37.後夜祭のダンスパーティ1
日が傾き、学園祭の昼の部が終わりとなった。片付けは明日するので、フィオラは急いで寮へ戻ると、身支度を整える。
ドレスはひとりで着ることができない。
後夜祭のダンスパーティに出席する女性は実家から使用人を呼び寄せたり、今夜のために人を雇ったりするのだが、フィオラはまったく手配していなかった。
だからいざ着るとなって焦ったのだが、そこは根回しの得意なイースランがすでに侍女を用意してくれていた。
ステンラー帝国から連れて来た使用人のひとりらしいその侍女は、手早くフィオラにドレスを着せると、髪を結い上げ化粧までしてくれる。
至れり尽くせりで着飾ったフィオラは、自室の鏡の前で自分の姿にぽかんと口を開けた。
「これが私……」
目の覚めるような鮮やかな青色のドレスは、フィオラの華奢な身体にぴたりと合う。
いつもはウエストのあたりの生地が余りしわができるのに、今日は細い腰回りに沿うようにしてドレスが広がる。
丈も胸周りも背中も、すべてが丁度よくそれでいて苦しくなかった。
「とても良く似合っていらっしゃいます」
五十代ぐらいの侍女が、満足そうににこにこと微笑む。
「ありがとうございます。髪も化粧もとても素敵に仕上げてくださり感謝しています」
「もとが可憐でいらっしゃいますから、坊ちゃまもきっと喜ばれるでしょう」
「……坊ちゃま」
「ほんと、もう結婚して子供がいてもいい年齢でいらっしゃるのに、どうなさるつもりかと心配していましたの。それが女性をダンスパーティに誘われるなんて、私、嬉しくてカンダル侯爵様に手紙を書いてしまいました」
カンダル侯爵、つまりイースランの父親に知らせたと言われ、フィオラの顔がさっと青ざめる。
もとは仕事の延長として引き受けたエスコートだ。イースランの気持ちを知ったとはいえ、それでも大きな意味はないと思っている。
それなのに、そんな意味深長な手紙を送られては、どう解釈されるのだろうと不安と焦りが込み上げた。
だけれど、侍女はそんなフィオラの様子に気づくことなく、壁の時計に目をやる。
「あら、もうこんな時間ですわ。門の前で坊ちゃまが待っていらっしゃいます。僭越ながら門までは私が手をお貸しします」
侍女は立ち尽くすフィオラを促すと、扉を開け廊下を進む。
侍女の手を借り階段を降りるフィオラとすれ違った寮生が、頑張ってと激励してきた。
ドレスの色を見れば、誰がフィオラをエスコートするかは明らかだ。
悪女の濡れ衣を着せられたフィオラのシンデレラストーリーは、もはや寮生の注目の的なのたが、そんなことを知らないフィオラは、声援に苦笑いで応じるのが精いっぱいだった。
やっと門を出ると、馬車の前でイースランはすでに待っていた。フィオラの姿に、その双眸を丸くさせ僅かに頬を染める。
「……」
「イースラン様?」
「あっ、あぁ、すまない。とてもよく似合っている。美しすぎて言葉を失ってしまいました」
「またご冗談を。でも、お借りした侍女が素敵に仕上げてくれました」
「冗談ではないんですが……亜麻色の髪が月明かりでブロンドのように輝いて、月の女神かと見間違うほどですよ」
髪はイースランが用意してくれたアメジストの髪留めでハーフアップに結い上げ、下半分はふわりと巻いて降ろしている。目元には瞳と同じ菫色のアイシャドウを使った。
イースランが目を細めながら手を差し出す。
フィオラはちょっとはにかみながらその手を取ると、馬車に乗り込みダンスパーティが開かれる建物へと向かった。
学園内は、普段馬車で乗り入れはできない。だけれど、ダンスパーティが開かれるときは建物の前に馬車を停めるのが許されている。
これはもちろん、着飾った令嬢を門から歩かせないためだ。
会場に入ったフィオラは、ため息と共に周りを見渡す。
天井からは大きなシャンデリアが幾つもぶらさがり、磨き上げられた大理石の床は歩く度にカツンカツンと小気味よい音がした。
「すごいですね」
「フィオラもここに入るのは初めてですよね?」
「はい。普段この建物は施錠されています。卒業式はここではない建物で開かれましたから、入室するのは初めてです」
フィオラが出席した卒業式は、校舎内にある広間で行われた。
今いる建物は普段施錠されていて、後夜祭と卒業式後のダンスパーティのときにだけ鍵が開けられる。
ここには高価な調度品や絵も飾られているので、防犯も兼ねてのことだ。
会場に入ると、あちこちから視線を感じる。
フィオラはチラッと横に立つイースランを見た。
ライトグレーの夜会服をピシッと着こなし、クラバットはフィオラの瞳の色と同じ菫色だ。カフスはフィオラがつけている髪飾りと同じアメジストで、胸元には梔子の花がある。
視線を感じたのか、イースランがフィオラへ顔を向けた。
「何か?」
「物語の皇子様も、イースラン様を前にしたら逃げだすと思います」
「ははは、それはいい。大抵の物語では皇子様がヒーローですからね。ライバルが逃亡してくれるのはありがたいです」
それは、皇子様とイースランでフィオラを奪い合うというのが前提なのだろうか。なんとも恐ろしい設定だと、フィオラはくらりとしてしまう。
「ちなみに、フィオラを見る男の視線の多さに気づいていますか?」
「いいえ、まったく。気のせいではないですか? イースラン様こそ、ご令嬢の注目を集めているのは分かっておられます?」
「もちろん。いつものことですから」
「なるほど」
否定しないところがイースランらしい。
一人納得していたフィオラの髪をイースランが掬い上げる。
ゴミでも付いていたのだろうかとその指先を見ていると、イースランの顔が近づき小さなリップ音がした。
「なっ!!」
フィオラが真っ赤になる。
その反応を喜ぶかのように、イースランがにやりと笑った。
「虫よけです」
「そ、そんなもの、私には必要ありません!」
羞恥で震える声で訴えれば、イースランは「初々しい反応が可愛い」とクツクツ笑う。
フィオラは恋愛慣れしていないのだ。それなのにこんな高度な技を仕掛けてくるなんて。
「イースラン様こそ虫よけが必要なのでは?」
だから咄嗟に出たのは、火に油を注ぐような言葉だった。
イースランはすかさずフィオラの腰を引き寄せると、ぐっと顔を近づけてくる。
「では、私にもキスをしますか? もちろんどこでもいいですよ?」
「~~!!」
フィオラは無言でイースランの胸を押し、距離を空ける。そうして真っ赤な顔でキッと睨んだ。
「イースラン様、今夜はやけにテンションが高くないですか」
「すみません。フィオラとダンスパーティに出席できるのが嬉しくて、少々はしゃいでしまいました。今からは紳士らしくするので、ご心配なく」
そう言って笑うイースランの笑顔は、作ったものではなく本心からくるものだ。
(嬉しいんだ……)
しかもいい大人の男性がはしゃいでしまうほど。
自分の存在が誰かの感情を大きく動かしたことに、フィオラは驚く。それと同時に、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
これはなんだろうと考え、自分が喜んでいることに気がつく。
半年前まで、フィオラを気にかける人は誰もいなかった。どれだけ疲れていても、苦しくても、悲しくても、皆がそれに気づかない。気づこうとしない。
でも、イースランはフィオラの言動に一喜一憂してくれるのだ。
それがこんなに幸せだなんて。
なんだか急に胸の鼓動が速くなってきて、焦ってしまう。なんと答えるのが正解なのだろうと言葉を探していると、タイミングよく音楽が鳴り始めた。
イースランが嬉しそうに手を差し出す。
「もちろん踊ってくれますよね」
少し緊張が滲んだその問いに、フィオラはコクンと頷く。なんだか自分が特別な存在になったようだ。
手を重ねれば、イースランはフィオラを連れて会場の真ん中へと進んでいく。
そうして、二人は華やかなワルツに合わせステップを踏み出した。
普段何考えているか分からないタイプが、恋愛に浮かれているの結構好きかも。新たな自分の性癖に気付きました。
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