第64話「元魔王、クレーム電話を受ける」
「……ぽちっ、とな」
朝のオフィス。
魔王アマリエは、おそるおそる黒電話のボタンを押した。
その目はいつになく真剣で、しかも――完全に挙動不審だった。
「な、鳴った……鳴ってしまった……!わ、ワシが鳴らしてしもうた!」
『……社長、受ける側ですニャ。それはクレーム電話ニャ。今鳴ってるのは、お客様からニャ』
机の上、しっぽをくるんと巻いて座る黒猫・ヴォルフガングは、眉をひそめ、テレパシーで注意した。
「えっ? ワシが鳴らしたんじゃないの!? え、じゃあ……これは、本物のクレーム……」
アマリエの手が震えた。
まるで“爆発寸前の手榴弾”でも握っているかのように。
「そ、そんな……クレームって、あれじゃろ? 怒ってる人じゃろ? 噛まれたりせんかのう……」
『噛みませんニャ。でも、心には刺さるニャ』
「ひえぇぇえぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
アマリエはその場で椅子ごとひっくり返った。
床に転がったままのアマリエに、電話口から怒声が飛んできた。
『おたくのポーション、飲んだら腹が冷えたんだよ!! どういうつもりだ!?』
「そ、それは……うちのポーション、冷蔵保存じゃからのう……」
『そもそも接客もなってないんだよ! 若い兄ちゃんがずっとスマホ見ててさ!』
「それは……スマホに見惚れてしもうたのかもしれんのう……のう……すまんのう……」
ヴォルフガングは、アマリエの隣でしっぽをピクピク揺らしていた。
『言い訳じゃなくて、誠意を伝えるニャ』
「せ、せいい……せい、い? 誠の意志……? それって、魔法の呪文かのう……?」
『違いますニャ!!(強)』
だが――数十分後。
アマリエはついに、覚悟を決めて頭を深く下げた。
「本当に、本当に申し訳なかったんじゃ! ワシのせいじゃ! いや、ワシだけのせいじゃ!!」
『……え?』
「この会社をつくったんはワシじゃ。
それなのに、ワシは最近、動画撮影とか、ポスターとか、スローガン作りとか、変な踊りの練習ばっかりしとった!
ワシの“目”が、現場から離れとったんじゃあああああああああ!!」
『え、あの……社長?』
「怒ってくれてありがとうなんじゃ!!!」
電話の向こうで、沈黙が落ちた。
そして、聞こえたのは――意外にも、ひとつの笑い声。
『……変な会社だな。
でも……変なほど、ちゃんとしてるのかもしれんな。
もう一回行ってみるよ。今度は、温かい目で見るよ』
「……終わったのう……命のやりとり、じゃった……」
床に大の字になりながら、アマリエは天井を見上げてつぶやいた。
『命のやりとりではないニャ。電話対応ニャ』
「でも、心が……砕けた気がしたんじゃ……」
その目には涙が浮かんでいた。
だが、その涙は、悔しさでも恐怖でもない。
ただただ――「向き合ったこと」への、静かな達成感だった。