8.植物市1
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目覚めたフィオラは、いつもと同じように朝の身支度をすべく鏡台の前に座ると、亜麻色の髪をハーフアップに結い上げる。
寮の造りは質素で、内装や造り付けの家具は飾り気のないものばかりだ。
小さなクローゼットを開け、モスグリーンのワンピースに袖を通す。クローゼットの隅にある青色のワンピースには、あえて視線を向けないようにした。
薄手のコートを羽織ると斜めがけの鞄に頭と腕を通し、室内履きからブーツへと履き替え食堂で朝食を済ませる。それから時計を確かめ、寮の外へと出た。
ちなみに寮は大通りに面し、学園の門までは徒歩で十分ほどと立地条件は良い。
寮門の前にはすでに立派な馬車が停まっていて、それにもたれるようにして黒髪の美丈夫が立っていた。
フィオラの姿を認めると身体を起こし、「やぁ」とばかりに片手を上げる。
その親しげな態度に「なぜ?」ともう何度目かになる疑問が頭をよぎった。
「おはようございます」
「おはよう。今日は案内をよろしくお願いします」
人当たりの良い笑顔のはずが、どこか演技じみて見える。
イースランは自ら扉を開けると片手を差し出してきた。その手を借り馬車に乗り座る。イースランが向かい側に腰かけると、馬車は動きだした。
「市は王都にある西の広場で開かれるんですよね」
「そうです。月に一度開催され、異国の珍しい種や苗も露店に並びます」
専門的なものから、平民が庭先に植える一般的な植物まで数多く揃う。
植物市に行くのはフィオラにとっても久しぶりで、自然とワクワクしてくる。
馬車は緩やかな坂を下ると、川沿いを西へと進んでいく。
間もなく、教会の尖った赤い屋根が見えてきた。
婚約破棄は婚約解消と名前を変え、手続を終えている。
かつての人生ではジネヴィラ伯爵家の家令が書類を持ってきて、横柄な態度で「ここにサインをするように」と言ってきたのだが、今回は虐待疑惑について話を聞いていた憲兵が手渡してくれた。
どうして憲兵が? と思ったのはフィオラだけでなく、憲兵もなぜ自分が婚約解消の書類を届けなくてはいけないのか疑問に思っているようだった。
どこかの高官からの指示らしいが、それが誰なのか憲兵も知らないし、フィオラにも心当たりはない。
とりあえずサインをして手渡せば、翌日の夕暮れには手続き終了の証明書が寮へと届いた。普通なら三日ほどかかるはずが、やけに早い。
諸々、疑問はありつつも、大まかには今までと変わらず婚約関係を終えられたので、それ以上は考えないことにした。
(きっと今頃、ダリオン様とミレッラは晴れて婚約者となれて喜んでいるはず)
実家であるジネヴィラ伯爵家との縁は切れていないが、今後関わるのは必要最低限となるだろう。今までもそうだったのだから。
流れる川を見ながらそんなことを考えていると、馬車は右に曲がり少し行った場所で停まった。
どうやら植物市に着いたようだ。
王都の西にあるこの場所には、かつて王族の離宮があったらしい。
老朽化して取り壊したあとは、一部が公園に、残りは市や祭りに使われている。
だだっ広い広場には、色とりどりの天幕が立ち並んでいた。
一応区画整理もされており、人が多い割には歩きやすい。さっそくフィオラは説明を始める。
「植物市は主に四つの区画に分かれています。西にあるのが一般園芸向きで、南が異国からの珍しい植物。東が薬草で北が毒を持つ危険植物になります。今日は南の区画に行きます」
とそこまで言って、フィオラはあれ、と言葉を止める。
そうして、隣を歩くイースランにじとりと目をやった。
「この植物市、薬学研究室の方も来られますよね。私の案内は必要ないのではありませんか?」
「たしかにここへ来たことはありますが、立ち寄ったのは東の区画だけでした。ですから、やはりフィオラの案内は必要です」
さらりとのたまうイースランに、フィオラの口角がピクリと痙攣する。
(絶対に嘘だ)
だって、人混みを縫うようにどんどん進むイースランに迷いはない。
なんなら、フィオラが歩きやすいように気遣う余裕まであるほどだ。
案の定、イースランはすんなりと南の区画まで辿り着き、フィオラを振り返る。
「で、探している植物を扱っている露店はどれですか?」
「さすがにここへ来たのは初めてのようですね」
「珍しい植物が多く、興味深いですね」
嫌味のひとつでも言ってみたのだが、爽やかな微笑で躱されてしまう。
眉をぴくつかせながら、フィオラはあたりを見渡す。
区画割りはしているが、いつも同じ場所に同じ露店が立つとは限らない。特にメイン通り付近は争奪戦で早い者勝ちだ。
フィオラはゆっくりとメイン通りを歩きながら、首を伸ばして奥の天幕に目を向ける。
すると、一番奥、人が来なさそうな場所に汚れた紫色の天幕を見つけた。
「あそこです」と、今度はフィオラが先に立って歩き出し、その天幕の前まで進む。
背を丸めるようにして紫煙を燻らせる店主に声をかければ、店主はおや、っと眉を上げた。
「おじいさん、探している種と苗があるんだけれど、扱っているかしら?」
問いながら、鞄から出したメモを手渡す。
ハエトリソウとレジハメン以外にも、ダリアとハンスから頼まれた植物の名前もそこに書いてある。
店主はのっそりと立ち上がると「ちょっと待っておくれ」と言って、奥にあった木箱をごそごそと漁り出した。
緩慢な動きに合わせ白い髪と長いひげが揺れ、ぽいぽいと出された植物が足もとに散らばっていく。
そんな様子に不安に感じたのか、イースランがそっとフィオラの耳元で問う。
「彼に任せて大丈夫なのですか?」
「近いです」
フィオラが真顔で半歩下がる。顔がいい男は距離が近くても許されると思っているのだろうか。
「ああ見えて植物市で一番の博学ですから、問題ありません。品ぞろえも豊富なんですよ。ただ、整理下手ですので探すのに三十分はかかるかもしれませんが」
「そうですか」
「とりあえず座って待ちましょう」
天幕の隅には、空の木箱が無造作に転がっていた。
フィオラは店主に断りを入れ、それらをひっくり返して椅子代わりにすると、イースランにも座るよう勧める。
するとイースランがハンカチを取り出し椅子に敷いてくれた。
自然な仕草で紳士的に振る舞えるのは育ちがいいからかなと思いつつ、フィオラは遠慮なくハンカチを借りる。
空には箒で掃いたような雲が流れていく。どうやら長丁場になりそうだ。
「フィオラ、いい機会だから植物研究について質問をしてもいいでしょうか」
「はい。私でお答えできる内容であれば、何でも聞いてください」
「基本的なことです。企画書では植物の改良をすると端的に書かれていましたが、具体的にはどうやってするんですか?」
そんなことも知らずに室長になったのかと言いかけ、寸前で飲み込んだ。
前室長も植物研究の知識はなかったので、質問してくるだけマシとも考えられる。そう考えることにする。
「たとえば、薬学研究室で薬を生成するときは、刻んだり煎じた薬草を混ぜた上で魔力を加えますよね。加える魔力の量やタイミングによってできる薬が決まるし、魔力の加え方で品質も変わります」
「もしかして、植物の改良も同じなのでしょうか?」
「はい。苗や種に交配する植物の花粉や繊維、分泌液を合わせ、同時に魔力を加えます。どのタイミングでどれだけの魔力を加えるか、何度も実験を繰り返すのは新薬の生成と一緒です」
薬と違う点と言えば、植物は育ててみないと分からないというところだろう。
あらゆるパターンで作った苗や種を撒き、数ヶ月育ててやっと結果が出る。
失敗したら一からだし、植物によっては植える季節も決まってくる。
そうなると、結果を出すのに数年越しだなんてことも珍しくなく、それが植物研究が不人気の原因でもあった。
魔力については、バーデリア国民なら多かれ少なかれ持っている。ただ、イースランのように攻撃に繋げることができる人は稀で、大抵は騎士になる。
「うん、とても分かりやすい説明です」
「恐れ入ります」
「まるで新薬を作ったことがあるようで、驚きました」
(しまった!)
まずい、とフィオラは顔を歪めそうになり、慌てて口角をあげた。
「想像ですが、そうかな、と思ったんです」
首を傾け可愛く微笑んでみる。商隊にいたとき学んだ誤魔化し方だ。
「想像でそこまで分かるとは、やはり氷の才女と言われるだけありますね」
だけれど、イースランには通じない。
キラッキラの笑顔で返されたフィオラは、もう何も言い返せず口を噤む。
心の中で白旗を振りながら、これ以上は聞いてくるなと微笑み返すのが精いっぱいだった。
敬語のヒーローを書きたくて挑戦したのですが、難しかった。
犬夜叉の弥勒が焦ったときに敬語抜けるのが好きなんですよね。
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