9.植物市2
幸い、会話はそれで終わり、イースランの興味はすぐに周りの露店へと移る。
子供のような好奇心を覗かせるその表情に、フィオラはくすっと笑った。
腹の中で何を考えているのか分からないけれど、可愛いところもあるじゃないと思ってしまう。
「私はここにいますから、他の露店を見てきてもいいですよ」
「そうですか。ではお言葉に甘えてちょっと行ってきます」
いそいそと席を立つと、イースランは天幕から天幕へと興味の赴くままに足を進めていく。あっと言う間に背中が遠のいた。
「お嬢ちゃん、もうちょっと待ってくれるかい? ハエトリソウが見当たらないんだ」
「はい。ゆっくりしてください」
ハンスに紹介してもらった店主は、いつまでたってもフィオラの名前を憶えない。
でもハンスも坊ちゃんと呼ばれていたので、こういうものだろうと思っている。
(イースラン様も珍しい植物を楽しんでいるようだし、のんびり待ちましょう)
フィオラは徐に鞄の中から読みかけの本を取り出した。
どこへ出かけるにしても、ついつい持ち歩いてしまう。もはや癖のようなものだ。
暫くパラパラとページを捲っていたフィオラだったが、ふと何かを忘れているような気がして首を傾げた。
(何かしら。大事なことのような気がする)
一度目の人生でもフィオラはこの市に来ていた。
そのときは頼まれた植物だけ買って帰ったから、今ほど時間はかからなかったように思う。
なんだっただろうと本を閉じ、地面に視線を落とす。
晴れてはいるが風が強い。あちこちから喧騒がして、音に包まれているようだ。
その騒がしさの中に「うわっ」と叫び声が混じった気がして立ち上がれば、少し向こう側で人が騒いでいるのが見えた。
どうしたのかと首を伸ばすと、メイン通りに向かって人が一斉に走りだす。
悲鳴を上げ、親は庇うように子供を抱え背を丸めながら駆けていた。
この時間、この場所にフィオラはいたことがない。
でも、騒然とした状況が、あることを思い出させた。
(そうだ、この日、植物市で騒動があったんだ)
フィオラが帰ってすぐに起きた騒ぎについて教えてくれたのは、ハンスだった。
とはいえ、ハンスはコミュニケーションが苦手なので、騒動について書かれたタブロイド紙を無言で手渡されただけだが、今思うと「大丈夫だったか?」と聞きたかったのだろう。
タブロイド紙によると、しびれ花の綿毛が風に吹かれ、それに触れた人が次々と倒れたらしい。
しびれ花は白い花で晩秋に綿毛ができる。
禁じ草で国内での販売は禁止されており、取り扱い許可証がなければ保持も許されていない植物だ。
植物市でこっそり禁じ草が売買されるのは珍しくなく、今までにも何度か憲兵の監査が入っている。
「イースラン様? どこですか」
人を掻き分けるようにしてイースランを探せば、迷子らしい幼い子供の手を握り周りを見渡していた。どうやら親を探しているようだ。
ちょうどそのとき、イースランに一組の男女が駆け寄ってきた。
両親だろう。女性が子供を抱き上げると、子供がぎゅっと首にしがみつく。
男性がイースランと言葉を交わし、すぐに立ち去っていった。
「イースラン様」
声を上げながら駆けよれば、イースランもフィオラに気づいたようで走り寄ってくる。
そのときだ、ピュゥと強い風がイースランの背後から吹き付けてきた。綿毛が宙を舞う。
「危ない」
フィオラは走りながらコートを脱ぎ、それを頭上に掲げる。
「イースラン様、伏せてください」
言葉と一緒にイースランに覆い被さると、地面に押し倒す。
「フィオラ! 俺より自分を守れ!」
ぐっと腕を掴まれ、イースランが位置を変わるように自分の腕にフィオラを庇おうとするが、それよりも早くしびれ花の綿毛がフィオラの首に触れた。
あっ、と叫び声をあげるよりも先に、ビリッと全身に刺すような痛みが走る。
目の前がチカチカと光ると同時に、意識が遠のいていく。手足が自由に動かせず地面へと崩れ落ちる瞬間に抱き留められた気がしたが、もう意識を保つことは無理だった。
ぼんやりと目を開けたフィオラは、そこが寮の自分の部屋だとすぐに気がついた。
植物市にいたはずなのにと記憶を辿るよう頭を動かしたところで、首にピキッと痛みが走りしびれ花に触れたことを思い出す。
(私、あのまま、気を失ったんだ)
窓の外は夕闇が広がり、石炭ストーブには火が入れられていた。
鉄製の古びた筒状のストーブの上に置かれたケトルの細長い注ぎ口から、湯気が昇っている。
部屋は充分に暖められ、掛布団の上には男性物のコートがさらに掛けられていた。
まだ痺れる手でそのコートを持ち上げる。イースランが着ていたものだ。
「イースラン様?」
ゆっくりと起き上がり部屋を見渡したところで扉が開き、水差しの乗るトレイを持ったイースランが入ってきた。
起き上がっているフィオラと目が合うと、ベッドへと駆け寄ってくる。
「気分は?」
「もう大丈夫です」
ご迷惑をかけたと謝りながら立ち上がろうとするフィオラの肩をイースランが押さえ、再びベッドに横にさせる。その顔が険しい。
「なぜ俺を助けようとした? しびれ花に触れると傷跡が残る場合もあるんだぞ。それなのにあなたはいつも俺を……」
とそこで言葉を途切らせ、手で口を塞いだ。
いつもの丁寧口調が抜け落ちたイースランを、フィオラはポカンと眺める。
柔和な笑みが消え焦燥を露わにしたその顔こそ、素顔のように思えた。
イースラン、時々意味深な台詞をはきます。
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