56.エピローグ2
カルロの帰国前に相談を重ね決めたはずなのに、イースランの顔は渋い。不本意だと眉間の皺が言っている。
商会も邸も売ってしまっては、フィオラはもう貴族として生きてはいけない。
平民としてセルバード商会で雇ってもらえないか、なんならカルロが趣味でしている商隊でもとイースランに頼んだところ、とんでもなく凄みのある笑顔が返ってきた。
「そんなにカルロがいいんですか?」「彼と一緒にいたいという意味ですか」と詰め寄られ、フィオラがぶんぶんと首を振って否定したのが一ヶ月前だ。
それから、イースランとカルロとの間でどんな話し合いが行われたのか詳細は知らないが、フィオラはカルロの実家であるセルバード侯爵家の養女となることが決まった。
ジネヴィラ商会を買い取ると同時に、商会長であるフィオラを養女とするのだ。
イースランとカルロから話を聞いたセルバード侯爵も、フィオラの手腕を知って二つ返事で了承したと聞く。
今後はステンラー帝国に渡ってセルバード商会の仕事を学びつつ、イースランとの婚約を進めるつもりだ。
つまり、イースランと婚約するためには、カルロの妹とならなくてはいけないのだが、イースランとしてはそれが面白くないらしい。
自分から持ちかけた話にもかかわらず、書類を見る顔はむすっとしていた。
「そちらにもサインをすればいいですか?」
「うん、まぁ、そうなんですが」
イースランが緩慢な動作でフィオラの前に書類を置く。
フィオラは先程と同様、そこにもペンを走らせた。
あとはバーデリア国王とステンラー皇帝の許可を得れば、フィオラは隣国の侯爵令嬢となる。
こちらについてもイースランは両王族の縁戚なので、すでに話は通していて内々に了承を得たと聞いていた。
「これで、私はカルロさんの妹になるのですね」
「嬉しそうですね」
「そうですね。四度目の人生では兄のように慕っていましたから、嬉しい、かもしれません」
気のいい男だ。一緒にいて気楽だし、頼りになる。
それに商人としての腕も確かで、彼から学びたいことはまだまだあった。
「どうせなら商隊に入って、また皆で旅をしてみたいです」
「ふーん」
イースランが不満全開で返事をする。その反応に、フィオラがくすっと笑った。
「もちろん、イースラン様と婚約しますよ?」
「当たり前です。なんなら一足飛びに結婚するのはどうでしょうか。俺と暮らしながら商会の仕事を手伝えばいい」
「それは……あれ、そういえばステンラー帝国に渡ったあと、私はどこで暮らすのでしょうか?」
強引に話を進められそうな雰囲気に、フィオラが会話の矛先を変える。
養女となるのだからセルバード侯爵邸に住むのが一般的だ。
しかしフィオラの場合、イースランと婚約するために貴族籍が必要だから、養子縁組を組むのだ。
そこまでお世話になっていいものかと、迷うところである。
「叔母夫婦は一緒に暮らすつもりらしいですが……俺の実家であるカンダル侯爵邸に住んでもいいですよ。両親もフィオラと会えるのを楽しみにしていますし、部屋は沢山あります」
「ですが、イースラン様にはお兄様がいらっしゃいますよね。私がカンダル侯爵邸に住むと、お兄様ご夫婦にご迷惑がかかるのではないでしょうか?」
二年前に結婚し、敷地にある別邸で暮らしているらしい。兄夫婦が別邸にいるのに、フィオラが本邸で暮らすのは不自然だ。そうなると、残るのは。
「一人暮らしをしようと思っています。もしくはセルバード商会の寮に入るか」
「そうですね。では、ふたりで暮らしましょうか。我が家はカンダル侯爵以外にも伯爵位を持っていて、結婚したら譲り受けるつもりでした。帝都に使っていない邸もあるから……」
「人の話を聞いていますか?」
フィオラが話の腰を折る。
イースランと暮らすのは、もちろん嫌ではない。
しかし、物事には順序というものがあるはず。果たして、イースランにその順番を守る気があるだろうか。
「分かりました。では、常に紳士らしく振る舞うと約束しましょう」
「本当ですか? この距離でそう言われても信じられないのですが?」
さりげなく腰に回されていた手を解こうとするも、指に力を込められ離れない。
「そうやって、全身で警戒するフィオラも可愛いです。だけど……」
イースランはフィオラの髪をさらりと撫で、そのままひと房すくい上げた。
そうして菫色の瞳を見つめながら、毛先にキスをする。
「こうされるのも、好きだろう」
「~!! ですから!」
どうしてそこで口調が変わるのか。こんなのどうやってもドキドキしてしまう。
フィオラが悶絶していると、今度はイースランの顔が近づいてきた。
「こういうのも、好きなはずだ」
今度は唇にキスをされた。
次は頬、耳、首筋と口づけはどんどん下へと降りていく。
「ストップ!」
たまらずフィオラがイースランの肩を押す。
「絶対に、ひとり暮らしをします! 決めました。今、決定しました」
「困りましたね。どうやってその決定を覆しましょう」
「とりあえず、離れてみてはどうですか?」
イースランはクツクツと笑うと、すこーしだけ身体をずらした。拳ひとつぶん空いた距離に、フィオラは嘆息する。
そうだ、困るのだ。
だってイースランの言う通り、触れられるのもキスをされるのも嫌じゃないのだから。
でも、時が未来へと進むからこそ、急がずもうちょっと甘酸っぱい恋を楽しみたいではないか。
フィオラは本音を言わずにティーカップを手にとると、いろんな気持ちを琥珀色の液体と一緒に喉に流し込んだ。
そんなフィオラの気持ちなんてきっとお見通しのイースランは、愛おしそうに赤く染まった横顔を見つめていたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
かつて、これほど頭を使って書いたことがありません。回帰の時系列とか、各回帰のとき誰がどこで何をしたとか。全力で書きあげました!
沢山の方に読んでいただき、楽しんでいただければ嬉しいです。
楽しかったと思っていただけたなら、ぜひ★をお願いします!次作の励みとさせていただきます!
感想や誤字報告ありがとうございました。これほどたくさんの感想をいただけたのは初めてで、本当に嬉しいです!!
本日から、「婚約破棄された私、目覚めたら隣に婚約破棄された侯爵様が眠っていた」を投稿しました。
https://ncode.syosetu.com/n5405kp/
朝の通勤やお仕事帰りに軽い気持ちで読んでいただき、ほっこりしてもらえればと思って作った作品です。
貴族学園の卒業式で二組が同時に婚約破棄を宣言した。婚約破棄されたふたりが不器用に心を通わせていく物語です。




