第7話「ワシ、社長になりたいんじゃ!」
――「信頼」と「継続」。
その二語が、アマリエの頭の中でぐるぐると回っていた。
「商売ってのは……“戦い”じゃなかったのかのう……」
――次の日もまたスターシスの店に立ち寄った。
ポーションジュースの甘さが、どこか切なく舌に残る。
店の奥で接客を終えたスターシスが、ゆっくりとこちらにやってきた。
彼は相変わらず丁寧な所作で、アマリエの前のテーブルを拭きながら言った。
「覚えておいででしょうか、陛下……いえ、“アマリエ様”」
「えっ……や、やっぱり気づいてたんか!?」
「ええ。昨日おみえになられたでしょう?きっとそうだろうと……」
「ううぅぅぅ……なんか……恥ずかしいのう……ワシ、“忍びの者”みたいに潜入したつもりだったのに……」
「むしろ目立っておりましたよ。ですが――嬉しかった」
その一言に、アマリエは顔を赤らめて下を向いた。
スターシスは、かつてのように、静かで落ち着いた声で語り始めた。
「商売は、戦争とは違います。勝った者がすべてを得るのではない。奪うのではなく、与え続けることが重要なのです」
「与える……?」
「信頼は、短期間で築けません。少しずつ積み重ねて、ようやく“お客さま”の心に届くのです」
「な、なるほど……って、なんか難しいのう……」
「それは仕方ありません。経営は、最初は誰だって分からない。でも、仕組みを作れば、誰でも“強くなれる”」
「仕組み……それって、魔王軍でいうところの……“兵站”とか、“連絡網”みたいなもんじゃろう?」
ヴォルフガングが満足げにうなずいた。
『そうですニャ。軍隊で言えば、後方支援、補給、調整。それが“経営の土台”ですニャ』
「はあああ……知ってはおるけどな、ワシ、戦ってた頃、そんなのガンちゃん任せだったんじゃ……」
『その通りですニャ』
「自慢げに言わんでええ!」
アマリエと黒猫の楽しそうな様子に、スターシスは小さく笑った。
その笑みが――とても優しかった。
「私は、陛下の下で学びました。“理念”とは、どれだけ滑稽に見えても、人を導く力になると。だから私は、今もそれを守っています」
「……ワシ、なんもしておらんのに……」
「いえ、かつて、私たちに“夢”を見せてくれました」
「“世界征服”が、夢かのう?」
「はい。“理不尽な世の中を変えたい”という、あなたの願いは、本質的には今の私と同じです。形が違うだけで、目的は同じです」
アマリエは、黙って手元のグラスを見つめた。
商売とは、奪い取るものではなく、積み重ねるもの。
信頼とは、怖れさせる力ではなく、寄り添う姿勢。
魔王だった自分が、一番知らなかったこと。
だけど、今、この場所に来て、ようやくそれが――
「……なんか、胸のあたりが、あったかくなるのう……」
『それは希望ですニャ』
「希望……?」
『はい。夢は“魔力”ではありません。“仕組み”で継続させるものですニャ』
「……のう、ガンちゃん」
『なんですかニャ』
「ワシ……ワシ、ほんとは、難しいことなんも分からんのじゃ」
『はい、知ってますニャ』
「でものう!」
アマリエは、椅子から立ち上がった。
「ワシ、“社長”になりたいんじゃ!!」
店内の客が、一瞬静まり返る。
スターシスが吹き出しそうになるのを堪えながら、ヴォルフガングが静かにうなずいた。
『……では、始めましょうかニャ、“陛下”』
「ちがう! これからは、“社長様”じゃ!!」
『……まずは屋号と帳簿からですニャ』
「うわあ……やっぱ難しいこといっぱいじゃの……」
『でも安心するのですニャ。面倒なことは、全部私がやりますニャ』
「ほんとに!? じゃあワシは、ええと……笑顔と、お辞儀を……!」
『……まずは、資本金作りから始めましょうニャ』
「……ええ……ワシ、今、財布に30円しか持ってない……」
『“30円から始める元魔王 ~フランチャイズで世界征服~”……悪くないですニャ』
「え、そんなタイトルの本あるんか?」
『私が書きますニャ……いつか』
こうして、アマリエは「社長になる」という、小さな夢を初めて口にした。
魔力はゼロ。知識もゼロ。
でも、彼女の心には、確かに“灯”がともっていた。
その灯は、世界を変える魔法にはならなくても――
誰かを笑顔にする力には、なるかもしれない。
魔王の物語は、終わった。
でも、社長アマリエの物語は――今、始まったばかりだ。




