36.学園祭8
突然イースランは何を言い出すのだろう。
フィオラは唖然としながらも、懸命に頭を動かす。
目の前にいるのは高貴な血を引く美丈夫で、対して自分はこれといった特徴のない容姿をしている。というか、むしろ地味だ。しかも、婚約解消をされた傷物である。
結婚はもう無理だと思っていたし、誰かに好かれるなんて考えたこともなかった。つまり、すべてがあり得ない。そう、あり得ないということは。
「はいはい。そうですね、イースラン様はいつも私を口説いていらっしゃいました」
普段と同じ冗談だと判断した。だから、フィオラも軽い口調で返す。
ここで言葉通りに受け取っては、恥を掻くのはフィオラのほうだ。
気を取り直しサンドイッチを手にする。幸い膝に敷いたハンカチの上に落ちたから、食べられる。
だけれど、口元に持っていく前にイースランに手首を掴まれてしまった。
「イースラン様、これでは食べられません」
「フィオラ、あなたが俺に恋愛感情を持っていないのは分かっている。でも、だからと言って俺の気持ちをないものにしないで欲しい。俺は、フィオラが好きだ」
まっすぐな言葉は冗談とは思えない。
そして訴えるかのような口調は、固く閉ざしたフィオラの心の壁を壊すほどの力を持っていた。
かつてフィオラはダリオンを慕っていた。その想いを知っていながらダリオンはミレッラを選びフィオラの気持ちを踏みにじったのだ。
(自分の大切な気持ちを蔑ろにされる辛さを、私は知っているのに……)
それなのに、イースランの言葉を真摯に受け取らなかった。
気づける瞬間は沢山あった。でも、ずっと冗談として流していた。
もう傷つきたくないから、私なんかを好きになるはずがない。もし期待なんかしたら、傷つくのは自分のほうだ。そう自身に言い聞かせてきた。
それがイースランを傷つけていたとしたら――後悔が押し寄せてくる。
「ごめんなさい」
「……それは、拒否の意味の『ごめんなさい』だろうか?」
いつも自信たっぷりの青い瞳が陰る。フィオラは慌てて首を振った。
「違います。イースラン様の気持ちを、真面目に受け取らなかったことに対してです。全部冗談にしてしまえば、もう傷つくことはないと思ったから、私……本当にごめんなさい」
フィオラは深く頭を下げる。その体勢のまま「失礼なことをしました」とさらに言葉を重ねると、頭上から「よかったぁ」と安堵の声がした。
そして肩に手が置かれ、頭を上げるように促される。
「そんなふうに謝る必要はないです。フィオラが恋愛に逃げ腰な理由は分かっていますから、俺としても焦らせるつもりはありません」
「でも、それは私の事情です。イースラン様の気持ちを軽んじていい理由にはなりません」
「それなら、これから真面目に考えてください。俺はフィオラを決して傷つけません。約束します」
イースランは落ち着いた口調でフィオラを宥めるように話す。
これでは、どちらが告白した側か分からない。フィオラの心臓は、さっきから煩いほど鳴り響いているというのに、どうしてそんなに堂々としていられるのか。
「イースラン様は、大人ですね。私は心臓が口から飛び出そうなほどドキドキしています」
「さっそく、そんなに意識してもらえるとは嬉しいです。告白したかいがありました」
「冗談ではありません! イースラン様は慣れているのでしょうが、私は告白されるのが初めてなんです」
「俺だって初めてですよ?」
「さっき、モテていたと言ったばかりなのに?」
つい、いつもの調子で目を眇めれば、イースランはクツクツと笑う。
「たしかに言い寄られた女性の数は数えきれないほどですが、自分から好きだと言ったのはフィオラが初めてです」
「なっ……」
それならどうして、照れもせず好きなんて言えるのか。
恋愛初心者のフィオラは、その熱の籠った視線を受け止めることすらできず、目を彷徨わせてしまう。
真っ赤になった頬を隠すように両手で包むと、驚くほど熱かった。
「イースラン様。こういうとき、なんと答えるのが普通なのでしょうか?」
「そう言われましても。俺としては、フィオラも同じ気持ちだと嬉しいのですが、まだその段階ではないでしょう?」
問われ、フィオラは頬に手を当てたまま何度も頷く。それからはっと気がついたように顔を上げた。
「嫌とか、迷惑とかではないのです。ただ、本当にどうしていいか分からないだけで……」
「それは僥倖です。この時点で嫌がられては望みがありませんからね」
「ですが、急なことでどうしたらいいのか分かりません」
素直に言えば、イースランの手がフィオラの手首を掴みゆっくりと頬から離す。
「フィオラは何もしなくていいんです。ただ、俺のことを上司としてではなく、ひとりの男として見てください」
「ひとりの、男性として」
「そうです。ちなみにですが、俺に触れられるのは嫌ですか?」
イースランの視線が下がり、掴んだままのフィオラの手首に向けられる。
節くれだった指が男性らしく、妙にドキドキした。
「嫌、ではありません」
「ではこれは?」
今度は指が頬に触れた。まだ熱いフィオラの肌を、その温度を確かめるようにイースランの親指がゆっくりとなぞる。
背中がぞわっとした。恥ずかしいのと戸惑いと、僅かな嬉しさが胸の中で渦巻く。この感覚の名前をフィオラは知らない。
かろうじて「嫌ではないです」と答えれば、指はそのまま耳へと動き、髪に挿している梔子の花に触れた。
「この花を、俺にもらえませんか?」
「でも、それは……」
「本来の意味でなくてもいいのです。でも、今夜この花を胸につけてフィオラをエスコートしたい。駄目だろうか?」
「……駄目ではないです。というか、その、時々丁寧語が抜ける話し方、なんだかずるいです」
ふいに間合いを詰められたように感じ、戸惑ってしまう。
「なるほど、無意識でしたが、フィオラを口説くには効果的らしいですね」
「そんな分析しないでください」
真っ赤な顔で訴えながら、フィオラはイースランから少し距離を取る。
そうして自身の手で梔子の花を取ると、イースランに渡した。
「差し上げます」
「ありがとう。嬉しいよ」
「今の話し方は、わざとですね」
フィオラが指摘すれば、イースランは「バレたか」と笑う。
「やはり、フィオラには敵いませんね」
ははは、と笑うその顔は、緊張から解けたようにすっきりとしていた。
(イースラン様も、ドキドキしていたのかも)
そう思うと、なんだか食えない上司が可愛く思えてしまう。
つられるようにフィオラもふふっと笑う。
そんな二人を、いつの間にか増えた見物人たちがそっと見守っていたのだった。
イースラン、これぐらい積極的にならないと、最終話までにフィオラが恋愛モードに入らない・・・。
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