第92話「この会社が、星になれば」
アスヒラクフーズ本社の会議室の一角には、魔王アマリエが誇らしげに掲げた大きな垂れ幕が揺れていた。
《祝・魔族教育支援基金、爆誕》
大文字で書かれたその文言は、アマリエ社長の手書きによるもの。
文字の端にはポーションのしみが乾いたような痕もあり、手書きPOPさながらの勢いがあった。
社内では温かい拍手が巻き起こっていた。
重役たち、現場スタッフ、各部門のリーダーたち――
誰もがそのニュースを笑顔で受け止めていた。
「……まさか、うちの会社が、こんな社会貢献までするようになるとはなぁ」
営業部の魔族の一人は、呟いた。
魔族である彼にとって、この基金はどこか遠い憧れのような響きを持っていた。
苦しい時代を生き延び、差別と冷遇の中で働き続けてきた。
だからこそ、「子どもたちの未来に希望を」という理念が、真っ直ぐに胸を打った。
だが、その“原案者”が誰であるかは、誰も知らなかった。
それを知る者は、ひとりだけ――。
ヴォルフガングは、社屋の一角にある静かな応接室のソファに座り、短くため息をついていた。
テーブルには、小さな箱が置かれている。
かつて母ヴァルハラが彼女に手渡したものだ。
そっと蓋を開くと、中から一枚の古びた手紙が姿を現した。
文字はすでにかすれていたが、読み慣れた筆跡が、心に染み込んでくる。
『私たちは、たくさんのものを失いました。
しかし、未来を描く権利までは、誰にも奪えません。
魔族の子どもたちは、これから“何も知らずに生きていく”。
魔族の魔法も、歴史も、誇りさえも忘れさせられてしまいます。
だから、誰かが思い出してほしい。
あの空に、私たちの星があったことを。
――残された子供たちに、光を。』
指先が紙の縁に触れた瞬間、まるで母の体温がそこに残っているかのような錯覚に襲われた。
母ヴァルハラは決して、自分に未来を強いたわけではなかった。
ただ、「記憶を渡した」だけだった。
選ぶかどうかは、ヴォルフガング自身に委ねていた。
そして、彼女は選んだ。
魔王の参謀としてではなく、ただ一匹の黒猫としてではなく――
“誇りある魔族の娘”として。
「この会社が、星になればいい」
それが、彼女の願いだった。
教育支援基金を設けるという提案をアマリエにした時、彼女はこう答えた。
「ほほう? 紫煙と砂金を混ぜたポーションを子どもに飲ませるんか?
それはちと危険じゃぞ?」
――そのあと、30分かけて説明し直したが、最終的にアマリエは理解した。
「つまりじゃな、未来のちびっこ魔族が“ええ顔”できるようにしたいっちゅうことじゃな?
よき! 超よき!! 爆誕じゃああああ!!」
そして、基金は設立された。
社内報で、アマリエは満面の笑みでこう綴っている。
「魔族も人類も、みんなちびっこだったじゃろ?
じゃけぇ、ちびっこを育てることは、世界を育てることじゃ。
この基金はワシからの“でっかいポーション”じゃ! 効能:未来!」
その言葉を読みながら、ヴォルフガングはふっと笑った。
そう――きっと、ヴァルハラが今もどこかで見ていたら、眉間にしわを寄せて怒りながらも
口の端をわずかに上げているだろう。




