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第99話「きっと、ワインのせいニャ」

アステラホールディングスの正式発足が告げられた翌日。

本社ビルの最上階にある大会議室には、幹部社員たちが一堂に会していた。


壇上にはアマリエとタケマルの二人。

真新しいアステラのロゴが背面スクリーンに映し出され、場内は緊張と期待が交錯する静けさに包まれていた。


「よーし、みんなー! 聞いとるかー!?

ワシが、ワシらが、ワシ的には、めちゃくちゃすごいことを発表するんじゃああああ!」


アマリエが壇上で声を張ると、どこか緩い笑いが会場を包んだ。


「この“アステラ”っていう新会社はな、人類も魔族も“ごった煮”で、“チャンポン”で、“いろいろまぜこぜ”で……えーと、なんじゃったか……あ、そう! “きょうそう”じゃ!」


『“共創”ですニャ……』


「そう! 共に創る! 共創じゃあああっ!」


(最初に“競争”って言いかけたニャ……)


その様子に、タケマルが苦笑しながら横に立ち、丁寧な言葉で補足する。


「つまりこの新会社では、人類と魔族が“対立”するのではなく、“共に未来を創り出す”。それが我々の理念です」


アマリエとタケマル――正反対の個性を持つ二人の姿は、ある意味で“理想の統合”の象徴でもあった。

その一方、壇上から少し離れた場所でヴォルフガングは静かに様子を見つめていた。


(タケマルは……仕事ができる。人柄も悪くない。アマリエ社長をリスペクトしてる)


だが彼女の視線は自然と壇上のマサヒロのほうに向けられる。

その瞬間、マサヒロがこちらに気づき、優しく手のひらを差し出し、頭を撫でる。


「今日もがんばったね、ガンちゃん。……あ、そうそう。

今夜一緒にワインでも飲まない?たまには社長抜きでさ」






深夜のアステラホールディングス本社。

フロアの明かりはすでに消え、社員たちは皆帰路についた後だった。

外には街灯の柔らかな明かりが漏れ、静けさが支配する中、一室だけにほのかな光が灯っていた。


会議室のソファ席に、マサヒロが一人腰掛けていた。手には、赤ワインのグラス。デスクにはすでに開封されたボトル。


「……遅いなぁ、ガンちゃん」


静かにそう呟くと、ガラス窓の向こうから、軽やかな足音が響く。

黒猫――ヴォルフガングが、しなやかな身のこなしでテーブルに跳び乗り、メモを見せる。



【遅れてすみません。会計データの再集計に手こずりました】


「いや、こっちもまだ飲み始めたばかりだよ。……ほら、ガンちゃん用のグラスもあるよ」


マサヒロが小さな銀の盃を差し出す。

ヴォルフガングはふわりと尻尾を揺らしながら、その横にちょこんと座る。


【グラスと言うより、猫用の水入れですね】


「あはは、気にしない!ワイン、飲めるでしょ?」


【まあ少しくらいなら】


赤ワインが静かに器に注がれる。

ほのかに香る果実と樽の匂い。

それをヴォルフガングは、じっと見つめてから舌先でひと舐めし、筆談する。


【これは、ボルドー地方のラフィット系統?意外といけますね】


「知識あるなあ……ガンちゃん」


【猫の身にも教養はあります】


ふたりは、ぽつぽつと言葉(筆談)を交わす。

話題は、基金設立後の寄付申し出の増加、FCオーナーたちの反応、新たな人材募集、来期予算の策定。


そして――誰もが未来に夢を見始めていること。


「なあ、ガンちゃん」


「ニャ?」


「……あの基金って、ガンちゃんの発案なんでしょ?」


ヴォルフガングは答えなかった。ただ、静かにワインに視線を落とした。


「アマリエ社長、何も気づいてないけど。僕はガンちゃんの気持ち、わかるつもりだよ」


【ありがとうございます。でもそれは、私ではなく、私の母の想いの一端です】


「そっか……」


沈黙が、会議室を包む。だが不思議と気まずさはなかった。

ただ静かに、それぞれが心の中にある過去と、未来を想っていた。


そして、マサヒロがふと笑った。


「……ガンちゃんの匂いって、なんか落ち着くよね。

ラベンダーとインクの中間みたいな、不思議な香り」


ヴォルフガングの顔が耳まで真っ赤になった。


【変なこと言わないで下さい!】


「いや、ごめん。冗談だって。でもほんと、安心するんだよな。ガンちゃんといると」


ヴォルフガングの心臓が、ふいに早鐘を打ち始めた。

ワインのせいか、マサヒロの声のせいか、それとも、彼の言葉のせいか。

顔を隠すように、もう一口。


(マサヒロ……)


ゆっくりとマサヒロに近づいた。

今日はワインのせいか、少し気分が高揚している。

懐に飛び込み、顔に直接頬擦りする。


「あはは、くすぐったいよ、ガンちゃん」


このまま唇を合わせようか……


(ワイン、ワインのせいだニャ……)


その時だった。


「おーーーーいっっ!夜のお茶会じゃああああああああああああ!!」


ドアが爆音と共に開いた。

勢いよく現れたのは、浴衣姿の魔王アマリエ。

頭にはうさぎ耳のヘアバンド、手にはアイスと瓶ビール。


「なんじゃー、ふたりで抜け駆けしてワインとな!?ワシも混ぜい!

ワシはさみしがりの魔王じゃぞぉぉぉ!」


一気に空気が崩壊した。


「アマリエ社長! ちょっ……ここ会議室ですよ!?」


「夜のお茶会は、会議なのじゃーーー!!」


(バカニャ……)


ヴォルフガングはマサヒロの膝の上からぴょんと飛び降りると、ドアの外へスタスタと歩いていった。

マサヒロの頬のぬくもりを、心の奥に刻みつけながら。


(……ありがとうニャ、でも、今はまだ、その時じゃないニャ)


背中に、マサヒロの困ったような笑い声が聞こえる。


「ほんと、うちの社長は……最高にぶっ飛んでるよな」


その声が、少しだけ優しかった気がして、ヴォルフガングは振り向かずに小さく尻尾を揺らした。


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