第4話:「知識という贈り物」
特別な準備計画
地球に帰還してから三日が経っていた。俺は街の古書店の前に立っていた。
「特別な準備をしよう」
今回は物だけじゃない。知識を贈るんだ。
店の扉を開けると、カビ臭い古い紙の匂いが鼻を突いた。老店主が奥から顔を出す。
「いらっしゃいませ。何かお探しで?」
「あの…ポルトガル語の本を探してるんですが」
店主の眉がぴくりと動いた。
「ポルトガル語?珍しいリクエストですね。どんな分野をお求めで?」
「医学関係の本があれば…」
「ちょっとお待ちください」
店主は奥へ消えていった。俺は店内を見回す。埃っぽい本棚には、日本語、英語、フランス語、ドイツ語の古書がぎっしりと詰まっている。本当にポルトガル語の医学書なんてあるのだろうか。
「ありました」
店主が戻ってきて、厚い一冊の本を取り出した。
「『Medicina e Cirurgia Medieval』…中世医学と外科、といったところでしょうか。14から15世紀の医学知識をまとめた復刻版です」
俺の心臓が高鳴った。まさにロウガンさんの時代に合う内容じゃないか。
「状態はどうですか?」
「中身は完璧です。挿絵も豊富で、医学に興味のある方には貴重な資料かと。お値段は八千円になります」
八千円。バイト代の五分の一だが…
「これ、ください」
財布から諭吉さんを取り出す。店主が驚いたような顔をした。
「即決とは…よほど必要な本だったのですね」
──そうです。命の恩人への恩返しなんです。
俺は心の中でそう答えた。
家に帰ると、さっそくパソコンの電源を入れた。今度はネット通販でポルトガル語の書籍を検索する。
「Receitas Tradicionais」…伝統料理集、五千円。
「Contos para Crianças」…児童向け物語集、三千円。
「Aventuras do Cavaleiro」…騎士の冒険小説、四千円。
「História Natural」…自然史、六千円。
合計一万八千円。医学書と合わせると二万六千円。今月のバイト代がほぼ全部飛ぶ計算だ。
でも…
──リナちゃんの笑顔が浮かんだ。ロウガンさんの優しい眼差し。セリアさんの温かい手料理。
「よし、全部買おう」
クリック、クリック、クリック。
「ご注文ありがとうございました。二日後にお届け予定です」
画面に表示されたメッセージを見て、俺は深く息を吐いた。これで俺の生活費は限界まで削られる。でも、きっと価値のある投資になるはずだ。
二日後、宅配便が届いた。段ボール箱を開けると、美しい装丁の本が五冊入っている。
医学書は革表紙で、ページを開くと精密な解剖図や薬草のイラストが描かれている。料理本は色とりどりの食材の絵が目を楽しませてくれる。児童書は可愛らしい挿絵がたくさん入っていて、リナちゃんが喜ぶ顔が目に浮かんだ。
「これで一家の将来が変わるなら…」
俺は本を一冊ずつ丁寧に布で包んだ。
異世界への帰還
転移の時間が来た。
いつものように青白い光に包まれ、次の瞬間には慣れ親しんだ草原に立っていた。今回は六冊の本を小脇に抱えている。重いが、その重みが嬉しかった。
町への道のりも、もうすっかり覚えた。三十分ほど歩くと、見慣れた石造りの家並みが見えてくる。
バルトハイムの下層区。薬師一家の家。
庭先でセリアさんが洗濯物を干している姿が見えた。
「セリアさん」
振り返った彼女の顔に、驚きと喜びの表情が浮かんだ。
「ケイトさん!」
家の中からリナちゃんが飛び出してくる。
「お兄さん!また来てくれたの?」
「ただいま、リナちゃん」
そこへロウガンさんも仕事から戻ってきた。薬草を入れた籠を手に持っている。
「ケイトさん…本当にお疲れさまでした。また来てくださったのですね」
「はい。今回は特別な贈り物を持ってきました」
俺は抱えていた本を見せた。ロウガンさんの目が輝く。
「本…ですか?」
「はい。皆さんのために選んだ本です」
ロウガンへの医学書贈呈
居間に通されると、俺は最初の一冊を取り出した。
「ロウガンさん、これを受け取ってください」
『Medicina e Cirurgia Medieval』の重厚な表紙を見て、ロウガンさんは息を呑んだ。
「これは…医学書でしょうか?」
「はい。中世の医学知識をまとめた本です」
ロウガンさんが震える手でページをめくる。最初に現れたのは、人体の解剖図だった。
「すごい…こんなに詳細な人体の図を見たことがありません」
筋肉、骨格、内臓。すべてが精密に描かれている。
「この図解も素晴らしいですが…」ロウガンさんがページを進める。「薬草の詳細図まで…」
各種薬草の絵と、その効能、調剤方法が詳しく記載されている。
「感染症の予防法…『手を清潔に保つ』…」
ロウガンさんが特定のページで立ち止まった。
「当然のように思えますが、その理由がこんなに詳しく説明されているとは」
細菌感染の概念が、中世の人にも理解できるような言葉で説明されている。
「この知識が本当なら…町の医療が大きく変わります」
ロウガンさんの声が震えていた。
「外科手術の手順まで…こんな本、どこで手に入れたのですか?」
「俺の世界では、この程度の知識は一般的なんです。でも、この本の知識が、この町の医療向上に役立てば」
「ケイトさん…」
ロウガンさんが俺の手を握った。
「こんな貴重な本を…私などがいただいてよろしいのでしょうか?」
「もちろんです。ロウガンさんなら、この知識を必要としている人たちのために使ってくれると信じています」
ロウガンさんの目に涙が浮かんでいた。
「ありがとうございます…必ず、町の人々のために活用させていただきます」