第93話「星がまた昇る夜に」
その夜。
オフィスのバルコニーでひとり空を見上げていたヴォルフガングのもとに、マサヒロがそっと近づいてきた。
「ガンちゃん、ここにいたんですね」
彼の声に、ヴォルフガングは驚いたふうにしっぽを動かした。
――ああ、しまった。思考に夢中で、彼の足音に気づかなかった。
「今日のアマリエ社長の演説、すごくよかったです。……でも、あれ、ガンちゃんが考えたんでしょ?」
彼の声には、いつもの優しさがあった。
でも、ヴォルフガングは小さく首を横に振る。
(これは、私の願いではないニャ……私の、母上の願いニャ)
そう心で呟くも、筆談は封じた。今は話すべきではない。
マサヒロには、知られたくなかった。
母の願いが自分を通じて世界へ届いたことは、誇りであり、同時に秘密にしておきたい“祈り”だった。
マサヒロは、しばらく沈黙したあと、ふいに笑った。
「ガンちゃんってさ、本当は、すごく優しい猫なんだよね」
その言葉に、ヴォルフガングのしっぽがびくりと揺れる。
「僕……たまに思うんです。社長って、すごく明るくて素直で真っ直ぐで……だから惹かれる。
でも、ガンちゃんの静かな優しさも、同じくらい大事に思えるんだよなあ」
そのまま、彼は屈んで、そっとヴォルフガングの頭を撫でた。
言葉はなかった。
だが、ヴォルフガングの瞳にだけ、星の光が瞬いていた。
――マサヒロ。私は、私のままでいいのかニャ?
その問いにはまだ、答えは出ていない。
でも――きっと。
星がまた昇る夜に、答えを出す日が来るだろう。
そして。
オフィスビルの高層階から、空を見上げたアマリエは、ふと首をかしげた。
「なんじゃ? あの光、星か? 流れ星か? それとも……ワシの未来が光っとるんかのう?」
自分の手で何かを照らせたと信じて――
今日も魔王は、どこまでもおバカで、まっすぐだった。




