配になって探しに行こうとしたところで、玄関で立ち尽くすあの子を見つけたわ。両手には、いつものぬいぐるみと新しいぬいぐるみの二つを持ってね。

 結局ミレットは両親に叱られたんだけど、最後まであの子は理由を言わなかった。私もあそこまで怒っている父と母の姿を初めて見たけど、それでも何も言わなかった。きっと子供だったミレットには何か大きな決意があったんでしょうね。

 それからは段々とオウカたちも知るあの子になっていったんだけど、今でもこの話をするとあの時の事を思い出すのか顔を真っ赤にして逃げちゃうのよね」

 昔を懐かしむイリアの表情は姉としての包容力が溢れていた。

 あまり知られていない事だが、ギルドの登録は年齢制限というものがない。本人の入会の意思さえあれば、子供でも老人でも登録することは可能である。ただし、登録するからには相当の理由が必要となってくる。本人がそれを将来的にでも実行出来るか、否かでその結果は決まる。

 まだ小さい子供であったミレットに開拓者になるための決意をさせた理由は何なのか、それは本人しか知りえるはずもない。しかしそれまで内気だった彼女が全く異なる道を進む決意をしたのは、決して並大抵のものではなかったはずだ。

 イリアもそれが分かっているからこそ、その決意が揺らいでいないのか確かめるように、姉として度々発破をかけているのかもしれない。

「あと最後に一つだけ注意をしておきますね。お渡しした会員証をもし無くされると再発行に一千ダルかかりますので、くれぐれも無くさないようにお願いします」

「でも、ミレットのやつは無くしてたみたいだけど?」

「ええ、当時は登録したばかりのあの子には支払えるほどの実力がなかったから、両親には秘密で私が代金を立て替えておきました。尤もあの父と母のことだから知っていたのかもしれないですけど」

 と、イリアが言ったところで廊下からバタバタと走る音が近づいてくる。

 バンッと勢いよく開いた扉の先には、初めて会った装備で身体を覆ったミレットが立っていた。

「オウカにシィーア、さっさとおやっさんのところに行くわよ! 先に外で待ってるからね!」

 言いたいことを言うと、登場時と同様にバタバタと走り去ってしまった。余程姉であるイリアと顔を合わせたくないらしい。

 オウカとシィーアはイリアに朝食の礼を述べると、急いで玄関へと向かった。特に部屋に戻ってまで準備するほどの事もない。もし必要な物があるとすれば武器となる剣だが、それはこれから向かう『アタック&ガード』で受け取るので問題はない。

 オウカたちが外に出るとミレットは邸宅の門で待っていた。横に並ぶや否やミレットは無言で歩を進めだしたので、オウカとしては時間が解決してくれる事を願いながら後に続いた。

(悪乗りした俺も不味かったが、イリアも少しくらいフォローしてくれても罰は当たらないと思うぞ……)

 三十分程で着く店までの距離が、今日は長く感じそうである。



 店に到着する頃にはミレットの気持ちも落ち着いたみたいで、入店する時には「おやっさん、準備はできたー?」と明るい声を出していた。

「当たり前だ、こっちは準備万端だぜ」

 店内に入ると、オウカはあまりの驚きに固まってしまった。というのも、おやっさんの装備がかなり本格的な状態になっていたからである。

 頭には二本の角が生えた兜に、胴には大鎧、手足には篭手と具足を身に着けており、それぞれに魔物の素材をあしらった彼オリジナルの防具で全身を固めていた。一言で表すと、戦国甲冑という言葉がしっくりとくる。

 それも巨漢がこの戦国甲冑を装備するとより一層迫力があり、シンフルベアでさえ可愛く思えてくるから不思議だ。だが相変わらずミレットはおやっさんのこの姿に違和感を感じないようで、普通に今日のスケジュールを話している。

 おっさんが開拓者として前線に立っていた時代はこの格好が普通だったのだと、現実逃避していたオウカは袖を引っぱられる感覚で我に返った。

「あ、主よ。あれは何じゃ?」

「シィーアも思ったか。あの格好はないよな」

 身近にいた味方に嬉しさが込み上げてくる。しかしそれもシィーアの続く言葉を聴くまでの間であった。

「……主もそう思うか。どうやってここまで来たかは知らんが、やはりあの地から抜け出して来たのであろう。見た目からも分かるように中々手強いじゃろうが、主とシィーアであれば倒せるはずじゃ。しかしミレットのやつは何を考えておるのじゃ、あれでは無防備すぎるぞッ」

 シィーアはいつでも踏み込めるように、半身を少し前に傾ける。話のついてゆけないオウカはもう一度、臨戦体勢になるシィーアにおやっさんを指差して確認した。

「シィーア、あれって何に見える?」

「何って、主たちの言うところの魔物であろう。シィーアがいた時には見たこともない奴じゃから、新種かもしれん」

 もしかしたらあの装備をした開拓者を見た事がないのかもしれないと思っていたら、まさにその通りであった。確かに現代の装備品では非常に珍しい部類に入るのであろうが、おやっさんが身に纏うと妙にしっくりと似合っているため、ややこしい勘違いをさせてしまったようだ。

「言っておくが、あれは魔物じゃなくておっさんだぞ。身体を覆っている装備は無視して、気配だけを確認してみろ」

 オウカがそう指示するとシィーアは訝しげながらも体勢は崩さずに、じっと戦国甲冑を凝視した。

「………………本当じゃ、あそこにおるのはオオギじゃのぅ。あやつは何をしておるのじゃ?」

「あれも装備の一つだから、多分あの格好で封印区域に入るんじゃないかな」

「何とも面妖な……人間とは色々と不思議な物を生み出す生き物じゃのぅ。しかしそれでもこの我のために力を貸してくれるのは有難い事よ」

 呆れた声を出すとシィーアはおやっさんのところまで近づいて、その甲冑に触れた。

「ん? シィの字か、どぉした?」

「此度はオオギにも迷惑をかけるが、宜しく頼むのじゃ」

「おいおい、頭上げろって!」

 深く頭を下げたシィーアに、おやっさんは慌てた。彼本人の中では、既に四日前の話し合いで全て終わったと思っていたのだ。だから互いに協同関係として今回の素材採取に臨むと思っていたから、こうして改めて御礼を言われると非常に困ってしまうのであった。

「そういえば、オウカの武器をまだ渡していなかったなっ。ちょっくら取ってくるぜっ」

 わざとらしい程に声を上げて、『鬼化』とは別の意味で赤くなったおやっさんは室内奥へと入っていった。

「今日の夕飯はたこの姿焼きにしようかな……」

 無意識だと思うミレットの呟きに、オウカとシィーアの両名は無言で賛同した。


 暫くして戻ってきたおやっさんの両手には、二振りの剣が握られていた。

「待たせたな、これが前回に約束していたオウカの双剣だ。抜いてみてくれ」

 鞘のままでまずは手に馴染むか確かめてみる。両手それぞれにくる重さは、今までと比べると若干重くなった。それでも剣技が鈍るとかの悪影響が出ない程度なので、大した事ではない。

 続いてオウカは腰に帯びた帯剣ベルトの左右に剣を取り付けると、一息で抜剣した。すらりと真っ直ぐに伸びた片刃の剣。その剣身から感じるのは清澄な光を閉じ込めたような質感を伴っており、今まで通り斬撃や刺突などを行っても抵抗感が少ないに違いない。明らかにこれまで使用してきた剣とは別物の業物である。

「実際にこれを振ってみても?」

「何言ってやがる、それ以外でどうやって確かめるってんだ?」

 ご尤もである。


 店内奥にある通称『試着室』と呼ばれる部屋へと入ったオウカは、室内の中央へと進む。

 ミレットたちはおやっさんに連れられて別室のモニタールームにて、室内のオウカの様子を見ているはずだ。

 オウカは剣を持ったまま両手を前に突き出すようにした。剣の自重で下がる剣身をそのまま下に下ろし、左方向へと回る。小さな弧を描いていた剣は、翼を広げるように天上を斬り裂く。

 緩慢だった動きが、次第に早くなってゆく。右手と左手はお互いを別の生き物として不干渉を働くように、接触して剣戟を打ち鳴らす事もなく整然と舞う。最早この中で剣筋を目で追う事の出来るのはオウカか、シィーアの二人くらいしかいない。

「――破ッ!」

 最後は瞬間移動したかに思えるほどの高速移動をしながら、左右の袈裟斬りを斬り放った。対衝撃・斬撃用特殊炭素加工された繊維を幾重にも重ねているにもかかわらず軋む壁面に、彼の斬撃がどれ程の威力を秘めているのかよく分かる。

 残心のためか、オウカは再び両手を前へと伸ばして構えをとる。そして抜き出した時と同じく、一息で剣を鞘に収めた。

「ふぅ……。おっさん、ありがとな。こんなにいい剣を使ったのって初めてだ」

 満足そうにオウカは感謝の意を表すと、部屋に取り付けてあるスピーカーからおやっさんの照れ臭そうな声が聞こえた。

『へっ、俺が造った剣だぜ? 当たり前に決まってんだろ、ったく』

「ところで、例のあれは希望通り付いてるんだよな?」

『ああ、勿論だ。造っている最中、こんな事を考える職人がいるのかと思うと楽しくて仕方なかったぜ』

 おやっさんの声に職人特有の造る上での面白さが滲み出ているを耳にしながら、オウカは双剣の一部を確かめた。

「……確かに問題ないみたいだ。おっさん、借りっぱなしは嫌いなんだ。この礼は絶対すぐに返すからな」

『ふん、そうと決まればさっさと行くぜ。扉のロックは解除したから外で集合だ』

 スピーカーからの音はそれだけを伝えると、モニタールームの方で電源を切ったのかパツンと小さく鳴って静かになった。

 オウカが『試着室』を退室した後も、軋む音は奏で続けられた。



 装備屋『アタック&ガード』を出発した一同は、まずギルドへ向かう事にした。

 何故ギルドに向かうのかというと、実は開拓者個々の業績評価も一定の期間にどれ程の依頼を受けたのかがギルドにて記録されているからである。

 そして数ある依頼をどれだけ依頼主の希望に沿って達成出来たのか、そこが重要な判断基準となっている。まったく依頼を受けていない開拓者と、受けて達成する開拓者ではその待遇も変わってしまう。簡単にいえば、上位ランクの開拓者でなければ見る事の出来ない資料や施設などが、ほぼフリーパスで利用可能となるだ。これはかなり魅力的である。

 ミレットが所属するパーティは中位ランクの部類に入るため、『フリーフィールド』などの大型施設の利用に関しては施設利用費が三割引で対応してもらえるので、開拓者になったばかりであるオウカたちが上位を目指すのは損ではない。

 つまりおやっさんが今回の依頼を正式な形でギルドを通じて、オウカたちに依頼をする

事で彼らの実績を補助してくれる手筈となっている。これが何もせずに評価だけをもらうのは不正行為だが、実際に封印区域まで行って素材を採取する事は確定内容となっているので問題はない。ギブアンドテイクの関係だ。

 そうしてギルドに着いた一同は予め決めていた通りに依頼の申請と受諾を行い、封印区域への入り口となる門へと向かった。



「しかし、開拓者っていうのも色々としがらみがあるもんなんだな。正直、もっとシンプルだと思ってた」

「まぁね、でも今回の依頼は利害が一致しているから、内容としては優良のカテゴリィに入ると思うよ」

「なぁに言ってやがる。今回のは優良も優良、最優良の話だぜ」

 オウカの呟きに、ミレットとおやっさんが反応する。前々から開拓者として生計を立てている彼らからすれば、今回のような指名での依頼は知名度が上がらない限りまず有り得ないのだ。普通はもっと雑用に近い依頼を選り好みせずに受けて、着実に実力を伸ばしていくのがセオリーである。

「ところでオウカ、門に着く前に一つ聞きたい事があるんだがいいか?」

「どうした、おっさん?」

「いや、四日前は俺も浮かれてて肝心な話をしていなかったのがわりぃんだが、素材はどこで手に入るんだ?」

 おやっさんの疑問は尤もだ。これから封印区域に入るからには、事前の情報の共有は必要不可欠となる。それが念願に思い描いていた装備品の素材であれば尚の事である。

「そういえば言ってなかったか。シィーアの装備造りに必要な素材を持っているのは、シンフルベアという魔物だ」

「……何だと?」

 それまで重量のある甲冑を物ともせずに歩いていたおやっさんの歩みが、オウカの一言で止まった。

 シンフルベアはブルドオムスの抱える封印区域の中でも、上位の魔物で認識されている。その凶暴性や巨躯でこれまで多くの開拓者が犠牲になっているのは周知の事であり、もし万が一遭遇した場合は可能な限り逃げの一手を打つ事が常套手段となっている。

 過去におやっさんも仲間の開拓者たち八人とパーティを組んでシンフルベアを討伐した事があったが、その時は三匹を狩るのにかなりの苦戦を強いられた経験がある。

 オウカはそれをまるでちょっと買い物をするみたいな感覚で答えたのだから、おやっさんの心情は如何様なものか火を見るより明らかである。

「ちょっと待て。お前さん、本気で言ってんのか?」

「ああ、本気だ。現に俺はその魔物を何匹か討伐している。嘘だと思うのなら、ミレットに聞いてみたらいい」

 真偽を問いかけるおやっさんの視線に、それまで黙って話を聞いていたミレットは曖昧な表情で応えた。

「オウカが言ってる事はホントだよ。その場にわたしもいたから間違いないし、依頼主に嘘を言っても仕方ないしね」

「……分かった。だが相手がシンフルベアだってんなら、安全第一だ。危険だと思ったら残念だが、依頼は取り消すからな」

 その言葉の含みには、ミレットやシィーアの心配をしている事が分かる。普段は無愛想な態度を装っているおやっさんも、今回の依頼が危険なものだと理解しているようだ。

「そこは俺も考えているから安心してくれ」

「ったく、どこからそんな自信がくるんだか知りたいもんだぜ」

 呆れて自分の頭を掻こうとしたのか、おやっさんはいつもの癖で手を持ち上げたのだが装着していた兜に遮られていた。一見すると滑稽な姿であるが、オウカが連続で討伐したシンフルベアの個体数を知らないのでは仕方がないのかもしれない。もし知ったとしても実際にその目にするまでは、眉唾ものだと思ってしまうはずだ。

「とにかく、ここでじっとしてても始まらないよ。先に進も?」

 ミレットもおやっさんの気持ちが分かるのか、これ以上何も言わずに先を促すだけに終わった。


 そうこうしている内に、オウカたちは門の前に辿り着いていた。




 いつも読んでいただいている皆様、そして初めてここまで一気に読んでいただいた皆様、誠にありがとうございます。


 今回の話の投稿まで非常に時間が掛かってしまい、誠に申し訳ございません。この場を借りて謝罪させていただきます。

 皆様、親知らずという名の魔物(奥歯に生息しております)に気をつけて下さい。……奴らは獅子身中の虫です。

 結果からいうと無事に抜く事が出来たのですが、その前後のメンタル的にやる気を殺がれるのはもう勘弁してほしいです。


 次回からはいつも通り更新出来ればと思いますので、宜しくお願い致します。



 誤字脱字やご意見・ご感想などございましたら、お気軽にご指導下さいませ。

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