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社畜27歳、人生に疲れたので農場に逃げたら、はじめて恋を知った  作者: れんれん


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第2話「はじめての空」

電車を降りた瞬間、違和感があった。

 音が、少ない。

 いや、正確には——

 “いつもの音がない”。

 アナウンスも、人のざわめきも、足音も。

 あの、頭の奥にずっと残るようなノイズが、ない。

(……静かだな)

 思わず立ち止まる。

 駅は小さくて、古かった。

 改札も一つしかない。

 人も、ほとんどいない。

 さっきまで乗っていた電車が、ゆっくりと離れていく。

 その音が、妙に遠く感じた。

(本当に来ちゃったんだな)

 スマホを握りしめる。

 画面には、農場からの案内メッセージ。

 迎えは来ない。

 バスで最寄りまで行って、そこから徒歩。

(まあ、そりゃそうか)

 都会みたいに、何でも揃ってるわけじゃない。

 頭ではわかっていた。

 でも——

(……ちょっと不安だな)

 小さく息を吐く。

 今さら引き返す理由もない。

 バスに乗る。

 乗客は、自分を含めて三人。

 全員、無言だった。

 窓の外の景色が、ゆっくりと流れていく。

 建物が減っていく。

 代わりに、緑が増えていく。

 気づけば、空が広くなっていた。

(こんなに……広かったっけ)

 思わず見上げる。

 遮るものがない。

 ビルも、電線も、ほとんどない。

 ただ、空がある。

 それだけなのに、妙に落ち着かない。

(なんか……変な感じだな)

 慣れていない。

 今まで、こんな景色をまともに見たことがなかった。

 バスを降りる。

 そこからは、歩きだった。

 道は細くて、舗装も少し荒れている。

 周りには、畑と、木と、家がぽつぽつ。

 人の気配は、ほとんどない。

(これ、本当に合ってるのか?)

 スマホの地図を何度も確認する。

 電波も少し不安定だった。

 しばらく歩くと、小さな看板が見えた。

『◯◯農場』

 矢印が、奥を指している。

(……ここか)

 少しだけ、緊張する。

 ここで働くことになる。

 生活が変わる。

 そう思うと、現実感がじわじわと押し寄せてきた。

 砂利道を進む。

 足音が、やけに大きく響く。

 少し開けた場所に出ると、建物が見えた。

 古いが、しっかりした造りの家。

 その周りに、畑が広がっている。

 そして——

「……あ」

 人がいた。

 畑の中で、誰かがしゃがんでいる。

 帽子をかぶっていて、顔はよく見えない。

 手には、何かの苗。

 土に触れている。

 その動きが、妙に自然だった。

 無駄がない。

 慣れている。

 声をかけるべきか迷う。

(あれ、どうすればいいんだ……?)

 とりあえず、近づく。

 足音で気づいたのか、その人が顔を上げた。

 目が合う。

 女性だった。

 思っていたよりも若い。

 同年代か、少し下くらい。

 頬に、土がついている。

 髪はまとめられていて、少しだけ乱れていた。

 でも——

「……誰?」

 第一声は、少しだけ警戒していた。

「あ、えっと……今日から働くことになってる、佐藤です」

 慌てて名乗る。

 声が少し裏返った。

 女性は、じっとこちらを見る。

 数秒。

「……ああ、聞いてる」

 短く言うと、立ち上がった。

 土を軽く払う。

「遅い」

「すみません……道、少し迷って」

「一本道だけど」

 言葉に詰まる。

「……まあいい」

 そう言って、こちらに近づいてくる。

 距離が縮まる。

(近い……)

 なんとなく目を逸らす。

「荷物、それだけ?」

「はい」

「軽いね」

「必要最低限だけにしました」

「ふーん」

 興味があるのかないのか、よくわからない反応。

「とりあえず、案内する」

 そう言って、歩き出す。

 その後ろを、ついていく。

 歩きながら、ふと思う。

(なんか……思ってたのと違うな)

 もっとこう、厳しい人を想像していた。

 無口で、無愛想で、怒鳴るタイプ。

 でも、違う。

 無愛想ではあるけど、

 どこか淡々としているだけで、嫌な感じはしない。

 家の中に入る。

 木の匂いがした。

「ここ、寮」

「一人部屋?」

「うん」

 思っていたよりも、ちゃんとしている。

「風呂とトイレは共同。飯は時間になったら呼ぶ」

「わかりました」

 簡潔な説明。

 それでも、十分だった。

「あと」

 女性が少しだけ振り返る。

「無理しなくていいから」

「え?」

「最初はみんなすぐバテる」

 そう言って、また歩き出す。

 その言葉が、少しだけ意外だった。

(……優しいのか?)

 わからない。

 でも——

 少しだけ、肩の力が抜けた気がした。

 部屋に入る。

 荷物を置く。

 静かだ。

 でも、さっきまでの静かさとは違う。

 息が詰まるような静けさじゃない。

 ただ、何もないだけの静けさ。

 ベッドに座る。

(……なんか)

 言葉にできない。

 でも、確かに違う。

 今までの生活と。

 少しだけ、深く息を吸う。

 空気が、ちゃんと入ってくる感じがした。

(……変われるのかもしれないな)

 ふと、そんなことを思う。

 そのときはまだ、

 それが“何が変わるのか”までは、わからなかった。

 ただ——

 あの人の顔が、少しだけ頭に残っていた。

 土まみれで、

 どこか無表情で、

 でも——

 ほんの一瞬だけ見えた、あの表情。

 あれが、何だったのか。

 それを知るのは、もう少し先の話だ。

第2話 完


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