99日目 桐屋一家
4月9日日曜日。地球滅亡まであと2日。
雨を吐き出す雲は今だに空を覆ってたけど、朝方にはその雨足は静かなものになっていた。
『NASAの発表によりますと明日の日本時間20時前後に問題の天体は地球に最接近するとの事で……衝突の可能性は70%となりました。天体衝突時の被害は世界規模になるとみられ……』
昨晩からしきりに緊急速報を鳴らしまくるスマホの電源を切って一晩…
終末の足音をその耳に捉えた全人類のパニックが最高潮に達した今日--
「おでかけだ♪」
「さぁ、最後の祭りよ」
桐屋一家はお出かけに参る。
桐屋蘭子、地球最後の2日間…
家の外に出る頃にはもうほとんど雨も降ってない。時々醤油差しから零れたような極小の雨粒が肩に当たるだけ。
町はゴーストタウンのように静まり返ってた。
「お母さん…お父さんの居場所知ってたんだ」
「お父さん……いや、あの野郎が出て行った後に探偵に調べてもらった事があるのよ…そしたら意外と近くに住んでた」
「相手の女は……?」
「どっかのキャバ嬢でしょ?でもとっくに逃げられたはずよ。両親とも疎遠になって…今は一人孤独に暮らしてるってわけ」
今まで見た事もないくらいウキウキした顔で凶暴な光を目に輝かせたお母さんは勇み足で父の元へ……
死の直前にやる事が元旦那への復讐って…なんか血の繋がりを感じるな。
家を出てしばらく歩いた後、寂れた遊具が取り残された公園に差し掛かった。そこでお母さんは何かを見つけたらしく公園の方へ駆け出して、なんか押して戻ってきた。
「これに乗って行くわよ。流石に徒歩じゃ日が暮れるからね」
「じてんしゃだ」
「お母さんそれ誰の?」
「知らないわ。チェーンも付けずに乗り捨ててあったのよ。捨ててあったも同然でしょ」
母は地球最後を前に倫理観が崩壊した。
お母さんがこーちゃんを後ろに乗せてチャリを漕ぐ。その後ろに着いていく私。チャリは泥だらけ錆だらけで一漕ぎする度悲鳴のような軋みをあげる。
「お母さんこれ……ボロいっ!そっちのがいい!こーかんして!!」
「いや」
「おねえちゃんがんばれ」
「なんかペダルが重いんですけど!!」
「頑張って。あと3.5キロくらいよ」
「は!?」
お母さん……嗚呼お母さんよ。いつも私達家族の先頭を行く勇ましきその背中。私達はずっとその背中を追いかけていくんだと…………
「ぜぇ……はぁ……っ!!」
「早く来いよババア」
思ってました。
三十分もしたら世代交代がやって来た。四十を目前にした我が母に4歳児との二ケツはハードすぎたらしく、今や私の後をフラフラ着いていくだけだ。
てか私が前走っても道分からんし。
「くかーー」
いつの間にか眠っていたこーちゃんは子泣き爺の如く重量を増したらしい。母の汗が化粧を溶かしていく。
「蘭子……待って……」
「うるせぇ。日が暮れるぞ」
「ぜは……ぜは……」
「黒ひげみたいになってるって。てかさ」
「今話しかけないでっ!!息ができないでしょっ!?!?」
「てかさ、お父さんに会ってどーすんの?」
「殺すのよ」
覚悟ガンギマりの顔で「殺すのよ」とでも言えば迫力もあろうというものだが…先に自分が死にそうな顔で「殺すのよ」なんて言ってもなんの説得力もない。「殺されるのよ」って言った方がまだ似合ってる有様じゃん。
「……ひぃ……ひぃ……」
「ねー車にしよーぜ。路駐してある車にさー。蘭子、車泥棒してみたい」
「バカ言ってんじゃないよ。車なんて盗んだらあんた……大変でしょーが。まじのドロボーじゃない」
「自転車はいいんかい」
「もうムリ……株式会社……」
退職代行モームリは株式会社アルバトラスが運営してるんだ。で?
おかあさんはちからつきた。チャリのスタンドを立てて道路の脇に止まり、ケツから崩れ落ちた。引き返してきた私に母が言った一言。その一言が世の全ての蘭子を帰路に駆り立てた。
「私もう無理……あんたちょっと電動キックボード持ってきなさい」
「帰っていい?」
雨は止んでた。
相変わらず曇天だけど…その雲は空からやって来る悪魔を覆い隠そうとしてるようにも感じられる。
気の重くなるような不吉な空もそう思えば悪くないや。
こーちゃんを抱っこしたまま立ち上がれない38歳。近くの自販機を破壊して水を強奪してきた私がそれを差し出すとカバみたいな大口を開けて飲み干す。
心做しか肌ツヤが戻った気がする……
「……蘭子、こーちゃんが産まれた時の事覚えてる?」
こーちゃんの頬っぺを指でつまみながらお母さんが不意にそんな事を尋ねてきた。
「覚えてるよ」
私がまだ11歳の頃だ。
我が家に天使が舞い降りたのは。
そしてその直後、父親は姿を消した。
一人の家族と引き換えに桐屋家は家族を一人失った。
「……こーちゃんが産まれて、病院にお父さんとあんたが来て…お父さんが初めてこーちゃんを抱っこした時の顔……」
空を仰ぐお母さんの顔が曇天を眩しそうに見つめてる。
「本当に嬉しそうでね…俺の血を継ぐ男の子がこの世に産まれ落ちたんだって…比喩でもなんでもなく泣きながら小躍り踊ってたわ」
覚えてるよ。
病室でこーちゃんを抱き上げたまま顔をしわくちゃにしてタップダンスを踏むみたいに踊ってた。
あの時の喜びは演技じゃなかったはずだ。
「……そんなに浮気女が良かったのかな。お父さんは…あんなに宝物みたいにしてたこーちゃんを捨ててまで選ぶ程…」
問いかけるように呟いたそれに返事はない。お母さんはずっと空を見上げてる。
そんなの私に訊かれても知らねーよって言ってるみたいだ。
「……蘭子はお父さんに会ったらなんて言いたい?」
「別になにも?」
……いや。今の問いを投げかけるならそれはお父さんにだ。
お父さんはどうして……
お母さんの事は分からないけど少なくとも、私とこーちゃんの事は愛してくれていた…はず。
もしそれも嘘だったというのなら……
「……私はいいのよ」
お母さんはぽつりと言った。雨粒が落ちるみたいに。
「浮気されようがなんだろうが…私はね。でも、あいつが蘭子やこーちゃんをどうして捨てたのか…捨てて行くのが私一人で…離婚届でも突きつけて「子供は俺が育てる」って宣言でもしてれば……私は今日自転車を漕いでなかったわ」
お母さんが「私」なんて言うのはいつぶりに聞くだろうか。
「お母さんの方が言いたい事ありそうだね」
「今となってはどうでもいい事よ」
ようやく重たい腰……いや、ケツを持ち上げたお母さんはこーちゃんを抱っこしたまま私を見下ろして「そーいえばさ」とまた何かを問いかける。
無言の視線だけを返す私にお母さんはなんでもない事のようにこう尋ねた。
「蘭子はさ、逃げたかった?地球が終わるって知った時。今こーしてくだらない事に時間を使ってるけど……これで良かった?」
「何その質問」
「今更ながらさ…親としたこれでいいのかと考えちゃって。決死の覚悟で子供だけは安全な場所に連れて行くべきだったんじゃないかと」
「それが普通の親だよね?陽菜のパパママもそーした。誰だってそーする。蘭子もそーする」
「恨んでる?」
恨んだってなぁ……
「……とうとうお小遣い値上げしてくれなかった事に関しては」
「そんなんでいいの?あんたは」
「いいんだよ……あんたの娘だから」
チャリに跨ってえっちらほっちら動き出す。後ろでお母さんのバカでかい笑い声が空まで響く。
「どーして避難しなかったか分かる?」
「めんどかったんでしょー?」
「それもそーだけど……まぁ半分はもう諦めてるってのとー……もしさ。あんた達だけでもどっか安全な場所に避難できたとしてさー……」
「うん」
「お母さんは避難できなかったとしてさー、離れ離れになったとしてさー」
「うん」
「それがすげー嫌だったんだよね」
「そーなる保証ないじゃん」
「なんか子供から優先に避難させてもらってるらしいわよ?てなると離れ離れになるくない?映画みたいに。そんで二度と会えない的な」
「だね」
「お母さん、死ぬ時は家族みんなで死にたいの」
思わず振り返った私の目に顔をクシャってして笑うお母さんの顔があった。
その顔はまるで子供みたいだった。
*********************
雲間から日射しが差し込み始めた頃、私達は目的地に到着した。
くしゃみで倒壊しそうなオンボロアパートがその目的地だ。このオンボロ具合はきっと建築基準法をクリアしてないぞ。
「こーちゃん着いたわよ」
「……んにゃ?」
「お母さん…ここにお父さんが?」
「ここの303号室よ」
ボロボロな上に人の気配のしないアパートはゴーストハウスって感じ。三階まで上がる階段も踏み板を踏み抜いちゃうんじゃねーかってドキドキだ。
「家賃二万四千円…築五十八年。敷金礼金なしよ」
「しかもボロボロの階段っていうアスレチック要素まで……意外とお買い得な物件だぜ」
「蘭子、あんたね。仮にもマイホームを買った自分の父親がこんな暮らしをしてるって事実に対して思うところはないわけ?」
「楽しそうなおうちだね^^」
しかしお父さんは在宅なのか?
アパートに住人の気配はないし、なんなら扉が開けっ放しの部屋もある。とっくに逃げ出してるんではなかろうかと…
そんな杞憂などないかのように目的の部屋の前に立つお母さん。見上げる表札には段田呂巣の名前が…
間違えようのない、忌まわしき我が旧姓。
「オラァ!!」
我が母はノックとかインターホンってのを知らない原始人らしい。ベニヤ板立てつけただけみたいな扉を蹴破った。
あと、勢い余ってコケた。
室内からは……音がしなかった。
電気もついてない。
ただ……人は居た。
その人影は薄暗い室内で、窓を背に、薄暗い雲から差し込む日射しを僅かに浴びて……
椅子の上に立って、首に縄をかけた状態でそこに居た。
暗がりでよく見えないけどその顔を見た瞬間、脳の奥に電撃が走る。矢木みたいに。
お父さん--
衝撃の再会と衝撃の光景に私が立ちすくむ隣で、まるで知ってたかのようにお母さんの動きは速かった。
さっきまでチャリで死にかけてたくせにそうとは思えない速さで駆け出したお母さんは部屋の中に飛び込んで……
「……えっ!?志乃--」
驚きの声をあげる父に向かって……いや。
「おらぁ!!」
……お父さんの立ってる椅子に向かってスライディングキック、キメてた。
音を立てて倒れる椅子。
そんで支えを失った体は重力に引っ張られて真下に落下。必然、お父さんの首にかかった縄に体重がかかり…
「ぐえっ」
「バカヤローー!?」
*********************
地球より一日早く天に召されかけたお父ちゃんを助けてあげたよ。
ゴミ袋に囲まれたどこか安心できるワンルームの部屋で地球最後の桐屋家家族会議が始まった…
「……?」
私の膝の上のこーちゃん(崖の〇のポニョではない)はキョトンとした顔でお父さんと私を交互に見てる。
「……志乃…どうして……」
「久しぶりね。輝幸」
お母さんとお父さんは感動的とは呼べない再会を果たした。実に四年ぶりの…
お父さんの顔には私の記憶の中にある面影も確かにあったけど、白髪の混じった髪の毛と無精髭、痩けた頬、干からびた肌は病人のようにも見える。生気のない目はまるで死んだ魚…いや、陽菜の目みたいだ。
そんな姿を見た私は一言。
「ざまあろ」
お父さん( ´・ω・`)って顔してる。
家を出て行ってから浮気女と悠々自適に暮らしてるんだろうと想像して腸の煮え繰り返って鍋焼きうどんが作れそうなくらい沸騰した日もあった。
でも実際は違ったんだ。
「……何してんのよ」
お母さんの質問はこれだった。
「……えっと…尻かいてる」
ボリボリ
「じゃなくて、これ」
お母さんは倒れた椅子を指差す。
叱られた子供みたいな顔で俯くお父さんは掠れた声で一言だけ「……死のうとしてた」と。
「なんで?」
「……だって…もう終わるんだろ?この星」
「それとあんたが自殺すんのと何の関係があんのよ」
「……生きてたってしょうがないだろ?こんな所で一人……」
見回す部屋の有様は確かに「こんな所」だ。
「……どーせ明日でみんな死ぬのに、今日死んだってしょーがないでしょ?」
「明日死ぬなら今日死んだっていいじゃないか」
「は?」
「一人でさ……生きてたって……」
お母さんの目はカミソリみたいに鋭かった。
「……だから来た」
お母さんの吐き捨てるような一言に私はハッとして顔を上げる。お父さんを睨みつけるその横顔に愛情は欠けらも無い…はずなのに、その言葉の一つだけでお母さんからお父さんへの無限の想いが溢れんばかりに伝わってきた。
そして私は予想する。次の一言……
「チャリで来た」
出ました。
お母さんは立ち上がって私とこーちゃんの後ろに立つ。そんで私の頭に手を置いた。チョーカッチョイイ私のウルフカットが崩れる。
「よく見なさい。四年ぶりに会うあんたの娘と息子を…」
「……っ」
何か……言葉をかけるべきだろうか?
「……おかあさん、このひとだれ?」
「こーちゃんのお父さんよ」
こーちゃんはびっくりしたような顔をしたけどそれも一瞬で、じーっとお父さんの顔を見つめて、コテンって首を傾げて終わった。
「しらない」
無理もない。赤ちゃんの頃に出てってんだから。
「……康太…大きくなったな」
ただお父さんの反応は違った。
震える声で、手で、こーちゃんの存在を確かめるように見つめて語りかける。
「いくつになった?」
「よっつ!」
「そっか……そっか……」
そして私へ……
「蘭子……」
「……」
「元気してたか?」
「現代人としては規格外の健康体って医者から言われたよ」
「はは……そうかぁ……蘭子はもう……中学生…?いや……」
「今年の4月で高校生だよ」
「そうか……そうか…………」
一体どんな気持ちなんだろうか…
自分の都合で捨てた子供達に、こんなに愛情の籠った視線と声を投げかけて……この男の心に今あるのはどんな気持ちなんだろうか。
目の前の父親の姿が途端に見えなくなっていく。
想像してた頃の方がむしろはっきりと、お父さんの存在を感じられてたような気がする。
お父さんが震える手を私達に伸ばす。
それを容赦なく払い落としたのはお母さんだった。
ベシィンッ!!
「あ痛っ!?」
「強っ」
「いたいっ!」
すんごい音したぞ?手の甲砕けたんじゃね?
「あなたにその資格はない……」
「……志乃…」
「子供達を連れて来たのは……どーしようもないあんたへの……元妻からの情けよ。あんたは一人で生きててもなんて言ってたけど、一人で生きる事を選んだのはあんたよ」
お母さんの毅然とした言葉にお父さんは黙りこくってしまった。膝の上で両拳が震えてる。
骨と皮だけのようなその姿は痛ましくて……
「……私達はずっと…あんたの隣に居たはずなのに……」
「……」
息をするのも辛そうだった。
胸に去来するのは、色んな感情。
お母さんを、こーちゃんを、私を捨てて出て行った父親。許せるはずもない父親。
でも、お父さんとの思い出は何も悪いものばかりじゃない。
それも事実で、感情が複雑に絡み合う。
お母さんは到底許せないだろう。
こーちゃんだって、赤ん坊の頃の記憶はないんだ。
ならせめて……
「……お父さん」
私の声にお父さんは頭を上げた。お父さんなんて呼ばれるとは思ってなかったんだろう。
その資格があるのか?そう問いかけるような眼差しだった。
何を言おうか迷ったけど……
何かを考えるより先に口が動いてた。
「……長生きしろよ?」
何言ってんだろ……
4月9日、日曜日。
地球滅亡まであと…1日。




