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47.フェンリル脱走4


「イースラン様!」


 カイが咆哮を上げ地面を蹴ったそのとき、改良したハエトリソウが後ろ足を捉えた。

 つんのめったようにカイは後ろに倒れるが、それも一瞬のことですぐに体勢を整える。

 そしてあろうことか、ハエトリソウに掴まっていないほうの後ろ足で地面を掘ると、根っこごと引き抜いてしまった。


「そんな……」


 植えたばかりというのもあるが、まさか咄嗟にそこまで知恵が回るとは思っていなかった。幸いレジハメンの音が煩いぐらい鳴っているので、残っている騎士科の生徒が何事かと様子を見に来てくれるかもしれない。


 近づくにつれ血の匂いがする。

 人間の血とは違う匂いに目を凝らせば、カイの前足から血が流れ地面を赤く染めていた。


 ダリオンが震える手で剣を構え、その切っ先をカイに向けている。

 そのせいでカイはさらに興奮し、もはやフィオラの声は耳に届いていない。


「フィオラ、来るな」


 制するイースランの声は、カイの唸り声でかき消された。

 フィオラはカイに走りよると、両手を大きく広げる。


「お願い私の声を聞いて!」

「無理だ。興奮した上に傷を負って我を忘れている。ここは俺がなんとかするから、フィオラは逃げろ!」

「いやです。だって、今回は誰も犠牲者を出さないと決めたんです」

「だからと言って、フィオラが犠牲になっては元も子もないだろう!」


 お互い主張を譲らないふたりに、カイが視線を定める。


「危ない!!」


 カイの様子に気がついたイースランが叫ぶと同時に、ふたりの頭上に大きな影が差す。カイが高く跳躍したのだ。


 もうこうなっては、傷をつけずに捕獲するなんて悠長なことを言っていられない。

 イースランが手のひらを突き出すと、そこに大きな風の渦ができた。

 それを頭上に掲げ、カイに向かって放つ。その一方で、空いている腕でフィオラを引き寄せ風圧から守った。


 ぶわっという大きな衝撃と同時に、全身に風を感じる。

 立っていられないような強い風は、台風の比ではない。

 座ることさえ許されない力に、フィオラはただイースランにしがみつくことしかできなかった。


 やがて風が収まり薄っすら目を開けると、フィオラたちを中心に地面がえぐれ土が露わになっている。

 これだけの威力の風魔法を直接受けたら、フェンリルだって無事ではすまない。

 青ざめた顔で周りを見回したフィオラだったが、すぐにその顔色がもっと青くなる。

 カイは、露わになった地面に両足を踏ん張り、さっきよりも恐ろしい唸り声をあげていた。


「……避けた? 俺が前回フェンリルの動きを封じたのが、今の攻撃だった。もしかして、カイにも記憶があるのか?」

「まさか。私たちだけでなく、フェンリルまで回帰しているというのですか?」


 だとしたら、他にも回帰をしている人間や動物がいるのだろうか。

 もしそうだとしたら、回帰をする条件とはいったい何なのか? 


 混乱する頭をフィオラはぶるっと振った。今考えるべきことではない。まずはこの状況をなんとかしなくては。


 カイが地面を蹴った。

 今度は真正面から飛び込んでくる。


「くそっ、間に合わない」


 攻撃から防御に切り替えたイースランが、風で壁を作り自分とフィオラを囲んだ。だけれど、その壁をカイの鋭い爪が引き裂く。


「フィオラ!!」


 イースランがフィオラに覆いかぶさり、グッと抱きしめた。その肩越しに、牙を剥くカイの姿が見える。もう駄目、そう思ってフィオラが目を瞑ったそのとき――


 ザバッッ


 急に激しい水音がし、同時に全身に水が降り注いだ。

 何が起こったのかと薄目を開けると、大きな水の塊がフィオラたちとカイの頭上にある。

 まるで水風船のようなそれがパンと割れ、再び滝のような水がカイめがけ落ちてきた。

 水圧でカイが地面にひれ伏す。


 すると今度は辺りが炎で囲まれた。

 まるで炎の壁のようなそれは、フィオラたちも含め半径五メートルを覆う。フェンリルは炎を嫌うので、地面に伏したままカイがウゥと唸った。


 炎の壁の高さは十メートル以上あり、フェンリルの跳躍でも越えられない。

 この高さだとカイでも逃げることはできないが、一緒に閉じ込められたフィオラの肌もチリチリと熱せられる。


 何が起きたのかと狼狽しているなか、その炎の壁を突き抜けるようにして、水に濡れた一本の縄が飛んできた。

 イースランはそれを手にすると、風魔法で包んでカイへと投げた。


 縄はまるで意志を持っているかのようにカイの両手足を絡めとると、ぎゅっと締め付け動きを封じる。

 あっという間の出来事に、フィオラはただただ茫然として座り込んだ。

 イースランが指笛を吹くのを合図に炎が消え、ふたりの男性が現われる。


「カルロさんと……騎士団長?」


 信じられないとばかりに菫色の瞳を見開いたフィオラが、ふたりの名を呼んだ。


 騎士団長が炎の魔法を使えるのは知っている。バーデリア国で攻撃魔法を使える騎士は少ない。騎士団長の腕前は、噂に疎いフィオラでさえ耳にしたことがあった。


 しかし、カルロが魔法を使えるとは初耳だ。

 ただ、ステンラー帝国の王族は攻撃魔法が使えると聞くので、カルロが水魔法を使えても不思議ではない。


 騎士団長のザークに「怪我はないか?」問われたフィオラは、ぎこちなくコクコクと頷く。

 そうして、隣に立つイースランにそろっと視線を向けた。

 イースランはフィオラに手を貸し立たせると、実はと話を切り出す。


「今夜、フェンリルが脱走する可能性があると、ふたりには事前に話をしました」

「では、回帰……!」


 回帰についても話したのかと聞こうとしたフィオラを、イースランは目で制する。

 察したフィオラは、寸前で口を噤んだ。そして、それを誤魔化すかのようにイースランが話を続ける。


「この前の学園祭で、ダリアからまどろみ草について興味を持った商人がいると聞きました。ちょうどカルロから怪しい商人たちの話を聞いていたから、部下が作った商品が悪事に使われてはと心配で、その商人の身辺を洗ったんです」

「怪しい商人、ですか?」

「ええ。するとジネヴィラ商会と関りがあること、法で禁じられている商品を扱っている可能性があることが分かりました。それで、カルロと騎士団長であるザークに相談したんです」


 カルロとザークも同意するよう顎を引く。

 どうやら回帰について話さずに、ふたりをここへ呼んだらしい。

 ここまでは、イースランは噓を言っていない。ただ、


「初耳ですっ」


 フィオラはイースランの袖をひっぱり膝を少し曲げさせると、その耳元で小さく、でもしっかり怒りを込めて囁いた。


 イースランは肩を竦め、申し訳なさそうに眉を下げる。


「フィオラの実家が違法商品の売買に関わっている可能性がありましたから、はっきりと証拠が揃うまでは不安にさせるだけだと思い黙っていました。すみません」


 こうも素直に謝られると、それ以上怒ることができない。

 イースランはその姿勢のまま、さらに声量を落とす。そうして口裏を合わせて欲しいと、早口で言った。


「フェンリルの毛皮の売買が法で禁止されているのは知っていますよね。カルロたちには、『商人を調べるうちに、彼等がフェンリルを狙っていること、その決行日が今夜だと分かった』と説明しています」


 もともとフェンリルが脱走する日を知っていたから、こうやって張り込むことができた。それを回帰の言葉を使わず説明するために、真実に嘘を混ぜたというわけだ。


「分かりました。もし何か聞かれたら、私もそう答えます」


 ザークがいるのだから、あとから事情を聞かれるだろう。イースランに協力したと言っておけば、それ以上深く追求されない……と願いたい。

 こそこそと会話を交わすふたりに、カルロが呆れ顔で声をかけた。


「それにしても、レジハメンの音が聞こえたら助けに来てくれと頼まれたときは半信半疑だった。まさか本当にフェンリルを盗もうとする奴がいるとはな」


 カルロが地面に伏せるカイを見ながら、腕を組む。カイはやっと正気を取り戻したようで大人しくしていた。

 ザークはカイの前でへたり込むダリオンへ向かうと、鋭い視線で見下ろした。


「お前には、詳しく聞きたいことが山ほどある」


 短い言葉ながら、すごみがある。


「あ、あの……」と唇を震わせるダリオンは、フェンリルを前にした時以上に怯えているように見えた。

 ザークはダリオンにここにいるよう命じると、今度は少し向こうで腰を抜かしているミレッラのもとへ行く。

 彼女もまた、厳しい追及を受けるだろう。


 その後ろ姿を視界に留めながら、フィオラがイースランに問う。


「イースラン様は騎士団長とも知り合いだったのですか」

「ステンラー帝国には、攻撃魔法を使える者が多いのは知っていますよね?」

「はい。王家の血を継ぐ方は全員、何らかの攻撃魔法が使えると聞きました。他にも魔力の強い人が多く、騎士のほとんどは何かしらの攻撃魔法が扱えるのですよね?」

「そうです。俺は風、カルロは水を操れます。帝国内には攻撃魔法専門の魔術学校があり、騎士団長のザークさんはそこに留学していました。カルロの同級生です」

「よく稽古をつけてやったよな」


 カルロがイースランの肩をポンと叩く。

 少し年の離れた兄と言った感じだ。


「あれを稽古というなら、そうなのでしょう」


 イースランが顔を歪める。

 こちらは相当に嫌な思い出のようで、声に不満が滲んでいた。


「まだ十歳にもならない子供をいたぶって楽しんでいたのかと思っていました」

「人聞きが悪いな。そのおかげでお前は特待生で魔術学校に入学し、首席で卒業できたんだ」

「いや、俺の努力の結果に決まっているでしょう」


 イースランがカルロを恨めしそうに睨む。

 ザークが留学を終え帰国してからも、夜会で顔を合わせたり、長期休暇には行き来したりと交友は続いていたらしい。


 話をしているうちに、レジハメンの音を聞きつけた教師が集まってきた。

 まだ学園内に残っていた研究員や学生の姿もあり、彼等が負傷しなかったことにフィオラは胸を撫でおろす。

 ザークが教師に騎士を呼ぶよう頼む。

 フィオラたちもこれから事情を聞かれるだろう。


「長い夜になりそうだな」

「はい。でも、誰も負傷しませんでした。それを思えば、徹夜ぐらい平気です」


 イースランが早々に風でまどろみ草の匂いを飛ばしたおかげで、フェンリルたちもすぐに落ち着きを取り戻した。

 まだ拘束を解くことはできないが、ひとまず今夜を無事乗り越えたことに、フィオラは心底安堵したのだった。


フェンリル脱走はこれでおしまい。脱走を防いだふたりは、今度は回帰の原因を探します。もふもふも回帰しているので、あれが関係しているのは想像に易いかと。でも、それだけじゃありません。


お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!

☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
 前話と今回のタイトルーッ! 『フェルリン』になってるてばっ(笑)
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