43.ダリオンの誤算3
学園祭から一ヶ月が過ぎ、夏の日差しがジネヴィラ商会の部屋へ容赦なく差し込む。
ダリオンはクラバットを外し襟元をくつろげると、手元にあった呼び鈴を鳴らし侍女に冷たい水を持ってくるよう頼んだ。
間もなくして聞こえたノック音に書類から顔を上げたダリオンは、水を持ってきた人物に嘆息した。
「ミレッラ、学校はどうした?」
「今日は午前中のテストで終わりなの。あと一ヶ月で卒業なんて早いわ。卒業したらすぐに結婚の準備を始めるのでしょう? 私、ウェディングドレスはセルバード商会が出資している洋装店で仕立てたいわ」
「あんな高級店でか? 他の店の三倍、いや五倍は値が張るんだぞ」
「だからよ。未だに私を無視する同級生に見せびらかしてやりたいの。彼女たち、きっと羨ましがるわ。それから、婚約披露宴もしなかったのだから結婚式は盛大にしましょうね」
うきうきとした手つきで水差しからグラスに水を注ぐと、ミレッラはそれを執務机に置く。
ダリオンは苦虫を噛み潰したような顔で水を飲み干した。
それからいい加減、現実を分かってもらわなくてはと、机の上にある書類をミレッラにも見えるよう滑らせる。
「それを見ろ。ジネヴィラ商会にもジネヴィラ伯爵家にも結婚式をするどころかドレスを買う金もない」
「そんな。だって、お母様はつい最近も新しい宝石を買われたわ」
「だからだ。何度言っても、無駄遣いをやめてくれない。ジネヴィラ伯爵も俺にどうにか金を用意しろとしか言わないし。お前たち家族はいったいどうなっているんだ? 今までどうやって商会を経営していたんだ!!」
荒々しい声に、ミレッラが涙ぐむ。ダリオンは忌々しそうに舌打ちをした。
「フィオラがいてくれれば……」
「またお姉様の名前を言うのね! だいたい後夜祭のダンスパーティでの振る舞いはなんなの? お姉様にジネヴィラ伯爵家に戻ってきて欲しいなんて、私は思っていないわ」
「だったら、ミレッラがフィオラの十分の一でも働いてくれ! それができないならジネヴィラ伯爵に商会の仕事に加わるよう説得するか、少なくとも母親の散財を止めろ!」
バンッとダリオンが机を叩く。
できることならジネヴィラ伯爵家なんて見捨てて、ミレッラとの結婚も白紙に戻したい。
でも、騎士を懲戒免職になったダリオンに帰る実家はない。
それに、フィオラを死に追い詰めてまでミレッラと婚約したんだ。これで婚約を解消なんてしたら、貴族社会で生きてはいけない。
八方ふさがりのダリオンに残されたのは、犯罪まがいの取引をしてでもジネヴィラ商会の利益を増やすことだ。
もはやどんな手を使ってでもジネヴィラ商会を立て直し、貴族としての地位を確固たるものにしなくては。
賭博場で声をかけてきた男が持ってきた商談に乗り、大金をはたいて異国から商品を買い付けたのはいいが、運搬中の船が難破してしまいダリオンのもとに商品が届かなかった。
商品は遅れてでも用意すると言われたが、借りた金は返さなくてはいけない。
その金を工面するために紹介されたのが、販売や取り扱いを禁止されている商品の売買だった。
違法商品を扱っているのを知っているのは、ダリオンと一部の従業員だけだったが、ミレッラにも現状を分からせるために教えることにした。
「これを見ろ!」
ダリオンがミレッラに突き出したのは、違法取引の品と金額が書かれたリストだ。
「ジネヴィラ商会の現在の収入は、すべて違法取引によるものだ。これがどういう意味か分かるだろう。早く纏まった金を作ってあいつらと手を切らなくては、いつか俺たちがトカゲのしっぽのように切られてしまう」
ミレッラは、意味が分かっているのか分かっていないのか微妙な顔でリストを手にして眺める。そうして、首を傾げた。
「ようは、取引でお金を稼げば、ドレスが買えるのね」
その発言に、ダリオンは眉間を押さえる。
どうしてこの状況でドレスが出てくるのか。能天気にもほどがある。
「ダリオン様、ジネヴィラ商会って取引先から商品を買って、商人に売っていたのね。で、その差額がジネヴィラ伯爵家のものになる」
「あぁ、そうだが……ってまさか今知ったのか?」
まさか、とダリオンが問えば、ミレッラは褒めてもらえたと思ったのか胸を張って頷いた。
「この紙を見ただけで分かるなんて、すごいでしょう。私だってお姉様に負けないぐらい賢いのよ!」
「いや、そんなの常識だし。それに仕入れ価格と販売価格、利益が一覧になっているんだから、分かるのは当たり前だ」
「それで思ったのだけれど、仕入れ価格が安ければ、より儲かるのよね。何ならただにしてしまうとか」
いいこと思い付いた、とミレッラは喜色満面だ。
とうとうダリオンが頭を抱える。誰がただで商品を売ってくれるというのだ。
「ミレッラ。金を払わないと、物は買えない」
「あら、そんなことないわ。私たちで『物』を用意すればいいんだもの」
そういうと、ミレッラは得意げにリストにある品目のうちのひとつを指差した。
「これなら、すぐに手に入るわ」
「いやいや、無理だ。危険すぎる」
「大丈夫よ。だってこの前の学園祭で……」
ミレッラは身を屈めると、ダリオンの耳に口を近づける。
部屋にはふたりしかいないが、こうしたほうが秘密めいているからだ。
ダリオンはミレッラの提案に唖然としていたが、しかしやがて神妙に考えだした。
「そうだな。たしかに『物』を自分たちで用意すればいいんだ。ただ、汚れ仕事をしてくれる奴が数人必要か……」
その人物に心当たりがあるのか、ダリオンが頷く。
「ミレッラ、よく教えてくれた。何とかなるかもしれない」
「本当ですか! だったらウェディングドレスはステンラー帝国の品を買ってもいいですよね! 結婚式も豪華にしましょう」
「あぁ、そうしよう!!」
ダリオンの顔に、数ヶ月ぶりに明るさが戻る。
だけれど、ミレッラはそんな様子に気がつくそぶりもなく、豪奢なウェディングドレス姿の自分を想像して、胸を高鳴らせたのだった。
フェンリル騒動の原因は…。
お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。




