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社畜27歳、人生に疲れたので農場に逃げたら、はじめて恋を知った  作者: れんれん


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第1話「どうでもいい求人」

——あの日、俺は人生で初めて笑った。

 誰かと一緒に飯を食って、心の底から。

 たったそれだけのことが、こんなにも嬉しいなんて知らなかった。

 そのきっかけが、あの“どうでもいい求人”だったなんて——

 このときの俺は、まだ知らない。

 気がつけば、同じ一日を何度も繰り返していた。

 朝、アラームで起きる。

 体が重い。というより、起きた瞬間からすでに疲れている。

(……寝たはずなんだけどな)

 そう思いながら、無理やり体を起こす。

 シャワーを浴びて、適当に服を着て、家を出る。

 電車に揺られて、会社に着く。

 そこから先は、ほとんど記憶がない。

 気づけば夜になっている。

 27歳。

 独身。

 彼女いたことなし。

 別に、それがコンプレックスかと言われると、よくわからない。

 考える余裕がなかった。

 恋愛をする時間も、気力も、なかった。

 それだけだ。

 会社では、目立たないように生きている。

 仕事は、言われたことをやるだけ。

 特別できるわけでもないが、致命的にできないわけでもない。

 だから怒られることもあれば、褒められることもない。

 評価はいつも「普通」。

(代わりはいくらでもいるってことか)

 そう思うと、少しだけ気が楽だった。

 必要とされていない場所で、無理に頑張る必要もない。

 ただ、疲れる。

 理由はわからない。

 体力的な問題なのか、精神的なものなのか。

 どっちでもいい。

 とにかく、疲れていた。

 残業が終わる頃には、頭がうまく回らなくなる。

 数字も、言葉も、全部ぼやけて見える。

 それでも手は止まらない。

 止めたら終わる気がするからだ。

(何が終わるんだろうな)

 自分でもわからない。

 帰りの電車は、いつも満員だった。

 誰も喋らない。

 スマホを見ているか、目を閉じているか。

 たまに、ため息が聞こえる。

 それが妙にリアルで、少しだけ安心する。

(ああ、俺だけじゃないんだな)

 家に帰る。

 電気をつける。

 静かすぎる部屋。

(……ただいま)

 返事はない。

 当たり前だ。

 風呂に入る。

 湯船に浸かる気力はない。

 シャワーだけ浴びて終わる。

 ご飯は、コンビニ。

 味は覚えていない。

 食べたという事実だけが残る。

 ベッドに倒れ込む。

 スマホを見る。

 何を見るでもなく、ただスクロールする。

 気づけば、時間が過ぎている。

(俺、何やってるんだろうな)

 ふと、そんなことを思う。

 でも、その先は考えない。

 考えても、どうにもならないからだ。

 次の日も、同じことを繰り返す。

 その次も。

 そのまた次も。

 ある日、帰りの電車の中で、ふと思った。

(このままでいいのか?)

 考えた瞬間、少しだけ怖くなった。

 今まで“当たり前”だと思っていたものが、

 一気に“意味のわからないもの”に変わる。

(いや、よくないだろ)

 頭ではわかっている。

 でも、どうすればいいのかはわからない。

 変える方法が、思いつかない。

 家に帰って、いつも通りスマホを開く。

 なんとなく、求人サイトを開いた。

 転職する気なんてなかった。

 ただ、指が動いた。

 画面をスクロールする。

 同じような文字が並ぶ。

 営業、事務、IT、販売。

 どれも似たようなものに見える。

 その中で、一つだけ、少し違うものがあった。

『未経験歓迎 地方農場スタッフ募集』

 農場。

 土。

 自然。

 自分の生活とは、あまりにもかけ離れている。

「……農業、か」

 思わず声に出る。

 当然、向いているとは思えない。

 体力もないし、知識もない。

 むしろ、真逆の人間だ。

 でも、なぜか指が止まった。

 募集要項を開く。

 寮あり。

 食事付き。

 給与は、今より少し低い。

(まあ、そりゃそうか)

 スクロールする。

『残業ほぼなし』

 その一文で、指が止まった。

(残業……ほぼなし)

 頭の中に、今の生活が浮かぶ。

 終わらない仕事。

 帰れない夜。

 積み重なる疲れ。

 それが、“ない”。

(……そんなこと、あるのか?)

 疑う気持ちと、

 ほんの少しの期待が混ざる。

 掲載されている写真を見る。

 空が写っていた。

 広くて、青い空。

 しばらく見つめる。

(……こんな空、いつ見たっけ)

 思い出せない。

 スマホを持つ手に、少しだけ力が入る。

(どうせ一人だしな)

 ぽつりと、心の中で呟く。

 守るものもない。

 失うものも、ほとんどない。

 会社だって、俺がいなくても回る。

 むしろ、そのほうがうまく回るかもしれない。

(引き継ぎさえすれば、辞められるか)

 現実的な計算をする自分がいる。

 それが妙にリアルで、

 少しだけ、怖かった。

 それでも——

(……このままのほうが、怖いか)

 初めて、そう思った。

 指が、ゆっくりと動く。

 応募ボタンの上で、一度止まる。

(本当にいいのか?)

(後悔しないか?)

(逃げてるだけじゃないか?)

 いくつも声が浮かぶ。

 でも、最後に残ったのは——

(もう、疲れた)

 それだけだった。

 気づいたときには、押していた。

 応募完了の画面が表示される。

 少しだけ、現実感がなかった。

(……やっちゃったな)

 そう思ったのに、不思議と後悔はなかった。

 ただ、

 ほんの少しだけ——

 息がしやすくなった気がした。

 この選択が、

 自分の人生を変えることになるなんて——

 まだ、知らなかった。

第1話 完


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