30日目 猫はひとり死に場所を探す
1月30日。月曜日。曇り。
生憎の曇り空は今にも降り出しそうだ。敷地に佇む寂しげな枯れ木の最後の一葉は雨に打たれたら簡単に落ちるんだろう……
桐屋蘭子、小児病棟へ向かう足取りは重たく病院の中庭で落ちてきそうな鉛色の空を見上げてた。
『……これ』
「ん……」
『わしじゃ』
足元に寄ってきたのは猫又、キャスパリーグ。アキホちゃんのただ一人の……いやただ一匹のお友達。
人目がないからなのか隠すこと無く堂々と人間の言葉で話しかけてくるこの妖怪は私を責める眼差しを向けてきた。
『お前、見つかったのか?ケンタロウは。手術は今日。もう間もなくじゃぞ』
「……訊いていいかな?キャスパリーグ」
『わしの名前はキャロベティじゃ』
「……あのさ、キャスパリーグは雄なの?雌なの?」
『今の雰囲気から繰り出される質問がそれなのか?』
「ちょっと仰向けになって」
『わしのタマを見てどうするつもりじゃこの変態めが』
「ああ、雄なんですねぇ……」
『それがなんじゃ』
「雄なのにキャロベティって名前なのはどうかなと思うんだけど……改名しなよ。キャスパリーグの方がカッチョイイだろ?」
『嫌じゃ。わしには友がつけてくれた立派な名前があるんじゃ。なんじゃその中二病っぽい名前は』
「お前……由緒正しきアーサー王伝説最強の魔物の名前だぞ?」
『中二病じゃないか』
「……じゃあ…デブリザード・エストロゲインで」
『ちなみに意味は?』
「名前の意味なんてのは貰った本人がその生き様で作るものよ」
『そんな話はどうでもいいんじゃ』
必死に話題を逸らしてたのに……
骨折二日目の脚を爪で引っ掻き始めたデブリザード・エストロゲインに折れて私は昨日の話をしようと決心した。
「ケンタロウ君の居場所は分かった…」
『それで?会いに来てくれるのか?』
「……」
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時間は遡り……昨日。
「ちょっと桐屋さん!?どこに行くつもり!?」
「ちょっとお出かけ」
「あなた今朝出ていかないって騒いでたくせに今度は勝手に外出とか……ああっ!?」
やかましい黛を階段から黛ころがしして私はアキホママから聞いた住所へ向かったの。
タクシーで。
ケンタロウ君の家は都内にあった。北関東民憧れの東京暮らし。しかも一戸建て住宅。持ち家なのかな?うちも持ち家だけど東京と千葉とでは意味が違う。
インターホンを鳴らしたらすぐに品のいいおば様がひょっこりはん。
「はじめまして……桐屋蘭子です」
「あなたがアキホちゃんのお友達の…アキホちゃんのお母様から電話頂いてます。わざわざこんな所まで来てくださって」
「とんでもねぇです。ところで……あの、タクシー代……」
「へへ、まいど。タクシー代20,580円になります。へい」
「……」
お母様にタクシー代立て替えて貰ってお邪魔しマンモス。
……おふざけもこの辺にしておいて、通された仏間で私は折れた脚で懸命に正座を試みる……
「あぁっ!!」
「無理しないでくださいね(汗)」
「痛たたたっ!かっ…帰りのタクシー代も……」
「……(なんなのこの人)」
ひっくり転ける私の眼前--仏壇の写真の中では素敵な笑顔が弾けてた。
「……アキホちゃんのお母様から、話は聞いてる?」
「……ええ、大体」
やはり正座しなきゃだめだ。仏様の御前だし。
ギプスの厚みで座高を高くしつつ私は仏壇の仏様--ケンタロウ君にまず焼香をあげる事にする…
「……」
「……」
「……(汗)」
「……?」
「……あの、焼香どうやるんですか?(汗)」
「フィリーングで大丈夫よ」
息の詰まるような雰囲気だった。
仏間のちゃぶ台の上に出てきたお茶を飲むことでようやく呼吸が楽になった気がする。
お母様は対面でお茶を啜り、息子の遺影を眺めながらとつとつと語り始める。
「ケンタロウも指定難病でした。でも手術が上手くいって……無事に退院出来たんです」
「それじゃあ……」
「でも、退院して自宅療養の許可が出て…そのほんの三日後でした。朝方に容態が急変して……」
アキホママは教えてくれた。ケンタロウ君はアキホちゃんと同じ病気だったって…
なればこそ、母親としての不安や恐怖は計り知れないはず。
きっと同じ病で亡くなった男の子の事なんて思い出したくもなかったんじゃないだろうか。
だって……いやでも意識してしまうから。
「アキホちゃんには伝えなかったんですね」
「とてもそんな余裕はなくて……私自身、未だに信じられないんですよ。病院でもあんなに元気だったあの子が……あんなに突然……」
亡くなって数年。息子を病に奪われたその傷は時間でも完璧には癒してくれない。私は押しかけたのが申し訳なくて俯いた。
「でも……今日あなたが来てくてよかった」
お母様の本題が始まるらしい。俯いてる場合じゃない。私は顔を上げる。
「アキホちゃんのママから聞きました。アキホちゃんに渡さなきゃいけないものがあるって…」
頷いたお母様はそっとちゃぶ台の上に紙を滑らせた。それは四つ折りにされた色紙で、アキホちゃんへと拙い字で書かれてる。
「……手紙」
「今度お見舞いに行く時に渡すんだって、書いてました…中身は私も知らないんですけどね。ただ、結局お見舞いには行けなかったんですけど……」
「これを……私に渡したくて?」
「聞きました。明日手術だって。何の気休めにもならないかもしれないけど…もしかしたら迷惑かもしれないけど……それでも、これは息子が遺した物だから、渡さなきゃいけないと思ったんです」
私はしっかり手紙を受け取った。年月を経たその手紙の送り主はもう居ないけれど、ケンタロウ君の体温と真心はこの小さな手紙の中にまだある気がする。
「……よかった」
「なにがですか?」
「いえ……これでようやく、私も区切りをつけれる気がするから…」
*******************
『……で、それがその手紙か』
私の手には持ち帰った手紙が握られてる。触れるのを躊躇いながらキャスパリーグがそれを見つめてた。
『なぜ昨日渡さん』
「いや……昨日は帰ったら眠くて……」
この桐屋蘭子、一日十二時間睡眠を信条としてる。
そして私はキャスパリーグに押し付けるように手紙を差し出した。なのに友人を称する不信猫は頑なにそれを受け取ろうとしないではないか!
『それは……お前が渡せっ!!』
「いーやーだ!私が渡すの変じゃん!」
『猫が渡してくるほうがよっぽど変じゃろ!!』
「おいペペンテンテンステテン!!あんたアキホちゃんの友達なんでしょ!?猫が渡した方がロマンチックな感じだってば!」
『お前はわしの名前をちゃんと決めんかっ!!わしは……わしはっ!!だめなんじゃっ!!』
べしっ!
「ぎゃあああっ!!痛いっ!?引っ掻かれた!?」
『……わしじゃダメなんじゃ』
なんだか…急にキャスパリーグがシュンとした表情になったんだけど…見ろ。あんなに勇ましくそそり立ってた耳がなんか水餃子みたいにぺたんってなってる……
「どした?お腹痛い?」
『……』
「食ったのか?まさか。消しゴム食ったのか?」
『……黙れ…わしがなぜ手術の前にケンタロウを探して欲しいとお前に頼んだか…分かるか?』
「?私に頬っぺをハムハムさせる為でしょ?」
『ちゃうわボケ…はぁ……』
「手術に不安になってるアキホちゃんのテンションを爆上げにする為でしょ?」
『……あの子がひとりぼっちになる前に、友達に会わせてあげたかったんじゃ』
目を伏せて語る顔は人間みたいだ。悲しみに浸ったその表情に私は不穏な気配を感じ取る。
「…………え?どういうこと?」
『……今となってはあの子の友達はわし一人』
「一匹だろ」
『じゃが……』
「まさか里親に!?」
『引き取られるか。わしは猫又じゃぞ…はぁ。じゃが、妖に成っても歳には勝てんということなのかのぉ……』
長年……尻尾が二又になるくらいの長年ってのはどれくらい長いのか知らないけど、長年酷使してきたであろうキャスパリーグの体は細く痩せて、毛並みは艶がない。
野良猫だからと言えばそれまでだけど……
「……妖怪でしょ?寿命とかあんの?」
『分かるんじゃ』
人に肛門を向けながら尻尾をフリフリしつつキャスパリーグはどこかへ歩き出す。
まだ話の途中なのに……
『そういう事じゃ……じゃから、後のことは頼んだぞ』
「え?いや……いやいやっ!そんな無責任な……っ!行っちゃうの……?」
『昔から言うじゃろ』
どこへ向かうのか……語らず見つめず。静かに言葉だけを重ねるアキホちゃんの友人は私に言ったよ。
『猫は死ぬ時はひとりになるんじゃ』
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「……ケンタロウ君に会ってきたの?」
「そうだよ。君のお母さんから家を聞いてね。どうしても君に渡さなきゃいけないものがあったんだ」
手術直前、私はアキホちゃんに約束の手紙を手渡した。
数年ぶりに触れる友達の気配にアキホちゃんの表情はほんの少しだけど綻んだよ。
やっぱり、不安だったんだね。
「ケンタロウ君、今は遠くに引っ越してて会いに来れないけど、この手紙だけは届けてほしいって」
「元気にしてた?」
「…………うん」
看護師が呼びに来て、アキホちゃんが手術室に入る。
直前までお見送りする私は自分に言い聞かせながら手を振った。
大丈夫……上手くいくさ……
「……ありがとうございました」
アキホママが隣で頭を下げた。実の娘が今まさに手術に挑む。複雑な心境の中で私の相手をする余裕はないだろうに……
「ケンタロウ君の事は、ずっと黙っておくんですか?」
「……いいえ。いつかは…」
そう答えたママの手には手紙が大事に包まれてる。
「……桐屋さん。娘の手術……」
「大丈夫ですよ。きっと無事に帰ってくるでしょう…約束したじゃないですか」
その手紙を見つめて私は答えた。
「帰ってきたらそれを読んであげるって」
地球が吹き飛ぶまであと70日…




