料理実験の成功
夕方、セリアさんが料理本を片手に台所に立っていた。
「ケイトさん、この『砂糖を使ったお菓子』を作ってみたいのですが…」
「砂糖ですね。今度持ってきます」
「本当ですか?どんな味になるのでしょう」
「甘くて美味しいですよ。リナちゃんもきっと喜びます」
セリアさんがページをめくる。
「この『醤油で煮込む肉料理』も気になります」
「醤油も持ってきますね。この世界にはない独特の味です」
「ケイトさんの世界の調味料で、料理の可能性が広がります」
セリアさんの顔が生き生きとしている。
「今夜は、この本にあった『香草のスープ』を作ってみました」
いつものスープより香りが良く、味も深い。
「美味しいです」俺が感心すると、セリアさんが微笑んだ。
「この本のおかげです。レシピが詳しく書いてあるので、失敗しませんでした」
リナちゃんも「いつものスープよりずっと美味しい!」と大喜びだった。
夜の語らい
夜、家族全員が居間に集まった。それぞれの本を手に、まるで読書会のような雰囲気だ。
「お父さん」リナちゃんが医学書を覗き込む。「この絵、人の体の中?」
「そうです。人の体がどうなっているかを描いた図です」
「すごい…心臓って本当にこんな形なの?」
「本当です。この本には、体のことがとても詳しく書いてあります」
ロウガンさんがページをめくって見せる。
「この薬草の図も正確です。効能の説明も、私が知っている以上に詳しい」
「お母さんの本も見せて」リナちゃんがせかす。
セリアさんが料理本を開く。
「この『魚のパイ』、美味しそうね」
「パイって何?」
「小麦粉で作った皮で、中身を包んだ料理です」
「作れるの?」
「材料が揃えば…」セリアさんが俺を見る。
「俺が材料を探してみますね」
リナちゃんが自分の本を開く。
「この『勇者の冒険』っていう話、とっても面白いの!勇者が魔物を倒して、お姫様を助けるの」
「どんな魔物?」ロウガンさんが興味深そうに聞く。
「ドラゴン!大きくて怖いの。でも勇者は勇敢に立ち向かうの」
リナちゃんが挿絵を見せてくれる。確かに立派なドラゴンが描かれている。
「お兄さん、ドラゴンって本当にいるの?」
「俺の世界にはいないなあ」
「この世界にはいるかもしれないよね、お父さん?」
ロウガンさんが苦笑する。
「さあ…山の奥には、まだ人間が見たことのない生き物がいるかもしれませんね」
「いつか探検してみたい!」リナちゃんの目がキラキラしている。「お兄さんも一緒に来る?」
「機会があればね」
そんな会話を交わしながら、穏やかな時間が流れていく。
別れの時
三日目の夜、俺は明日帰らなければならないことを告げた。
「また…いなくなってしまうのですね」セリアさんが寂しそうに言った。
「でも、必ず戻ってきます」
「今度はいつ頃?」ロウガンさんが聞く。
「一ヶ月後くらいです」
「そんなに長く…」リナちゃんが悲しそうな顔をした。
「でも、その間に皆さんがこの本をたくさん読んでくれれば、俺も嬉しいです」
「必ず読みます」ロウガンさんが力強く言った。「この医学書で学んだことを、町の人々のために活用します」
「私も新しい料理に挑戦してみます」セリアさんも頷く。
「わたし、この本を全部読んでみる!」リナちゃんが元気よく宣言した。「そして、お兄さんに感想をお話しするの」
「楽しみにしてるよ」
最後の夜、俺は家族それぞれと改めて話をした。
ロウガンさんとは医学について。
「この本の消毒の概念、本当に目から鱗でした。明日からさっそく実践してみます」
「無理をしないでくださいね。少しずつ取り入れていけばいいんです」
「ケイトさんの世界では、この程度の知識は常識なのですか?」
「基礎的な部分は、そうですね」
「素晴らしい…いつか、この町もそんな風になれればいいのですが」
セリアさんとは料理について。
「『砂糖』という調味料、本当に手に入るのでしょうか?」
「はい。必ず持ってきます」
「楽しみです。リナも甘いお菓子を食べたことがないので、きっと喜びます」
「他にも美味しい調味料がたくさんあります。少しずつ紹介していきますね」
リナちゃんとは物語について。
「『王女と魔法の森』、もう半分読んだよ!」
「早いね。面白い?」
「とっても面白い!王女が森で迷子になっちゃうの。でも、きっと王子様が助けに来るんでしょ?」
「それは読んでのお楽しみだね」
「次に来るとき、わたしの好きな話を聞かせてあげる!」
「楽しみにしてる」
知識の種まき
最終日の朝、俺は転移の時間まで、できるだけ多くの知識を伝えようと思った。
ロウガンさんには、基本的な衛生管理について詳しく説明した。
「手洗いは、指の間、爪の間も忘れずに」
「はい」
「包帯を巻くときは、血流を止めないよう注意して」
「わかりました」
「熱がある患者には、水分を多く取らせてください」
一つ一つ、丁寧に教えていく。
セリアさんには、食材の保存方法を教えた。
「肉は冷たい場所で保存して、早めに使い切ってください」
「この『冷蔵』という方法、どうやればいいのでしょう?」
「地下室や、井戸の近くなど、涼しい場所を利用してください」
「なるほど」
リナちゃんには、文字の練習を見てあげた。
「この文字、上手に書けてるね」
「本当?もっと練習する!」
「読書も大切だよ。たくさん本を読むと、いろんなことを知ることができる」
「わかった!」
転移の時
ついに別れの時間が来た。
「また必ず来ます」
「お待ちしています」ロウガンさんが深々と頭を下げた。
「お気をつけて」セリアさんが手を振る。
「お兄さん、絶対に戻ってきてね!」リナちゃんが涙目になっている。
「約束する」
俺は時計のリューズを回した。
青白い光が体を包み込む。
最後に見たのは、三人が手を振る姿だった。
地球での決意
地球に戻った俺は、アパートの狭い部屋で今回の転移を振り返っていた。
本を贈ることで、一家の知識レベルが確実に向上した。ロウガンさんの医療技術、セリアさんの料理、リナちゃんの読書能力。
でも、まだ足りない。
「一時的な贈り物じゃ、根本的な解決にはならない」
俺は机に向かい、メモ帳に書き出した。
《次回持参すべきもの》
- 砂糖(料理用)
- 醤油(小瓶)
- 胡椒(少量)
- より多くの医療用品
- リナちゃん用の文房具
- 追加の書籍
《長期的目標》
- 継続的な知識提供
- 一家の経済状況改善
- 町全体の医療水準向上
「俺にできることは、まだまだある」
窓の外を見ると、夜空に星が輝いている。同じ星空が、異世界の空にも広がっているのだろうか。
「待ってろ、皆」
俺は拳を握りしめた。次の転移まで、また一ヶ月の準備期間だ。今度はもっと充実した支援を持って行こう。
リナちゃんの笑顔、ロウガンさんの優しい眼差し、セリアさんの温かい手料理。
それらすべてが、俺の生きる原動力になっていた。
異世界での5日間は終わったが、俺の新しい人生は始まったばかりだった。