第71話「現代の勝負は、魔力に非ず」
――翌朝。
ヴォルフガングはアスヒラク本店の裏手で一人、ノートパソコンを睨んでいた。
(物流、原価、流通、人件費……全ての指標で、我々はマッスル食品に劣るニャ)
彼女は、ノートパソコンに映し出された「マッスル食品」のサプライチェーン構造図を分析し、
静かに唸った。
(だが、“理念”が劣っているとは、誰にも言わせないニャ)
ヴォルフガングは顔を上げた。朝日が黒い毛並みに差し込む。
そこへ、アマリエが眠そうな顔で現れた。
「おはよぉ~……あれ、ガンちゃん、また徹夜したんかの?」
『徹夜したのは私ではなく、現実を直視する努力ニャ』
「え? なんかカッコイイこと言った!? ワシも言いたいー! 徹夜したのは……えっと、眠気のせいじゃなく……気合じゃーっ!!」
『……やはりおバカちゃんニャ』
クスリと笑いながらも、ヴォルフガングの瞳には決意の色が浮かんでいた。
その後ろから、マサヒロがカゴを抱えて現れる。
「おはようございます。これ、墓参りの人が“頑張って”って持ってきてくれましたよ」
見ると、手作りの応援ポスターと、応援メッセージが詰まったポーション瓶。
アマリエはその一本を手に取り、じっと見つめた。
「ワシ、やっぱり……まだ、負けたくないのじゃ」
マサヒロとヴォルフガングは、静かにうなずいた。
空気が凍てつくような冬の朝。
アスヒラクフーズの本店前に立つアマリエは、全身に布団を巻きつけながら震えていた。
「さ、寒いぃぃぃ! なぜワシがこんな朝から立たねばならんのじゃあああ!!」
「社長、自分で『視察じゃ!』って言ってたじゃないですか……」
マサヒロがコートを羽織りながら隣でため息をつく。
『……あいかわらずおバカちゃんニャ』
そのとき――
「いらっしゃいませぇぇぇ!本日は“筋肉割”で全品半額です!!」
通りの向こう、マッスル食品ホールディングスの新店舗から、
制服を着こなした爽やかなイケメン店員が元気に叫ぶ声が響いた。
「おぉ……イケメンじゃのぅ……フヒヒッ……て、なっ……半額ぅぅ!?」
アマリエが目を剥く。
「ガ、ガンちゃん! あれ、いくらで売っておる!? 見た感じ、ワシらの“ぷるぷるはちみつポーション”と同じじゃが……」
『一本あたり……48円ニャ。しかも2本目は無料。さらに登録すれば月額制で飲み放題ニャ』
「そんなの、もはや慈善事業じゃあああ!!ボランティアぁぁぁっ!!」
頭を抱えるアマリエ。
その様子を見て、ヴォルフガングがノートパソコンのマウスを肉球で操作しながら低く告げる。
『……本格的に潰しにかかってきたニャ、マリエルは』
そして、目の前の人波の向こうに――
黒いロングコートを羽織り、腕を組んで歩くマリエルの姿があった。
マリエルは人波を割ってアマリエたちの前に姿を現した。
黒革のブーツ、鍛え上げられた体、凛とした眼差し――
かつての戦士の面影はそのままだが、今や彼女は“経営者”。
「フフ、アマリエ社長。またお会いしましたな。……ポーション屋、頑張ってるかな?」
「あ、あああ、ああぁぁああ!? こんの筋肉バカ女ぁっ!」
マリエルは微笑むが、その口元には一切の隙がなかった。
「筋肉“経営”バカと呼んでくれたら、まだ光栄だ。で? 売上、落ちているだろう?」
「ぐぬぬぬぬぬぬ……っ!」
ヴォルフガングが一歩前に出ようとするが、アマリエが手を出して止める。
「……ワシの口で言いたいんじゃ。たとえバカでも、社長じゃけえの!」
マリエルが興味深そうに眉を上げた。
「ほう、そうか。なら、言ってみるがよい」
アマリエは一瞬言葉に詰まる。
しかし、咄嗟に両手を突き出し――
「う、ウチのポーションは、あの、なんというか……魂が、宿っとるんじゃぁぁぁっ!!」
通行人がちらりと見る。マサヒロが顔を覆う。
ヴォルフガングが静かに項垂れる。
「それって……具体的には?」
マリエルの冷静な返しに、アマリエは完全に沈黙する。
その空気を割って、今度はヴォルフガングがメモを差し出した。
【理念があります。我々は、安売りではなく、“誠実”を選んだ。
アスヒラクフーズは、ただのポーションではなく、生き方を支える一杯を目指している】
「ほう。立派なことだ。しかしまあ、それで勝てればよいがな?」
マリエルは背を向け、静かに立ち去る。
「現代の勝負は、魔力ではない。市場が決めるぞ。覚悟するがよい、魔王よ」