第8話「その戦略、フランチャイズ」
薄曇りの空の下、「癒やしのしずく亭」の木製看板が風に揺れていた。
アマリエは、店の隅の丸テーブルに座ったまま、顔をぽかんとさせていた。
「……フランチャイズ……」
魔王様の口から発された言葉に、ヴォルフガングがピクリと耳を動かす。
『そうですニャ。先ほどスターシスが口にした、仕組みの一形態ですニャ』
テーブルの向こうでは、スターシスが湯気の立つカップを持ってきてくれた。
アマリエの前にそっと差し出す。
「ノンカフェインのハーブブレンドです。思考を落ち着かせたいときに」
「おお、気が利くのう、スターシスよ……。そうじゃ、のう……その……なんじゃっけ?」
『……フランチャイズ、ですニャ』
「ああ、それじゃ! フランチャイズについてもっと詳しく教えてくれぬか?」
スターシスは静かにうなずき、腰を下ろした。
彼の語り口は、まるで講義のように落ち着いていて、かつ熱があった。
「アマリエ様。商売を始めようと思ったとき、最も難しいのは“ゼロから作る”ことです。場所、人、道具、そして信用……すべてが壁になります」
「むむ、確かに……資本金はゼロ、仲間もゼロ、魔力もゼロじゃからのう……」
「そこを支える仕組みが、フランチャイズです」
「……うむ……その、“腐乱茶伊豆”とやらは、どんな魔法なのじゃ?」
『魔法ではなく、仕組みですニャ』
ヴォルフガングが割り込むようにテレパシーを送る。
『ざっくり言うと、“成功している商売のやり方”を、他の人にも使わせてあげて、その代わりにロイヤリティ……つまり使用料をもらうというものですニャ』
「ふむ……つまり、ワシが“癒しのしずく亭”のやり方を真似て店を出してもよい、ということか?」
「ただの“真似”とは違います。フランチャイズでは、一定の基準とマニュアル、仕入れルート、店舗設計、価格まで統一されており……」
「わからーん!!」
机に突っ伏す魔王。グラスのハーブティーが軽く揺れる。
「むずかしいぞ、ガンちゃん……ワシの脳みそ、焼きトウモロコシになりそうじゃ……」
『例えるなら、“魔王軍の前線基地”ですニャ』
ぴくっ。
アマリエがゆっくり顔を上げた。目がキラリと輝いている。
「……前線基地……?」
『そうですニャ。かつて、あなたが率いていた魔王軍が、各地に設置していた拠点。あれと似ています』
「なるほど……!」
アマリエは急に立ち上がり、空中に指を走らせる。
「東方の第八拠点、輸送ルートは暗号文書を使って統一! 物資配給は五日周期、戦力配備は階級別にマニュアル化! どこに行っても“魔王軍”らしさが保たれた……!」
『それですニャ。まさに“再現性”と“均一性”が保たれた拠点展開、それがフランチャイズの本質に通じるのですニャ』
「わし……なんか、ちょっと分かった気がするぞ……!」
胸を張るアマリエに、スターシスが微笑む。
「“現場の魔力に頼らずとも、魔王軍の力を均一に届ける”。その思想を、私は商売に転用したんです」
「おぬし……ワシの……戦略を……」
「ええ、学ばせていただきました。あの時代が、今の“経営”の土台になっています」
アマリエの目が潤む。
失ったと思っていた全てが、実は誰かの中で生きていた。
奪われた魔力だけではない。支配した国土だけではない。
“理念”と“仕組み”が、生き残っていた。
「ガンちゃん……ワシ……なんか、救われた気がするのう……」
『仕組みは“遺産”ですニャ。力ではなく、仕組みこそが、未来に残せるものですニャ』
「……仕組みかあ……ワシも、なんか作ってみたいのう…………
そうじゃ!!魔王フランチャイズ軍団、復活じゃあ!!」
突然、アマリエが拳を突き上げて叫ぶ。
その声に、店内の客数人がむせた。
『しっ、静かにするのですニャ! せっかくの話が台無しですニャ!』
「いや、でものう、これはまさに“征服”の形じゃぞ! 魔王軍の理念が、“経済”という名の拡張戦略で蘇るんじゃ! つまり、“経済的世界征服”じゃ!!」
『名前だけは立派ですニャ……』
「“魔王軍フランチャイズ部”じゃ! ……いや、“魔王経済軍”……うーん、“全世界支配下に置いちゃったよグループ”?」
『それはかなり気が早いですニャ!』
笑いながら騒ぐアマリエの横で、スターシスは静かにカップを口に運んだ。
その眼差しは、かつて主君とともに夢見た戦場を、どこか懐かしく眺めるようなものだった。
「戦い方は変わっても、陛下の“熱”は、やっぱり変わりませんね」
「ワシ、熱ぅぅぅい女じゃからのう!」
『ただし、熱くなりすぎて焦がすタイプですニャ』
「おう、ガンちゃん……おぬし、よく分かっとるのう……!」
そうして、アマリエの中で“事業とは何か”というイメージが、少しずつ育ちはじめた。
ビジネスは敵を倒すことじゃない。仕組みを伝え、想いを届けること。
“支配”ではなく、“信頼”。
戦略とは、誰かを従えることではなく、誰かが“同じ旗の下に立つ”ための約束。
かつての魔王は、今、ほんの少しだけ、“経営者”に近づこうとしていた。