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第3話「複製型商店軍団とな?」

朝もやの中、アマリエは、電車の窓に顔を押し付けていた。


「……この鉄の獣、揺れるのう。封印列車、かのう……? 乗客を魔界へ幽閉する術式が施されておる気がする……」


『地方行きのローカル線ですニャ。封印も幽閉もされてませんニャ。切符で乗れますニャ』


ヴォルフガングは、すでに何度目か分からない訂正を淡々と入れた。

アマリエは、いまだ公共交通という“文明の利器”に慣れていなかった。いや、それ以前にこの“人間社会”そのものに、彼女は追いつけていないのだった。


「ワシは、いったいどこへ運ばれておるのじゃ……」


『清掃の派遣バイト先ですニャ。田舎町の食品加工工場。今週分の宿付きで、日給は税込八千円』


ヴォルフガングの尽力で、ようやく見つけた期間限定アルバイト。


「……八千“円”。いまだにその単位の魔力が理解できぬ……金貨換算で言うてくれぬか……?」


『それを考えるのは、無駄な努力ですニャ』


電車の窓外には、次第に田畑が広がり、風に揺れるビニールハウスと錆びた看板が現れ始めていた。




派遣会社が手配した“宿”とやらは、見るからに時が止まったような団地の一室だった。


「……この建物、生きておるのか……? まるで……かつての魔界プリズンの塔のようじゃ……」


カビ臭い階段。ひび割れたドア。入るなり吹き込む冷風。


「水道が……赤い。いや、茶色い? これは……毒属性の水か?」


『錆ですニャ。しかも古い配管から出る典型的なやつですニャ。飲んじゃダメですニャ』


「ふむ……リビングデッドのゲロ水よりはマシそうじゃが……ギリギリじゃな……」


アマリエは布団に腰を下ろすと、しばらく動かなかった。

天井を見つめながら、小さく呟いた。


「……ワシは、何をしておるんじゃろうな……」





翌朝、工場に入ったアマリエは、すぐに表情を曇らせた。

床一面の油、詰まった排水溝、清掃道具は共用で、交換は不可。作業服はワンサイズで袖が余り、腰ひもで縛るしかなかった。


「こ、これは……何かの“刑罰”か……?」


『それが、地方食品加工現場のリアルですニャ。清掃マニュアル? そんな高尚なものは存在しませんニャ』


「人間は……魔族より不衛生なのではないか……?」


手にした雑巾はすでに濡れており、何の液体が染み込んでいるか不明だった。

汚れた床を拭くたび、別の場所が汚れていく。まるで呪詛でもかけられているかのような徒労感。


「……この作業、終わりが……ない……」


アマリエは、ひと拭きするごとに膝が笑い、腰が痛み、心が冷えていった。


「ワシは、何のために生き延びたのじゃ……この世界のどこに、ワシの居場所があるというのじゃ……」


それでも、彼女は泣かなかった。





その日の帰り道。駅へ向かう道中、アマリエの足がふと止まった。

路地裏にぽつんと灯る、一つの看板が目に入ったのだ。


【癒しと再生のエリクサー】


木彫りの文字に、仄かに灯るオレンジの照明。周囲の古びた街並みから浮いていた。


「怪しいのう……。再生とは……死者蘇生か? 店で蘇生呪文を提供する新手の闇商売……?」


『飲食店ですニャ。ポーションジュース専門の。こんな時くらいは贅沢も良いと思いますニャ』


「ガンちゃん……ジュエルはあるのかの?」


『ジュエルではなくお金ですニャ。もしお飲みになりたい時は……貯めておいたヘソクリがあるニャ』


アマリエの瞳が魔界の夜空のように煌めいた。





……そろりと扉を開けた。

チリン、と小さな鈴が鳴る。

その瞬間、空気が変わった。

店内は――異様なまでに、整っていた。

床はぴかぴかに磨かれ、カウンターには埃ひとつない。スタッフは制服を着こなし、姿勢が美しい。


「いらっしゃいませ。癒しと再生のエリクサーへ!」


柔らかな声の店員が、笑顔で迎えた。

店員は……ニンフ系の青年魔族。


「……これは……補給拠点か……?」


戦場における、完璧な補給基地の香りがした。魔界戦争時代の、前線兵站に匹敵する秩序と美しさ。

カウンターに腰を下ろし、アマリエはメニューを開いた。


「“金のエリクサーポーション”……ハチミツと……生姜……? 生姜? 生のジャー? 何じゃ……?」


『ジンジャーですニャ。薬膳ですニャ』


「では……金のエリクサーポーション・中サイズ、じゃ!」


出てきたジュースは、金色に輝く透明ボトル。氷がしゃらりと鳴る。

一口、含んだ瞬間。


「……っっ!!」


思わず目を見開き、身体が震えた。

温かさが、舌を通り、喉へ、胃へ、胸へ、心へと染み渡っていく。

労働の疲れ、心の冷え、絶望の灰――それらが一気に流されていく感覚だった。


「……これが……癒し……?」


涙が浮かんだ。だが、こぼれなかった。代わりに、アマリエは小さく笑った。


「ふむ……確かに、これは回復薬じゃな……効果は……MP+3ぐらいかのう……」


『感覚だけで数値化するの、やめてくださいニャ』





ジュースを飲み終え、アマリエはふと壁を見やった。

そこには、何気ない一枚の紙が貼ってあった。


【当店は株式会社ミラクリードのフランチャイズ加盟店です】


「……ふらん……ちゃいず……?」


アマリエはしばらく黙って、その単語を見つめた。


「“フラン茶椅子”……フランケンの親戚か何かか……?」


『違いますニャ。商業用語ですニャ。企業が展開する店舗網の一形態。いわば“複製型商店軍団”ですニャ』


「……軍団、じゃと? この完璧な店が……他にも存在するというのか……?」


アマリエの背筋が、ぞわりと粟立った。


「まるで……高度戦略が施された商業拠点……この規模、この秩序……この味……これは、単なる店ではない……」


ジュースの残りをぐっと飲み干し、アマリエは小さく呟いた。


「ワシが……探しておったもの……この“フラン茶椅子”とやらに……なにかが隠されておる気がする……」


その目には、再び生きようとする微かな光が宿っていた。

失った誇りを、少しずつ手繰り寄せるように。

それが、元魔王の再起への第一歩だった。





ポーションジュースを飲み干したアマリエは、しばし沈黙していた。

目を伏せ、唇を震わせ、まるで言葉の代わりに胸の奥で何かを噛み締めているようだった。


「……う、うまかったのう……。いや、うまいでは表現が足りぬ……まさに“癒された”のじゃ」


彼女はそっと空のボトルを見つめた。黄金色の液体はすでになく、氷がしゃらりと音を立てた。


「これをもう一杯頼んだら……進化するのではないか? 金→白金→虹色ポーションとか……!」


『しませんニャ。ここはRPGのアイテム屋ではありませんニャ』


ヴォルフガングが背後から控えめにツッコミを入れる。が、アマリエの目は真剣だった。


「進化せぬのか……残念じゃ……」


しかしその顔は、どこか嬉しそうで、何より生きている。




アマリエは2杯目を注文した。今度は「赤のエリクサーポーション(ハイビスカス)」。

それを飲みながら、彼女はじっとカウンター内を観察していた。

店員は、飲み終わったボトルを丁寧に回収し、瞬時にシンクで洗浄。次のジュース作りに移行しつつ、同時に棚の在庫をチェック。来客の動きに合わせて会計端末を操作し、笑顔のままスムーズに客をさばいていた。

そのすべてが、まるで“詠唱なき連続魔法”のようだった。


「……これは……作戦行動では……? 拠点防衛と供給体制を同時に行っておる……?」


その言葉に、ヴォルフガングが頷いた。


「ええ、これは“業務オペレーション”ですニャ。訓練されたスタッフ、構築された導線、標準化された作業手順……すべてがフランチャイズ設計のなせる技ですニャ」


「ふらんちゃいず……」


アマリエは、再びその言葉を呟いた。


「ワシが魔王軍を率いておった頃……兵站を整えるのに数十人の軍師が必要であった……。だが、この店ではたった一人の店員が……一糸乱れぬ陣形で戦っておる……」


視線の先では、店員が在庫ボードを開き、タブレット端末で数を打ち込み、冷蔵庫に商品を補充していた。


「これは……現代の“魔法”かもしれぬのう……」


ヴォルフガングがカウンターに飛び乗る。


『この店のような“型”を用意しておけば、誰でも“それなりの完成度”で回せる仕組み……それが“フランチャイズ”の肝ですニャ』


「型……?」


『マニュアル、教育、指導、商品供給……そういう“仕組み”を整えることこそが、人類の強さですニャ。魔法がなくとも、こうして“奇跡”を起こせるんですニャ』


アマリエは、自分の指先を見つめた。もう魔力は宿っていない。ただの指。雑巾を握り、日銭を稼ぎ、冷たい風に晒された指。

その手に、もう“力”はないと思っていた。

だが――この世界には、“魔力ではない力”があるのだ。


「……なるほどのう……これは“再現可能な戦術”じゃ」


『その通りですニャ』


アマリエは静かに立ち上がった。店員に軽く会釈し、出口へと歩いた。

扉を開けて外に出ると、黄昏の空気が頬を撫でた。

目をやると、入り口横の掲示板に、一枚の紙とQRコードが貼られていた。



【株式会社ミラクリード フランチャイズ加盟店募集】

未経験歓迎!低リスク開業!

全国加盟数:現在8店舗運営中(拡大中)



アマリエは足を止めた。

視線が、その紙に吸い寄せられる。


「未経験歓迎……? ワシのような者でも、よいのか……?」


その言葉が喉の奥で詰まりそうになる。

だがそのとき、彼女の指は――QRコードには触れなかった。


「……ワシは、誰かの兵になるつもりはないのじゃ……」


つぶやいた声は風に消え、紙は揺れたまま静止した。

ヴォルフガングが、静かに彼女の足元に座る。


『加盟しなくても、参考にはできるはずですニャ。あなたなら、もっと独自の“戦術”を組み立てられる』


アマリエは、ゆっくりと目を細めた。


「そうじゃの……魔王とは……“仕組みを創る側”でなければなるまい……」


風が吹いた。未来が、少しだけ動き出した気がした。

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