6.五度目の人生2
預かった書類は以前と同じで、品質の向上や、採取できる量を増やして欲しいなど植物ごとに要望が書かれている。
当然それらの改良方法については覚えており、フィオラは書類に改善点を書き加えていった。
そうしてできた一覧に加え、これから新たに試みようと考えている植物についての企画書を添えると席を立つ。
室長に相談しようと隣の部屋をノックすると、しゃがれた声で入室を許す声が返ってきた。
「失礼します……あっ、来客中でしたか」
室長の個室には二つ入り口があり、ひとつはフィオラたち研究員の部屋と繋がっている。もうひとつは、廊下から来客が直接入れるようになっていた。
ソファに座る来客の後ろ姿に出直そうとしたフィオラであったが、向かいに座る室長に手招きされ戸惑いつつ、そちらへ向かう。
「フィオラ、儂は今日をもって引退することになった。明日からは彼が室長として植物研究室を纏めてくれる」
好々爺とした室長の前にいた人物が振り返った。
それと同時に驚いたフィオラの手から、書類が滑り落ちる。
その人物は、ぱくぱくと口を開け閉めするフィオラの足元にしゃがむと、落ちた書類を拾いフィオラに手渡した。
「落としましたよ」
「……どうしてイースラン様がここにいるのですか?」
目の前に立つ黒髪と青い瞳の美丈夫は、にこりと微笑むと胸に手を当て紳士の礼をする。
「紹介された通り、今日から植物研究室の室長をすることになりました」
「ですが、イースラン様は薬学研究室の研究員でしたよね」
研究室を転籍することは珍しくないが、研究員からいきなり他研究室の室長になるなんて初耳だ。異例ともいえる人事にまっさきに思い浮かんだのが、イースランの尊い身分。
この国と隣国の王族の血を引くイースランが望めば、異例の人事も不可能ではないだろう。
ただ、どうしてそこまでしてマイナー研究室の室長になりたかったのか、理由が分からない。
それでもすごい力が動いたのだけは確かで、防衛本能からフィオラが後ずさろうとするも、イースランに素早く手を取られてしまう。
「さっそくですが、持っている書類について説明していただけますか?」
「あ、あの……」
「では儂は、ダリアとハンスに話をしてこよう」
ゆったりとした動作で室長が隣の部屋へと向かっていく。
さっきまでソファの横に置いてあったボストンバックと飼い猫を抱えているので、もうここへは戻ってこないようだ。
退職金がよかったのか、隣室の扉を開ける背中がウキウキしているように見えた。
できることならフィオラもそのあとに続きたいところだが、問答無用でイースランの向かいに座らされる。
手を出してきたので報告書を渡せば、視線を落とし読み進めていく。
長い睫毛が頬に影を落とすのを目の端でとらえながら、フィオラは眉間を指で揉んだ。
なぜここに彼がいるのだろうか。
数度の回帰を経験し分かったのは、基本的に周囲の人間の行動は変わらないということ。
フィオラが研究所を転籍したり、前回と違う言動をした影響で周りにいる人の行動が変化することはあっても、大まかな流れはそのままだ。
ただ、今回はフィオラがテラスから飛び降りた影響が大きいらしく、至る所でいつも以上に状況が変わっていた。
フィオラに同情が集まり、ダリオンとミレッラが非難される。
ジネヴィラ伯爵家への批判も高まっていると聞いた。
それに伴い、寮生やダリアやハンスが好意的になった。
フィオラを助けたイースランの変化もその一環と考えられるが、それにしてはやけに絡んでくる。
(まさか本当に私に興味を持った、とか?)
理由は分からないが、そうとしか考えられない。
一目惚れしたという言葉を信じるつもりはない。ただ、こうして研究室を代わるぐらいだから何か意図があるのだろう。
その意図にまったく心当たりのないフィオラが黙考する横で、イースランは書類を読み終わると、ふむ、と頷いた。
「とてもよくできています。薬学研究室からの依頼については、すでに解決しているも同然ですね」
「実際に改良した種を栽培してみないと分かりませんが、良い結果が出ると思います。ですので、それと並行して改良したい魔草があるのですが、実験の許可をいただけませんか?」
フィオラはイースランの手から書類を受け取ると、さっき書いたばかりの企画書二枚を机の上に並べた。
ひとつは、食虫植物のダイオニアマキプラ、もうひとつは雨が降ると自ら花弁を閉じるレジハメンという花だ。
「これは薬草実験室からの依頼ではないですよね。詳しく説明してもらえますか?」
「もちろんです。ではまずこちらの食虫植物から」
二枚のうち右側の企画書をフィオラは指差すと、説明を始める
「ダイオニアマキプラという名前で、別名はハエトリソウと言います。二枚の葉からなり、葉の縁に棘が無数についています。この棘に昆虫が触れると葉が閉じ、挟まれた昆虫は特殊な液体で溶かされハエトリソウの養分となります」
「名前は知っていますが、改めて聞くとなかなかに恐ろしい植物ですね。それで、この企画書によると、特定の獲物にのみ反応するよう改良するというわけですか」
「はい。特定の昆虫にのみ花弁を開く花があります。これは受粉のためなのですが、それと交配して、ある個体が触れた時のみ、葉を閉じるように改良しようと考えています」
フィオラの言う特定の個体、とはもちろんフェンリルのことだ。
誰かがフェンリルを飼育小屋から出すのは分かっているから、それを阻止すべく見張るつもりでいる。
でも、フィオラが止められなかった時のために、飼育小屋の付近に改良したハエトリソウをこっそり植えようと考えた。
フェンリルの飼育小屋は学園の北の端にある。
飼育小屋付近の庭や道は、学園の端ということもありそれほど手入れされていない。軽く土をならした程度で草も生えているから、改良したハエトリソウを植えてもバレないだろう。
フェンリルを傷つけたくはないので、棘は丸みを帯びたものに改良し、溶かす液体は分泌させないつもりだ。
イメージとしては、山や森で鹿や猪を捕まえる足罠のようなものにしたい。
「もうひとつはレジハメンという花で、咲くときにリンとした音が鳴ります。それを触れたら音が鳴るように改良しようと考えています」
こちらも、もちろんフェンリル対策だ。ハエトリソウ同様に飼育小屋の近くに植えることで、フェンリルが触れると音が鳴るようにしたい。
この二つの植物によって、フェンリルの脱走を防ごうと考えた。
フィオラは顔を引き締め、改めて二枚の企画書を差し出す。
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