第37話「いらっしゃいませ!墓石を震わす」
――研修初日。舞台は、屋台の裏にある草むら。
「よいか、ファンガード! これから始まるのは、“地獄の野営訓練”じゃ! 昔ワシが五万の兵を鍛えた伝説の修行法じゃぞ!」
「おおおおっ! 地獄でもどこでも参ります!!」
『違うニャ。これは普通の教育研修ニャ』
ヴォルフガングはすでに“研修テキスト”を三部手書きで用意していた。
その書体は整っており、図解も丁寧。彼女の真面目さと知性がにじむ資料だ。
「……おお、ガンちゃんの字……やっぱきれい……」
と、マサヒロが思わず呟く。
「すごいっすね、ガンちゃん。めちゃくちゃ分かりやすいです。箇条書きも読みやすいし、配色も工夫してる……」
(や、やめてほしいニャ……そんな風に褒められると……)
ヴォルフガングは真っ赤になり無意識に視線を逸らす。
尻尾の先は落ち着きなくクルクルと巻かれた。
そのしぐさに、マサヒロは気づかず、さらに無邪気に笑って――
「ほんと助かってますよ、ガンちゃん。ありがとう」
――そして、そっと優しくヴォルフガングの頭を撫でた。
(!?)
(……やはりいけないニャ。これは……。私は魔王様の補佐であって、それ以上の何者でも……)
けれど、胸の奥は、熱く疼いていた。
(これは……もう……まさかニャ……)
彼女は自分の心の変化を、静かに、しかし確実に自覚した――
『で、では研修を始めるニャ。まずは“接客マナー”からニャ』
ヴォルフガングは、筆談でファンガードに伝える。アマリエにはテレパシーで同時通訳だ。
アマリエはうんうんと満足げに頷いていた。
「うむ、客を迎える“魂の姿勢”じゃな! よいぞ、全力でいけファンガード!」
「ハッ!!」
元軍団長・ファンガードは、屋台前に立ちふさがり、空気を吸い込んだ。
「いらっしゃいませぇぇぇぇーーーーーっ!!!!」
その声の轟きは墓石と森を揺らし、近くのカラスが一斉に飛び立った。
「……」
「……」
「……これは……すまぬ……。つい、戦場のクセで……」
「あー……ちょっと強すぎですね」
マサヒロが苦笑しながら近づく。
「もう少し、優しく言ってみましょうか。ポーションを買いに来る人って、元気になりたかったり、疲れていたりすることが多いんです。だから、安心できる声で“いらっしゃいませ”って言えるといいなって」
「安心……とな……?」
ファンガードは拳を握りしめた。
「わ、吾輩は戦場で“殺気”を放つ訓練は受けたが……“安心”など、どうすれば……!」
「大丈夫ですよ。僕も最初は緊張して声が震えてました。でも、気持ちをこめて、“来てくれてありがとう”って思えば、自然に伝わると思います」
マサヒロの言葉は、まっすぐだった。
それはファンガードの戦士の心にも、きっと届いた。
「……では、やってみる」
ファンガードは深呼吸し、屋台前に立つ。そして、小さく口を開く。
「い……いらっしゃいませ……」
まるで囁きのようなその声は、さっきとは打って変わって、どこか温かさを含んでいた。
アマリエが感極まったように目を潤ませた。
「おおおおおおっ!! やったのう!! これぞ“儀式突破”じゃあああああっ!!!」
彼女が両手を挙げてファンガードに抱きつこうとするのを、ヴォルフガングがテレパシーで制止した。
『ニャ、落ち着くニャ。まだ次の研修があるニャ』
「ぬ……そうであったな! では次は、“在庫管理の儀式”じゃな!」
『それはもう普通に、“帳簿をつける”ことニャ』