第68話「ポーションに、未来を」
アマリエのスピーチから、数日後――
アスヒラクフーズの全店舗に、小さな掲示板が設置された。
名前は、《ヒラク・ボード》。
社員・パート・アルバイト問わず、「今日の誓い」「自分のポーション哲学」「ちょっと嬉しかったこと」などを書いて自由に貼れる、まるで“心の掲示板”だった。
【アスヒラクフーズ第7号店】
「おはようございます!」
「今日も笑顔で接客、やっていきます!」
新人スタッフが声を張り上げると、ベテラン店長のジョナサンは照れくさそうにうなずいた。
ヒラク・ボードには、こんなメモが貼られていた。
『昨日、初めて“ありがとう”って言われました。
この言葉、めっちゃ魔力あるって気づきました』
【第13号店】
「……うーん、まだ発音が固いね。“ありがとうございましたぁ”じゃなく、“ありがとぉぉございます〜!”だよ」
「ム、ムズカシイ……人間語、ナレナイ…」
店員は皆、戦災孤児だった獣人魔族やスライム族の若者たち。
その店のヒラク・ボードには、こんな一文が光っていた。
『言葉は通じなくても、気持ちは届く。私たちのポーションで誰かが元気になるなら、私たちの存在も、肯定される。』
【地方・山間部のフランチャイズ店】
「おかえりなさい、寒かったでしょ」
手渡されたポーションは、ほんのりと温かく、ほんのりと甘かった。
そのレジ横には、掲示板がびっしり埋まっていた。
『お客様に“また来たよ”って言われたとき、自分がこの場所に“いていいんだ”って思えました。』
『このポーションで、母の介護が少しだけ楽になるって言われて……泣いた。魔法よりすごいと思った。』
全国のどの店舗にも、少しずつ変化が訪れていた。
クレームは減り、笑顔は増え、スタッフ同士の会話も少しずつあたたかくなっていった。
「理念って、言葉だけじゃダメなんだな」
そう呟いたのは、マサヒロだった。
「自分の言葉として語れるようになって、初めて心に根づくんだな……」
そして、彼はふと気づいた。
いつの間にか、店舗に掲げられた「アスヒラク・スタンダード」の横に、
手書きの紙が並んでいた。
『私は、毎日ひとつ誰かを笑顔にする接客を目指します!』
『お客様と話すことを怖がらないように、がんばる!』
『この店で働く仲間を、もっと大切にします。』
魔王アマリエの“おバカで真っ直ぐな理念”は、
確かに、社員たちの言葉と行動になっていた。
それは魔法ではない。奇跡でもない。
けれど、間違いなく――人の心を変える“何か”だった。
「のう、ガンちゃん、見たか!? みんな、ワシの理念、ちゃんと守ってくれとる!」
『守ってるというより、自分たちの言葉にしているニャ』
「それそれそれそれーーー!! それがしたかったんじゃああああ!!!」
『……社長、その勢いでダンスだけは始めないでほしいニャ』
「むっ。じゃがのう、踊りたくなるじゃろ!? これは“魂の勝利の舞”じゃ!!」
『魂ごと転倒する未来が見えるニャ……』
ヴォルフガングは、窓の外を見た。
陽光に照らされた街には、小さなアスヒラクフーズの看板が、いくつもきらめいていた。
(……社長。“品質回帰”は、現場の再生ではなく、心の再生だったのニャ)
その言葉は、テレパシーを介さなかったのでアマリエには届かない。
だが、しっぽをぴこんと立てて、彼女の足元にすり寄ったヴォルフガングの仕草に
アマリエは気づいて笑った。
「のう、ガンちゃん。ワシ……まだまだやれる気がしてきたわ!」
『ニャ。理念は始まりに過ぎないニャ』
「うむっ! 次は……魔王、アイドルデビューじゃ!!!」
『違いますニャ!!!(強)』
アスヒラク・スタンダードは、社員一人ひとりの心の中に根づいた。
ポーションの品質はもちろん、接客、雰囲気、すべてがゆっくりと、でも確実に変化していった。
それは、世界を変えるような派手な話ではない。
けれど――世界のどこかで、“今日も誰かの心を救うポーション”が生まれている。
魔王が設立した会社は、
ただの飲み物以上の、未来を注ぐ場所になっていた。