第36話「こ、これは……禁断の魔術書!?(ただの契約書)」
――朝の墓地には、奇妙な静けさが漂っていた。
白い霧が地表を這い、古びた墓石たちの隙間をすり抜けていく。
だが、その幽玄さを一瞬で吹き飛ばす声が、またしても響き渡った。
「よーし、契約の儀式じゃあああああーーっ!!」
天板の上に仁王立ちする魔王アマリエは、今日も全力だった。いや、いつも通り全力で“ズレて”いた。
「おぬし、覚悟はできておるな!? 契約とは、血と魂で交わす儀式じゃ! 昔の魔王軍第二連隊でワシがやっとった、“地獄の双頭竜縛り契約”に匹敵するんじゃからな!!」
「ア、アマリエ様……その契約、ものすごく痛そうです……!」
筋骨隆々のウォーウルフの男、ファンガードが身を震わせる。
かつて魔王軍第三軍団長として名を馳せた彼も、今はすっかり農村暮らしの穏やか魔族。
だが、アマリエの復活とポーション屋台の噂を聞きつけ、いても立ってもいられずここに来た。
そして、勢いのままに「フランチャイズ1号店オーナー」に任命されたのだ。
ヴォルフガングは、アマリエの横でため息をついた。
黒猫の姿の彼女――
魔王にしか通じないテレパシーで静かに呟いた。
『契約とは血の儀式でも魂の交信でもないニャ……。法的な合意文書ニャ』
するとヴォルフガングは尻尾をゆらしながら、口に一枚の紙を咥えて差し出した。
「こ、これは……!? まさか、禁断の魔術書か!?」
ファンガードが仰天し、震える指でそれを受け取る。
【違います】
と、ヴォルフガングは筆談を始めた。
【これはアスヒラクフーズのフランチャイズ加盟契約書となります。
呪術でも魔術でもなく、法的拘束力を持つ一般的なビジネス契約です。署名欄はこちら】
「ほ、法的……!?」
ファンガードは困惑の顔でアマリエを見る。
「ア、アマリエ様……この猫、字を書きました……!」
「そうじゃ!我がアスヒラクフーズが誇る天才猫じゃからのぅ!
加盟契約書……やはり只物ではないぞ!
じゃが心配無用じゃファンガードよ! ワシもなんとなく分かってきたぞ。
“契約”というのはな……こう、指に傷をつけて、その血でサインするやつじゃな!?」
『違いますニャ!!!!』
ヴォルフガングのツッコミが炸裂するも、届くのはアマリエにだけだ。
(ああ……今日も険しい道のりになりそうニャ……)
ヴォルフガングは小さく頭を振ると、地面にペタリと座って再び筆談を続けた。
【署名は指で、インクでOK。血判状ではない。なお、これにサインすれば正式に“アスヒラクフーズ第1号フランチャイズ店”のオーナーとして、ブランドと販売権を得られる】
「ほほぉ……! つまり、吾輩の村でアマリエ様の名のもとにポーションを広められるのですな!!」
「うむうむ、我が名を掲げるとは、もはや“ミニ魔王”のようなものじゃな!」
『違いますニャ……(頭を抱える)』
そして、契約書は無事(?)に読まれた。
次なる工程――
「研修」へと、舞台は進む。