第65話「アスヒラクフーズの、好きなとこ」
その夜、アマリエは日記を開いた。
今では会社の公式SNSでも話題となっている、“魔王社長の反省録”である。
【魔王社長の反省録 42】
本日、はじめてのクレーム対応をした。
相手は……まあまあ怖かった。歯は見えなかった。
たぶん、噛んではこない!
ワシは、ポーションの味だけで“安心”が届くと思っていた。
けど……ポーションには、ワシらの“心”が宿るんじゃ、と知った。
「ガンちゃん……ワシ、もっと強くならんといかんな」
『ニャ。強く、優しく、そして誠実にニャ』
「む、難しそうじゃのう……じゃが、ワシはやるぞ。やってやるんじゃあああああああ!!!」
吠えるように叫び、椅子から転げ落ちるアマリエの姿を見て、
ヴォルフガングはふと、しっぽを揺らした。
それは――誇らしさと、ほんの少しの笑いが混ざった、あたたかな揺れだった。
「えっ、社長が……自分でクレーム電話、受けたんですか?」
アスヒラクフーズ第7号店。
魔族自治区にあるその店舗で、マサヒロが驚きの声を上げた。
「うん。しかも、最後は土下座寸前だったって、ウワサが広まっててさ」
笑いながら答えたのは、ベテラン店長のジョナサン。
ドラゴン族の彼は、接客は慣れたものだが、魔王アマリエの逸話にはいつも驚かされていた。
「ま、社長らしいっちゃ社長らしいけどさ……そういうの、ちゃんと伝えなきゃダメだよな。
“うちの会社が何を大事にしてるか”って、伝える努力が、やっぱ必要だよな」
ジョナサンのその一言が、マサヒロの心にじんわり染みた。
マサヒロの巡回の目的は、ただの巡回ではない。
ヴォルフガングとアマリエから受け取った“ある使命”を胸に抱いていた。
【現場の声を、集めてきてほしいです。理念というのは、現場に根ざさなきゃ意味がないのです】(メモ帳に記載)
「じゃが、難しいことを聞いても仕方なかろう。マサヒロ、店の人にこう聞いてみるんじゃ。
“この会社、どこが好き?”ってな」
「……え、好きなところ? それだけでいいんですか?」
「うむ! ワシ、考えても難しいことは全部ガンちゃんに任せる主義なんじゃあああ!!」
ヴォルフガングがため息をついたのは言うまでもない。
だからこそ、マサヒロは今日も訊ねる。
「この会社……アスヒラクフーズの“好きなところ”って、どこですか?」
その問いは、思った以上に――多くの人の心を揺らした。
「うーん、そうだなぁ……“失敗しても怒られない”とこかな?」
若い新人スタッフは照れながら笑った。
「私は、なんというか、“働いててちょっと誇らしい”のよね」
中年の女性魔族スタッフは、制服を整えながら語った。
「だって、魔王が……うちのポーション、1本で人を救うって言ってたんですよ?」
あるフランチャイズ店主は、コップを洗いながらこう語った。
「“大げさすぎだろ”って最初は思った。でも、うちのポーションを飲んで、泣いた客がいたんだ。
“昔の味がする……”って。あれは、なんか……うん、良かったな」
巡回を続けるごとに、マサヒロの鞄の中は増えていった。
メモ帳、手紙、レシートの裏に書かれたメッセージ。
全部が、現場の“好き”だった。
あるスタッフが語った。
「社長、ちょっとドジだし、おバカだし、服も時々裏返しだけど……」
「でも、あんな人が本気で謝ってるとこ見て、こっちも“ちゃんとやんなきゃ”って思えたんだよ」
そして、ある日。
地方の山奥にあるフランチャイズ店で、マサヒロは“忘れられない一言”に出会う。
「……この会社ね、ポーションは普通なのよ。特別な魔法も使ってないし、味も尖ってない。
でも、誰かの“話”になるのよ」
小さな店の老婦人が、そう言った。
「“話”になる会社って、強いのよ。だって、お客が“語りたい”と思うんだから。
それって、誰かの心に届いてるってことでしょ? 魔法がなくても、ね」
そして、彼は本社に戻った。
鞄には、100通を超える“好き”が詰まっていた。
メモの一枚に、こう書かれていた。
【魔王社長の泣き顔、今も思い出す。
あの時、この店で働いてよかったって、本気で思った】
マサヒロは深く息を吸った。
「社長……この言葉、読んでほしいです」
アマリエは目を丸くし、次の瞬間――
「……ワシ、泣いてよかったんじゃな!? うわあああああああん!!!」
大声で泣き始めた。
「こ、こんな嬉しいことがあっていいんか!?
ワシ、世界制覇よりも、こっちのほうがすごい気がするんじゃあああ!!!」
『泣きすぎニャ。机がびしょ濡れニャ』




