第66話「心を、言葉に」
「えーっと、えーっと……えーっとのう……」
深夜の本社社長室。
魔王アマリエは机に向かって、ペンを口にくわえたまま、うなっていた。
『……それは書く道具であって、食べ物ではありませんニャ』
ヴォルフガングが横でしっぽをぴくりと揺らし、ツッコむ。
「え? いや〜、ガンちゃん、違うぞ! ワシ、このペンを咥えるといちばん考えやすいんじゃ!」
『その理屈は理解できませんニャ』
「うむ。ワシも分からん!」
『ならやめなさいニャ!!!』
机の上には、現場のスタッフたちから寄せられた“好きなところ”のメモや手紙が積み上がっていた。
「ええと……“怒られない会社”……“社長が泣いてた”……“話したくなる会社”……どれも、素敵なんじゃが……」
アマリエは、それらを前にして、何度も頭をかかえた。
「ワシがしたいのは……こう、なんというか、ルールとかマニュアルじゃなくて……“気持ち”が伝わるやつじゃ!」
『それを“理念”と言うニャ』
「そうそう、それじゃ! 理念じゃ!!」
『さっきから“理燃”って書いてるのは誤字ニャ。“燃えそう”な感じになってるニャ』
「ええっ!? 燃えとるのか!? 理念って、炎属性なのか!?」
『違いますニャ……』
ヴォルフガングは小さな黒猫の姿のまま、
何十通もの手紙を丁寧に読んでいた。
その中で、マサヒロが特に心を打たれたという一文が、ヴォルフガングの心にも残っていた。
「このポーションが“希望”になると思えるから、私は働けます」
その“希望”という言葉に、アマリエの目が光った。
「のう、ガンちゃん。“希望”って、なんか……ワシ、好きな言葉じゃ」
『ニャ。社長が以前言ってた、“ポーション1本で世界を救う”というあのセリフと繋がるニャ』
「おお! じゃあ、それ、理念に書こう! “ポーションで世界を救う”って!」
『却下ニャ』
「えぇええええええ!? な、なぜじゃ!? ワシ、世界救いたいんじゃが!?」
『“理念”というのは、現実的で共有できる目標でなければならないニャ。
あと、“救う”はちょっと上から目線ニャ。“支える”とか、“寄り添う”のほうがよいニャ』
「う、うーん……そうか……難しいのう……よし、じゃあ“ポーションで世界をちょっとだけ明るくする!”でどうじゃ!」
『それは……ギリ、及第点ニャ』
「やったぁあああ!! 合格じゃあああああ!! ワシ、理念マスターじゃ!!」
『あと20個ぐらい必要ニャ』
「ふえぇえぇぇぇ……!? ワシ、いまので全力出し切ったぞ!?」
だが、そんなアマリエにも、言葉にならない“確かな思い”があった。
「……のう、ガンちゃん。ワシな、実はずっと、考えてたんじゃ」
「ニャ?」
「ワシ、ポーション屋になって、人間と魔族の垣根をなくすんじゃ、って……そう思っておった」
「……」
「でも、ほんとは……ちょっと違ったんじゃな。
ワシは……“誰かの笑顔が見たかった”だけなんじゃ」
静かな口調だった。
いつもの大声でも、おバカな爆笑でもない。
アマリエの“本当の声”だった。
「ポーションは、道具じゃ。ビジネスの手段でもある。でものう、
ワシにとっては、“誰かが元気になる魔法”なんじゃよ」
ヴォルフガングは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと、メモ帳に書いた。
【アスヒラク・スタンダード 第一条:
私たちは、ポーション1本に、“誰かの明日”を込めて作ります】
「……えっ。いま、ワシが言ったの、書いてくれたのか?」
『ニャ。“言葉にしなければ、誰にも伝わらない”ニャ』
「……!」
アマリエは、机にうつぶせになって、しばらく動かなかった。
「ガンちゃん……ワシ、がんばる!
世界一、おバカで、真面目な理念をつくるんじゃ……!」
『語呂が悪いニャ。でも悪くないニャ』
こうして、アマリエとヴォルフガングの理念作成は夜明けまで続いた。
ふたりの小さな部屋には、
言葉になった“心”が、ひとつずつ形になって、積み重なっていった。