44.フェンリル脱走1
卒業式三日前、フィオラとイースランは夕暮れの学園内を台車を押しながら歩いていた。
今までと同じなら、今夜フェンリルが脱走するはずだ。
卒業式の準備のため、夜にもかかわらず学園内に残る生徒は多い。
全学年で一斉に行われるテストは終ったが、在学生は課題のレポート提出がまだ残っている。その提出が卒業式前日ということもあり、教室の窓の半分はまだ灯がついていた。
騎士科の練習場でも、数人の生徒が自主練習をしている。
だからフィオラとイースランは人が少ない道を選び、南にある植物研究室から北のフェンリルの飼育小屋を目指した。
そうして運よく誰に会うこともなく鉄格子まで来ると、用心深く周りを見回す。
クロセットもすでに帰ったらしく、フェンリルたちは鉄格子の内側の芝生でくつろいでいた。
赤ちゃんの頃は飼育小屋の一番奥にある部屋で夜を過ごしていたが、身体が大きくなった今は外で眠る。
とはいっても、開け放たれた芝生の上では落ち着かないらしく、奥にある林で寝ることが多い。
フィオラの姿を見つけたフェンリルが駆けて来て、鉄格子に飛びつく。
二匹の勢いに鉄格子がぐらりと揺れるのに苦笑いしながら、フィオラはもふもふの頭を撫でた。
「今日は遊びに来たんじゃないの。……あなたたち、こんなにいい子なんだから、今回は絶対鉄格子の外に出ないでね?」
「くーん」
「ワン!」
ラブが甘えた声を出し、カイがいい子の返事をした。ただ、どちらも意味は分かっていないようで、フィオラに遊んでもらいたそうに尻尾を揺らしている。
イースランも鉄格子の中に手を入れ、カイの頭をぐりぐりと撫でた。
「本当に、大人しくしていてくださいよ。お前たちを捕まえるのは至難の業なんですから」
「そういえば、私が隣国に行っていたときに脱走したフェンリルは何匹でしたか?」
「一匹です。その前は二匹でしたが、数が違うこととフィオラが学園内にいなかったことに関係があるのですか?」
「実は、フェンリルは赤ちゃんの頃、なかなかミルクを飲まず衰弱していました。カテナを溶かしたミルクをあげたら二匹とも助かりましたが、それがなければ、もう一匹亡くなっていてもおかしくありません」
もともと三匹いて、今回も一匹亡くなっている。そう考えれば、毎回フェンリルの数が違うのも理解できる。
イースランもフィオラの説明に合点がいったらしい。
「そうだったんですか」
「こんなにいい子なのに、どうして脱走して人を襲うのか原因が分かりません」
フィオラの眉が悲しそうに下がる。何度回帰してもその理由が分からないのだ。
「同感です。俺も血液検査をして薬物が使用されていないか調べたのですが、何も検出されませんでした」
「えっ?」
「あれ、言っていませんでしたか? 捕えたフェンリルの治療をするついでに血液検査もしたのです。フェンリルの世話はクロセット殿がしてくれましたが、薬物については俺の方が専門ですからね」
イースラン自ら名乗り出たところ、すんなり受け入れてくれたらしい。
前回と前々回の脱走二回とも調べたが、どちらも薬物が使われていないと聞き、フィオラの脳裏に浮かんだのはまどろみ草だった。
薬物を服用したのなら血液検査で分かるだろう。しかし、匂いで錯乱し狂暴化したのであれば、血液検査をしても薬物反応がでない可能性がある。
「そうだったんですね。私はフェンリルに襲われたあと寝込んでいたので、脱走したあとのことはあまり知らないんです。フェンリルはどこにいたのですか?」
問いながら、フィオラは右手で林を指差す。「向こうへ行きなさい」の合図だ。二匹が揃って林のほうへ駆けていった。
「鐘塔ですよ」
「鐘塔?」
イースランが、学園の敷地のほぼ真ん中にある尖り屋根を目で指し示す。
辿るように視線を向けたフィオラは、数秒して「あっ」と声を出した。
「そういえば、地下に魔獣を捕らえる部屋があると仰っていましたね。もしかしてそこに?」
「ええ、そうです。飼育環境としては決して良くないが、もといた飼育小屋に戻す許可がおりなかったんです」
フィオラが回帰するのは、いつも鐘塔にいるときだ。その瞬間、まさかフェンリルが足元にいたなんて知らなかった。
「フィオラ、そろそろ作業を始めましょうか。今日は月が明るい。カンテラは必要ないでしょう」
「そうですね」
イースランが台車に載せていた木箱を開け、スコップをフィオラに手渡す。
フェンリルの脱走はいつも十時頃、あと三時間後だ。
それまでに、木箱にあるハエトリソウを植えレジハメンの鉢を設置しなくては。
フェンリルが脱走したとき、飼育小屋と鉄格子の一部が破壊されていた。
魔獣生態研究員だった二度目の人生では、フェンリルと一緒に林で眠っていた。だけれどフェンリルが突然駆け出し、追いついたときには飼育小屋も鉄格子も破壊されたあとだった。
だから薬学研究員だった三度目の人生では、飼育小屋を見張ることにした。するとフェンリルは、鉄格子を先に破壊したことが分かったのだ。
壊されていたのは林と芝生の境目付近の鉄格子だったから、その周りに重点的に穴を掘って、ハエトリソウを植えようと考えている。
ハエトリソウは三十株。
昼間に温室の畝から抜いて、木箱に敷き詰めた土に植え替えた。それを木箱ごと持ってきたのだ。
フェンリルを完全に拘束するほどの威力はないが、少しでも足止めしてくれればその間に落ち着かせることができるかもしれない。
木箱は全部で三箱あり重さもかなりのものだから、イースランが手伝うと言ってくれなければ大変だっただろう。
ふたりで協力しても、ハエトリソウを全部植え替えるのに一時間かかった。
次に、植物研究室に戻って今度はレジハメンの鉢を取ってくる。それも同様に鉄格子の周りにおいた。
これで準備は万端。
うまくいけばハエトリソウがフェンリルを足止めしてくれるし、もし捕まえることができなくても、大きな音が響く。
音にフェンリルが怯んだ隙をついて、身を呈してでも止めるつもりでいた。
準備を終えたふたりは、台車を草の中に隠し近くの低木の下に隠れるように座る。
フェンリルが脱走するまで、あと一時間ほどだ。
いよいよ、脱走事件当日となりました。
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