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第94話「でも、やっぱり好きニャ……」

金色の朝日が差し込むアスヒラクフーズ本社の会議室。

ステンドグラスに映る色彩が、まるで祝福のように床一面を照らしていた。


突如発表された「魔族教育支援基金」。

その内容は、戦争の影に取り残された魔族の子どもたちへの教育資金を支援するものだった。


魔族の孤児や、家庭を失った若者たちが夢を叶えるための一歩となる――

その発表は瞬く間にメディアとSNSを駆け巡り、アスヒラクフーズの名は一夜にして“未来と希望の企業”として脚光を浴びることとなった。


「……基金設立、正直驚きました。けれど、心から感謝しています」


涙を浮かべてそう語ったのは、フランチャイズ店主のひとりであり、魔族出身の老年男性。

彼は静かに頭を下げ、アマリエの手を握った。


「ワシらは……ずっと、誰からも見捨てられてると思っておりました。

戦争が終わっても、誰も振り返ってはくれなかった。子どもたちも未来を信じられずに……。

でも、今日、初めて思いました。ああ、ワシらにもまだ希望があるんだなって……」


アマリエは、じっとその手を見つめていた。

何か、込み上げるものがあるのに、うまく言葉が出てこない。

その手の温もりが、胸の奥をそっと揺らした。


その横で、ヴォルフガングは静かにその光景を見守っていた。


(……母上。ようやく……)


あの日、ヴァルハラがヴォルフガングに遺した手紙。


『この世界に、もう魔法は残されていません。

でも、希望は、まだ残せます。

光を絶やさないで――子どもたちに、未来を』


それがヴァルハラの最期の願い。

そして今、ようやく“形”になったのだ。

誰にも語ることはない。ただそっと、その意思を守るだけでよかった。




その日の午後、アスヒラクフーズ本社の応接室には各新聞社や教育団体、投資家たちが訪れていた。

マサヒロはスーツの上着を脱ぎ、袖をまくって説明に奔走していた。


「基金の選考については、我々の“魔族支援チーム”が複数の教育者や医師とも連携し、長期的に支援可能な仕組みにしていきます。

最初は小規模な試みですが、持続可能性を最重視しています」


その横で、ヴォルフガングはふにゃ、と小さくあくびをした。


(マサヒロ、最近かっこよくなったニャ……)


マサヒロの膝に乗せてもらうたび、撫でられるたび、香りに包まれるたび、心がざわつく。

どんな柔軟剤を使っているのかは知らない。

でも、彼の香りは、ヴォルフガングにとって唯一の“帰る場所”のような存在だった。


マサヒロがふとこちらを見た。


「今日も頑張ってるね、ガンちゃん。……ほら、お疲れでしょ」


彼は膝をポンと叩いて合図した。

ヴォルフガングはちょっとだけ躊躇し、それからすぐ、ぴょんと飛び乗った。

そのぬくもり。微かな心音。そして、香り。


(好き……ニャ……)


膝の上で目を閉じる。だが、感情は込み上げてきて、涙となって滲んだ。

こぼれ落ちないよう、彼の服の陰でそっと隠す。


『……マサヒロ……』


名前を呼んでも、声は届かない。テレパシーは魔王アマリエにしか通じない呪い。

しかし、それでも心の中で呼びかけずにはいられなかった。


その時だった。


「ガンちゃんが人間だったらね……」


マサヒロがぽつりと呟いた。冗談っぽく、何気なく、無自覚な調子で。

ヴォルフガングの耳がぴくりと動いた。


「……ニャ?」


心臓が、跳ねた。喉の奥で何かが詰まったように、しばらく何も考えられなかった。

だがマサヒロはすぐに笑って、別の話題へと移ってしまった。


(それでも……今、確かに聞いたニャ)


もしも。

もしも人間だったら。

呪いが解けて猫型獣人の姿に戻れたら……

それは、希望だろうか、それとも残酷な幻想だろうか。


その夜、アマリエは一人、会議室の窓から月を見上げていた。

ヴォルフガングとマサヒロが並んで歩く姿が、窓越しに見えた。

ヴォルフガングがマサヒロの足元でくるくると尾を揺らしている。


「…………」


アマリエは小さく息を吐いた。


(ワシ、負けるかもしれんのう……恋に)


そう思ったが、次の瞬間には首を振っていた。


「いや、何を考えとるんじゃワシは! ワシは社長! 魔王じゃ!」


だが、その頬はほんのりと紅潮していた。

そしてその夜、三人の運命は少しずつ、確かに交差し始めていた。

魔族と人間、猫と人間、そして……


“希望”という名の未来の種が、芽吹こうとしていた。



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