42.後夜祭のダンスパーティ6
会場に戻る気になれなかったふたりは、その足で庭へと向かう。建物の周囲は、花壇や低木が植えられ噴水まである。
街灯以外にも地面にカンテラが置かれ、普段よりも明るくライティングされていた。
ふたりは、音楽が微かに聞こえる位置にあるベンチに腰を下ろす。
それと同時に、フィオラが「ありがとうございます」と頭を下げた。
「それにしても、ダリオン様はどうして私にジネヴィラ商会を手伝えなんて頼んできたのでしょう。もう関係ないと言いましたが、ジネヴィラ商会の経営状況が心配です」
実際、四回の人生においてジネヴィラ商会は衰退していた。ミレッラの卒業式の頃にはかなり危ない状況だったのを覚えている。
「フィオラはいつも自分より他人を心配するんですね」
「そういうわけではありませんが。あっ、イースラン様、お怪我はありませんか?」
「俺は大丈夫です。それよりフィオラの腕にあざができています。やっぱり一発殴っておけばよかったな。ついでに階段から蹴落とすべきでした」
ダリオンに掴まれたところが少し青くなっているが、それほど痛みはない。
平気だとフィオラは首を振って答える。
「これぐらい問題ありません。それから、もし次があれば私も加勢いたします。イースラン様にはいつも助けられてばかりで、申し訳ありません」
「そんなことはありません。しびれ花から助けてもらっているから、これでおあいこです」
「いいえ、テラスと階段から落ちたとき、二度助けてもらっているので私のほうが多いです」
二度、とフィオラが指を二本立てれば、イースランは困った顔で首を振る。
「テラスからの落下は助けたと言えません。風魔法をうまく操れず気を失わせてしまいましたからね。それに知らないでしょうが、俺はさらにもう一回、フィオラを助けられなかったんです」
イースランの眉が悲しそうに下がり、長い指がフィオラの右頬を撫でた。そこはかつて、フェンリルの爪で負傷した場所だ。
全身がざわりとする。
(今、イースラン様は何と仰った?)
ずっと不思議だった。
どうしてイースランが植物研究室に来たのか。
なぜ、フィオラに興味を持ったのか。
テラスから飛び降りたことで、周囲の人間がフィオラに同情するのは分かる。そんなふうに、回帰前の人生と異なる事態になるのは、よくあることだ。
でも、それにしてもイースランはあまりにも違いすぎる。
三度目の人生で見たイースランは魔獣に興味がなかったはずなのに、今はフィオラと一緒にフェンリルの世話をしている。そんなことが、あり得るのだろうか。
フィオラはイースランが触れた頬に手を当てる。
今はまだ傷ひとつないが、こめかみから頬にかけて引き裂かれたときの焼けるような痛みは、まざまざと思い出すことができた。
「……イースラン様は、顔を傷つけられた私を知っているのですか?」
思い切って聞いてみた。
怪訝な顔をされれば冗談だと煙に巻けばいいだろう。そうあって欲しいと願いつつ口にした問いだったのだが。
「……まさか、フィオラも?」
イースランは青い瞳を見開き、フィオラを見返してきたのだ。
――ここに至るまで、お互い大きな確証はなかった。
だけれど、ふたりとも回帰していたと考えると、幾つもの小さな疑問が腑に落ちる。
フィオラとイースランは暫く呆然と見つめ合ったあと、どちらからともなく頷いた。
「私が初めてイースラン様に会ったのは、薬学研究室です」
「俺もそうです。でも回帰したあと、フィオラは薬学研究室に現れませんでした。姿を見たのは卒業式の前日で、カルロと一緒に学園を訪ねてきました。フィオラはその間、どこにいたのですか?」
「婚約破棄のあとバーデリア国を出て、ステンラー帝国に行きました。そこでカルロさんがしている商隊に拾われ、十ヶ月一緒に旅をしました」
「十か月も、ずっと一緒に?」
お互い回帰を繰り返してきたからだろう。時が巻き戻っていることをすんなりと受け入れたイースランだったが、フィオラがカルロと十ヶ月過ごしたと言った途端、表情を険しくした。
「はい。今回と異なり、カルロさんは卒業式の数日前までずっとステンラー帝国内を旅していました。もしかして、国を捨てた私を心配して側にいてくれたのかも知れません」
フィオラが頬を緩める。
四回目の人生は、フィオラにとって特別なものだ。仲間とわいわいと過ごした日々はもう二度と経験できなくても、忘れることはない。
「もしかして、フィオラとカルロは……」
「はい?」
イースランは俯き額に手を当てる。悩まし気な声は小さく、最後まで聞きとれない。
「どうしましたか?」
「いや。……フィオラにとってカルロはどんな男ですか?」
「うーん、恩人でしょうか。カルロさんは何も覚えていませんが、私にとって大事な人です」
商隊の仲間も含め、と続けようとすると、イースランがフィオラの顔の前に手を翳し、言葉を制した。
「分かった。だからそれ以上、何も言わないでください」
「はぁ……?」
自分から聞いておいてどうしたというのだろう。
それに、なぜか落ち込んでいるようだ。少なくともフィオラにはそう見える。
がくりと項垂れるイースランの頭上を風が吹き抜け、黒い髪を揺らした。色は違うけれど、フェンリルの毛並みと似ている。
二杯続けて飲んだアルコールの酔いが今になって回ってきたのか、フィオラはほぼ無意識に手を伸ばし、その髪をさわさわと撫でた。
フェンリルを甘やかすときのように優しく、よしよしと手を動かす。
指に触れる黒髪は、見た目より柔らかく滑らかだ。
「フィオラ?」
名前を呼ばれ、ハッと正気を取り戻したフィオラは、慌てて手を離した。
「すみません、つい」
「つい。そんな『つい』をカルロにもしたのですか?」
「カルロさんに? いえ、したことはない……あっ、あった、かも?」
そういえば、とフィオラは顎に指を当てる。
洋装店で会ったカルロは紳士然とした大人の男性だったが、フィオラの知っているカルロはかなりずぼらだ。
寝ぐせのまま欠伸をして朝食を摂るのはいつものことだし、何なら上着の下に手を入れ腹をぼりぼり掻いたりしている。
酔っぱらったら草むらで眠るし、飲み過ぎたら遠慮なく吐く。冬でもお風呂上がりは濡れ髪のままなので、見かねて拭いてあげたことがあった。
そんな思い出話をすると、イースランの顔がさらに険しくなる。
「なんだ、その夫婦みたいな生活!?」
急に言葉が荒くなった。
理由は分からないが、とりあえずフィオラは宥めようと首を振る。
「いえいえ、まさか。だって他にも商隊の仲間がいましたし」
「いや、あのカルロがそこまで心を開くのは珍しい。チッ、俺のいないところで、俺より先に手を出して……いや、でも回帰したからリセットされた……のか?」
「イースラン様?」
怪訝な顔でフィオラがイースランを覗き込むと、イースランは探るような視線を向けてきた。
まるでフィオラの表情から何か読み取ろうとしているようだが、すぐに諦め瞳を逸らす。そうして、人差し指を一本立て見せた。
「ひとつだけ。フィオラとカルロは付き合っていたのですか?」
「えっ?」
「二人は、深い仲だったのですか?」
何を聞いてくるのだと、フィオラは真っ赤になって口をパクパクさせる。それからとんでもないと首を振った。
「いやいやいやいやいや、ありえません。カルロさんはいい人だと思いますが、ふ、深い仲だなんてっっ!」
紅潮した顔で両手を振って、全力で否定するフィオラは初心そのものだ。
何がどうなってそんなふうに勘違いされたか見当もつかず、ただただ慌てる。
その姿に、イースランは夜空を仰ぎ長く息を吐いた。腹の底から安堵したようなため息が澄んだ空気に吸い込まれていく。
「よかった」
「? 何がですか?」
「前回の人生で、フィオラがカルロを好きだったら嫌だなと思ったんです」
「な、なんでそんなことを、思うのですか?」
まだ赤い顔で不思議そうに聞くフィオラに、イースランは残念な子を見るような顔をする。
「惚れた女が従兄を好きだなんて、誰でも嫌でしょう? ま、それでも諦めるつもりはありませんが」
収まりかけていたフィオラの顔の赤味が、一気に増した。
なんなら全身赤い。熱い。
(まさか、嫉妬? これが焼きもち?)
生まれて初めての事態に動転してしまう。どうしたらいいのかと戸惑う一方で、胸の奥から嬉しさが混み上げてくる。
いつも落ち着いて大人なイースランが、自分の言葉ひとつでこんなに一喜一憂するなんて。彼の中に占める自分の大きさが、伝わってきた。
誰かの中に、自分の存在を認めるなんて初めてだ。
それと同時にフィオラの中でも、イースランの存在が大きくなっていく。
慣れない感情にあたふたするフィオラとは反対に、イースランはすっきりとした顔で立ち上がった。
すっかりいつもの調子を取り戻したらしく、自然な動作でフィオラに手を差し出す。
「せっかく来たんだから、もう一曲踊りませんか?」
「はい。そう言えば、セレナはどこへ行ったのでしょう?」
「あー、途中までフィオラを一緒に探していたんですが。たしか、フィオラがいないと階段イベントが起きないとか言っていました。……階段イベントって何ですか?」
「私に聞かないでください。知りません」
言いながら、フィオラはイースランの手を借りて立ち上がる。
ちょっと触れただけなのに、鼓動が速くなるのはなぜだろう。
それを悟られないようにそっと深呼吸をすると、イースランを見上げた。
「では、もう一曲、お願いします」
フィオラが笑うと、イースランも相好を崩す。
ふたりは月明かりの下、ゆっくりとダンスパーティが開かれている会場へ向かっていった。
セレナ、パーティが終わるまでひとりでフィオラを探していました・・・。
セレナ「ちょっと、どこにいるのよぉ!」→ダリア、ハンス「また何か言ってる・・・」(塩)
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